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第三章 消えた死体と笑う森
第七話 森の奥へ
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森の中は昼なのに薄暗かった。生い茂った木に邪魔されて、太陽の光が届かないからだろう。獣道に毛が生えた程度の道に沿って、私達は黙々と進んだ。
先頭を行くのはヘデラだ。子供の頃はこの辺りを遊び場にしていたらしく、確かな足取りで森の奥に進んでいく。どうやら森の最奥に『入ってはいけない』とキツく言いつけられていた場所があって、何かがあるならそこだろうとのことだった。
続いて歩くルードに、私は手を引かれている。
さっき見た女の霊のせいで震えが止まらない私の様子を心配したルードに、私は森の外で待っているようにと説得された。
それを拒否してしばらく揉めた末に、手繋ぎなら、と同行を許可されたのである。ルードの大きな手とその温度には安心できるから、ありがたい。
そうして最後尾を、軽やかな足取りのユルゲンスさんが着いてきていた。
「着いた」
ヘデラが短く言う。それまで伸び放題だった草が急に減り、開けた空間へたどり着いた。
奥の方からはチョロチョロと水の流れる音がする。
「……これより奥。この小川の向こうには絶対に行くなって、町の皆から言われてた。ここまでの森は子供たち皆の遊び場だったけど、この先には、どんな悪ガキも絶対に入らなかった」
その小川は水量も少なく、私が跨ぎ越せてしまうほどの幅しかない。その気になれば簡単に超えられそうな境界線だ。好奇心旺盛な子どもならば、誘惑に負けて行ってしまいそうなのに。
けれど、この場に立ってみるとわかる。両腕に鳥肌がたって、空いた手で自分を抱きしめた。――何か、怖いのだ。ここは。
「……気持ち悪いな」
ルードが口元を覆い、顔をしかめる。彼がそんなことを言うのは初めて聞いた。
「何か居ます?」
一人だけあまり恐怖を感じていなさそうなユルゲンスさんがルードと私に尋ねる。
「私は、見えません……。でもここ、なんだかすごく怖いです」
そう言うと、私の手を握るルードの手に力がこもった。目線は小川の向こうを見据えたまま、ルードが続ける。
「……ここには居ない。だが、小川の向こうから……気配がする。複数……かなり多い。多いんだが……妙だ。なにかが……歪で、ごちゃごちゃと混ざり合って……。とにかく、気持ち悪い」
「何だそりゃ。はっきりしねぇな」
ヘデラは苛ついた様子で吐き捨てると、小川の向こうを睨みつける。
「ごちゃごちゃ言ってないで、渡るしかないだろ」
そう言って、ひょいと足を上げ、いとも簡単に境界線を――越えた。
すると、突然
あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
静かな森を引き裂くようにつんざくような轟音が響き渡る。
――それは、けたたましい笑い声だった。
「ヘデラ!」
後を追って、急いで小川を踏み越えた。笑い声は鳴り止まない。声はわんわんと反響しながら暗い森を揺らしている。そこで、ふと気づいた。――声は、一つじゃない。
怪音にもヘデラは怯まず、森の奥に向かって叫んだ。その目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「ふざけんじゃねえ!妹を……フィミラを返せ!この……化け物が!!」
ヘデラが叫んだ、そのとき
「……!」
私達の前に、突如として灰色の集団が現れた。その人影は、数十人、もしかして、もっと多いかもしれない。皆一様に俯いて立って……いる、のだが、その体は全て異常に奇妙だった。
「アリー、見えている?」
緊張した声音のルードに尋ねられる。どうやら、彼にも見えているようだ。こくこくと頷くと、ルードの手に、更に力がこもった。
「……なんで、そんな。何なの、この人たち。なんで」
「なんですか?一体、何が見えてるんですか?お二人は」
ユルゲンスさんが戸惑ったように尋ねる。
私は耐えかねて、叫んだ。
「多いんです!……手が三本ある人がいる。足が四本ある人も!目なんて……体中に数え切れないほどついてる。歪で……捻れてて、そんな人たちが……こっちを見てる!」
険しい顔でルードが続ける。その声はわずかに震えていた。
「……死者は、肉体を失ってから長い年月が経てば経つほど、生前の形を保てなくなる。忘れるんだ。自分の体がどんな風だったか。……それでも、手足などのパーツが欠けたり、形が溶けたり、変わったり……そうはなるが、パーツが増えるなんて聞いたこともない。……こんな姿は、初めて見た」
ルードが話し終える、と同時に笑い声がピタリとやんだ。そうして、不気味な人影もかき消えた。
私達は沈黙する。その眼前には暗い森の奥へと誘うような細い道が続く。
「……行こう」
ルードの声に頷き、私達は森の奥へと足を進めた。
*****
しばらく歩くと、森は高い岩壁に塞がれていた。行き止まりのようだ。私達は足を止めて辺りを見回した。……何もない。
「……フィミラ!!」
痺れを切らしたのか、ヘデラは大声で妹の名前を呼んだ。
――そのとき、また森の中に声のようなものが聞こえ始めた。今度はくすくす、と囁くような――笑い声だ。
声の方向に目を向ける。生い茂った木の向こうの岩壁に、真っ黒な洞窟がぽかりと穴を開けていた。
――その周りに、びっしりと灰色の人影が貼りついて、岩壁を覆いつくしている。
「そこに、なにかあるの……?」
私が震える声で尋ねると人影は一斉に声を上げて笑い出した。くすくす、けたけた、げらげらと少しずつ大きくなる笑い声の中――洞窟の奥から、何か物音が聞こえてくる。
ずる、ずると、何かを引きずるような音は、少しずつ大きくなり、そして穴の中から、何かが姿を見せた。
それは――白い獣毛に覆われた――腕だった。
先頭を行くのはヘデラだ。子供の頃はこの辺りを遊び場にしていたらしく、確かな足取りで森の奥に進んでいく。どうやら森の最奥に『入ってはいけない』とキツく言いつけられていた場所があって、何かがあるならそこだろうとのことだった。
続いて歩くルードに、私は手を引かれている。
さっき見た女の霊のせいで震えが止まらない私の様子を心配したルードに、私は森の外で待っているようにと説得された。
それを拒否してしばらく揉めた末に、手繋ぎなら、と同行を許可されたのである。ルードの大きな手とその温度には安心できるから、ありがたい。
そうして最後尾を、軽やかな足取りのユルゲンスさんが着いてきていた。
「着いた」
ヘデラが短く言う。それまで伸び放題だった草が急に減り、開けた空間へたどり着いた。
奥の方からはチョロチョロと水の流れる音がする。
「……これより奥。この小川の向こうには絶対に行くなって、町の皆から言われてた。ここまでの森は子供たち皆の遊び場だったけど、この先には、どんな悪ガキも絶対に入らなかった」
その小川は水量も少なく、私が跨ぎ越せてしまうほどの幅しかない。その気になれば簡単に超えられそうな境界線だ。好奇心旺盛な子どもならば、誘惑に負けて行ってしまいそうなのに。
けれど、この場に立ってみるとわかる。両腕に鳥肌がたって、空いた手で自分を抱きしめた。――何か、怖いのだ。ここは。
「……気持ち悪いな」
ルードが口元を覆い、顔をしかめる。彼がそんなことを言うのは初めて聞いた。
「何か居ます?」
一人だけあまり恐怖を感じていなさそうなユルゲンスさんがルードと私に尋ねる。
「私は、見えません……。でもここ、なんだかすごく怖いです」
そう言うと、私の手を握るルードの手に力がこもった。目線は小川の向こうを見据えたまま、ルードが続ける。
「……ここには居ない。だが、小川の向こうから……気配がする。複数……かなり多い。多いんだが……妙だ。なにかが……歪で、ごちゃごちゃと混ざり合って……。とにかく、気持ち悪い」
「何だそりゃ。はっきりしねぇな」
ヘデラは苛ついた様子で吐き捨てると、小川の向こうを睨みつける。
「ごちゃごちゃ言ってないで、渡るしかないだろ」
そう言って、ひょいと足を上げ、いとも簡単に境界線を――越えた。
すると、突然
あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは
静かな森を引き裂くようにつんざくような轟音が響き渡る。
――それは、けたたましい笑い声だった。
「ヘデラ!」
後を追って、急いで小川を踏み越えた。笑い声は鳴り止まない。声はわんわんと反響しながら暗い森を揺らしている。そこで、ふと気づいた。――声は、一つじゃない。
怪音にもヘデラは怯まず、森の奥に向かって叫んだ。その目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「ふざけんじゃねえ!妹を……フィミラを返せ!この……化け物が!!」
ヘデラが叫んだ、そのとき
「……!」
私達の前に、突如として灰色の集団が現れた。その人影は、数十人、もしかして、もっと多いかもしれない。皆一様に俯いて立って……いる、のだが、その体は全て異常に奇妙だった。
「アリー、見えている?」
緊張した声音のルードに尋ねられる。どうやら、彼にも見えているようだ。こくこくと頷くと、ルードの手に、更に力がこもった。
「……なんで、そんな。何なの、この人たち。なんで」
「なんですか?一体、何が見えてるんですか?お二人は」
ユルゲンスさんが戸惑ったように尋ねる。
私は耐えかねて、叫んだ。
「多いんです!……手が三本ある人がいる。足が四本ある人も!目なんて……体中に数え切れないほどついてる。歪で……捻れてて、そんな人たちが……こっちを見てる!」
険しい顔でルードが続ける。その声はわずかに震えていた。
「……死者は、肉体を失ってから長い年月が経てば経つほど、生前の形を保てなくなる。忘れるんだ。自分の体がどんな風だったか。……それでも、手足などのパーツが欠けたり、形が溶けたり、変わったり……そうはなるが、パーツが増えるなんて聞いたこともない。……こんな姿は、初めて見た」
ルードが話し終える、と同時に笑い声がピタリとやんだ。そうして、不気味な人影もかき消えた。
私達は沈黙する。その眼前には暗い森の奥へと誘うような細い道が続く。
「……行こう」
ルードの声に頷き、私達は森の奥へと足を進めた。
*****
しばらく歩くと、森は高い岩壁に塞がれていた。行き止まりのようだ。私達は足を止めて辺りを見回した。……何もない。
「……フィミラ!!」
痺れを切らしたのか、ヘデラは大声で妹の名前を呼んだ。
――そのとき、また森の中に声のようなものが聞こえ始めた。今度はくすくす、と囁くような――笑い声だ。
声の方向に目を向ける。生い茂った木の向こうの岩壁に、真っ黒な洞窟がぽかりと穴を開けていた。
――その周りに、びっしりと灰色の人影が貼りついて、岩壁を覆いつくしている。
「そこに、なにかあるの……?」
私が震える声で尋ねると人影は一斉に声を上げて笑い出した。くすくす、けたけた、げらげらと少しずつ大きくなる笑い声の中――洞窟の奥から、何か物音が聞こえてくる。
ずる、ずると、何かを引きずるような音は、少しずつ大きくなり、そして穴の中から、何かが姿を見せた。
それは――白い獣毛に覆われた――腕だった。
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