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第四十二話「謝罪」
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それから一週間後。
発情誘発剤の後遺症などの影響も何もなく、俺は健康的に過ごしていた。
夏休みもあと少しで終わる。
課題も済ませてあるし、あとは九月の定期演奏会に向けての練習だ。
二年生の九月の定期演奏会でも俺はコンマスに選ばれている。
きっちり練習をしなければ、とも思うし、あのオーケストラの一体感に呑まれる期待も次第に増している。
練習室での練習も終わって、昼ご飯でも蒼馬と食べようかとドアを開けた。
「臼庭先輩」
「――っ!?」
廊下を歩いていたとき、思い出したくもない声が聞こえて立ち止まった。
目の前には……東条がいた。
焦りと恐怖で冷や汗が額から滲み出る。
どうして彼がここにいるんだ。
何をしにきたのか、何が目的なのかわからなくて、すぐに逃げ出したいと思っても足が震えて動かない。
「な、なに」
声を張ったつもりが、すごく情けない掠れたものになってしまった。
本当に、何のために俺を呼んだんだ……?
まさか、退学の腹いせに俺がオメガだということを脅しにきたとか?
身構えていると、東条は――ガバッと頭を下げた。
「すみませんでした!」
「……え?」
「軽率な行動をして、本当にすみませんでした。あのあと理事長にも親にも怒られて、俺って本当に最低だって反省してたんです。もう退学だから、それまでに臼庭先輩に謝りたいと思って……」
東条は退学手続きをしていて、約一週間後にはこの大学に足を踏み入れられなくなると蒼馬が言っていた。
あのときから一週間弱経っている。恐らく今日が最後の日なのだろう。
東条が、頭を少しだけ俺のほうに上げる。
「デュオは、やっぱり高築先輩と?」
「……そうだな」
「そっか、そうですよね」
その声は、俺より震えていて、今にも泣きだしそうだった。
「俺の父さん、有名な指揮者なんです。父の弟も、ピアニストで」
「へえ……って、お前苗字東条だよな。もしかして東条正樹の息子か?」
「……そうです」
東条正樹といえば、世界的に注目されている指揮者で、外国の有名交響楽団でもタクトを握っているんじゃなかったか。
アルファという性別も明かして以降圧倒的な支持と熱狂的なファンを抱えている人だ。
確か、バレエ団の公演でのオーケストラの指揮者も担当していたりして、経歴は多岐に渡るはず。
東条正樹は厳しいと有名で、でもそのおかげか素晴らしい演奏に導いていくという。
東条の言うとおり、東条正樹の弟も世界的に有名なピアニストだ。
『天才音楽兄弟』として音楽雑誌に載っているところを何度か見たことがある。
まさか、あの有名な指揮者の東条正樹の息子だったとは予想していなかった。
「それで……父さんからも叔父からも、大学では成績トップを維持して先輩方の卒業式に臼庭先輩とデュオを組んで、名を轟かせろって、言われてたんです。俺、結構臆病で、コンクールとかも参加したことなくていつも二人から怒られてて……。だから、臼庭先輩とデュオを組むことが、最後のチャンスだったんです。なのに、焦っちゃって、あんなことして……本当にすみません」
お前の都合なんか聞きたくもない、と言いたいところだったが、その親からのプレッシャーがあったという気持ちはわからなくもなかった。
俺も父さんからヴァイオリンを教えられて、そのままずっと厳しく教育された。
この言い方からすると、東条も厳しく教わっていたんじゃないだろうか。
いつもコンクールで優勝しなければとか、音楽の成績はトップを維持しなければ、記者からは炎上しないような優しい回答をしなければなんて、ずっとプレッシャーが身にまとわりついてた。
オメガのことだって俺は隠しているし、いつも隠すのが上手くいくのか、怖くて仕方なかった。
この鈴響音楽大学の卒業式だって、成績上位者に選ばれるのかなんてわからないのに、誰しも俺が選ばれると思っている、その重圧にも負けそうだった。
……でも、今は違う。
蒼馬がいる。蒼馬が支えてくれている。
だから、そのプレッシャーにも負けずに演奏できるのだ。
「……今後俺に近づかないことと、俺がオメガなことを絶対にバラさないのなら、俺もお前のことは誰にも話さない。学歴に傷はつくだろうが、前を向いて進んでいけよ」
「……はい。ありがとうございます」
「じゃあな」
「はい。本当に、ありがとうございました」
東条の鼻を啜った音が僅かに聞こえて、もう一度俺に頭を下げたあと、そのまま姿を消した。
これで、東条とも縁が切れただろう。
蒼馬の手を借りず、自分で縁を切れたことに少しは強くなれたのかな、なんて思ってしまった。
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