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第三章 消えた死体と笑う森

第三話 フィミラ・イリーネ

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 フィミラはイリーネ男爵家の第三子、次女としてその生を受けた。
 両親夫妻は仲が良く、新たな命が妻のお腹に宿ったと聞いて夫は喜んだ。長男のアグラと長女のヘデラも自分たちの弟か妹が生まれることを喜んだ。五人は幸せな家族になれるはずだった。

 悲劇はフィミラの誕生日となった日に起こった。母親がお産中に亡くなったのだ。医師も手を尽くしたが、その甲斐なく彼女は帰らぬ人なった。生まれたばかりの娘を一度も腕に抱くことのないまま。
 娘は、母親が生前考えていたとおり――フィミラ、と名付けられた。
 
 イリーネ家は悲しみと絶望に包まれた。明るく優しい女主人を失った屋敷は、火が消えたようだった。

 当主のモリア氏は塞ぎ込んでしまい、娘のことに関心を持つどころではなかった。長男のアグラも同様だった。 
 ヘデラも悲しんだが、それはそれとして妹のことは可愛がった。幼すぎて事情がよくわからなかったこともあるが、長じて理解してからもか「ねえさま」と慕ってくる妹を責める気持ちにはなれなかった。

 イリーネ家の傷は時間とともに少しずつ癒えたが、家族の間には埋められない溝が残った。父も兄も、フィミラへの複雑な思いが拭えなかったのだ。
 二人は積極的にフィミラと関わることをしなかった。食事も別に取り、滅多に顔を合わせることもなかった。当主と後継ぎの態度に追従し、使用人達もフィミラを遠巻きに扱った。直接的な虐待はなかったが、フィミラは孤独だった。

 乳母が引退してからは、フィミラにとって家族らしい家族はヘデラだけになっていた。しかしヘデラが十六歳になったとき、彼女が有名な彫金師の弟子へと誘われた。しかし弟子入りするのなら、家を出て師の元で暮らすことになる。

 ヘデラは迷ったが、最後にはその話を受けた。夢への第一歩が魅力的であったのはもちろん、フィミラの後押しがあったことが大きかった。

 家を出てからヘデラはがむしゃらに学んだ。居心地の悪い実家にはほとんど帰らなくなって、初めは毎週のようにやり取りしていた妹との手紙も徐々に減っていた。

 ――そして家を出てから一年後、ヘデラの元に、フィミラの訃報が届いたのだった。

 彼女は自宅の部屋で、自らの手首を水桶に浸し、その血管を切り裂いて息絶えたていたという。彼女の筆跡で残された遺書により、自殺だと判定された。

 ヘデラは慌てて帰郷し、棺に入った妹と対面した。死化粧をした頬は硬く冷たく、とても生きている人間と間違うものではなかった。

「遺書には、『疲れた』とだけ書いてあった。アタシが、家を出なければ。……せめてもっと気にかけてれば……フィミラは自ら死を選ぶなんてことは、しなくてすんだんだ」
 
 そう言ってヘデラは沈黙した。
 どんな慰めも薄っぺらくなる気がした。私達は何を言うこともできず、馬車の中は静かな沈黙に包まれたのだった。

*****

 重苦しい雰囲気を引きずったまま、馬車は目的地へと到着した。
 イリーネ男爵領はのどかで美しい自然のある街だった。丘の上の領主の館がヘデラの実家だ。その奥の麓には大きな森が広がっている。
 ――その森の手前に、ヘデラの妹、フィミラの眠る墓地があるらしい。

 墓地を掘り返す許可は、私達が拍子抜けするほどあっさり取れた。墓地の管理人であるという老婦人はヘデラとも顔見知りらしく、イリーネ家の事情も汲んでいたらしい。――なので、他の家族の許可は必要ないと判じたようだ。孤独だった少女のことを思い、悲しくなる。亡くなったお母さんも、そんなことは望んでなかったはずなのに。

 日が傾きはじめていたので墓地へ行くのは明日にして、私達は街の宿屋へと足を向けた。

*****

 宿屋の部屋に落ち着いた私は、入浴を済ませた後、暇を持て余していた。同部屋のヘデラは、宿屋のご主人と話をしに行ってしまい、一人なのだ。
 部屋の窓から外を眺めてみると、宿の敷地内に綺麗な薔薇の庭があることに気がついた。夜とはいっても宿屋の庭だし、気分転換に行ってみようと思い立って部屋を出る。

 ――夜の薔薇園は見事なものだった。きっと宿の名物なのだろう。薄明かりに照らされて色とりどりの大輪が咲き誇り、甘い香りが漂っていた。深呼吸して吸い込むと、心が落ち着く気がした。

 ……イリーネ家の話を聞いて、久しぶりに故郷のお父様とお母様を思い出した。婚約破棄されて国を出てから、一言『無事』という電報だけは送ったけど、居場所は伏せたままだ。……心配、してるだろうな。でも国では罪人扱いの私のために、迷惑をかけるわけにもいかないし。
 ふと寂しくなった、その時

「アリー?」

 名前を呼ばれて、声の方向を見る。
 見上げた先、二階の部屋のベランダに、ルードがいた。
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