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第六十二話「蒼馬の実家へ」

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◇◇◇

「……って、蒼馬ん家めちゃくちゃ豪邸じゃん……」
「そう? 名古屋だから土地が安いんだと思うよ」

 いやいや、都心と比べたらそうかもしれないけど名古屋も立派な都会だぞ。
 四年生になった夏休み、俺は蒼馬の家の前に来ていた。
 父さんからも許可を貰って、寮監に説明をし、こうして蒼馬の家に来ている。
 発情期は既に済んでいて、蒼馬から散々抱かれたけど……蒼馬の家で肌を重ねることにならなくて本当に良かったと思っている。

 蒼馬は両親に自分の番の人のバース性を絶対に誰にも言わないで欲しいとしっかり告げたらしい。
 両親はすんなり承諾したらしく、今日番が来ることは知っていると蒼馬が言っていた。
 蒼馬の家は……俺の家もまあ大きいが、それの二倍はあるんじゃないだろうか。めちゃくちゃ大きい。

 ピアノ教室が大成功しているのだろう。
 蒼馬の父さんから経営学など教えて欲しいくらいだ。

「じゃあ、入るね」
「えっ、もう!?」

 俺が心の準備もできていないうちに、蒼馬は門の鍵を開けてドアに鍵を突っ込んだ。
 上下の鍵穴に鍵をさしこみ、ガチャガチャと音を立ててドアが開く。
 そこには、蒼馬の両親が玄関前に立って待ち構えていた。

「いらっしゃい、蒼馬の番さ……えっ!?」
「な、なんと……!」

 俺を見るなり、蒼馬の父も母も驚いている。
 蒼馬の父さんはピアノ教室を開いているくらいだから音楽には詳しいと思っていたけど……蒼馬の母さんも俺のことを知っているのか?

「どうぞどうぞ、上がって! 今お茶を出すわね」
「お、おじゃまします」

 蒼馬の母さんがスリッパを玄関前に置いてくれた。
 俺も蒼馬も靴を脱いで、廊下を渡ってリビングルームに辿り着く。

「ピアノ教室は、別の玄関から入ったらすぐあるよ。後で行く?」
「う、うん……」

 玄関二つもあるのかよ……。
 リビングは清潔感溢れていて、観葉植物やキャンドルなどの小物が置かれていた。蒼馬の母の趣味だろうか。
 奥には天井まで届く本棚があって、楽譜が大量に陳列している。
 小学低学年や幼稚園生が弾くような子どもようのピアノの楽譜や、流行りの曲が入ったポップスなどの楽譜、クラシックの楽譜などたくさん並べられていた。

「どうぞどうぞ、座って。名古屋まで来て疲れたでしょう」
「ありがとうございます……」

 蒼馬の母親はとても美人で、三十代前半と言っても納得するような若さだ。
 蒼馬の肌が綺麗なのは、母親譲りなのだろうか。
 氷がいくつも入った冷たい麦茶を出してくれて、俺は蒼馬の隣の椅子に座る。
 俺がオメガだからといって傷ものに触るような接し方はせず、ご両親ともにこにこと俺と蒼馬の向かい側に座っていた。

「えっと……臼庭湊さん、よね?」
「はい、そうです」
「まあ! テレビより本物のほうがよっぽど美人さんなのねぇ。私は蒼馬の母の里美さとみよ。仲良くしてくれると嬉しいわ」
「私は蒼馬の父の優だ。蒼馬がいつも世話になっている」
「よ、よろしくお願いします」

 里美さんも美人な人だが、蒼馬の父の優さんも随分顔立ちが整っていて、圧に負けそうだった。
 蒼馬の顔をちらりと覗く。
 蒼馬は……多分眼鏡で台無しになってる。
 眼鏡を外したら地味っぽさがなくなって一気にかっこよくなるのに。

「夏休み期間、うちに滞在するんでしょう? 発情期は大丈夫かしら? 一応うちには抑制剤もあるのだけど……身体に合うか心配だわ」
「いえ、発情期はこないだ迎えたので大丈夫です。一応抑制剤も持ってきてますから」
「そう? 何かあったら遠慮なく言ってね。部屋は空き部屋もあるし、蒼馬の部屋にいてもいいからね」

 里美さんが優しく微笑む。
 麦茶を飲んでいるだけでも品があって、育ちの良さが窺えた。
 それに、オメガということを受け入れるのも一瞬で、気遣いまでしてくれる。
 ……優しさの色が、蒼馬に似ていた。

「そういえば、湊くんは家事をやると言っていたが本当なのか?」
「はい、そのつもりです。夏休み期間は長いですし、何もしないで滞在するのも申し訳ないですから……」
「え~? いいのよ、ゆっくり休んでもらってて。蒼馬とお話しているだけでも私は嬉しいわ」
「いえ、お世話になりっぱなしは良くないので」
「なら……私が手伝って欲しいことがあったら湊さんに言うわね。それでいい?」
「はい」

 おっとりとした口調で里美さんが言う。
 人様の家に何もせずに滞在するのはさすがに悪いと思って、俺は家事を手伝わせてほしいと蒼馬に言ったら、それをご両親に伝えてくれていた。
 だけど他人のキッチンを勝手に使うのもそれはそれで申し訳ない。
 だから里美さんの言う通り、普段から家事を行っている彼女が手伝って欲しいことがあれば手伝うという案は賛成だった。

「あ、そうそう、シフォンケーキを焼いていたのよ。すぐ持ってくるわね」

 里美さんが「紅茶味なの。平気かしら?」と言ってシフォンケーキを皿に盛りつけてくれた。
 みんなが食べてから俺も一口食べると、紅茶の味がふんわり香ってとても美味しい。
 あっという間に平らげてしまいそうになったとき、ふと視線を感じた。
 優さんだ。

「……臼庭くん」
「はい、どうされましたか?」
「臼庭くんは、蒼馬が番で本当に良かったと思っているか?」

 不安そうな声音で優さんが尋ねる。

「オメガの人は、番を選べないこともある。番になるのは最終的にアルファの意思だ。アルファがオメガのうなじを噛まなければ、番にはなれない。臼庭くんは、蒼馬と本当に番になりたくてなったのか?」

 シフォンケーキを切るフォークが止まった。
 蒼馬のほうをちらりと見遣ると、瞳を揺らして俺の返答を待っている。
 蒼馬にそんなに不安にならなくていいだろって言いたくなる。
 だって、俺の答えは決まっているのだから。

「……俺は、蒼馬と番になれて良かったと思っています。蒼馬は、俺の大事な恋人ですから」

 大嫌いだったヴァイオリンを、弾き続けようと思わせてくれた。
 俺のことを知ろうとたくさん努力してくれた。
 俺を大事に守ってくれて、大切に扱ってくれた。
 そんな蒼馬が……俺は大好きなのだ。
 里美さんがぱっと華やかな笑顔になって、優さんも驚いて目を瞠っていた。
 蒼馬も顔を輝かせていて……里美さんの笑みにそっくりだ。

「これからも、蒼馬をよろしく頼むよ」
「蒼馬はちょっとへたれな部分もあると思うけど、支えてやってね。蒼馬ももちろん湊さんを支えるのよ?」
「さ、支えるけど、へたれってなに、母さん」
「はい、蒼馬を支えます。ありがとうございます」

 優しい人たちで良かった。
 いびられたらどうしようかと思った。
 それからはシフォンケーキを食べながらゆっくり過ごし、俺は二階の蒼馬の部屋で過ごすことになった。
 蒼馬の部屋は意外と整頓されていて、音楽雑誌やCDの他に話題の漫画や大きなスピーカー、パソコンなどがあり普通の男子大学生の部屋だった。

「てっきり俺が弾いてるCDとかあるのかと思ったけど……ないんだな」
「あー……うん、そうだね……」

 何故か曖昧な回答をしてくる。
 話はそこで打ち切られ、蒼馬が棚からゲームソフトを出してきた。

「せっかくだし、マリカやらない?」
「お、いいよ」

 それから二時間くらいコントローラーを持ってゲームに白熱した。
 俺もマリカなら得意なほうなのだけど、蒼馬は意外と上手かった。
 どうやら中学時代に古い機種で結構やっていたみたいで、その名残だよ、だなんて言っていたけど……お世辞でないくらい上手い。
 アルファってゲームでも才能開花するのかな。

 その後は里美さんに呼ばれて夕食の手伝いをし、四人で一緒に食事した。
 テレビをつけながら談笑するのは俺が本当に小さいころにしか経験したことないもので、会話全てが楽しかった。
 ……俺の母さんが生きていたら、こんな風に食事を楽しめていたのだろうか。
 俺も母さんがいたら、こんな風に番がいることを喜んでもらえていたのだろうか。

「夏休み、ここでやってけそう?」
「うん」

 風呂に入ったあと、蒼馬の部屋でくつろぐ。
 音大生の夏休みは短いけど、その間蒼馬の家に滞在することは、この一日でできるだろうなと確信していた。

 何より、里美さんと優さんはバース性に対する偏見を一つも持っていない。
 差別してくることもなく、オメガの俺に優しく対応してくれる。
 だから過ごしやすいし、会話もしやすかった。

 蒼馬の手が、俺の頭を撫でる。
 髪を梳いて、愛おしむような視線を向けられる。

「湊、プールに行きたいって言ってなかった?」
「ああ、留学中に蒼馬にLIMEしたな」
「行こうよ。三河大塚駅周辺にあるんだ。ちょっとここからは時間かかるけど、ナイトプールがあるから行かない?」
「いいよ。……あ、でも俺、水着持ってない」
「明日にでも買いに行こうよ」

 蒼馬とナイトプールか。
 プールは小さいころ母さんと行った記憶があるくらいで、それ以来行っていない。
 ヴァイオリンを練習する時間も大事だけど、たまには休みを取るのも大事だろう。
 明日水着を買いに行く約束をして、俺たちは一緒のベッドで眠った。
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