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第十八話 ミルクティー味

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「カトレア、行くぞ」 
「……はい」 

 今言われたマリーの言葉が頭の中を反芻する。 
 当たり前だ。悪魔契約者の俺が、こんな高価な服を着ていいはずがない。似合うわけもないんだ。 
 殿下が買ってくれたのは嬉しかったけど、これからは自分が村で着ていた服で過ごそう。 
 自惚れも甚だしいよな。こんな綺麗で上質な服、他の悪魔契約者は着ていないのに。図々しいいも程がある。 

 しばらく殿下としっかり目を合わせられなかった。 
 時々馬車が通る道ばかり見て、殿下に話しかけられても適当に頷くことしかできない。 

「おい、カトレア」 
「あ……はい」 
「ジェラートを買ってくる。何味が好みだ」 
「なんでも、いいです」 

 気づけば宮殿へ行く道から外れて、多くの店やカフェが連なる大通りに来ていた。 
 殿下は人ごみをかきわけてジェラート屋へ行ってしまう。護衛の人達も慌ててついていった。 
 数分後、殿下が二つのジェラートを抱えて帰って来た。 
 一つは黄色と茶色のもの、もう一つは黄色と桃色のものだ。 
 殿下がずいっと俺に差し出してきてくれたのは、黄色と桃色のジェラートだった。 

「レモンとローズだ。食えるか?」 
「レモンとローズ……! はい、食べれます! ありがとうございます」 
「ならいい。溶ける前に食べろ」 
「殿下のは何味ですか?」 
「レモンとミルクティーだ」 
「殿下もレモン味頼んだんですね! お揃いですね」 
「……そうだな」 

 殿下が一口レモン味のジェラートを頬張る。俺もレモンから口に運んだ。 
 意外と酸っぱくて、そのあとに食べたローズ味のジェラートがすごく甘く感じる。 
 舌の上で溶けたあとに薔薇の香りがほんのり鼻腔を擽ってきて、上品な味だ。 
 殿下のミルクティー味もどんな感じなのか気になる。俺とアギオ湖にいたとき、サブレも食べてくれたし、もしかして甘党だったりするのだろうか。 

「一口食べるか?」 
「え……っ」 

 殿下が食べているのを見つめていたら、ミルクティー味を乗せたスプーンを俺の口元に持ってきた。 
 こ、これって、間接キスになっちゃうんじゃないの……? 

「え、えっと……っ」 

 顔が赤くなるのがわかって、おどおど迷っていると、殿下が苛立ったように眉間に皺を寄せた。 

「早く食べろ。溶けてしまうだろう」 

 さっき一口食べるか? って聞いてくれたじゃないですか! 食べないって選択肢はないんですか!? 
 と抗議したいところだったが、殿下に抗議するのもなぁと気が引けてしまい、唇をスプーンに近づけた。 

「じゃあ、早速……ん、おいしい!」 

 高鳴る胸を押さえて、一口頂く。 
 少し溶けてしまっていたけど、紅茶の芳醇な香りと、ミルクの甘さが相まって本当にミルクティーを飲んでいるみたいだった。 
 舌の上でしっとりとなくなっていき、後味もすっきりしている。これは美味しい! 

「すごく美味しいです。何口でもいけちゃいますね」 
「ここのジェラート屋は、コンライド街にあるジェラート店で一番美味しい」 
「レモン味もすごく美味しいですし、他のジェラート店は行ったことないですけど、俺もそう思っちゃいます。また行きたいです」 
「ああ。行こう」 

 そう言った殿下は少し笑っていた。 
 また行きたいの言葉に、当たり前に頷いてくれる殿下。 
 こういう優しくて、嘘を吐かなくて、素直にものを言ってくれるところが好きだと思ってしまう。 

 日暮れの光に殿下の眸が宝石箱のようにキラキラと輝いている。 
 ずっとこの時間が続けばいいのにと、心の奥で少しだけ願ってしまった。 

「それで、どうした?」 
「え?」 
「道の途中、様子がおかしかったではないか」 

 殿下が俺の心の中を探るようにじっと見つめてくる。 
 俺が落ち込んでいたのを、殿下は返事や顔色から察してくれていたのだろう。 
 もしかして、俺を元気づけるためにジェラート屋に……? 
 そうだとしたら、殿下の優しさにまた涙腺が緩みそうになる。 

「何かあったのか?」 

 不安そうに眉を寄せて俺の顔を覗き込む殿下に、もう素直に言葉を零すしかないと思った。 

「その……マリー令嬢が、この格好は似合わないって、仰っていたので。やっぱり、悪魔契約者には、こういう服装はダメなのかなって」 
「……」 
「よく考えればダメに決まってますよね。殿下からプレゼントしてくれたのは嬉しいですけど、それでも、俺なんかに似合わないんですよ、この服。殿下が着たらきっと立派に着飾ることができると思います。でも、俺じゃ見合わないんです。俺にはいつものボロボロの服の方が――」 

 そのとき、唇に何か柔らかい感触がした。 
 柔らかくて、冷たくて、ほんのりミルクティーの味がする何か。 
 それが殿下の唇だと気づいたときには、俺の顔は耳まで赤く染まっていた。 

「……レモンの味がする」
「あ、あ、あああの、殿下……?」 
「マリーはあのような奴なのだ。だから、気にしなくていい」 
「え、あの、じゃなくて、」 
「別に着たい服を着ればいいだろう。他人にどう見られようとどうでもいい。自分の好む服を着ていればいい。……帰るぞ」 

 殿下は先程のことなんて何もなかったかのように、背中を向けて歩き出した。 
 殿下の顔は全く赤くない。ちらりと顔を見ても、何の感情も見せていない。 
 まっすぐ帰り道を急ぐだけで、さっきのことを聞きたくても言えなかった。 

 なんとなく、俺にはわかる。 
 ――あれは、ただの慰めだ。 
 殿下は仕事もサボるし、契約者の差別というものにもあまり従わない。机だっていつも汚すし、極度の面倒くさがり屋だ。俺の言葉に何度か苛立ったこともある。 
 だから、今回も俺のことが面倒くさくて、苛立ちさっさとキスをして話題を終わらせたかったのだろう。 

 マリー令嬢という婚約者だっている。 
 彼女ともうキスくらい交わしているだろう。 
 それに殿下は女性からもすごく人気が高い。 
 だから俺にキスをしたのも、ただの気まぐれだ。 
 絶対そうだ。 
 面倒くさかったんだ。俺の自虐が。 

 マリー令嬢のことだって、「あのような奴」って言っていた。それほど何度も会話して彼女の性格を掴んでいる証拠だ。 
 それほど仲が良いんだ、マリー令嬢と……。 

 そのとき、殿下が後ろを振り返って俺を見た。 

「言い忘れていた。マリーは婚約者だが、俺は特に婚姻しようとは……」 
「あ、あの!」 

 婚約者という言葉が聞きたくなくて、思わず言葉を遮った。 
 でも、頭が混乱していて言いたいことが出てこない。 
 マリー令嬢と仲が良いのに、俺と一緒に百貨店とか行ってていいんですか? どうしてあの時キスを? 面倒くさかったからしたんですよね? 
 口は乾いてしまっていて、結局やっと出てきた言葉はこんなものだった。 

「お、お幸せに……」 

 その瞬間、殿下は眉頭を寄せ、口をむっと結んで一気に不機嫌になってしまった。 
 俺たちはそのあと一言も喋ることもなく、王宮に帰っていった。 
 殿下の目も、顔も見れず、時折吹く風で鮮やかに靡く銀髪しか見ることができなかった。 
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