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第十三話 掃除
しおりを挟む「あの、殿下、これは……?」
「奥が寝室。左の扉が浴室だ。自由に使っていい」
「いや、じゃなくて、ここ……」
「右の扉は更衣室だ。ここも自由に使え」
「じゃなくて! ここ殿下の部屋ですよね!?」
「……? そうだが」
値段もつかないような豪華な絵画や調度品。床に散らばっている明らかに大事そうな書類。高価な本がぎっしり並んだ本棚。窓の傍に置かれている机は完全に誰かが使った痕跡が残っている。
廊下も長いこと歩いてこの部屋に辿りついたし、これ、完全に殿下の部屋だ。殿下もそうだと認めていた。
「もう今日の仕事は終わりだ。風呂でも入ってゆっくり休め」
「いやいやいや、何度も言いますけど、ここ殿下の部屋ですよね!? なんでここに俺が住むことになってるんですか!?」
「嫌なのか?」
「い、嫌、じゃ……ないですけど、どう考えてもおかしいですよね」
「ああ、ベッドが一つしかないことが気に入らないのか。心配するな。俺は寝相が悪いほうではない」
「そうじゃなくて!! どうして悪魔契約者でここに働くことになった俺が、殿下の部屋に住むことになってるんですか!?」
必死に抗議すると殿下はようやく俺の言葉を理解できたらしく、はぁ、と深いため息を吐いた。
「王宮や離宮で空いている部屋が客間くらいしかなかった。俺の他にお前と同室になりたいという者がいなかった。だから俺の部屋に住まわせることにしたのだ。心配しなくても、使いを放ってお前の親に知らせる」
「は、はぁ……」
「何か不満が?」
「いや、不満なのは殿下なのではないですか? 俺なんかと同室になるなんて」
「……」
殿下はもう一度はぁ~とため息を吐く。今度は呆れたような息の吐き方だった。
「俺がお前と同室でいいからお前をここに来させたのだ。俺の気持ちを推し量ろうだなんてしなくていい。不満がどうのこうのなど、そうやって一歩置かれるほうが俺の不満だ」
きっぱりと言い放った殿下に、俺は困惑した。
この人は、多分すごく意思が強い。
世間に押し流されず、普通のことを本当に普通のことなのかと疑い、違うと思ったら否定し、それをまっすぐに貫ける人だ。
殿下の発言が常識とは並外れていて、自分の身分を気にする俺が馬鹿みたいに思えてくる。
鼓動が早く脈打って、殿下から目を逸らせない。
夜でも彼の蒼い瞳は強く煌めいているような気がして、その強かさに溺れてしまいそうだった。
「どうして俺をここに働かせてくれたんですか?」
「元々人手が足りていなかった。誰か働いてほしかったのだが、皆出世を望んでいる者ばかりだ。悪魔契約者はもちろん、精霊契約者や妖精契約者が俺たちを暗殺し、シルフ地区を掌握しようと企んでいるやつなど、埃と同じくらいいる。そういう輩が、俺は全く好きではない」
殿下は数歩歩いて火が点っていない蝋燭に触れる。
「お前は特にそのような考えを持っているとは思えなかった。だから働かせたのだ」
「他の契約者では、ダメだったんですか?」
「特に悪魔契約者に顕著だが、大抵の契約者は仕事に前向きではない。ここで働けば居心地の良さに仕事を放棄する奴もいるだろう。だが、お前はそんなことはしないと思った。泥まみれになるまで働いたにも関わらず、仕事そのものを否定していなかったからな」
なるほど。あの突拍子もないお誘いは、一応考えて誘ってくれてたんだな。
殿下は俺がむやみに遠慮したら、返って不満と苛立ちを伴うはずだ。
ならば、と俺は頭を下げた。
「では、お言葉に甘えて、こちらで住ませていただきます。よろしくお願いします」
「ああ。よろしく」
「じゃあ、その……あの……」
「? なんだ」
「えーっと……掃除、してもいいですか?」
◇◇◇
床に散乱した様々な書類を一枚一枚拾い、正面の大きな机にトントンと揃えて乗せる。
セーレは疲れたと言い、ミニサイズになって寝室の窓の梁で休んでいた。
書類を拾って机に乗せて、拾って乗せての繰り返し。
普通なら、この長方形の机で仕事をするのだと思うが、机には花瓶や何かを食べた後である皿、地図、友人か誰かの手紙で机の表面が少ししか見えなかった。
殿下なら収納する場所など大量にあるだろうに……。もしかしたら出したら出しっぱなのかな……。内心呆れながらも地図を巻いて引き出しにしまったり、花瓶を窓の梁に置いたりして書類が全て置ける場所を確保する。
「……? あれ」
手紙も引き出しにしまおうと思ったが、宛先を見て手を止めた。
マリー、マリー、マリー。どの手紙を見てもそう書かれている。
マリーという友人と手紙交換でもしているのだろうか。大事な友人だったら触るのも申し訳ないから、一つにまとめて机の端に置いておいた。
「無理しなくていい。どうせまた俺が散らかす」
「いや、それでも一応整理しておきたいんですよ」
「もうすぐ夕食の時間だ。それまで休んでいろ」
「でもここまで片付いてないのは、殿下も落ち着かないんじゃ……って、うわ!?」
書類を机に乗せ、殿下の傍に落ちている書類を拾おうとしたら、他の紙に躓いて俺の身体が大きく傾いた。
どうにか耐えようとしても身体はそのまま殿下に体当たりし、二人してその場に倒れこむ。
痛みを感じなくて目を開くと、殿下が俺の下敷きになっていた。
「うわあああ!? 殿下、すみません!!」
「……いや、別に構わない」
身体と身体が密着して、至近距離で視線が絡む。
どうしよう、どうしようと頭が混乱して、顔が熱くなってしまう。
殿下の白銀の髪が床に流れ、放射線状に広がる。
瞬きをする殿下の睫毛は、思っていたより長くて細い。
自分の鼓動が聞こえていないか不安になる。現に自分の胸と殿下の胸はくっついている。心臓の音がそのまま伝わっていないか怖くなって、まっすぐ見つめることができない。
殿下から、香水をつけているのか甘い花の香りがした。不快にならなくて、つけすぎてもいないふんわり香ってくる匂いで、それにすらもとくんとくんと心臓が高鳴る。
早く起き上がらないとと思うのに、緊張して身体が動かない。
内心慌てふためいている俺の下で、ふっと笑う声が聞こえた。
「今日は、泥まみれではないな」
柔らかい笑みを浮かべる殿下。
その笑った顔がすごく綺麗で、ああ、やっぱりこの人は全部が綺麗なんだな、と思う。
顔だけじゃなくて、心も、全部。だから、四大精霊の継承者として生を授かることができたのだろう。
「……ふふ」
釣られて俺も笑った。
しばらく見つめあっていると、殿下がふいと目を逸らした。
「……動けない、のだが」
「あっ! す、すみません……」
その戸惑っているような声音に、緊張していた身体はすぐに解けて起き上がることができた。
俺が起きたあとに殿下も立ち上がって髪を整える。
躓いた紙を拾おうと思ったとき、コンコンと扉がノックされる音がした。
中から侍女と思わしき人が入ってくる。
「殿下、カトレア様。夕食の準備が整いました」
「ああ、今行く。カトレア、行くぞ」
「はい! あ、セーレを呼んできます」
寝室をノックしてセーレを呼んだあと、夕食をとるために俺たちは部屋を後にした。
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