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第四十九話「辛くて苦しくて甘い」

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「湊!」

 何事もなかったかのように女性二人と離れて、俺に駆け寄ってくる。

「もうすぐショーが始まるよね。出入口のほうのエリアに行かない?」
「……」
「湊?」
「うん。行こう」

 手を差し出されたけど、俺はそれを無視してすたすた歩き始めた。
 蒼馬はショックな顔をしていたけど、俺だってショックを受けてるんだよ。
 湊、と呼ぶ声がしたけど、歩くことを俺はやめない。

「湊、待って。どうしたの? 何かあったの?」

 必死に俺に呼びかけてくる蒼馬を無視する自分も、苦しい。
 蒼馬に本当は女のオメガがいいんだろ、別れようだなんて言うのも苦しい。
 ああ、全部全部苦しくて辛い。
 喉がきゅうっと締まって、鼻の奥も痛くなる。

「湊!」

 俺が早歩きでテーマパークの出入り口まで行くと、蒼馬が走って俺の腕を掴んだ。
 今の俺の顔は、きっとくしゃくしゃに歪んでる。

 俺が汚い感情を持っていても受け入れると以前蒼馬は言っていた。
 そう言ってくれていても、俺自身はやっぱり見られたくない。
 腕を掴まれても振り返らずに立ち止まった。

「どうしたの? 何か、嫌なことがあったの?」
「……蒼馬は、俺のこと好き?」

 きっと俺が何も答えなかったらずっと聞いてくるだろうから、ようやく絞り出した言葉は女々しいものになってしまった。

「好きだよ。何よりも湊のことが好き」
「じゃあなんで、女に逆ナンされて喜んでたんだ。どうせ男のオメガじゃなくて、女のオメガが良かったんだろ」
「そ、そんなこと思ってな――」
「蒼馬はいつもいろんな人に愛想振りまいてる! 俺のことだって、その愛想を振りまく一人に過ぎないんだろ!」

 だめだ、言葉が止まらない。
 こんなことを言ったら、蒼馬は傷つくに決まっているのに。
 視界が滲んでくる。
 ごめん、傷つけてごめんって謝りたいのに、口から出る言葉は暴言ばばかりだ。

「留学だって、別にお前にとってはどうでもいいことだよな。俺がオーストリアに行ったってかまわないって思ってるんだろ。だからお前はあのとき――」
「行ってほしくなんてないよ!」

 蒼馬が大声を出して、はっと後ろを振り返った。
 蒼馬は今にも泣きだしそうなくらい瞳を潤ませていて、すごく寂しそうな表情をしていた。

 そのとき、音楽隊の軽快な音が鳴り響いた。
 出入口付近の店もクリスマスツリーも木々についている電球も、一気にライトアップされる。
 ショーの開幕だ。キャラクターたちが登場して、音楽に合わせて踊り始めた。

 日暮れなのに昼みたいに明るくて、蒼馬の顔がはっきりと見える。
 髪も眼鏡の奥の瞳も肌もイルミネーションで煌めいていて、ショーより蒼馬に釘付けになってしまう。

「行ってほしくない。本当は、留学なんて行って、俺を一人にしないでほしいと思ったよ」

 音楽隊が盛大に声を奏でているのに、それらは全部背景になっていて、蒼馬の声が耳にすっと入ってくる。

「でも、俺は湊の夢を応援したかったんだ。ウィーンに行くんでしょ? 絶対、良い経験になる。だから一年間離れ離れになるのが寂しくて、行くのを止めようか迷ってたけど、でも、そんなの自己満足でしかない。湊が行きたいなら、湊のことが好きだから、湊の意思を尊重したかった」

 蒼馬がぐいっと俺の腕を引き寄せて、俺を抱きしめた。
 蒼馬の鼓動が聞こえてくる。
 とくんとくんと少し速くて、蒼馬に全身を包まれていることに安心する。
 それだけ俺を想ってくれていたのなら十分なのに、俺は欲張りなことにまだ不満を零した。

「……でも、さっき女の人に逆ナンされてにやにやしてた。今日だって、最高の思い出にしようって、最後の思い出みたいに言ってたじゃないか」
「最高の思い出って言葉を、最後の思い出だと思ってたの? ……俺は湊と最高の思い出をいくつも作りたいって思ってるよ」

 蒼馬にそっと頭を撫でられる。

「……逆ナンされたのは、ごめん。逆ナンされたときに番がいるからって、断ったんだ。そしたら番の人ってどんな人なの? って聞かれたから、つい笑顔で惚気ちゃって……。今日クリスマスツリーの下で撮った写真も見せようかと思ったけど、湊だってバレたらまずいからやめておいたよ」
「女のオメガが良かったって、思ってたわけじゃないの?」
「そんなこと微塵も思ってないよ。今もこれからもずっと湊だけ。俺の初恋が叶ったんだ。番の湊を離す気は全くないよ。留学してる間だって、ずっと湊のことだけ考えてる。だから寂しくて、毎日連絡しちゃうかも」

 ……なんだ、逆ナンされてにやにやしてたわけじゃなかったんだ。
 結局蒼馬は俺のことが好きで……俺を愛していると伝わった瞬間、彼に絆される自分の単純さに呆れる。
 あんなに苛立って物悲しくなって、泣きそうになっていたのに今度はにやけてしまう。
 蒼馬に散々感情を振り回されているのに、俺はそんな彼のことが好きなのだ。

「……うん、ありがとう」

 それから二人で手を繋いでショーを見た。
 猫やウサギの着ぐるみが短い足でぽてぽて踊っていて、子どもが喜ぶようなショーなのに蒼馬と見ていると何故か楽しめてしまった。

 多分、蒼馬が「多分あのウサギ助走つけてるから一回転とかするんじゃないかな。あ、ほら飛んだ!」とか「あの犬、ダンス上手だね」とか「ハムスターでかすぎない? 犬よりでかいよあれ」なんて声をかけてくるからだ。

 特にハムスターの下りは蒼馬に言われるたびに吹いてしまって、話しながら眺めていたら三十分間のショーを全て見てしまった。
 三十分後に閉園だから、出入り口付近のお店でホットサンドや肉まんなどを頼み、テラス席で食べて閉園ギリギリに退場した。
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