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第五話 殿下

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「アイヴァン! ここにいたのか」 

 どういう意図があって俺の顔を拭いたのか聞こうとしたら、銀髪の青年が走ってきた。
 ……ん? アイヴァン? 

「おい、今日はメルモット村の村長と交渉をする約束だっただろう。何をそんなところで休んでいるんだ」 
「交渉など、そういったことは面倒だ。エリオット、お前がやれ」 
「普通は俺じゃなくて殿下のお前がやる仕事なんだよ!」 

 今、殿下と言った。絶対に言った。 
 なら間違いない、彼はセルヴ陛下の息子の、アイヴァン・フォン・シルフ殿下だ……! 
 そして今やってきたエリオットという男性は、確かアイヴァンの弟、つまり第二王子だったはず。 
 驚いて二人を見つめたままでいると、エリオット第二王子は殿下の服を見て口をぱくぱくと開閉した。 

「こ、こんなに服を汚して……交渉はどうするんだ!? こんな服で出られないだろう!」 
「また新しいものを買えばいいだろう」 
「この辺りにお前が身に着けてもいい服は売っていない! ああ、どうしよう、今からコンライド街に帰るか……? でもそんな時間はない……本当に俺が行くしかないのか……?」 

 ぶつぶつとエリオット王子が呟き、アイヴァンの周りを腕時計を見ながらうろついている。 
 やはり、先程の予想は的中してしまった。 
 こんなに泥塗れで怒られないはずがないのだ。 
 最も、立場的には殿下の方が上なのだろうけど……。 

 エリオット王子の頭上には、精霊がパタパタと羽根を動かし、煌めく鱗粉を飛ばしながら心配そうにぐるぐる回っている。 
 そうか、だから殿下には守護者が見当たらなかったのか。 
 四大精霊をいずれ継承する立場だから、守護者を持てるはずがないのだ。 

 飛び回る精霊やぶつぶつ独り言を零すエリオット王子を見ていると、不意に彼がこちらを向いた。 
 ちらりと一瞥した後、一気に顔を顰めて殿下に前のめりになる。 

「悪魔契約者と、何をしていたんだ!」 

 その言葉が、胸に針でも刺さったかのような痛みを走らせた。 
 そうだ。普通ならそういう態度をするものなのだ。 
 悪魔契約者と話すのは、汚れるからしたくない。 
 自分の子供が死んだり、自分自身が死んだら困る。 
 悪魔契約者は呪われているのだから。 
 そんな言葉を何度も聞いてきて、友人なんて自分の守護者以外できもしなかった。 
 これがこの国の、精霊契約者と妖精契約者の当たり前の態度で間違いない。 

 殿下の方をちらりと窺うと、呆れたようにため息を吐いていた。 
 そして、特に表情も崩さずに言った。 

「俺が誰と話そうと、勝手だろう」 
「……」 

 エリオット王子が殿下を睨んでいる。 
 殿下は今発した言葉が当然だ、とでもいうようにアイヴァンを見ていて、俺は胸に刺さっていた針がすっと抜けたような気がした。 

「とにかく、お前は俺と一緒にメルモット村に行ってもらう。すぐ近くで護衛と馬車が待っている。服に関しては……俺がなんとか言っておくから、早く来てくれ。時間がないんだ」 
「……」 

 殿下は不満そうに口を引き結んで、さくさく行ってしまうエリオット王子の後をついていこうとした。 
 が、数歩歩いたところで、俺の方に振り向いた。 

「お前、名はなんという」 
「あ……カ、カトレアです!」 

 まだ近くにいるのに、大きな声で言ってしまった。 
 殿下は俺の名前を聞いて満足気に目を細め、アギオ湖を後にした。 

  
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