甘く謳う二重奏~氷の天才ヴァイオリニストは執着アルファに溺愛される~

翡翠蓮

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第三十九話「運命」

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◇◇◇

 目を覚ますと、さっきまで朝だったのにもう日暮れになっていた。
 茜色の西日がカーテンから透け、俺の部屋の机を照らしている。

「ん……いたっ」

 ゆっくり身を起こすと、ずきりと腰に痛みが走った。
 そうだ、俺は東条に発情誘発剤を飲まされて、蒼馬が助けにきてくれて、それで蒼馬と番に……。

 うなじをそっとなぞる。
 指先に凹凸があるのがわかって、噛み跡がついているのだとわかった。
 蒼馬と、番になったんだ。
 インターホンが鳴って、誰かと思えば蒼馬だったからすぐにドアを開けた。

「湊、起こしちゃった?」
「ううん、今起きたとこ。おはよ」
「おはよう」

 蒼馬が笑って挨拶をする。
 発情誘発剤は元々『難発情症』の人のために作られたものだから、効果は一日で切れる。
 蒼馬と繋がったからかすっかり気分は良くなっていて、発情期特有の熱っぽさと気怠さもなかった。

「……うん、湊から発情期の匂いがしない。効果が切れたんだね」
「そうみたいだな」

 蒼馬が俺のベッドに腰かける。
 俺も蒼馬の隣に座ると、ぐりぐりと頭を肩に押し付けられた。

 アルファの匂いじゃなくて、柑橘系の香水の匂いがしてくる。
 いつもアルファの匂いにばかり気を取られていたから、蒼馬が香水をつけていただなんて知らなかった。

「湊が無事で良かった。本当に未遂だったんだよね?」
「そうだよ。犯されてないから、安心して」
「でも、怖かったよね。すぐに助けに行けなくてごめんね」

 屈んで俺の肩に顎を乗せ、至近距離で言ってくる。
 図体はでかいのに蒼馬のことが可愛く見えて、頭を撫でてしまった。
 甘えているのか、すりすり俺の手に頭を押しつけてくる。蒼馬の黒髪は柔らかくて、猫っ毛でふわふわしていた。

「さっきまで、理事長と話していたんだ」
「そうなのか?」
「うん。東条さんの処分が決まった」

 東条、という単語が出てきて、俺の蒼馬を撫でる手が止まった。
 先程の恐怖が蘇ってきて、蒼馬の頭に置いてある手が震えてしまう。

 蒼馬は俺の変化にハッと気づいて、俺の手に触れるだけのキスを落とした。
 手の甲、人差し指、中指、薬指……全部の指先と、手首にまで。
 俺を安堵させるように、口づけていく。

「ごめんね。この話はもう絶対しないから……」
「いや、聞きたい。東条はどうなったんだ?」
「でも……」
「それだけ、聞かせてほしい」

 蒼馬は苦い顔をして、ぽつぽつと話し始めた。
 オメガへの強姦未遂で、東条は退学処分。
 東条や蒼馬には、理事長からこの件に関しては誰にも言ってはいけないと緘口令をしかれた。

 もし東条が俺がオメガだということをネットの掲示板やSNSなど他人にバラした場合、個人情報漏洩、さらに著名人の第二の性を本人の許可なく漏洩させた罪として訴えると脅したらしい。

 東条は退学手続きを今してもらっているところで、約一週間後にはこの大学に足を踏み入れることが許されなくなるそうだ。

「俺が、もしさ」
「うん」
「東条に犯されてたら、どうする?」
「え……っ」

 途端に蒼馬が絶望顔になった。顔面蒼白で、今にも倒れそうだ。

「いや、もしもの話だから」
「だとしても、考えたくないよ」
「だから、その……そういう汚い部分っていうか。俺が綺麗じゃなくてもいいのかなって」
「……?」

 俺は蒼馬に自分の過去のことを話した。
 片親で、ヴァイオリンのソリストになるために厳しく育てられたこと。
 ヴァイオリンのことが大嫌いで大嫌いで、仕方なかったこと。
 父親を呪おうかとも思うくらい、恨んでいたこと……。

「俺は、みんなから思われてるほどなんでも完璧にできるわけじゃない。演奏だってミスするときはミスするし、舞台に上がるときはみんなと同じように緊張する。父さんのことを恨んでいるように、綺麗じゃない部分だってある。それでも、俺でいいの?」

 番になってから言うことじゃないかもしれないけど、でもいつかは言わなきゃと思っていた。

 俺は天才じゃないし、雲の上の存在でもない。
 普通の男子大学生で、普通のオメガと同じように発情期がきて、ヴァイオリンも努力したから『天才』の枠に入っているだけだ。
 実の家族を恨んだりするくらい、汚い部分だってある。

 それでもいいのかと蒼馬に問うと、くすりと笑われた。

「な、なに笑ってんの」
「だって……俺がそのくらいのことで湊のこと嫌いになると思う?」

 ベッドがギシ、と軋んで、蒼馬に抱きしめられる。
 緩やかな抱擁で、眠たくなるくらい心地が良い。
 抱きしめられたまま、背中を蒼馬の柔らかい手が何度も滑った。

「湊が普通の人間なことくらい、知ってるよ。演奏でミスするのはまだ知らないけど、舞台で緊張するのは知ってるし、発情期で苦しむ姿もこの目で見てる。それで俺が嫌いになった、なんて言った? お父さんのこと恨んでたって、嫌いになったりしないよ。それに、話を聞く限りお父さんが悪いしね。俺も自分の父さんがそのくらい厳しかったら恨んでるよ」
「……蒼馬」
「俺は湊が大好きだし、その好きの気持ちは誰にも負けるつもりはない。……厳しくて、ヴァイオリンも嫌いになって、きっととても辛かったのに、今まで生きていてくれたんだね。それだけで、俺はすごく嬉しいよ」

 蒼馬からかけられる言葉にじわりと涙が浮かんだ。
 唇を震わせながら、蒼馬の耳元に口を寄せる。

「……白薔薇、ありがとう」
「え、」
「お前があのとき俺の演奏がすごく綺麗だったって言ってくれたから、ヴァイオリンを続けられたんだ。もしあの日に蒼馬と出会ってなかったら、俺はヴァイオリンを辞めるか、死んでた。俺も、蒼馬に救われたんだ……」

 ぎゅっと蒼馬を抱きしめ返すと、蒼馬が鼻を啜る音が聞こえた。

「……俺たちって、運命だね」
「なんだよ、急に」
「俺もあのとき湊に会ってなかったら、命を絶っていたかもしれない。きっと運命が、俺たちを巡り逢わせてくれたんだよ」

 蒼馬が俺の肩から離れて、至近距離で視線が絡む。
 そのまま蒼馬が近づいてきて、俺の唇に柔らかいものが触れる。
 一瞬のキスだったけど、身体も気持ちも幸福感で溢れてたまらなかった。

「湊。俺の番として、これからよろしくね」
「……うん。蒼馬もな」

 にこりと二人で微笑み合う。
 蒼馬の黒髪が西日で明るく輝いて綺麗で、自分の番はこんなに美しい人なんだと改めて感じた。
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