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家族の絆って・・・

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二週間後の木曜日、花蓮はセキュリテイ会社への就職斡旋の話と婚約報告を兼ねて、久しぶりに道場の師匠達と会い、夕方頃、マンションに帰ってきた。
今年のお盆休みは今日、木曜から始まり、週末に掛かり、来週の月曜日までお休みだ。
日曜日には例のデパートでのパーティーがあり、そのパーティーに問題の画商が出席することを確認すると、俊幸とも打ち合わせをして、その日にそこで決着つけることになった。
師匠達との話も、なんとか目処がつきそうで、上機嫌で帰ってきた花蓮に、警備の前川さんが、挨拶をしてくれる。
「お帰りなさい、えっと、今日は遅くなると聞いていたんですけど、随分早かったですね。」
なんだかいつもと違う様子の前川警備員に、少し違和感を覚えたが、気のせいかも知れないと思いそのまま挨拶をして、コンシェルジュに向かう。
するといつもにこやかに迎える前川奥さんが、目を見開いて、小さく叫び、ひどく動揺した様子で挨拶もなしで、話しかけてきた。
「花蓮さん、帰っていらしたんですね。あの、ちょっとお時間よろしいですか?」
そこへ、前川警備員も近づいてきて奥さんに訴える。
「お前、まだ決まったわけじゃないぞ。早合点かも知れないじゃないか。」
「何言ってるんです。あなたも見たでしょう。今ちょうど裏庭で話しているんだから、丁度いいじゃないですか。」
「しかし、オーナーにもプライバシーが、・・・」
「あなた、花蓮さんの結婚がかかっているんですよ。プライバシーなど関係ありません!」
そう言って、花蓮の手を引っ張って、どんどんと警備員室の方へ歩いていく。前川警備員も慌ててついてきて、警備室で休憩をとっていたもう1人の警備員にすまないが緊急事態が起きて、しばらく警備を代わってくれ、コンシェルジュもしばらく抜ける、と言って一緒に警備室の奥の監視モニター室に入ってくる。
「しばらく前に、オーナーを訪ねて、若い女性が訪れたのですが、その女性は前もオーナーを訪ねて来られたことがあるのです。今日はそこの談話室でしばらくお話になっていたのですが、その際所々聞き及んだ内容が穏やかではなくて・・・。」
前川さんの奥さんは言いながら、監視モニターの一つを指差した。何が起こっているのかわからない花蓮は取り敢えず、その指さされたモニターを見て、小さな悲鳴を上げ、どさっと買い物袋を床に落とした。
小さな画面では、裏庭に設置されたベンチで男女が仲良く腰かけている様子がモニターに写っていた。丁度俊幸が小柄な若い可愛い女性に屈んで何か言っており、そのままその女性にキスをしたように見えたのだ。
「オーナー!」
前川さん夫婦もショックを受けており、信じられない、という顔をしている。
画面の俊幸は女性のお腹に手を当てて、何か言っており、咄嗟に花蓮は音声スイッチに手を伸ばすが、体が震えて、いうことを聞かない。
そこに前川奥さんがぱちっとスイッチを素早く録音ボタンと共に押して入れた。
集音マイクは、そこらじゅうの音を拾うので、夕方のこの時間、色々な音がごっちゃに拾われていたが、モニターの男女の会話も途切れ途切れ拾われる。
真っ青な顔で倒れそうになる花蓮を夫婦がしっかり支えて、3人で男女の会話に集中する。
花蓮の頭はパニックだったが、そこで俊幸に事情を訊しに行かなかったのは、モニターに映る女性が明らかに妊娠していたからだ。
彼女のお腹は大きく膨らんでおり妊娠中期、もしくは後期なのが明らかだった。
(俊幸さん、俊幸さん!)
「・・じゃあ、あと2ヶ月程で生まれるんだね。楽しみだなぁ。」
「橘さん、ほんとご迷惑じゃないですか?」
「いいよ、一緒に実家に報告に行こう、僕も丁度僕の実家に用事があったから大丈夫だよ。・・責任取らなきゃね。」
(!!!)
「いいえそんな、橘さんのせいではありませんよ。はっきりしなかった私も、悪かったんです。でも橘さんが一緒に実家に来てもらえるなら勇気が出せます。」
「焚き付けたのは僕だよ。大丈夫、説得には自信があるから。よし、じゃあ、このまま勢いで行くか。今日は特にこの後用事が無いから。ちょっと待っててもらえる?」
俊幸が携帯を取り出すのを、画面を見ていた3人は固まって見ているしか出来ない。
そこへ、花蓮の携帯にメールが届いた通知音が監視モニター室に鳴り響いた。
花蓮の体がビクッと震える。
画面では、俊幸が笑って女性の手を引っ張ってベンチから立ち上がるのを助け、女性も幸せそうに微笑み返し、俊幸はそのまま女性の体を気遣うようにして地下駐車場へと降りて行く。
2人が去った画面からようやく目が離れ、恐る恐る、花蓮は携帯をチェックする。
(俊幸さんからじゃ、ありませんように!)
花蓮は、どこの誰ともわからぬ神に祈るが、現実は厳しく、画面は俊幸からのメールが届いたことを知らせていた。
花蓮は震える指でメールを開く。
『花蓮、突然だが、今日急に実家に帰らなけばならなくなった。遅くなるようならまた連絡する。帰ってきたら大事な話がある。俊幸。』
(嘘っ!そんな!)
カチャン、と花蓮はショックにあまり、携帯を手から落としてしまった。
いつまでも落とした携帯を拾えない花蓮を、支えていた前川奥さんが、見かねて謝りながら手を伸ばした。
「花蓮さん、しっかり。ちょっと失礼します。」
携帯を拾って、メールを確かめると彼女も内容を読むなり、「ヒッ!・・」と悲鳴をあげて、またしても携帯を落としてしまう。
今度は前川警備員が固まってしまった女性軍に変わって携帯を拾うが、内容を読むなり、眉を顰める。
2人の女性の顔が真っ青なのを気遣って、前川警備員は2人をモニター室から引っ張り出し椅子を勧める。
「取り敢えず、2人とも座って。冷静になろう。こういう時程、慌ててはいけない。」
ボーとして頭が働かない花蓮に変わって、前川奥さんが、声を荒げる。
「でも、あなた。あなただってあの女性が前に訪ねて来た女性だって分かってるでしょ。」
「いや、まあ、そうだが。」
ここで漸く、花蓮の頭が動き出した。
「あの、前に尋ねて来たって、俊幸さんをですか?」
前川夫婦はどうしたものか、と2人黙っていたが、奥さんがハッキリ言った。
「花蓮さんは、オーナーと結婚予定なんですよ。知る権利があると思います。」
前川警備員も了承せざるおえない、と渋々頷いて、賛成した。
「そうだな。俺が花蓮さんの立場なら知っておきたい。」
こういうと花蓮に向かって説明しだした。
「オーナーの名誉のために言いますが、オーナーは今まで誰も女性を彼の家に入れたことはなかったんです。この女性も確か今年の初め頃、オーナーを訪ねて初めてこのマンションに訪れた方で・・」
「バレンタインの日ですよ。私ははっきり覚えています。あの女性は橘さんはいるか、いるなら呼び出して欲しいと言って訪ねて来たんです。」
「そうだったな、今まで見たことない女性だったからちょっと驚いたのを俺も覚えている。」
「名前は失念しましたが、オーナーに女性の名前を告げると、直ぐに行く、とおっしゃって初めはそこの談話室でお話しなさっていたのですが、女性の方が気が高ぶって泣き出してしまって、オーナーは女性を気遣って、部屋に連れて上がっていかれたのですよ。その翌日タクシーを呼んでその女性は帰りました。」
(!!)
ということはあの女性は俊幸の家に泊まったのだ。この事実はもう花蓮にとって決定的だった。
俊幸の性格をかなり正確に掴んでいる花蓮は、よっぽど親しく信頼できる人でないと彼が他人を彼の家にあげることはない、と分かっていたし、ましてや、泊める事は絶対ない。花蓮が知っている中で泊まることを許されたのは、幼馴染の伊集院だけだ。
そしてもう一つ花蓮の心にあったのは、俊幸が子供を欲しがっている、という事実だった。
俊幸と初めて結ばれた時から、俊幸は花蓮との結婚を強く望んでいて、2人が愛し合う時、彼はゴムを使ったことがない。
俊幸は、花蓮が妊娠すれば、あわよくば結婚の時期が早くなると口にしていて、子供を作ろうと花蓮にしょっちゅう言っていた。
花蓮はそんな彼を愛しく思いながらも、まだちょっと早すぎるのでは?、と言って彼に話してピルを飲んでいるのだ。
そして、先程の女性が彼の子を妊娠しているのであれば、100%彼は認知するだろう。
「ではお二人共、さっきの女性のお腹の子供は俊幸さんの子供だ、と思っている、という認識で合ってますか?」
花蓮は低くもはっきりした声で静かに聞いてみる。前川夫妻は顔を見合わせてると、前川奥さんが切り出した。
「はい、花蓮さん。そうです、何故なら彼女のお腹の膨れぐあいが、丁度2月に妊娠したすると計算が合うのと、彼女が今日ここに訪ねて来た時の態度でもしや、と思ったのです。彼女は思いつめた顔をしてどうしていいかわからない、という感じでオーナーを尋ねて来られて、明らかに友人が自分に訪れた幸運を知らせる、という態度ではありませんでした。そして、決定的なのは、彼女の妊娠をオーナーが一目見て喜んでいるのがわかって、明らかにホッとしていたことです。」
(ああ、そうよね、あんなに子供を欲しがっていたのだから、俊幸さんなら喜ぶだろう。)
3人の間に重い空気が流れる。前川さんが、その空気を拭うように言った。
「しかし、今オーナーが、その、愛しているというか結婚したいと思ってらっしゃる女性は花蓮さん1人です。これは長年オーナーと付き合いのある私が断言できます。実はその、2月に女性が泊まった翌日、あの時、余りにも気になったので、次の日にオーナーにそれとなく訪ねてみたのです。オーナーは大学時代からの友人だとおっしゃってました。なので、ここにきて花蓮さんとの結婚を翻す、なんてことは考えられません。」
「そうよね、俊幸さんの大事な話って、多分子供を認知していいか、よねきっと・・でも、前川さん、男の立場として、もし自分の子供を産もうとしている女性が、助けがいる状態で、頼る人もなく、その女性を決して嫌いでなかったら、彼女に結婚して責任を取って欲しいと言われてむげに断れる?」
花蓮が言い難いとこをズバッと聞くと、前川さんは、うっ、しまった、という顔で、しばらく黙っていたが、ついに、は~、とため息をついて花蓮に答えた。
「人によるでしょうが、オーナーの様に責任感のある男気のある方は、断れないでしょうね・・・」
「よね、やっぱり・・・」
花蓮は先ほど見た女性の姿を思い出して、諦めにも似た溜め息をつく。
彼女は花蓮より小柄で、もっと若く見えた。もし彼の子を妊娠しているのなら、彼に今まで知らせなかった、ということは1人で産む気だったのだろう。小さくても気丈な性格を思わせる。臨月まじかになればホルモンのバランスが崩れて精神的に不安定になると言うし、1人で秘密を抱えているのも苦しくなったのかも知れない。
(だめだ、ちょっと1人になって考えたい。)
花蓮は、前川夫妻にそう告げると、彼らも、そうだろう、と頷いてくれて、花蓮は1人家に帰ってきた。
今日は、ただいま、も言う気になれず、靴を脱いで、そのままリビングのお気に入りの大きなソファーに倒れこんだ。ソファーに寝転びながらだんだん暗くなってくる外を眺めるも、頭はどうしよう、とそればっかりが浮かんで、何もする気になれない。
俊幸と彼女を責めることも出来ない。
これは浮気ではない。
彼らがコトに及んだのは自分が俊幸に出会う2ヶ月も前の話で、多分、彼らにとって衝動的な事で、計画したものでもなく、既に起きてしまった事なのだ。
俊幸の性格から彼女を愛しているわけではないとは分かる。
自惚れではないが彼の花蓮に対する態度はいつも誠実で、最初から花蓮を自分のテリトリーに入れたがっていたのだから、一回しか入れてもらったことのない彼女とは大違いだ。
(一回、たったの一回、だけどこの一回がこんな事になるとは彼らも思ってなかったのよね、きっと。・・・こんな事なら避妊などせずに私が俊幸さんの子供を授かっていれば・・・)
そうなのだ、もし今花蓮が妊娠していたら、俊幸は女性が責任を取って結婚してくれ、と言っても100%要求を突っぱねただろう。
しかし現実に今はまだ、俊幸と花蓮は一緒に住んでいるだけの、両親の顔合わせも、家族に紹介もしていない、指輪を買ってもらっただけの婚約状態なのだ。彼の責任感の強さを知っている花蓮は、今彼女が結婚を要求したら、彼が彼の子供を身ごもっている彼女を拒否して花蓮と結婚する可能性は50%だと思えた。
(50%、そう、半分だと考える時点で、私はもうダメだわ。・・・)
彼のメールにあった、大事な話とは、子供を認知することなのか、自分との婚約を破棄したいとの事なのだろうか?
たとえ彼が花蓮を選んでくれて結婚してくれたとしても、彼の子供が他の女性との間にいて、その人達は花蓮のような幸せな生活を、花蓮がいなければおくれたのかもしれない、と考えるだけで、花蓮は俊幸と結婚しても幸せになれない。
だけど、花蓮は俊幸を愛していた。彼以外の人と結婚するなんてこの時点では考えられない。
自分は俊幸の子供のために身を引けるのだろうか?
それともやっぱり俊幸を愛しているから、結婚するのだろうか。
そんなことを考えながら、逃げ出したくなる心を抑えて、取り敢えずご飯を炊いて食べ、お風呂に入りベッドに横たわって俊幸の帰りを待った。
俊幸が最後に送信してきた、遅くなるようなら連絡する、との携帯のメールを何度も眺め、ついに夜中の3時頃になって、彼からの連絡はないのだ、と悟り、花蓮は泣きながら寝入ってしまった。
あまり熟睡できずに朝7時頃、長年の習慣で目が覚め、携帯を確かめて、未だ俊幸から連絡がないことを確かめて、花蓮、はあ~、と諦めのため息をついた。
食欲はなかったが、朝ごはんを機械のように食べ、シャワーを浴びて、昨日の晩の泣き腫らした顔の修復に取り掛かかる。
そして、クローゼットに入って短期旅行用のトートバッグに着替えと洗面道具のお泊まりセットを詰めて、朝早く、家を出て俊幸が鍵をくれた横浜の家に向かった。
電車の中で、何も嵌めていない左手の薬指を見ると目頭が熱くなるが、ここで泣くわけにはいかない、と取り敢えず涙をこらえる。
何度も俊幸から連絡がこないか、と携帯を見るが、やはり彼からは何も言ってこない。
自分からはとても怖くて連絡出来なかった。
何を話せばいいというのだ?
『俊幸さん、あの、他の女性との間に授かった子供の件ですけど、わたしは気にしませんから。本当に、ええ、一ミリも。』
だめだ、俊幸が何かをいう前に自分から別れるのが一番ベストだ、でないと彼のせいじゃないとわかっているのに、彼を詰ってしまいそうだ。
花蓮のマンションをキープしていてよかった。これで帰る所がなかったら目も当てられない、ドロドロドラマになってしまう。
自分が彼の家を出るのが一番簡単な解決法に思えた。
ついに花蓮は携帯の俊幸の番号、前川夫妻の番号、前に教えてもらって登録していた伊集院の番号など俊幸と共通の知人の番号を全て着信拒否にして、携帯をバッグにしまった。
途中のスーパで、日曜日までの2日分の食料やトイレットペーパーなど必要なものを買い込み、1ヶ月ぶりに訪れる家の鍵を取り出し、ドアを開けて、中に入った。

同じ頃、金曜日の朝、俊幸は、二日酔いの頭を抱えながら、ようやく10時を過ぎて実家の階下に降りてきた。
昨夜は久しぶりに実家に帰ってきて、酷い目に遭わされた。
健康体の酔っ払いに効く二日酔いの薬の実験とかで、誠司と明梨あかりに散々付き合わされたのだ。
頭は良いが、変人の誠司と明梨は良いコンビだ、と思いながら、昔から個性的すぎる2人の間で、自分を強く持たざるおえなかった俊幸はため息をつく。
これで3人とも兄妹仲が良くなかったら、どうなっていたんだろう、と思う。
2人とも変人だが、兄妹愛だけはたっぷりあった。愛がありすぎて溢れて昨日の夜のようになってしまうのだ。
どれだけ二人が変人かというと、誠司はパソコンや携帯に仕込んで企業スパイを見つけ出す、ソフトウェアアプリの開発者だ。アプリ『これ一つで企業スパイを一網打尽、ようこそ企業のダークサイドへ❤️」は、企業が怪しいと思う人物に自社提供しているパソコンなどにこのアプリを仕掛けると、その人物のアクセス先、連絡を取ったログを元に、連絡を取った相手先が、あらゆるネット情報を駆使して作成された経歴付きのレポートになって取れるのだ。数学の統計学のアルゴリズムを元にしたアプリは正確さにおいて定評がある。役目を果たすと自動で消えるこの合法スレスレアプリ、もともとは誠司が妻の夏美をスパイするために作ったアプリである。
妹の明梨は俊幸の親友、伊集院隼人に昔から夢中で、年上の彼を振り向かせる為、惚れ薬を本気で調合しようと研究した結果、香草や薬草のプロになってしまい、今はその知識を活かして、ハーブ製品を開発しては販売している。ハーブの製品会社、’ハーブメイライト’は化学製品の入っていないナチュラル志向の製品で結構評判がいいらしい。
こんな二人の間で自分はよくまともな感覚を身につけた、と俊幸はつくづく思う。
そして、日曜日に、婚約者の花蓮の両親と会ってほしい、と俊幸に告げられた一家は諸手をあげて喜んだ。俊幸の親戚の絵画の件で、初めて花蓮の両親と日曜日会うことになっていたからだ。
この際、自分の家族も会わせよう、と思いついて、実家に電話でするには大事な話をわざわざ、話をする為だけに帰ってきたのだ。
両親に正式に会わせるのはお試し期間の3ヶ月が終わってから、と約束していたが、もう2ヶ月半だ。
2人の間は今まで何の問題もなく順調で、俊幸としては早く正式に結婚式の日取りとか諸々、話を詰めたかった。
俊幸の橘家の予定は、こうして、何の問題もなく調整され、後は帰って、花蓮を説得するだけだ。
二日酔いの頭を抱えながら、それぞれのパートナーと仲良く席についている兄妹に目をやる。昨日全員実家に泊まったからだ。
兄妹はそれぞれのパートナーと仲よさそうに話をしている。二日酔いの効果が薄い試薬の外れを引いたのはどうやら俊幸だけらしかった。
仲睦まじい様子を初めて羨ましそうに、見ながら、来年のお盆には自分も絶対花蓮と一緒に帰ってくる、と俊幸は心に決めていた。
「兄さん、結婚まで良く耐えたよね。僕は、早く花蓮を正式に僕の妻として、ある意味、僕に縛りたいよ。花蓮が妻になってくれるまで気が気じゃない。」
「は?我慢なんかするわけないだろうが、可愛い弟よ。夏実が16の時に婚姻届を用意して、いつでも出せるよう、署名させたぞ。」
「そうですよ、俊幸兄さん、私が16になった時も、隼人に婚姻届に署名させましたよ。未だ結婚はしていませんが、心はその時からずっと隼人の妻です。」
と兄妹揃って恐ろしいことを、さらっと言い、どちらのパートナーも苦笑いをして頷いている。
さらに、2人して俊幸に、財布から大事そうに当時書いたであろう婚姻届を俊幸に見せびらかす。
ここに来て俊幸は、自分は結構、花蓮にさり気なく強引に迫って同棲まで持って来た、と思っていたが、やはり血は争えない、とひしひしと兄妹の絆を感じ、さらにこの二人に比べれば、自分はまだ詰めが甘かった、と感じた。
するとこのやり取りを見ていた俊幸の父、橘家の当主が、懐から、そうっと一枚の紙を俊幸に差し出し、「父さん、貴方もですか。」と俊幸はこめかみを押さえながら呟く。
いやいや、ここで流されてはいけない、とその時は言い聞かせたものの、一家で随一常識派だと自己認識している俊幸だったが、帰りの俊幸の荷物には、家族からの土産と共にしっかり婚姻届が収まっていた。

「只今。」
昼過ぎに、家に帰ってきた俊幸は、人気のない家の玄関でいつものように花蓮が昼寝している場合のためにそっと小さな声で挨拶をしながら靴を脱ぎ、家に上がる。
花蓮のお気に入りのソファーは空っぽで、今日は珍しくベッドで寝ているのだろうか?とベッドルームを覗くも部屋に人気はない。今日は家にいると言っていたのに、買い物だろうか、と携帯を掛けながらキッチンに水を飲みに行き、また通話中の携帯にふと違和感を覚える。
(どうしたんだ、一体、今朝から電話が全然繋がらない、何かあったんだろうか?)
一抹の不安を抱えながら、繋がらない携帯を見つめ、それならメッセージをと手を動かしたところで、ダイニングテーブルの上に何かキラリと光ったような気がして顔を向ける。
テーブルの上の光ったものの正体に気づくと駆け出してそれを取り上げ、間違えなく花蓮の婚約指輪だ認識すると身体中の血が引いたように一瞬で真っ青になる。この時点では、花蓮がこの間のような何かの事件に巻き込まれ
たのだと思い込み、急いでメッセージを打ちかけていた携帯を震える手で握り、取り出そうとして、初めて指輪の下にあったメモに気が付いた。
『俊幸さん、これはお返しします。やはり私には耐えられそうにありません。ので彼女とお幸せに。子供には父親が必要です。荷物は日曜のあと引き取ります。日曜日の件と人材の件はちゃんと仕事をしますので心配いりません。それでは日曜日にお会いしましょう。花蓮。』
「?!?!」
(一体何が起こっている?彼女とは誰だ?なぜ花蓮が指輪を?子供?)
次々と疑問が頭をめぐり指輪を握りしめて家を飛び出し、エレベーターのボタンを乱暴に何度も押す。
(出かけるところをコンシェルジュかガードが見ているはずだ。彼等なら何か知っているかも。)
気が焦ってばかりで、エレベータの中をじっとしていられず歩き回る。やっとマンションの玄関ホールにチーンと到着の合図が響き、扉が開くなり飛び出していた。
「すいません。」
待っていた人たちにすれ違いざま謝りながら、コンシェルジェの女性に勢い込んで、花蓮を見たか?と聞いてみるが、彼女の答えは簡潔だった。
「はい、今朝早くにお出掛けになりましたよ。」
「何か、何か花蓮は言っていなかったか?」
「?いえ、軽く会釈されて出て行かれましたけど。」
俊幸の尋常でない様子に気圧されながらも、キッパリそれ以上はわからない、と彼女は答える。
そこへ警備員が何事かと近づいてきて俊幸に不思議そうに尋ねる。
「橘オーナー、どうかしたんですか、昨日から前川さんも様子が変なんですけど。」
「前川が?」
「ええ、なんか昨日から奥さんと真剣な顔して見張りをしばらく変わって欲しいと言われた後、どうも3人共、ああ、花蓮さんもいらっしゃいましたね、なんか様子が尋常でないんですけど。」
それを聞くなり「教えてくれてありがとう。」と叫びながら俊幸は駆け出し、管理人夫婦が暮らす奥へ直行する。
ピンポーン、ピンポーン、呼鈴を何回か鳴らすと、どうしたらいいか分からないと言った体裁の前川警備員が顔を出した。
俊幸の顔を見て顔が引きつる。
「オーナー、お帰りなさい。」
挨拶もなんとなくギコチナイ。俊幸は構わず、焦る心を抑え、なるべく落ち着いた声で前川警備員に問いかける。
「花蓮がいないんだが、何処に行ったか知っているかい?なんだか訳の分からないメモが残されててサッパリ意味がわからないんだが。」
俊幸のこの言葉が聞こえたのか、前川奥さんが奥から出てきて、詰るように俊幸にキツイ声で答える。
「オーナー、プライベートな事にはなるべく関わらないようにはしてきましたが、今度の花蓮さんの事については、一言言わせてもらわなきゃ気が済みません。いくら昔の女性が子供を産むからって花蓮さんとの婚約を解消するのはあんまりだと思います。子供は認知するにしても、花蓮さんは悪くないのですから。」
前川警備員もウンウンと横で頷いている。俊幸はなんの事か分からず、寝耳に水と行った顔で困惑したままだ。
「なんの話をしているのかサッパリ分からないんだが、ちゃんとわかるように説明してくれ。」
「ですから昨日訪ねてきた女性ですよ、あの方オーナーの子を身籠っていらっしゃるんでしょう。でもだからって花蓮さんとの婚約解消はあんまりです。」
それを聞くなり俊幸はびっくり仰天した。
「何を言ってるんだ?彼女はただの同僚で、彼女の彼氏の子供を身籠っているんだ。僕が父親なわけ無いだろう。一体なんだってそんな勘違いしたんだ!」
「ええっ、でもあの方、今年の2月のバレンタインの日にオーナーの家に泊まっていった方ですよね?」
前川夫妻もびっくりして聞いてくる。俊幸は苦い顔をしながらも肯定する。
「なんだってそんな細かいところまで覚えているんだ?ああ、そうだ、あの日、彼女、彼氏と喧嘩して飛び出してきたんだよ。あんまりにも思い詰めてたから、ゲストルームに泊まってもらったんだ。」
これを聞いて前川夫婦は恐る恐る聞いてみる。
「と言う事は、オーナー、あの方と関係を持った訳では・・・」
「ある訳ないだろ、彼女は同い年や年上には興味が持てないんだよ。なんと言うのか、若い男の子が好みな女性でね、僕は範疇外で意識された事もないよ。第一彼女には、大学時代から、彼氏、といって良いのかわからないが片思いの相手が居たんだ。その相手の子を身籠ってるんだよ。」
なんと彼女はショタ専の女性らしい。と言う事は・・・・完全な誤解?前川夫婦はだんだんと顔色が悪くなってくる。
「あの、オーナー、実は私たち勘違いして花蓮さんを誤解させてしまったようです・・・・」
「だから花蓮は何を誤解しているんだ?彼女の妊娠の相手がどうして僕だと思うんだよ?訳が分からないよ」
確かに俊幸にして見ればあの場にいなかったのだから、訳が分からないだろう。前川夫妻は視線を交わして、前川警備員が頷くと、奥さんが俊幸について来るように促して監視モニター室に案内する。
そして例の録音して音声入りの記録ビデオを巻き戻しして映して見せた。その映像を見た俊幸はようやく、事の重大さが胸にのしかかってきた。
「花蓮はこのビデオを見たのか?」
「花蓮さんはここにいらっしゃったのですよ、その映像を録音するちょっと前から。オーナーが女性にキスをしていましたよね?」
「なんだと!確かにこのビデオを見る限り、誤解されても仕方ないが、実際は彼女の睫毛を取ってあげただけだし、責任を取ると言ったのは、彼女に彼氏を諦めないよう慰めたのは僕だったからだ。なんせ彼女、彼のことを彼が中学生の時から片思いだったのを知っていたからな。彼の家庭教師をしてたんだよ、彼女。それで彼女は妊娠したのだから、彼女の実家に妊娠報告と婚約破棄を告げるために付き添ってあげただけだよ。彼女には形だけの婚約者がいたんだ。婚約者はずっと海外赴任で今年のお正月、彼女が実家に帰った時に婚約者が年末海外赴任から帰ってくる予定だから、帰ってきたら結婚を進めようとご両親に言われたらしい。そのことで彼氏と喧嘩をして飛び出してきたんだよ、2月に。彼女の彼は確か8歳年下の自称ミュージシャンなのだそうだ。仲直りしたのはいいが、彼のほうが国内に武者修行に出ると言って、4月から家を出て点々と日本中ライブハウスをまわっていて臨月まじかなのに帰ってこないらしい。もうこれ以上実家に隠しておけないと、昨日僕に相談しにきたんだよ。彼女は見た目は童顔で若く見えるが僕と同期だよ、ゼミが一緒だったんだ。企業のセクハラ問題とかを主に扱っていて、腕の確かな弁護士なんだ。だから余計にご両親に彼を紹介するのを躊躇していたらしい。」
前川夫婦はホッとしたのと同時に、事態の深刻さにようやく真っ青になった。
「大変ですオーナー、僕たち花蓮さんにこの女性は2月のバレンタインの日にオーナーの家に泊まった女性で、多分その時にできた子供のことで相談に来たのでは、と話してしまいました。」
「なっ、なんだって!そんな馬鹿なことあるわけないだろう!誤解だ!」
「すみません。・・・」
ここに来てようやく花蓮の残してメモの意味がわかった、俊幸は何て事だと、絶望的になった。どうりで携帯が通じないはずだ。花蓮は着信拒否をしているのだ。
「前川、お前確か花蓮と携番交換していたよな?今掛けて見てくれないか、花蓮の携帯に。」
結果はやはり通話中。ダメだ、花蓮のことだから、俊幸の関係者全部拒否だろう。考えろ俊幸、彼女はマンションを出てどこへ向かう?
「僕は花蓮の誤解を解くために彼女を探しに行く。万が一彼女が帰って来たらすぐに知らしてくれ。」
俊幸はこう言って、前川夫婦が頷くのを確認して駐車場に向かった。まずは彼女のマンションだ。花蓮が喧嘩をしても帰るところがあれば喧嘩できると言ってキープしているのだ。取り敢えずは行動を起こさなければ日曜日まで待つなんて考えられない。
昨日、メッセージではなくて、電話をかければ良かった。そうしたらこんな誤解すぐに解けたのに。重ね重ね、昨日の夜電話するつもりですっかり実家で酔わされた事が悔やまれる。今朝も彼女からの連絡がない時点で何かがおかしいと気付くべきだったのに、ちょっと一味違う家族に囲まれていたせいで、思考がまともに動いてなかった。
間も無く花蓮のマンションにつき、ドアをノックして預かっていた合鍵で中に入るが、入った途端、人がいないのは放置された家独特の少しこもった匂いですぐにわかった。花蓮は郵便物の回収や換気の為に時々訪れてはいるが、やはりどうしても匂いはこもる。念の為部屋に上がって誰もいないことを確認し、さて次はどう出よう、と考え込む。花蓮の友人には都合が付かず、まだ会った事はないので連絡先はわからない。花蓮の実家も然りだ。ただ、花蓮の実家は横浜だとわかっている、花蓮が向かうとしたら実家の可能性が次に大だ。実家の住所をなんとか手に入れられないか?
俊幸の頭にそこで、某警察署長の顔が浮かんできた。花蓮の叔父だという彼ならば、住所も、詳しくは知らなくてもせめて町名ぐらいは知っているだろう。幸い彼とは、日曜日の絵画のすり替え詐欺疑惑に協力してくれているおかげで、日曜日のことを口実にして電話をするのは不自然ではない。
そこまで、思考が進むと、俊幸は携帯を取り出し連絡を取り始めた。


花蓮が横浜の俊幸といずれ暮らす予定だった家を避難所として求めたのは、3つの理由からだった。
一つ目は、未練というなの感傷、自分たちの子供が出来たらここに引越しして来よう、と言ってくれた俊幸との二度と訪れない夢の家をせめて最後に堪能したかった。二つ目は俊幸との遭遇を避ける為。自分のアパートに帰れば、当然俊幸は話し合いを持つために花蓮を追ってくるだろう。どうせ日曜日には例の絵画の件で会う事になるのだから、それまで冷静に別れを受け止められるよう、そっとしておいて欲しかった。三つ目は至極簡単、経済的な理由、タダで泊まれるからだ。この前俊幸と訪れた時、既にこの家のガス、水、電気は完備されていたし、お風呂も台所も使えることは確認済みだ。その上この間購入した家具や寝具もあるから、あとは百均で食器や鍋などを揃えれば、二日三日暮らすのには困らない。
こうした理由で家を堪能するために来たはずの花蓮は、その日、何故か雑巾を持って廊下の拭き掃除に精を出していた。
いざ、家で台所を使おうと入っていくと、さすが施工が終わったばかりの家、この間は気にならなかった埃があちこち目につきだして、タオルの一つを犠牲にして台所の雑巾がけを始めたところ、そのままダイニング、リビング、と止まらなくなり、ついに廊下まで出てきてしまった。廊下を終えると流石にちょっと疲れて一旦休憩、とお茶を飲み始めたが、今度は窓の汚れが気になりだした。
(よし、やることもないし、今日は大掃除しよう。)
さっき、拭き掃除をしていて気づいたのだが、一心に掃除をしていると、なんだか嫌な事も段々頭の隅に追いやられ、気がつけば無心で廊下を拭いていた・・・。
掃除に瞑想の効果があったとは驚きだ。しかし、この新発見に乗っからない手はない。
一息ついてお茶を飲み干すと、花蓮はバッグを持って掃除道具を買いに出掛けた。そして、お昼を済まし、汚れてもいいTシャツを着込んで、まずは掃き掃除、次に拭き掃除、今度は寝室まで範囲を広げて無心で掃除に励む。
禅の世界にどっぷりはまり込み、ひたすら掃除をして、だいぶ気分も良くなってきた花蓮は、汚れを落としに一旦、昼間からのんびり一風呂入浴した。仕事をした後の風呂は最高、と風呂上がりの麦茶を飲みながら、次は窓の拭き掃除をしよう、と雑巾とバケツを片手に、花蓮はリビングの方にゆっくり歩き始めた。
その時、ガチャと玄関から音がして、花蓮は、(泥棒?)と一瞬で横に立て掛けてあった箒を手に取り、玄関に向かった。
いつでも箒を打ち出せるよう構えながら玄関に近づくと、靴を脱いでこちらを振り向いた俊幸とバッチリ目があってしまった。
「花蓮!」
「俊幸さん!」
とっさに箒を落としてしまい、箒を構えて出てきた花蓮に驚いた様子の俊幸がそのままかけてきて花蓮を抱きしめる。
とっさに両手で抱きしめ返した花蓮と俊幸の声が重なる。
「花蓮、誤解だ、僕じゃない、赤ちゃんの父親は僕じゃないんだ!」
「俊幸さん、大好きです。やっぱり一緒に居たい。」
「「えっ」」
お互いの目を見つめ、花蓮の頭に俊幸の言葉が繰り返される。
何かを言いかけた俊幸は、花蓮の様子をじっと見守っている。
先ほど花蓮の口から飛び出した言葉は、花蓮の心からの真実だった。
何時間にもよる掃除式禅の世界に浸った結果、俊幸の姿が見えた途端、花蓮の心が何より欲したのは俊幸だったのだ。
その欲求は、俊幸の他の女性との子供に対する心配、自分は耐えられるのかという不安を軽く超えて、何があろうと俊幸さえ自分を愛してくれていれば、何とかなる、という花蓮の心の真理だった。
そして今、俊幸は花蓮を探しに来てくれて、花蓮の一番の心の負担であった、俊幸と他の女性との間の子供はいないと否定してくれたのだ。
この事実を理解した花蓮の目にたちまち涙が溢れてくる。子供のように泣き出した花蓮を俊幸は固く抱きしめて、「ごめん、花蓮、悲しい思いをさせてごめん。僕が昨日電話をしていれば、こんな誤解をさせなかったのに、すまない。」と優しく花蓮の頭や背中を撫でながら、好きなだけ花蓮が泣くやむまで抱きしめていた。
しばらくして、やっと泣き止んだ花蓮は俊幸を見上げて確かめる。
「あの女性の赤ちゃんの父親は、俊幸さんではないのですね。」
「違う!誤解だ!100%あり得ないよ。彼女はちゃんと婚約者というか結婚したい彼氏がいるんだよ、その彼氏との赤ちゃんを身ごもっているんだ。僕はただの大学時代からの友達で、彼女とそんな関係になったことも、なるわけもないよ。彼女は僕の好みではないし、彼女も同い年や年上にまるで興味が持てない女性なんだ、年下専門の女性ひとなんだよ。」
昨日見かけた可愛らしい女性がショタ専だという事実に驚く花蓮だったが、俊幸とまるで関係がないと聞いて、心から安堵を覚えた。
花蓮は顔を手で覆って、ため息を大きくつく。
「あ~、よかったー。いくら覚悟していても、やっぱり俊幸さんが他の女性との間に、と考えるのはキツイですよ。それを含めてやっぱり一緒にいたいとは思ったんですが、良かったー、もう他に隠し事とかないですよね?結婚した後発覚は避けたいです。」
「ないない、絶対ない、僕には花蓮だけだ。彼女は確かに大学時代からの気の置けない友人だから、一度家に泊めたけど、そんな関係じゃないんだ。絶対あり得ないよ。僕が昨日から実家に帰ったのは、明日の段取りを組むためなんだ。花蓮、明日僕の家族に会ってもらえないか?約束は3ヶ月だったけど、どうせ明日花蓮のご両親にも会うのだし、この際、僕の家族にも紹介しておきたいと思ったんだよ。」
お別れかもしれないと思っていた今朝から180度方向転換の話に、花蓮はもう躊躇しなかった。
「はい、喜んで。明日は私の家族も揃うので丁度都合はいいです。せっかくだから、みんなでお食事でも如何ですか?」
何かと用心深かった花蓮の心からの言葉に、俊幸は喜びを隠せない。顔を綻ばせながら頷いて花蓮を固く抱きしめる。
「いいアイデアだな、今から、どこかレストランの予約が取れるかな?お盆と連休だしな・・・。」
少し考えた後、花蓮の顔を見て言った。
「ホテルなら、もしかしたら、取れるかもしれない。この際ついでに結婚式の下見を兼ねて、花蓮の好きなホテルのレストランに行ってみようよ。」
それを聞いた花蓮は、ちょっとはにかみながらも頷いた。
「ホテルのでの挙式は考えてはいませんでしたけど、俊幸さんのお仕事関係やお家の事を考えると確かに妥当かもしれません。分かりました。俊幸さんも一緒に探してくれるなら、今からちょっと見てみます。」
この返事を聞いて俊幸は心の中でやった!とガッツポーズだ。
今度の事は、誤解を解けば大丈夫だとは思っていても、やはり、気が気ではなかった。俊幸としてはこれで具体的な結婚の準備に取りかかれる、と一安心だった。
俊幸はようやく周りを見渡す余裕ができ、花蓮の持っているお掃除道具に気づいて、不思議に思って聞いてみる。
「花蓮、ここへは掃除に来てくれたの?僕はてっきり、僕に会いたくなくて、避けられたんだと覚悟して来たんだけど。実は最初は花蓮が実家に帰ったのかと思ったんだ。途中でこの家のことを思い出して、花蓮ならここに来るかもしれないと思って来てみた。」
花蓮は、俊幸のこの言葉に笑って答えながら、俊幸の手を引っ張って、朝からの禅修行の成果を見せる。
「確かに、今朝ここに来た時は誤解をしていたので、俊幸さんに会いたくないと思っていましたけど、この家に着いてから、汚れが気になって掃除を始めたら止まらなくなっちゃって、おかげで家はピカピカですよ、ほら。」
と綺麗になった、台所やダイニング、リビングに案内する。確かに前に来た時より家具も入って綺麗になったこの家は、とても魅力的な明るい家に思える。
俊幸は花蓮と一緒にリビングの大きなソファーに座って、改めて周りを見渡し、花蓮の姿をもう一度眺める。
「うん、とても綺麗になったね、このままここに住めそうだな。でもやっぱり僕は、花蓮が居るからこの家も僕の家だと思えるんだよ。花蓮がいなければただの家、僕にとっては意味をなさなくなる。ねえ、花蓮、今度みたいな事に2度とならないように、僕のお願いを聞いてくれないかな?」
ここに来て、俊幸のやり方に段々慣れて来た花蓮は、これは、うんというまで話が終わらない口調だ、と諦め混じりに頷いた。
「違法でなければ、考慮します。」
「もちろん、違法どころか、僕らの関係を合法化しようと言っているんだよ。」
俊幸はゴソゴソ財布から何やら紙を取り出して来る。彼の返事に花蓮は何やら予感がする。
(まさか、ね、結婚式も決まってないのに、そんなわけ・・・)
頭で一生懸命否定してみたが、紙のタイトルを一目見て頭を抱えたくなった。
(あ・・やっぱり・・・)
やっと、結婚式の事を前向きに考え始めたところだというのに、紙のタイトルは、’婚姻届’、それも俊幸の部分はもうバッチリ埋めてあって、後は花蓮の署名を待つばかりの周到さだ。
「俊幸さん、あのですね、こういう物はもっと大切にじっくり考えてから署名するものです。後で私が即離婚して、慰謝料目当ての詐欺師だと判明したらどうするんですか!」
「その時は僕の勉強不足だったと諦めるよ。さあ、花蓮の署名をするだけだから。今度の事で僕も思い知ったよ。さっさと届けを出していればよかったんだ。そうしたら花蓮は僕の妻なんだから、その場で堂々と僕に文句が言えて、誤解はその場ですぐ解けたのに。」
「・・・・・・」
理屈はあっているのだが、なんだろうこの狙った様な用意の良さは。
そもそもどうして婚姻届なんだろう。
「でも普通はほら、家族への紹介、とか結婚するにあたっての新居の用意、とか仕事や財産の相談、とか家族が増えた時の対応の話し合い・・・・・」
どれも、これも全部済んでいる様な気がする・・・・・家族への紹介が住んでしまえば、障害というか、乗り越えなければならないハードルは、結婚式の日取り、会場押さえ、など具体的な計画のみ?イヤ待て、新婚旅行の行き先だってまだ決まっていない・・・ダメだ、反対する材料が見つからない・・・。
うーむ、と考え込んでいる花蓮に、俊幸はダメ押しの一言を告げた。
「花蓮が署名して僕と結婚する意思させ見せてくれれば、何も届けはすぐに出さなくてもいいんだよ。僕は本気で花蓮と結婚したいんだ。花蓮は違うのかい?」
「いえ、違うわけではなくてですね。私も勿論本気で俊幸さんと結婚したいと思っていますよ。」
「じゃあ、喜んで署名してくれるよね。僕も嬉しいよ、花蓮。」
と言って、どこからか持ち出してきたペンを握らせると、花蓮が署名をするのをじっと待っている。
何かが違うと思うのに、嬉しそうに花蓮を見つめる俊幸の笑顔につい署名をさらさらとしてしまった花蓮は、晴れて俊幸と夫婦にこれでいつでもなれるおめでたい出来事のはずが、なぜか清水の舞台から飛び降りてしまった気分だ。
「愛してるよ花蓮。」
署名された届を大切そうに財布にしまい込み、俊幸は呆然としている花蓮をお姫様抱っこで、二階のベッドルームに連れて行くと、そっとベッドに花蓮を下ろす。
もしかして、自分の一生を左右する大事な選択をさっきしてしまった?とようやく頭が追いついてきたのは、俊幸に、まだ外は日がある夕方だというのに、裸にされて、散々いかされた後、耳元で囁かれた時だった。
「花蓮、愛してるよ、俺の可愛い奥さん。一生大事にするよ。」
「あぁっ・・・・ん」
俊幸がゆっくり熱く花蓮の中に入ってくる。そのまま、勢いよく奥に突き上げられ、花蓮の体を快感が駆け抜ける。散々優しい愛撫で鳴かされた花蓮の敏感な体は直ぐにまた気持ちよくなり、ずん、奥を突かれて甘く体がしびれた時、霞んだ意識の中で何かが頭の隅を横切った。
(なにか・・忘れているような・・ん)
「・・・ぁ・・ん」
ゆらゆら腰を揺らされて、思考がうまく働かない。ずん、ズンと俊幸は突き上げた後、花蓮に深く口付けながら腰を回して花蓮の中を楽しんでいる。
(そんな、子宮に届きそうに掻き回されたら感じちゃう。う・・ん・・し・きゅう、そうだ!)
「とし・ゆ・き・・ピルをのんで・ない」
花蓮の言葉に俊幸は顔を離し腰の動きを止めて、花蓮の目を見つめて掠れた声で問い返す。
「なんだい?花蓮?」
「ピルを飲むの忘れてました・・」
息も絶え絶えに説明する花蓮の言葉に俊幸は目を見張ったが、いきなり花蓮の膝を抱えて、胸近くまで折り返させると、深く、深くまで突き入れてきた。
「俺の子供を産んでくれるな?奥さん。」
そういうと、ひと突き、ひと突き深く子宮の入り口に、彼の熱い硬い先端でキスをするように重く力強く突き上げ、花蓮が堪らず体をビクンと震わせて中の俊幸をうねるように締め付ける。
「くっ・花蓮・」
俊幸は花蓮を抱きしめながら、孕めとばかりに腰を強く押し付けて、長く最後の一滴に至るまで全て花蓮に注ぎ込む。
ドクン、ドクン、ドクンと熱い彼の精が花蓮の中を濡らし、イッたばかりの花蓮はその感触に、あぁ俊幸さんに中に出されている、と思うとまた体がびくんと甘く痺れる。
今日は避妊出来ていないから赤ちゃんができちゃうかも、という考えが頭を掠めるが快感に支配された体と俊幸に愛されて喜ぶ心はまともに働かず、ボーと事実を受け止める。
「俺の・・花蓮、まだ足りない。」
荒い息で俊幸の額から汗が流れ落ちる。
やっと膝を解放された花蓮は、息を整えようと胸を上下させ、大きく息継ぎをしていた途中で息が整わないまま、片膝を肩まで担がれ、抜かずにまた抜き差しが繰り返される。
「ああっ・・やあ・・ん」
ゆっくり穏やかに最初は揺らされていた腰も、俊幸が中でだんだん硬さを取り戻し、熱い圧迫感が中の壁を擦ると、溢れる蜜と白っぽいどろっとした液体が太ももを伝ってくる。
深い、奥まで届く激しい突き上げに、花蓮は恍惚としたまま揺らされ続け、花蓮が解放してもらったのはその日夜遅くだった。流石にお腹が空いた俊幸に、動けない花蓮はベッドで食べさせてもらい、シャワーもそこそこに、幸せな深い眠りに俊幸の腕の中でしっかりと抱かれながらついたのだった。

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