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第三話「オメガへの偏見」

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 入学式から一週間。

 健康診断や履修登録も終わり、寮生活にも慣れてきた。

 地上五階建てで、全個室にWi-Fi完備。
 二階~三階が男子寮で、四階~五階が女子寮だ。
 第二の性では分かれていない。

 一階にはラウンジもあり、学生たちの談笑の場が設けられている。

 浴室は自分の部屋についていて、大浴場はない。
 ……理由は、大浴場があればオメガが予期せぬ発情期が来たときにトラブルが起きてしまう可能性があるからだ。

 この学生寮はバース性にも配慮が及んでいて、外国でバース性研究者が開発した『透明香水』というものが撒かれているらしい。

 『透明香水』というのは、オメガの発情期のフェロモンの香りを抑えるというものだ。

 その名の通り無色の液体が香水のような入れ物に入っていて、それを数プッシュするだけで約一か月ほどオメガの香りを抑えられる。
 それを、毎月学長が撒いているのだ。

 『透明香水』は学生寮のラウンジなどに撒かれているが、部屋には撒かれていない。

 というのも、一人一部屋の個室だからトラブルが起こりにくいというのもあるけど、『透明香水』は強力なもので、範囲が広い場所じゃないとワンプッシュでも人間――特にフェロモンを発するオメガとアルファ――に悪影響を与えてしまうらしい。

 学生寮のラウンジくらいの広い場所なら悪影響はないけれど、数畳の個室に撒くと将来心臓病や甲状腺機能障害などの重い病気にかかりやすくなってしまう。だから、部屋には撒かれていなかった。

 仮にオメガの人が発情期が来て部屋に籠り、アルファの人が無理やり襲おうとしても、まず寮の部屋はオートロックがかかってるから入れない。

 入学式の後の寮の説明のときにそれぞれ部屋のキーを渡されており、それがないと入れない仕組みになっていた。
 ちなみに学生寮以外の大学のキャンパスでは、教室以外『透明香水』は撒かれていない。

 外国で開発された『透明香水』はまだ日本では高価なもので、こういう大学などの学校、大企業の一部でしか使われていない。

 鈴響音楽大学はキャンパスが音楽大学の中で最大と言われているのもあり、高価な『透明香水』をキャンパス全てに撒くということは実施できなかった。

「だからぁ、俺たちのサークルに入れって言ってんだよ」

 次の講義まで時間が空いているから学食を食べに行こうと、食堂へ向かっている途中で下卑た声が聞こえた。
 何かと思えば、大学のラウンジの隅でガタイの大きい男性数人が小柄な男性を囲んでいる。

「俺たちのサークルに入れば可愛がってやれるぜ? 発情期が来たらたっぷり可愛がってやるよ」
「お前首輪つけてるんだし、番にならないようにはするからよ」
「や、やめ……っ」
「発情期がなくてもまわしてやろうか? オメガは淫乱で、ところかまわずアルファを誘うんだからさぁ」
「――やめてください。嫌がってるじゃないですか」

 たとえ先輩であろうと、見逃すことはできなかった。
 首輪をつけているオメガの男性は、手足が震えて縮こまっている。

 オメガの男性を連れて行こうとするアルファの男の腕を掴んで、止めさせた。

「なんだ、お前。……って、あの『天才ヴァイオリニスト』の臼庭湊にラブレター渡したやつか! うちの学年でも噂になってるぜ」
「それより、この男性から手を離してください。この方は嫌がっています。無理やり暴行に及ぶのは犯罪ですよ」
「……っ! お前だってアルファの臼庭に媚び売ったじゃねえか!」

「発情期を利用して臼庭と繋がって、自分とセックスする代わりに卒業演奏会組んでもらおうとしてるんじゃないのか? 成績上位者じゃなくても、番だからって卒業演奏会に講師から許可貰って演奏するオメガは飽きるほどいるぜ。お前もどうせそういう計画立ててたからラブレター渡したんだろ? 見事に振られてたけどな!」

「オメガの割に、お前は図体でかいけどな。臼庭が可愛いオメガをご所望なら、無理なんじゃねえの?」

 数人のアルファたちから嘲笑が湧き上がる。

 ――お前だってアルファの臼庭に媚び売ったじゃねえか!

 臼庭は大学の中でも自分がオメガだということを隠しているんだ。
 だから、俺と一緒にいるのが嫌だったのだろう。

 卒業演奏会の裏ルートなんて、聞きたくもなかった。
 オメガを馬鹿にするような態度に怒りが湧き上がり、彼を掴んでいる手の力を強めてアルファの男たちを見据える。

「そんなこと、俺はする気はありません」
「嘘つけ! オメガなんかただの淫乱ビッチなんだから、そういう方向に持っていけば、すぐに――」
「彼から離れてください。無理やり行為に及ぶなんて真似をしたら、退学になりますよ。名門の音楽大学を退学処分になるなんて、学歴に傷がつくんじゃないですか?」
「……っ!」

 アルファの男たちが怯む。

 オメガの男性を掴んでいた腕を乱暴に離し、俺の手も無理やり振りほどいて「正義の味方のつもりかよ」と減らず口を叩いたあと、男たちは走って外へ出ていった。

「大丈夫ですか?」

 オメガの男性に顔を向ける。
 小柄で可愛らしい顔立ちをしていて、俺を潤んだ瞳で見つめていた。
 俺よりも背が低くて、俺のほうが年上みたいに感じてしまう。

 ……オメガの男性は、小柄な人が多い。
 だから力も弱くて、アルファの男性に敵わないのだろう。

「助けてくれて、ありがとう」
「いえ、とんでもないです。お怪我はありませんか?」
「ううん、ないよ。ありがとうね」

 オメガの男性は俺にお辞儀をしたあと、友人に呼ばれたらしく俺の元から去って行った。
 アルファたちのオメガへの差別を目の当たりにして、胸の奥がもやもやと蟠る。

 アルファの奴らは、オメガを『淫乱』呼ばわりして、いつでもどこでもセックスがしたい者たちだと思っていることが多い。

 ……確かに、SNSで裏垢を作っているオメガもいる。でも、そういう人ばかりじゃない。

 俺の父さんがピアノ教室を開いているから、高校時代夏休みなどの長期休暇に手伝っていた。
 そのときに出会ったオメガの生徒たちは、真っ直ぐで誠実な人たちばかりだった。
 アルファの父さんに対しても、俺に対しても誘惑したりする人なんかいない。

 あいつらの言葉は、完全に偏見だ。
 あいつらに俺がアルファだと正直に伝える必要はなかった。
 もしそう伝えてしまえば、臼庭の立場も危うくなる。

 臼庭がオメガだとバレて、あんな奴らに狙われたら……想像するだけで、身の毛がよだつ。
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