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第三章 消えた死体と笑う森
第八話 怪物
しおりを挟む人間の胴回りよりもあるその腕は、太い指で地面を削りながらずるずると這って、少しずつその姿を現した。
穴から這い出て来たものは、大きな――白い、猿のような生き物だった。
「なんだコイツ……これが、昔話の化け物?」
「……アレは、ハクエンという魔物です」
ユルゲンスさんが私達の前に出て、左耳の翡翠飾りを指で弾きながら言う。
「かなりでかい個体ですね。もう……数百年は生きていてもおかしくない。おそらくオスです。普通、人を積極的に襲う魔物ではないはず……なんです、が」
その魔物は、人のようにも見える顔から粘ついた涎を撒き散らし、笑い声のような雄叫びを上げた。
その様子は獲物を見つけた喜びに満ち溢れており、とてもじゃないけど人を襲わない生き物には……見えない。
「……なるほど。あの話、どこかおかしいと思っていたが……そういうことか」
ルードは憎々しげに呟くと、ユルゲンスさんに声をかける。
「ユルゲンス!それは倒していいぞ」
「はいはーい!」
ユルゲンスさんはいつもの軽い口調で、ルードを振り返りながら手を挙げた。……え、何て?
「援護はいるか?」
「そうですねぇ。していただければ僕の服が泥で汚れずに済むとは思いますが……、まぁ返り血とかも浴びるかもですし、大丈夫です。ルードさんはアリーさんとヘデラさんをお願いします」
「ああ。勿論だ」
……咆哮する魔物の前で二人は呑気な会話をしている。
「ユルゲンスさん!?大丈夫なんですか!?」
「ええ、もちろん!僕は、ルードさんと違って、幽霊は見えないし戦えないんですけどねえ」
ユルゲンスさんは腰につけた道具入れから何かを取り出すと、指に引っ掛けてくるくる回した。
「生きてるものなら、大概、殺せます」
そう言うと、ユルゲンスさんは何かを素早く魔物へ向かって投げつけた。魔物の腕と脚に、数本の短剣が突き刺さっている。いつの間に取り出していたんだろう。全然見えなかった。
魔物が痛みに狂ったような声を上げ、暴れる。が、足を短剣で地面に縫い付けられうまく動けないようだ。ユルゲンスさんは軽やかに飛び上がると、樹木の幹を蹴って魔物の頭上に躍り出た。耳飾りの残像が私の目に軌跡を描く。きらめく翡翠が動く様子は、まるで神速の蛍だ。
そうして透明な、糸のようなものを魔物の首に巻き付け、着地する。
――彼の背後で、魔物の首が、ごろりと落ちた。
「はい、討伐完了でーす」
一瞬で決着した勝負といつもの軽い調子に、唖然としてしまう。
「すごぉ……」
「ユルゲンスは強いよ。一対一の戦闘なら、対人魔物を問わず、おそらくこの国で最強だ」
「そうなんですか……!?」
ユルゲンスさんは服を軽くはたきながら、私たちの方を振り返る。先程の発言に反して、その体には返り血ひとつついていなかった。
「えへへ、見直しましたぁ?でもそんなに強い魔物ではないです。ランクつけるならAマイナスくらいじゃないですかね」
「それは十分強い魔物ですよ……?」
Aマイナスなら、熟練冒険者がパーティを組んで討伐するレベルである。単独で瞬殺は、やはり強すぎるのではないだろうか。……何者なんだろうな、この人も。
「これが……フィミラを……?」
ヘデラは死体に近づくと、頭を失った魔物を見下ろした。
「……町の昔話を聞いたとき、違和感があった」
ヘデラの背中に向かって、ルードは語り始める。
「普通、ああいった話は、語り手側に都合の良いように改竄される。この場合、語り手は町の人間だ。それに対して……あの話は、生々しすぎる」
「冒険者の女性を縛り上げて、魔物に差し出した、っていうくだりでしょうか」
私の発言にルードは頷くと、死んだ魔物に近づいてその獣毛に指を触れた。
「この猿を見てわかった。――事実はもっと、酷かったんだ」
ルードは獣毛を引き抜いた。白いそれは、体から抜けると、すぐにぼろぼろと崩れて粉状になる。
「ハクエンの獣毛は上質な研ぎ石になる。これで金属を磨いて作った刃物は、切れ味よく滅多に刃こぼれしない。しかし、死体から採ったものはこんなふうに崩れて……使い物にならない。かといって生きたままの採集は困難だ。……そのため、希少な素材として重宝される」
「この地方の名産は……確か……」
「刃物だね。昔は土地の痩せた貧しい地だったが、質が良い刃物を量産して、町は栄えた。量産方法は門外不出。……おそらく、ハクエンの獣毛を使っていたんだろう。こいつをここで飼いならして」
ルードは目を伏せる。
「事実はこうだ。魔物は死んでいない――つまり、冒険者達は魔物を討伐していない。町人は偶然この地を訪れた余所者を縛り上げ、問答無用でコレに差し出した。きっと、生贄のつもりだったんだろう」
――あまりに、おぞましい所業だ。私達の間の空気が凍りつく。
「こいつは人間の味を覚えた。幸い、餌は死肉でも構わないようだった。町人は森の近くに墓を作り、埋めた死体のうち状態の良いものを選んで、定期的に与えた。そしてこれが餌を喰っている間に体毛を採集し……刃物産業で町は栄えた。……ほぼ間違いなく、主犯はイリーネ家の代々当主だろうな」
ヘデラは俯いて、堅く拳を握りしめている。何も、言葉を発しなかった
「……あの、ひとつ、わからないことが」
「なに?アリー」
「私達が見た霊たちの姿が変だったのは、何故なんでしょうか……」
体のパーツが増えた、歪な霊たち。喰われたのは無念だったと思うけれど、なぜ、あんな姿になってしまったんだほう。
「それは……まだわからない。……おそらくこの洞窟の奥に、ヤツの食べ残しが残されていると思う。……調べるしかないな」
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