36 / 36
第三章 消えた死体と笑う森
幕間 王子と令嬢
しおりを挟む
「エドガーさま?どうしましたか?」
「……いや、なんでもない」
何か、視線を感じた気がしたのだが。振り返った先には特に目を引くものはなかった。
エドガー・カリウスは、デルセンベルクの街を恋人であるヒルデ・エールリヒとともに散策していた。
二人きりでのお忍びの小旅行である。先日の卒業パーティでの一件で言いつけられた謹慎期間が明けてすぐ、半ば家出のように城を出た彼は久しぶりの自由を満喫していた。
「……ヒルデ、口元にクリームが」
「えぇ!?やだ、恥ずかしい……!」
「はは、そそっかしいなぁ」
クレープを片手に、頬を染めて口元を拭う少女に、エドガーは目を細める。やはり、女は彼女のように、素直で可愛らしいのが良い。
先日婚約を破棄したアリエッタのことを思い出す。あれは二言目には「王族として」の自覚を持て、だの「民のため」を考えろ、だのと、自分に向かってこうるさいことを言う女だった。――全くもって、可愛くない。
子供の頃はそうではなかった。なんだかおどおどしていて、少しからかってやれば涙目になるような……そんな少女だった。あの頃は今よりもよっぽど可愛げがあった。
それでも、将来の伴侶となると話は別である。彼女も結婚するということは、都会での華やかな生活を捨てること。エドガーにはそれが耐えられなかった。
何度も父である国王に婚約破棄の嘆願をした。そのたびにはねのけられ、痛感したのだ。自分の存在は、父にとっても、この国にとってもただの駒にすぎないのだと。駒に意思など必要ないのだと、何度も何度も。
その苛立ちを全てアリエッタにぶつけた。顔を見るのも疎ましく、無視をするか罵声を浴びせるかの二択だった。いつの間にか周りもそれに従い「幽霊令嬢」なんて呼ばれるようになっていたのには溜飲が下がった。
……それでも平気な顔をして、学業もスポーツも上位の成績を保っていたのには、やはり腹が立ったが。
そんなとき、エドガーは運命の出会いをした。ひとつ下の学年に入学してきたヒルデである。
ヒルデは公爵家の令嬢ではあるものの、身体が弱く最近まで社交界に顔を出せなかったらしい。
そのせいかどこか自信なさげにおどおどとした少女だった。だが、彼女は華やかな容姿をしていた。淡い桃色をした髪と可憐な顔立ちはエドガーの好みであった。
なによりも、彼女が自分へと向ける視線が心地よかった。憧れ、恋情、畏敬の念と少しの卑屈さ。本来自分はそういったものを向けられるべき人間なのだと、エドガーに自信をつけさせる視線だった。
そんなとき、アリエッタによるヒルデへの嫌がらせ疑惑が浮上した。エドガーもそれが事実だと信じていたわけではないが、彼女を糾弾できるのなら、真偽はどうでもよかった。
恥をかかせてやればさすがに破断になるだろうと考え、卒業パーティの場で婚約破棄を言い渡した。男の頬を張るなど、最後まで可愛くない女だった。
王太子には厳しく叱責され、数ヶ月謹慎を言い渡されたが、それ以上に愉快だった。
そうしてエドガーは、自分の人生を取り戻した気分でここに立っていた。
口に含んだ発泡酒をゴクリと嚥下する。――冷たくて、うまい。そういえば、と思い出す。ヒルデに確認したいことがあったのだった。
「……なぜこの国に来たかったんだ?この程度の市場なんて、カリウスでも十分に開催されてるレベルじゃないか」
デルセンベルクを目的地に選んだのはヒルデだった。遠出ができればどこでもいい。まして国外なら痛快だ、くらいの気持ちで了承したものの、そう見どころの多い街でもない。
エドガーの問いに、ヒルデは目をパチパチとさせると、少し照れくさそうに言う。
「実は、私……行ってみたい場所があるんです。この街は、そのついでで……」
「デルシュタインに?」
「はい。景色がいいって噂のお山なんです。でも、一人で他国の領地に行くのは、怖くって……」
エドガーの口角が、上がる。やはり女というのはこうでなくては。か弱くて頼りなくて、男の助けがないと自由に移動もできないような。
もじもじと言いづらそうにした後、ヒルデはエドガーを上目遣いに見つめた。
「……一緒に、行ってくれませんか?わたしの騎士様」
「ああ、もちろんだ……君は、オレがいないと駄目なんだから」
エドガーはそう言って、微笑んだ。
「……いや、なんでもない」
何か、視線を感じた気がしたのだが。振り返った先には特に目を引くものはなかった。
エドガー・カリウスは、デルセンベルクの街を恋人であるヒルデ・エールリヒとともに散策していた。
二人きりでのお忍びの小旅行である。先日の卒業パーティでの一件で言いつけられた謹慎期間が明けてすぐ、半ば家出のように城を出た彼は久しぶりの自由を満喫していた。
「……ヒルデ、口元にクリームが」
「えぇ!?やだ、恥ずかしい……!」
「はは、そそっかしいなぁ」
クレープを片手に、頬を染めて口元を拭う少女に、エドガーは目を細める。やはり、女は彼女のように、素直で可愛らしいのが良い。
先日婚約を破棄したアリエッタのことを思い出す。あれは二言目には「王族として」の自覚を持て、だの「民のため」を考えろ、だのと、自分に向かってこうるさいことを言う女だった。――全くもって、可愛くない。
子供の頃はそうではなかった。なんだかおどおどしていて、少しからかってやれば涙目になるような……そんな少女だった。あの頃は今よりもよっぽど可愛げがあった。
それでも、将来の伴侶となると話は別である。彼女も結婚するということは、都会での華やかな生活を捨てること。エドガーにはそれが耐えられなかった。
何度も父である国王に婚約破棄の嘆願をした。そのたびにはねのけられ、痛感したのだ。自分の存在は、父にとっても、この国にとってもただの駒にすぎないのだと。駒に意思など必要ないのだと、何度も何度も。
その苛立ちを全てアリエッタにぶつけた。顔を見るのも疎ましく、無視をするか罵声を浴びせるかの二択だった。いつの間にか周りもそれに従い「幽霊令嬢」なんて呼ばれるようになっていたのには溜飲が下がった。
……それでも平気な顔をして、学業もスポーツも上位の成績を保っていたのには、やはり腹が立ったが。
そんなとき、エドガーは運命の出会いをした。ひとつ下の学年に入学してきたヒルデである。
ヒルデは公爵家の令嬢ではあるものの、身体が弱く最近まで社交界に顔を出せなかったらしい。
そのせいかどこか自信なさげにおどおどとした少女だった。だが、彼女は華やかな容姿をしていた。淡い桃色をした髪と可憐な顔立ちはエドガーの好みであった。
なによりも、彼女が自分へと向ける視線が心地よかった。憧れ、恋情、畏敬の念と少しの卑屈さ。本来自分はそういったものを向けられるべき人間なのだと、エドガーに自信をつけさせる視線だった。
そんなとき、アリエッタによるヒルデへの嫌がらせ疑惑が浮上した。エドガーもそれが事実だと信じていたわけではないが、彼女を糾弾できるのなら、真偽はどうでもよかった。
恥をかかせてやればさすがに破断になるだろうと考え、卒業パーティの場で婚約破棄を言い渡した。男の頬を張るなど、最後まで可愛くない女だった。
王太子には厳しく叱責され、数ヶ月謹慎を言い渡されたが、それ以上に愉快だった。
そうしてエドガーは、自分の人生を取り戻した気分でここに立っていた。
口に含んだ発泡酒をゴクリと嚥下する。――冷たくて、うまい。そういえば、と思い出す。ヒルデに確認したいことがあったのだった。
「……なぜこの国に来たかったんだ?この程度の市場なんて、カリウスでも十分に開催されてるレベルじゃないか」
デルセンベルクを目的地に選んだのはヒルデだった。遠出ができればどこでもいい。まして国外なら痛快だ、くらいの気持ちで了承したものの、そう見どころの多い街でもない。
エドガーの問いに、ヒルデは目をパチパチとさせると、少し照れくさそうに言う。
「実は、私……行ってみたい場所があるんです。この街は、そのついでで……」
「デルシュタインに?」
「はい。景色がいいって噂のお山なんです。でも、一人で他国の領地に行くのは、怖くって……」
エドガーの口角が、上がる。やはり女というのはこうでなくては。か弱くて頼りなくて、男の助けがないと自由に移動もできないような。
もじもじと言いづらそうにした後、ヒルデはエドガーを上目遣いに見つめた。
「……一緒に、行ってくれませんか?わたしの騎士様」
「ああ、もちろんだ……君は、オレがいないと駄目なんだから」
エドガーはそう言って、微笑んだ。
1
お気に入りに追加
7
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
1度だけだ。これ以上、閨をともにするつもりは無いと旦那さまに告げられました。
尾道小町
恋愛
登場人物紹介
ヴィヴィアン・ジュード伯爵令嬢
17歳、長女で爵位はシェーンより低が、ジュード伯爵家には莫大な資産があった。
ドン・ジュード伯爵令息15歳姉であるヴィヴィアンが大好きだ。
シェーン・ロングベルク公爵 25歳
結婚しろと回りは五月蝿いので大富豪、伯爵令嬢と結婚した。
ユリシリーズ・グレープ補佐官23歳
優秀でシェーンに、こき使われている。
コクロイ・ルビーブル伯爵令息18歳
ヴィヴィアンの幼馴染み。
アンジェイ・ドルバン伯爵令息18歳
シェーンの元婚約者。
ルーク・ダルシュール侯爵25歳
嫁の父親が行方不明でシェーン公爵に相談する。
ミランダ・ダルシュール侯爵夫人20歳、父親が行方不明。
ダン・ドリンク侯爵37歳行方不明。
この国のデビット王太子殿下23歳、婚約者ジュリアン・スチール公爵令嬢が居るのにヴィヴィアンの従妹に興味があるようだ。
ジュリアン・スチール公爵令嬢18歳デビット王太子殿下の婚約者。
ヴィヴィアンの従兄弟ヨシアン・スプラット伯爵令息19歳
私と旦那様は婚約前1度お会いしただけで、結婚式は私と旦那様と出席者は無しで式は10分程で終わり今は2人の寝室?のベッドに座っております、旦那様が仰いました。
一度だけだ其れ以上閨を共にするつもりは無いと旦那様に宣言されました。
正直まだ愛情とか、ありませんが旦那様である、この方の言い分は最低ですよね?
旦那様が多すぎて困っています!? 〜逆ハー異世界ラブコメ〜
ことりとりとん
恋愛
男女比8:1の逆ハーレム異世界に転移してしまった女子大生・大森泉
転移早々旦那さんが6人もできて、しかも魔力無限チートがあると教えられて!?
のんびりまったり暮らしたいのにいつの間にか国を救うハメになりました……
イケメン山盛りの逆ハーです
前半はラブラブまったりの予定。後半で主人公が頑張ります
小説家になろう、カクヨムに転載しています
皆で異世界転移したら、私だけがハブかれてイケメンに囲まれた
愛丸 リナ
恋愛
少女は綺麗過ぎた。
整った顔、透き通るような金髪ロングと薄茶と灰色のオッドアイ……彼女はハーフだった。
最初は「可愛い」「綺麗」って言われてたよ?
でも、それは大きくなるにつれ、言われなくなってきて……いじめの対象になっちゃった。
クラス一斉に異世界へ転移した時、彼女だけは「醜女(しこめ)だから」と国外追放を言い渡されて……
たった一人で途方に暮れていた時、“彼ら”は現れた
それが後々あんな事になるなんて、その時の彼女は何も知らない
______________________________
ATTENTION
自己満小説満載
一話ずつ、出来上がり次第投稿
急亀更新急チーター更新だったり、不定期更新だったりする
文章が変な時があります
恋愛に発展するのはいつになるのかは、まだ未定
以上の事が大丈夫な方のみ、ゆっくりしていってください
ヒロインではないので婚約解消を求めたら、逆に追われ監禁されました。
曼珠沙華
恋愛
「運命の人?そんなの君以外に誰がいるというの?」
きっかけは幼い頃の出来事だった。
ある豪雨の夜、窓の外を眺めていると目の前に雷が落ちた。
その光と音の刺激のせいなのか、ふと前世の記憶が蘇った。
あ、ここは前世の私がはまっていた乙女ゲームの世界。
そしてローズという自分の名前。
よりにもよって悪役令嬢に転生していた。
攻略対象たちと恋をできないのは残念だけど仕方がない。
婚約者であるウィリアムに婚約破棄される前に、自ら婚約解消を願い出た。
するとウィリアムだけでなく、護衛騎士ライリー、義弟ニコルまで様子がおかしくなり……?
美形王子様が私を離してくれません!?虐げられた伯爵令嬢が前世の知識を使ってみんなを幸せにしようとしたら、溺愛の沼に嵌りました
葵 遥菜
恋愛
道端で急に前世を思い出した私はアイリーン・グレン。
前世は両親を亡くして児童養護施設で育った。だから、今世はたとえ伯爵家の本邸から距離のある「離れ」に住んでいても、両親が揃っていて、綺麗なお姉様もいてとっても幸せ!
だけど……そのぬりかべ、もとい厚化粧はなんですか? せっかくの美貌が台無しです。前世美容部員の名にかけて、そのぬりかべ、破壊させていただきます!
「女の子たちが幸せに笑ってくれるのが私の一番の幸せなの!」
ーーすると、家族が円満になっちゃった!? 美形王子様が迫ってきた!?
私はただ、この世界のすべての女性を幸せにしたかっただけなのにーー!
※約六万字で完結するので、長編というより中編です。
※他サイトにも投稿しています。
愛すべきマリア
志波 連
恋愛
幼い頃に婚約し、定期的な交流は続けていたものの、互いにこの結婚の意味をよく理解していたため、つかず離れずの穏やかな関係を築いていた。
学園を卒業し、第一王子妃教育も終えたマリアが留学から戻った兄と一緒に参加した夜会で、令嬢たちに囲まれた。
家柄も美貌も優秀さも全て揃っているマリアに嫉妬したレイラに指示された女たちは、彼女に嫌味の礫を投げつける。
早めに帰ろうという兄が呼んでいると知らせを受けたマリアが発見されたのは、王族の居住区に近い階段の下だった。
頭から血を流し、意識を失っている状態のマリアはすぐさま医務室に運ばれるが、意識が戻ることは無かった。
その日から十日、やっと目を覚ましたマリアは精神年齢が大幅に退行し、言葉遣いも仕草も全て三歳児と同レベルになっていたのだ。
体は16歳で心は3歳となってしまったマリアのためにと、兄が婚約の辞退を申し出た。
しかし、初めから結婚に重きを置いていなかった皇太子が「面倒だからこのまま結婚する」と言いだし、予定通りマリアは婚姻式に臨むことになった。
他サイトでも掲載しています。
表紙は写真ACより転載しました。
幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。
秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚
13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。
歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。
そしてエリーゼは大人へと成長していく。
※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。
小説家になろう様にも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる