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第八話 お礼

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 今日は肘あたりまである銀髪を、一つに結わいている。 
 また、殿下がここに? 
 夢ではないとわかった俺は昨日のことを思い出して立ち上がり、彼に頭を下げた。 


「こないだはすみません。シルフ地区の殿下なのに、あんな馴れ馴れしい態度を取ってしまって」 
「かまわない。傅かれる方が好きではない」 

 殿下はそう言って、俺の隣に腰を下ろした。 
 美貌がすぐ目の前にある。 
 その横顔は本当に人形みたいで、どうにも俺の心が落ち着かなくて、そわそわしてしまう。 

「あの、殿下は、ここに何をしに……?」 
「仕事が面倒なのでここに来た。好きではないのだ、交渉だの書類にサインをしろだの」 

 確かに四大精霊の継承者となると仕事は大変だろうが、わざわざアギオ湖に来る理由はなんだろう。 
 このシュロピア村と、セルヴ陛下たちが住むシルフ地区の中心、コンライド街は近い。 
 だけど近いといっても馬車に乗らないと行ける距離ではない。 
 またメルモット村などの、ここからギリギリ歩いていけるところで交渉でもする予定なのだろうか。 

「どうしてアギオ湖に来るんですか?」 

 殿下がこちらを向いた。 
 目が合って、その海のように深い蒼に釘付けになる。 

「醜い景色ではないからだ。この地区で、一番醜くない場所だと思っている」 
「あ……それ、俺も思います! コンライド街とか、栄えているところに行ったことはないですけど、でもここが一番綺麗なところだと思ってます」 
「ああ、そうだな」

 殿下が視線を外して目の前の湖を見つめる。 
 自分が生まれ育った村にある湖を、こうして褒めてくれるのは嬉しかった。 
 その言い方からすると、何度かアギオ湖に通っているような気がする。 
 ということは、それほど仕事が面倒でサボっているということなのだろうか……。 
 そのとき風が吹いて、サブレの袋がガサガサと揺れた。 

「あ、サブレ召し上がりますか? さっき買ったんですけど……」 
「食べるのが面倒くさい」 
「えぇ……」 

 ため息交じりに殿下がそう言って、俺は少し呆れてしまった。 
 食べるのも面倒くさいとか、普段どういう生活してるんだ、この人……? 
 もしかして、重度の面倒くさがり屋とか? じゃなかったら食べるのもそんな理由で拒否したりしないだろう。 

「じゃあ、はい」 
「……?」 
「そんなに面倒なら、はい、口開けてください」 

 数分前セーレにしたことと同じように、殿下の口元にサブレを差し出した。 
 味はチョコ。普段から良いものをたくさん食べているだろうから、気に入ってくれるかどうかはわからない。 
 殿下は目を丸くしてサブレを見つめていた。 
 早く食べろ、食べろーと視線を送る。 
 やがて、俺の眼差しに負けたのか、ぱくりとサブレを口に含んだ。 

「美味しいですか?」 
「……ああ。美味い」 

 笑ってはいないが、さっきより明るくなった表情から察するに気に入ってはくれたみたいだ。 
 隣でセーレがため息を吐いているのが聞こえた。……何故ため息? 

「カトレア、これ」 
「……あ!」 

 セーレがハンカチの入った紙袋を俺に渡す。 
 そうだ、これを返そうと思っていたんだ。 
 洗濯して汚れは見えないほどに落ちたから、大丈夫なはず。 

「殿下。あの、これ。ハンカチ、ありがとうございます」 

 サブレを食べ終わった殿下に渡すと、驚いたように目を瞠った。 
 ごそごそと中身を確認して、不思議そうにこちらを見る。 

「この、果物と手紙は?」 
「それは、……お礼の気持ちで」 

 考えてみれば、思い上がりだったかもしれない。 
 果物なんて村にある小さな果物屋で買った安いものだし、手紙だって悪魔契約者の俺が書いたものだ。特別文才があるわけでもない。 
 次期にシルフ地区を治める、俺より何倍も身分が高い殿下が受け取ってもいいものじゃないだろう。 
 もらっても迷惑なものだ。 
 そう思いながらこっそり殿下の顔を覗き込むと、殿下は――笑っていた。 

「ありがとう。今日、この果物を使った菓子を職人に作ってもらう。手紙は帰ったら読もう」 
「……ありがとう、ございます」 

 そんな優しい言葉をかけてもらえるなんて、思っていなかった。 
 殿下の父、セルヴ陛下はこの国の階級に厳しい。 
 悪魔契約者が目の前にいたときは、絶対に会話もしないし、目も合わせたりせずそこに何もいないかのように素通りすると聞く。 
 同性愛も『汚れた者』としてすぐに処罰する。 
 そういう人だと噂されていて、その息子のアイヴァン殿下も絶対に厳しい人だと思っていた。 

 ……でも、それは勘違いだったように、思う。 
 実際に会ってみたらこんなに優しくて、気遣いがあって、悪魔契約者にも礼を言う人なのだから。 
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