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第十七話 マリー

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◇◇◇ 


「あ、あの、殿下……本当に、良かったんですか」 
「気にしなくていい」 

 殿下は結局俺に大量の服をプレゼントしてくれた。 
 今も俺はすごく高価なシャツと紺色のジャケットを着て百貨店を周っている。 
 服の生地は滑らかで上質で、この季節にちょうどいい暖かさになっていた。 
 他にも冬服や春服、マフラー、手袋、靴まで買ってもらってしまった。 
 申し訳ない気持ちでいっぱいだけど、殿下に謝ったら不機嫌になりそうだから、やめておく。 

 足元を見るとぴかぴかに磨かれた革靴。 
 正直俺が履くのはもったいない気がしたけど、でもこんな服や靴を身につける機会はなかったから、素直に嬉しかった。 

 殿下に「しばらく待っていろ」と言われ、ジュエリー店の前で佇んでいると、十分後くらいに殿下が戻って来た。 

「これを身につけろ」 
「え……えっ!?」 

 すっかり殿下が自分のアクセサリーを買うのかと思っていたら、俺に宝石が散りばめられた金の耳飾りを渡してきた。 
 こ、これ、本物の金……だよな。 

「あとこれも。手を出せ」 

 言われた通りに手を出すと、左手の中指と薬指にそっと指輪がはめられた。 
 蒼色の宝石と、薔薇色の宝石の指輪だ。 

「ブルーダイヤとモルガと呼ばれる宝石だ。他にもいろいろ買った。今はしばらくこれをつけていろ」 
「え、あの……」 
「何か不満が?」 
「い、いえ! ありがとうございます!」 

 いきなり俺を睨んでくるから、お礼しか言えなかった。 
 洋服を買ってくれた上に、ジュエリーまで買ってくれるなんて。しかも、悪魔契約者に。 
 殿下の優しさに、俺は喉が痛くなって涙腺も緩んだけど、泣かないように必死に唇を噛んだ。 

「早く耳飾りもつけろ」 
「あ……はい、つけますね」 

 殿下に手を差し出したときにポケットに入れてしまった耳飾りを取り出す。 
 右耳につけてみようと試みたのだが、こんなアクセサリーをつけるのは初めてだし、装飾が多くてなかなか耳にはまらない。 

「あれ、えーっと……こうかな? あれ、はまんない。こっちか? これも違うな……」 
「……」 

 苦戦していると、殿下が近づいてきて耳飾りを俺から奪った。 
 そのまま屈んで俺の耳にはめている。カラカラと耳飾りがすぐそこで鳴って、殿下の指が耳たぶや耳輪に触れる。 
 殿下の吐息がふっとかかった。 

「ん……っ」 

 変な声が口から漏れてしまって、恥ずかしくなる。 
 くすぐったいだけなのに、何か身体の奥からぞわぞわと這い上がってくるものがあった。 
 殿下の長い髪から、甘い花の香りがしてくる。 
 彼と同じシャンプーを使った俺も、今同じ香りがしているんだろうか。 

「できたぞ」 
「あ、ありがとうございます」 

 殿下が俺から離れていく。 
 花の香りもわからなくなって、触ってくれていた指も遠くへいって、少し寂しく思ってしまった。 
 右耳を触ってみると、確かにしっかり耳飾りがはめられているのがわかる。 
 意外と重たくて、首を振ると落ちてしまいそうで怖く感じた。 
 でも、こんな豪華なジュエリーを殿下が俺のために買ってくれたという事実が嬉しい。 

「セーレ、似合う?」 

 左肩に乗っていたセーレに、店の傍に置かれた鏡で耳を見せて訊く。 

「……似合うんじゃないですか。いちいち僕に訊かないでください」 

 セーレはなぜか不機嫌そうに耳から目を逸らし、頬を膨らませていた。 

 
 百貨店から出ると、既に陽は西の方に傾いていた。 
 周りを歩く人たちの煌めく宝石や刺繍が施された服が、橙色に美しく輝く。 
 殿下の銀髪も、西日で綺麗に光っていた。 

「この後は、どうする?」 
「俺は、もう家に帰るのかと思ってたんですけど……」 
「ふむ……」 

 殿下が顎に手をあてて悩んでいる。 
 俺も殿下と一緒に出かけることはすごく楽しくて幸せだったけど、日暮れ以降も王太子が街を出歩くのはやめた方がいいと思っていた。 
 でも殿下はまだどこかに行きたそうだ。 

「殿下、」 

 どこか行きたいところでも……と言おうとした矢先、コツリと上品な足音が目の前で響いた。 

「殿下、ごきげんよう」 

 殿下から顔を逸らして前を見ると、そこにはくるくるとカールされた金髪の美しい女性がドレスをつまんで挨拶していた。 
 濃い緑の眸で、目尻は少し釣り気味だ。一目見ただけでも気が強そうな印象を滲ませている。 
 でも殿下に向けた優しい笑みを見た瞬間、すぐにわかった。 

 彼女は、エリオット王子が言っていた―― 

「最近、私に会って下さらなくて寂しいですわ」 
「会う理由がないからな」 
「私は婚約者ですのに?」 

 彼女は拗ねたように身をくねらせ、上目遣いで殿下を見つめている。 
 しばらくして俺とセーレの存在に気づいたのか、にこりと笑って再びドレスの裾をつまんだ。 

「申し遅れました、私、アイヴァン殿下の婚約者の、マリー・ファゴットと申します」 
「……こんにちは。俺はカトレアと言います。この子は俺の守護者のセーレです」 
「よろしくお願いいたしますわ」 

 マリー。その名前に、殿下の部屋を掃除したときの記憶が蘇る。 
 殿下の机にあった手紙は、全てこの婚約者からのものだったのだ。 
 よく考えてみれば、マリーなんて女性の名前だ。友人が定期的に送ってきたものだと思っていた自分が恥ずかしくなった。 

 マリーは俺たちにニコッと笑ったあと、殿下の腕を優しく撫でた。 
 指先が腕をそっとなぞり、そのままぎゅっと組む。 
 マリーの豊満な胸が殿下の腕に当たっている。……けど、殿下は特に見向きもしなかった。 
 マリーがふっとため息を吐いて、憐れんだ眸でこちらを見遣る。 

「何故、殿下ともあろう方が悪魔契約者などという人間と一緒に? 汚れてしまいますわよ、殿下」 
「……」 

 先ほどの俺に向けた優しい挨拶は茶番だったのだ、とでも言うような冷たい視線で、俺は思わず黙ってしまった。 
 マリーがさらにぎゅっと殿下の腕にしがみつく。 

「まさか、唆されたんですの? 悪魔契約者は下品な者たちだと聞きますわ。そうやって殿下を騙して、お金でも奪おうとしているんじゃありませんの? もしくは、脅されていますの? ああ、可哀想に、殿下。今私が警ら隊に――」 
「俺の意志でこの男と共にいるのだが。それに品がないのはお前だ、腕から離れろ」 
「……っ!」 

 氷のように冷ややかな声で言われ、マリーは顔を赤くしてぱっと腕を離した。 
 こちらをこれでもかというほど睨みつけたあと、殿下に冷たくあしらわれたのが余程効いたのか、「私はこれで失礼しますわ」と殿下から離れ、俺の前を通り過ぎようとした。 

「随分と派手な格好をしておりますのね」 

 俺の前を通り過ぎる瞬間、殿下に聞こえないように耳元で囁かれる。 

「そんな格好、悪魔契約者の貴方に似合うと思って?」 
「……!」 

 俺が目を見開いた顔を見て満足気に微笑んだマリーは、そのままコツコツとヒールを鳴らして行ってしまった。 
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