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船はやっぱり、苦手です

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身体がほんの一瞬、フワッと浮いた。と思ったら、瞬く間に足下が硬い地面を踏みしめる感触に取って代わった。

(あれ? 今の感じって…?)

思わず足先に力を入れて、地面を軽く踏みならし確かめてみる。

前髪が額をするりと撫でると、爽やかな風が、サワワッっと通り抜け頭上の木の葉を揺らしていった。
驚いたタマリスが木の幹枝から飛び降りて、目の前を、タタッとすばしっこく横切っていく……

(え!? 何これ?)

予想もしなかった可愛らしい小動物の出現に、目を丸くした。
頬に感じる空気は幾分暖かく、森の緑の匂いもする。全身の感覚が、キンと鋭くなった……

(空気がまるで違う?!)

山脈独特の薄く冷たい空気ではない。ここは一体…?と慌てて周りを、キョロキョロ見渡した。
辺り一面には、小ぶりの黄色い花を咲かせた緑の木立が、枝をたわわにしならせていた。
明らかに、ヨクシア山脈の暗い峡谷とは違う場所である。
いつの間にこんな…、と落ち着かない心に、繋いだ手からぬくもりが伝わってきた。

(大丈夫、シンの魔法よ…)

そう思ったら落ち着いてきた。

(でも、何となくだけど、この木立に見覚えが……)

「あっ、そうよここって…」
「ああ、鍛冶屋の街、タルの森の入り口だ。ちょっとここで待ってろ、街で用事を済ましてくる」
「えぇ? はい?」

二人を繋げていた手が、あっさりと離された。そして気軽に「じゃあな」と歩き出そうとした影を、「あっ、ま、待って!」と急いで引き止めた。

「あのっ、私も一緒に…」

(行ってしまう……)

今体験した突拍子もない魔法よりも、そんな小さな事実の方に気が取られてしまう。
いつになく焦った声に、シンは、なんだ?と、不思議そうな顔をしている。
だがすぐに伸ばした手を握られ、クイっと暖かい胸に抱き寄せられた。

「はは、リナも好奇心旺盛なんだな、テンも一緒に来るか?」
「私はここでフェンと一緒に、のんびり昼寝でも楽しみますよ」
「おう、おいらも昼寝に一票」

テンはかたわらの灌木からぶら下がる、可愛らしい赤い木の実を手に取って眺めている。
「お、美味しそうだな、それ」とフェンがコメントすると、「これは食べれそうですね」とゆったりとした様子で呑気に手を振った。

(昼寝というより、もしかして、おやつの時間?なのかしら…)

早速木の実を口にモグモグと含んでいるテンとフェンに「じゃあ、行ってくるわ」と手を振り返した。
シンに手を繋がれたまま歩き出したものの、頭の中は状況整理に大忙しだ。
さっきの移動魔法とやらは、もしかすると、胸から魔力を奪われたあの時の……

(きゃあぁ、恥ずかしい!)

考えるだけでも頬が燃えるように熱く、ぽっとなってしまう。
でも、一応確かめておきたい。

「ねえ、シン、今のって…」
「ああ、リナは今日二回目だよな、慣れたか?」

シンの瞳が、イタズラっぽく笑っている。

(魔法にはすぐに慣れそうだけど、魔力供給のあの方法には、なかなか慣れそうにないんだけど…)

心の中で答えてから、いやいや、普通はキスで済むのよね?と頬を染めて、ブンブンと頷いた。

(ちょっぴり残念だなんて、決してっ思ってないから……)

「やっぱりそうなのね…一体どういう魔法なの?」
「簡単に言うと、一度訪れたことがある場所に空間を捻じ曲げて繋げる魔法だ、空間魔法の一種だな」

空間魔法…確かテンに教えてもらった収納魔法もその一環だったはずだ。

(でも、空間魔法は便利だけど、誰にでも出来る訳じゃないって注意されたのよね…)

懐かしい記憶を辿れば、『信頼できる人の前でしか使ってはいけません。分かりましたか?』と念を押してくるテンの様子まで思い出される…『うんうん、わかった』と頷いた自分はずいぶん幼かった。
テンに注意された事項を懐かしくも思い出して、これってシンに少しは信頼されてるって事?、とちょっぴり浮かれてしまう。

「さっき言ってた、条約違反ってなあに?」
「リナはテンが信用する希有な人物、って事だ。さっきの事はもちろん他言無用、秘密だぞ?」

嬉しいけど、予想通りだ。やはり上手くはぐらかされた気がする。

(シンって一体…何者なんだろう? やっぱり気になるーーっ!)

好奇心は疼く、けれども……
知ってしまえば彼は自分の前からいなくなるかも? という予知のささやきが頭に聞こえてきて、訳の分からない不安が胸に湧いてくる。

(何を今更気にしているの? シンは約束を破ったりするような人じゃないわ)

そう自分に言い聞かせ、根拠のない不安を心の底に、ギュウと押し込めた。
「どうしたんだ?」と紺碧の瞳に、ジッと見つめられると、「何でもないわ」と慌てて頷く。

「さあ、行きましょう、あ、ところでどこへ行くの?」

気を取り直すと、荷車や馬車が行き交う見覚えのあるタルの街中を、シンと手を繋いで歩いてゆく。

(ふふ、こうして二人で街を歩くのって、案外楽しい~!)

気分はお出かけ街中デートだ。街の様子を話し合いながら特徴ある冒険ギルドの看板を掲げた建物の前まで来ると、さすがに少し緊張感を覚えたが、平静を装い中に入っていった。シンは慣れた様子で受付の女性に近づいていく。

「こちらがヨクシア村の村長のポーション受取証書。こっちが採取した金剛鉱石だ」

受付女性はシンを覚えていたのか、あら?といった顔の後、ニッコリとこちらに笑いかけてきた。
シンはカウンターの上に、指定された袋一杯の鉱石を、ドカドカと並べてゆく。
受付嬢はますますニコニコと笑って、シンだけを見てやたら愛想よく話しかけてくる。
あの、私もいるんですけど、と内心呆れていると、シンの片手が腰に回ってきた。
心配するな、と腰にかかった手がそのまま、こっちに来い、とリナの身体を我が物顔で引き寄せる。
そうしてシンは、あくまでも丁寧に冷静に手続きを終えた。

「依頼達成おめでとうございます、お疲れ様です」と言う熱心な声と共に、無事に依頼終了だ。

「ああ、金剛鉱石の報酬はまたの機会に受け取る。今は先を急いでいるのでな」

シンは受付嬢からのあからさまな、声をかけてくれれば即OKよ、と言いたげな露骨な熱い視線にも動じない。淡々とポーション配達の報酬を、その場で受け取っている。

(…まあね、これだけいい男で、Aランクの冒険者だものね……)

そんな女性からのアプローチも、はじめは「成る程、世の女性はこんな感じで誘うんだ」と興味深く観察していた。ところが、カウンターを離れた途端、シンは他の女性冒険者からも「あの、もしよかったら一緒に…」と次々声をかけられている。

(だから、隣に私がいるのに、何なのこれ?)

どうやら巫女姿のリナは、『巫女だ』と認識されていて、女性だと認識されていないようである。
シンは堂々とあくまでもビジネスライクに対応している。だが一向に減らない周りの女性の数に、遂にはもう沢山よ、とばかりに「シン、行きましょう」と袖を引っ張って、背の高い姿をズルズル引きずるようにドアに向かった。

(あんまりモテ過ぎるのも、困ったものだわ…)

「すまないが、連れが待っているので失礼する」とシンは誘いをきっぱり丁寧に断り、リナの腰に何気に手をかけて外に連れ出した。

それでも追いかけてくる「またのご利用をお待ちしていますー!」との大きな声と、背中に突き刺さる視線を痛いほど感じながらギルドを後にした。
シンは悪戯っぽく含み笑いをしながらも、ちょっぴりご機嫌斜めな空色の髪を柔らかく宥めるように撫でてくれる。

(シンのせいじゃない事はわかってるけど、やっぱり複雑……)

まあともかく、今回出会った冒険者達のお陰で、大体のレベルが分かった。
その上瘴気の異常発生原因も、手がかりを見つけた。

それに、だ……
この冒険で痛感した。
この、自分の側に護衛目的で付き添っているシン。
彼は今の所、理想の夫候補、ナンバーワンであり、実質心の中ではオンリーワン、だ。

(身体は健康、実力も規格外だし、今まで出会った誰より圧倒的に一番判断力、包容力もあって見た目もいいのよね…)

でも、何と言っても、そう言う外付けの理屈ではなく、彼の隣はとても居心地がよい。
いつの間にか、彼が大好きになってしまっている。ちょっとした仕草にも胸はときめいて、一緒に居るとなぜだか心も身体も落ち着いて安心できる。抱き締められると暖かい幸福感に包まれて、幸せ~、ずっと一緒にいたいな、と切実に願ってしまう。

(だけどこの人、平気で魅力魔法チャームとか、他にもトンデモナイ魔法、色々使ってくるし、時々狼だし……)

シンは何かどこか、普通ではない。
リナの本能がそう心に訴えてくる。

夫探しは慎重に、パートナーは厳選に選ばねば、国の未来もかかってくるのだから…とは思うものの、シンの人柄自体を好きになってきている今は、心が急速に彼に向かって走っていくのを止められそうもない。

お飾りの夫であれば、その辺の輩を脅して城に連れ帰ることもできるのだ。

(だけど、結婚にはやっぱり夢を持ちたいな……)

出来れば、尊敬できる、愛する人をぜひともこの旅で見つけ出したい。

(この国の王女である私は、国の為にもいずれは結婚しなければならない身、だからこそ……)

この先、長~いであろう人生は、やっぱり心から愛する人と、歩んでいきたいのだ。

(この人に出逢えたのであれば、今までローリーの為に犠牲にした年月だって惜しくない、そんな風に思える人と素敵な恋をしたいわっ!)

そしてそれは、今隣を歩いているこの人であったらいいなぁ、とつくづく思ってしまう。
そんな想いをもってリナはシンに、さり気なく聞いてみた。

「ねえ、シンってどこの国の出身なの?」
「俺か? 俺はここからは随分離れた場所の出身だ。そういえばリナはこの国から出た事ないんだったな」
「ええ、この街でさえ、初めてよ。シンの祖国はこの大陸ではないの?」
「う~ん、内緒だな、その内教えてやる」
「え? どうして内緒?」

ニヤリ、と男らしい顔が笑う。

「俺はシャイなんだ。個人的な事は俺と親密な関係の人にしか教えない」
「は?! シャイって…誰が? どこが一体、シャイなのよっ!」
「はは、なんだ、そんなに俺の事、知りたいのか?」
「いいわよっ、もうっ!」

はぐらかされて膨れたリナを、シンは楽しそうに抱き寄せる。

「な、何を…」
「ほら、可愛い顔が台無しだぞ」
「何を言って…あんっ」

あっという間に細い路地に連れ込まれて、身体を壁に押し付けられた。
柔らかい唇が素早く重なってくる。

(あ、や…)

と、心で思ったものの、その思考は、こんな陽も明るい街中でなんて…と、続いた。
心も身体も、突然仕掛けられたこんな暴挙を、全く嫌がっていない。背中を壁に預けながら手をシンの首に回して、黒い頭を引き寄せている。シンも顔を傾げてキスを深めた。

遠慮なく差し込まれる熱い舌を、もうそうされるのが当たり前のように、自ら口を開いて迎えいれていた。
甘いキスを受け入れる心に、シンの存在がじわじわと我が物顔で侵入してくる。
周りのノイズが消えて、かわりに二人の舌が絡まる水音が、やけにハッキリ、クチュリと聞こえだした。
するとシンはその逞しい身体全体を、柔らかい肢体にピッタリと押し付けてきた。硬い胸板や暖かい体温を意識させられ、その上両手首ともやんわり握られて、壁に押し付けられる。

「んんっ…」

何度も何度も角度を変えて、キスはリズミカルに深く甘く繰り返されてゆく。

(ふわ、…誰がどこがシャイなのよっ!)

路地裏の建物の陰とは言え、いつ誰に見咎められてもおかしくない街中である。

(こんなところに堂々と連れ込んで、人目も気にせずこんな淫らなこと…)

普通なら絶対周りが気になって、大きな身体を手で押し返している。
でも今は、シンのキスが欲しい、という強い思いだけに心を支配されていた。
こんな所で、と冷静で思慮深い自分が心に訴えるが、それをいとも簡単に、ポンと押し退けて、こっちの方が大事、とキスを優先してしまう自分がいる。

気が付いた時には、太ももの間に長い足で強引に割り込まれていた。
シンは膝を立てて、足の間のジンジンと疼く熱い中心にわざと膝がしらを当ててくる。

(…ぁ、やん…)

身体がどこか卑猥なリズムで、やんわりと揺さぶられはじめた。

(ぁ…ぁ…ぁっ)

深いキスを交わしながら身体を切なく、ゆらゆらと揺さぶられて、ますます熱は昂ぶってくる。

(何? これってば、脳と身体が痺れるように……)

思考がそこで止まってしまう。
全身に広がる快感に煽られて、心がもっと強い刺激が欲しい、と強く訴えだしてきた。
シンはそんなリナのサインを読んだように唇を離すと、溢れる唾液を辿って、ペロリ、と細い首筋を舐めあげた。

(ぁん…あっ…)

荒い息を耳元に感じとると、掠れた低い声でささやかれた。

「リナ…俺と親密な関係になるか?」

こんな押し殺した美声で名前を呼ばれると、身体が反応して甘く小さく、ゾクッと震える。

「は…んんーっ!」

硬い膝が足の間に、グリ、と強く当てられて、思わず艶かしい声が漏れそうになり、さすがにここでは…と必死で声を飲み込んだ。
なのにすかさず敏感で柔らかい耳たぶを、カジっ、と軽く齧られてしまう……

「ぁんん……っ!」

耐えきれずに、甘いあえぎ声が漏れていた。
欲しかった強い刺激を敏感な二箇所同時に与えられて、一瞬、ギュウッと力が入り、柔らかな太ももでシンの膝を強く締め付ける。

(も、なに…こんな…)

ハアハアと荒い息継ぎを繰り返していると、肌にまた、ピリッと鋭い痛みにも見た刺激が走った。だが、嵐が過ぎ去った後のような目眩を覚えている今は、そんな些細なことを気にする余裕が全然ない。
ゆっくり崩れそうになる身体を、力強い腕が、「おっと」と言いながら支えてくれている。

「リナ、大丈夫か? ほら、俺にもたれろ」
「う…ん」

この変わり身の早さ……
さっきまでは、何か妖しい感じがするほど強引だったのに、満足したのか今は優しく気遣ってくれる。

(二人きりでそう言う雰囲気になると、いつもちょっぴり強引になるのよね……)

だけどそう言うところも含めて、シンという人が大好きだ。

(…私ってばやっぱり、シンにはこんな風にでもキスされるのは、嫌じゃないのね…)

リナは今の行為が魔力補給目的でないことを、ハッキリと自覚していた。
シンは今、魅力魔法チャームも使わなかったし、魔力も吸わなかった。
こんな強引に同意なしのキスを奪われたのに、全然嫌じゃなかったし、嫌悪が湧くどころか今ももっと続きをして欲しい、とさえ思ってしまう……

(いやいや、ここ一応街の真ん中だし、陽も明るいんですけど……)

飛んでいきそうな思考に、冷静な自分がコメントしてくる。

(続きなんて言ってる場合じゃないでしょ! もう、ちょっと、理性的になれ)

ひとまず自分で突っ込んでみるが、胸のドキドキは未だ収まってくれない。

(…なんだか、だんだん身体が、シンの与えてくれる快楽に毒されていってるような……)

でも、心が嫌がっていない以上、こんな行為を強引に仕掛けてくるシンだけを責めるのも、違うような気がする。

(う~、経験値の違いなの?! こんなに激しくても気持ちいいなんて……)

何もかもが、初めての体験である。
幼馴染の婚約者に盛大に振られた後で、こんな、個性が強すぎる一人の男性に翻弄され惑わされてしまっている。そんなリナには、これが普通の恋の進行状態なのかがよく分からない。

周りは皆、すでに結婚しているような達観した世代の人達ばかりで、婚約者もすでに決まっていたリナは、割とのんびりした人々に囲まれて育った。
それにだ、暇な夜に熱心に読みふけった恋物語では、ヒロインが意中の人から花を受け取ったり、丁重に愛を請われて恋に落ちるワンパターンの超ロマンチックなお話ばっかりだった。

剣が強いヒーローはもちろん、誰も狼になど変身しなかったし、魅惑魔法チャームを使って意思を惑わし、キスを奪って魔力を吸い上げることもなかったのだ。

物語では恋人同士は皆、こう仲良く腕を組んで歩き、優しくロマンチックに語り合っていたはずなのに……

(シンとのこれは、性急でもっと激しくて、なんか思ってたものとは全然違うんだけど……)

しばし考えるのを放棄して、甘えるように逞しい身体に凭れ掛かり黙って横を歩く。
そんな信頼しきった様子のリナの腰を、シンはすぐに俺のものだ、とばかりにゆるく抱き込んでくる。
冷たい美貌がその火照った顔を愛しそうに目を輝かせて見下ろしている事に、余裕のないリナは全く気付かない。こうして二人は寄り添いあい、タルの街の外門に近づいて行った……


その夜、いつものように薪の傍の樹の下で、シンは狼の姿で寝そべって寝床を確保した。

「明日にはセトに着ける、今日はもう寝たほうがいい。ほらリナ、こっちにおいで」
「え? うん…」

いつになくモジっと恥ずかしそうにしていて、なかなか近づいていけないリナである。
紺碧の瞳が、そんな空色の髪の持主を目を細めて見つめていたが、おもむろに、フサフサの尻尾を持ち上げると、そっと包み込んで強引に己の身体に引き寄せた。
あ、と思った時にはヒョイといつものように暖かい身体の上に乗せられていた。ふわんとした尻尾が安心させるように、ポンポンと身体を横になるように促してくる。
素直に大人しく横になった柔らかい身体を、大きな尻尾でそのまま大事にくるむと、黒い狼は満足げに目を瞑った。

(ふえっ~、なんか昨日までは割と平気だったのに、すっごく気恥ずかしいんですけど……)

胸がやたらドキドキ早鳴ってしまうし、ふかふかの毛皮に、スリっと擦り付けてしまう頬もなんだか火照ってきて焦ってしまう。
だけど、もふもふに暖かく潜り込んでいつものシンの身体から漂ってくるいい香りを胸いっぱい吸い込むと、今日も朝から魔獣退治だったな~と、疲れをドッと感じた。目は自然に、うつらうつらと閉じていった。





「さすがに人が多くなってきたな」
「そうですねえ、ここから先は歩いたほうが、いいのかも知れません」

セトに近づくにつれ、裏街道の道にも人が溢れてきた。森が林になり、林が低い木立に変わって、やがて田畑や人家に変わっていく。フェンの姿は魔法でごまかせるものの、今度は多くの人々が行き交う街道を走り抜けるのが一段と難しくなってきた。

ここまで来るとさすがに、街と街を繋ぐ道は綺麗に舗装されている。
沢山の人に紛れて歩くのも、楽しそうである。なのでここからは、歩いていく事にした。
街道の状態や警備が行き届いているかなどを何気に視察しつつ、グングンと街道を下ってゆく。
そうして気がつくと、いつの間にかセトの街を見下ろす丘に着いていた。

「うわあ、大きな街、さすがバルドラン一の商業都市ね」
「中々賑やかですね、リナ、迷子にならないで下さい」
「ならないわよっ!」
「ほら、手を貸せ、人混みに流されるなよ」
「シン、船着場を目指して下さい」
「大丈夫だ、大通りは全て港に向かっている」

セトの街中は、バラドラルで見たお祭りの日のように賑わっていた。
石畳の上をブーツを鳴らして歩き、凄ーいと呟き、思わず周りを物珍しいそうに、キョロキョロと見渡す。
落ち着いたバルドラルの街並みと違い、一軒一件は狭いが個性ある建物が、大通りにはズラリと並んでいた。
古い街並みの歩道は人で溢れていて、港町の華やかさを感じさせるものがあった。活気ある街の通りを歩くだけで、心が、ウキウキと弾んでいた。

「ほら、こっちだリナ」
「はーい」

指を組んでしっかり握られた手を、やんわり促されると繋いだ手の温もりに、うふふと嬉しくなる。
物珍しく止まりがちな足の歩みを、再開してまた軽やかに歩き出す。

「潮の匂いがするわ」
「海が近いのですよ、ほら、船が見えてきましたよ」
「え、どこ? あ、あれね…」

建物の合間から、大きな帆船が垣間見えている。
遠くからでも大きな3本マストや帆が見え隠れして、乗組員が甲板でロープを持っているのがなんとも印象的だった。

(やっぱり本物の船を見ると、ちょっと、落ち着かないかな……)
 
「ねえ、お腹もすいたし、お昼をどこかで食べたいんだけど、いいかしら」
「わかりました、シン、良さそうな食堂があれば、入りましょう」
「そうだな、ちょっと待ってろ」

その高い背で周りを見渡したシンは、確かな足取りで人波に乗り、通りの一角に二人を導いていった。
一軒の店を指して、「あそこでいいか?」と聞いてきたシンに、大きく頷いた。

「いらっしゃいませ~」

沢山の人でごった返した店は大変繁盛していて、店の厨房からいい匂いが漂ってきている。

最初は物珍しそうに店の内装を観察してしたリナも、いい匂いがしてくると、突然お腹がとても減っているような気がしてきた。

(あ、あれなんか、とっても美味しそう…)

隣の席で女性が食べている美味しそうな海鮮料理に、しっかりとチェックを入れる。しばらくして自分の前に同じ物が運ばれてくると、嬉しそうに「いただきます」と早速食べ始めた。

「美味し~い!」
「この店は海で採れた幸をふんだんに使っているようですからね。バルドラルは山間の街ですし、海の幸は珍しいですよね」
「確かに美味いな」

3人でお腹いっぱい新鮮な料理を食べて、大満足だ。「ご馳走様~」と店を出ると、なぜか人々が街道の端に固まって、道の真ん中を開けている。

「一体どうしちゃったの? これ?」
「何でしょう、お祭りパレード、って感じでもないですよね?」

二人で不思議そうに店の前で首を傾げていると、シンが側にいた男性を捕まえて早速事情を聞いていた。

「なあ、これ、どうしたんだ?」
「ああ、何でも王族のお姫様が、ホラ、新婚旅行でここを通るらしいよ。キタキタ、あの金ピカの馬車だよ」

(げーーっっ! うっそーっ、これってもしかして)

「あの女狐の娘と裏切り者の男が通るようですね、リナ、大丈夫ですか?」
「…っ大丈夫、大丈夫だから」

久しぶりに思い出した怒りで、身体が震えそうだ。テンは心配そうに顔を覗いてくる。
その時、背後から長い腕がそっと伸びてきて、暖かい体温が震えそうな身体を優しくふんわりと包み込んでくれた。
後ろから気遣うように抱き込んできたシンが、しっかり身体を抱き締めながら囁いてくる。

「リナ、リナの魅力に気づかなかった男なんか、気にするな。リナはどんな女よりも魅力的で可愛いぞ」
「あ! ありがとう、シン……」

頭上で囁かれた低い美声と耳から入ってきた暖かい言葉に、心が大きく揺すぶられた。

(大丈夫、私には今、シンがいる……)

優しくて、強くて、頼りになる大切な人だ……
心にしみる言葉の甘美な余韻を、キュンと噛み締めていると、気分はいっぺんに穏やかになった。

ガラガラ、と馬車の通る音が聞こえてきて、ハッとそちらに目をやると今まさに金ピカの馬車が近づいてくるところだった。

「…なあに、あの派手な馬車…あんな魔道具、うちにあったっけ?」
「どうやらこの頃、無駄遣いが多いと城の会計がこぼしている、という噂は本当らしいですね…」

やたらごてごてと装飾された最新馬車が、こちらも見事に飾り付けられた妖魔獣オオラマモドキに引っ張られて、目の前を通り過ぎて行く。

(…って、待って、もしかしてあっちって、港の方向じゃなかった?! まさか、ね)

なんだか、イヤーな予感がしてくる……

「リナ、テン、ここでちょっとだけ待ってて貰えるか? 俺はちょっと船代を換金してくる」
「いってらっしゃーい」

素早く人々の間をあっという間に移動する頼もしい姿を目で追いながら、気になった船代のことをテンに相談してみる。

「テン、船代って、どれくらいかかるのかしら? 知ってる?」
「さあ~、その辺は私も分かりません。この世界の船自体、私は乗ったことありませんしねえ」

そうだった、テンは空を飛べるのだ、船で移動することなど、そうそうなかったはずである。

(う~ん?)

手持ちはまだまだあるが、なんせ相場が分からない。

(シンが帰ってきたら、聞いてみよう……)

先ほどよぎった嫌な予感は、前向きに無視することにした。そんな事よりも、と自分達にとって切実な実際問題、海外旅行にかかる旅費の方が心配になってきた。
だがしかしその場でシンの帰りを待っていると、数人の男たちから「君たち暇? 一緒にお茶でも」と声をかけられて、はた迷惑なナンパをされてしまった。しばらくしてシンの姿が人混みに見えた時には、「よかった~、これで安心」と心の底から安堵を覚えた。
夫候補にするのも問題外の、周りを取り囲んでいたしつっこい男達をテンと二人でひと睨みして声を張り上げた。

「シーン、こっちー、ほら、連れがいるって言ったでしょう。もういい加減にしてちょうだい!」
「しつこい男はモテませんよ」
「なんだよ、そんなつれないこと言うなよ、ほら、いいから付き合えよ、奢ってやるって」

ついにいくつかの手がこちらに伸びてきた瞬間、男たちは全員呆気なく通りの向こうまで、ヒューンっと勢いよく投げ飛ばされていた。

「大丈夫か? すまん、遅くなった」
「大丈夫よ、騒ぎにしたくなかったから、のさなかっただけだから」
「はは、そうだったなぁ。リナは強いからな」

初めて出会った時のリナの傭兵達への怒りの鉄拳を思い出したのか、シンは目を悪戯そうに輝かせている。
通りの向こうまで放り出された男達は全員打ち所が悪かったらしく、立ち上がれなくて、うーんと唸っていた。
何人もの大の男を目にも留まらぬ速さで平然と投げ捨てたシンは、呆れた様子だ。

テン貴女にまで手を出すなんて! あの者達も勇気あるなぁ」
「どう言う意味ですか? 私に手を出せば、ちょっとあの者達の来世の運やナニがなくなるぐらいですよ」
「……テン、それは……」
「冗談ですよ。まあ、身体に触れていたら、あの男達の頭髪ぐらいは二度と生えてこなくなっていたかもしれませんが」

銀の髪がゆったり揺れて、テンは顔は笑っているが、目は笑っていない。

(…触らぬテンに、祟りなし、こっわーい)

「まあ、ほら行こう、船着場で乗船券を購入しないとな」
「それでは行きましょう」

その場を取り成すような穏やかな態度のシンに促されて、一同は港に向かって歩き出した。まだウンウン唸っている男達には目もくれない。目指すは港のチケット売り場だ。
リナ達はカルドラン行きの客船のチケットを購入する為に、さっさとそこを離れた。

「カルドラン行きの、一番高級な客室のチケットを3人分だ」
「それですと、もうすぐ出発となりますカルドラン行き最終便メリー号となります。客室は特別一等室を問題なくお取りすることが出来ます」
「宜しく頼む」
「はい、特別一等室のお部屋はリビングに魔道具シャワー完備の2ベットルームのスイートとなりますが、宜しいですか?」

頷くシンに、頬を染めた売り場の女性が丁寧に対応してくれる。

「それでは三名様で30万カルドランギルとなります」
「ん…これで丁度のはずだ」

シンは顔色も変えず、アッサリ胸元から大金貨と中金貨を出した。
一方後ろで会話を聞いていたリナは、目を見開いて驚いた。さすがに声には出さなかったが、思ったよりずっと高い金額に内心は大パニックだ!

(きゃあ、そんな大金、無理よっ! ねえ、シンってば)

シンの袖をそっと、ツンツン、とさり気なく引っ張ってみる。

「どうした? ちょっと待ってろ、リナ」

シンはそう言って片手で身体を抱き寄せると、眦に軽く、チュッとキスをしてくる。

(違うっ! 構って欲しいじゃなくてー!)

もう一度口を開きかけると、頬を撫ぜていた指先が唇に触れてきたので、タイミングを逃してしまった。

「ところで、あそこに止まっているヨットは何なんだ?」
「ああ、アレはなんでも今回特別に用意した、メラニー姫の新婚旅行用ヨットだそうですよ。キンキラキンですよね」
「へえ~、どこに向かうんだ? その人達は?」
「カルドランの港のガサを経由して南のキラに向かうそうです、羨ましいですねぇ」

(うわ~、やっぱり、途中まで行き先も重なってるわ……)

眉を顰めて嫌だなぁ、とうんざりはするものの、先程のシンの抱擁のお陰か不快感以上の感情は湧いてこない。
心は意外と穏やかだった。
一方シンは女性の言葉に、不敵にニヤッと笑い返していた。

「まあ無事に航海できるといいけどな、ところで、俺たちの船室の他にもメリー号には特別一等室はあるのか?」
「いいえ、カルドラン行きは1日2便ありますからね、特別一等室は一隻に一つだけなんです。あとは一等室が一楼下にございますが、他は全て一般客室となります。本日はお客様のご利用をもってどちらにも空きはございません」
「そうか、ありがとう」
「出発は30分後ですので、遅れないようにお急ぎご搭乗下さい」
「わかった」

ようやく、こちらを向いてくれたシンに、「あのね…」と言いかけたが、唇に長い指を当てられた。シンはテンに素早く、目配せを送っている。

「リナ、ここはシンが奢って下さるそうです。さあ、早く、船に乗り遅れてしまいますよ」
「えっ? あのっ」
「テン、リナのドレスだ」
「ああ、そうですね、こんな物でどうでしょう」

テンが触るとリナの巫女服は、それこそどこぞの姫のような豪華なドレスに早変わりした。

「よし、行くか」

ええっー? と見ると、テンとシンの服も立派な仕立てになっている。
二人とも元々超美男美女だし、豪華だが派手ではない上品な装いは二人をどこぞのやんごとなき本物の貴族のように見せていた。

「あのっっ?、一体何事っー?」

二人に、早く、と急かされ急ぎ足でメリー号に向かって埠頭を歩いていく。
すると三人の出で立ちを看取った船員達が、丁寧に頭を下げて次々と挨拶をしてくる。
手に持ったチケットを一目見た乗務員に、一般客とは別の特別ゲートに3人は案内された。
早速わざわざ出迎えに出てきた船長に、船上をスムーズに案内されていく。

(うわあ、これって…客船って大きいのね~)

生まれて間近に見る船、初めて乗る大きな客船に、リナは大はしゃぎだ。
船にはあんなに苦手意識を持っていたはずなのに、桟橋からいざ揺れるかけ橋を渡って歩く時も、シンにしっかり手を握られていたお陰なのか、案外恐怖心は浮かんでこなかった。
生まれて初めて乗り込む船への、ウキウキとした興奮だけが心を占めていた。

「ようこそメリー号へ、宜しければ船室までご案内させて頂きますが? それともしばらくデッキで見送りをなさいますか?」
「デッキから港の様子を見てみたい」
「かしこまりました、用がありましたら、気軽に船員に声をお掛け下さい」

お飾りだけの旅行鞄も船員に預けて大した荷物も持っていない三人は、こうして無事、カルドラン行きの船に乗船をした。
かしこまった様子の案内係に、専用デッキに案内されてきた。早速手摺りにもたれかかり、港が一望できる景色を、弾んだ心で眺めてみる。

「凄ーい、開放感溢れるわ~っ」
「シン、あそこですよ」
「わかった」

シンとテンは先程見た豪華なヨットを、上から見下ろしている。

(何してるの?二人共?)

キラリ。

(え?今? 確かに……)

シンの目が金色に光った気がした。

「シン、どうしたの?」
「ああ、ちょっと手が滑ってな、気の毒なあのヨットは航海に出ることが出来ないかもなぁ」
「私も、ちょっと指が滑って、あのヨットに乗ろうとしていた人達は今日はついていない、かも知れませんねえ」
「……二人共、一体何を……」

リナが問いただそうとした時、下方デッキや桟橋の方から、「きゃあ、大変!」とか「船が沈んでいくぞ、救助浮き輪を!」とか叫ぶ声が聞こえてきた。

「ふふふ、命が助かっただけでも幸運でしたよね~」
「そうだな、船底には大穴が開いたかも知れないが」

(……この二人って……)

含み笑いをしながら上品に笑う二人を見て、思わず呆れてしまった。
遠目にもブクブクと泡を立てて、ヨットは沈んでいく。その元凶はこの豪華な服を着て慎ましく笑う美男美女の二人だ、と見破れる人は天地をひっくり返してもいないだろう。
現に、周りにいる船員は誰も不審に思っていない。
華やかな一行に見惚れているばかりだ。

そして二人は更に用意周到だった事を、すぐに思い知るに至った。

「あのう、お楽しみ頂いているところを申し訳ございません、只今この国の王族であるメラニー姫と夫であるローリー様、と仰る方々から、こちらの特別一等室を譲っては頂けないか?とのご相談がありまして……」

3人は専用デッキで優雅に、お茶を飲んでいた。
出航時刻がもう直ぐまで迫っており、丁度予鈴の汽笛が、ボーボーと辺り一帯に響き渡ったところだ。
「お断りしたのですが、聞いて見るだけでも、と強く要望されまして…」と申しわけなさそうに言う船長の言葉を聞くと、同情顔をしながらも、シンは優雅な仕草できっぱり断った。

「この国の王族ともあろうとも方達は、既に支払いを済ませて落ち着いている客を、無理やり放り出すような、乱暴な方達ではないと思いたいですね。お忍びとはいえ、こちらも同じ立場の姫を護衛しているのですからその要望には応じ兼ねます」
「その方々も、道理や国際社会での常識マナーはお持ちでしょう。もちろん、カルドラン国籍であるこちらの船は、我が姫に、そんな無体な事をなさることは致しますまい」

テンもニッコリ笑って半分脅しのような援護射撃をドッカンと打つ。
上品だが堂々とした二人は、丁寧な口調でもこちらは一歩も引く気はない、と頑とした態度だ。
そんな二人に囲まれて、つられて引き攣りかけた顔を急いで修復すると、有無を言わさぬ優雅な笑いをニッコリと浮かべた。

「申し訳ございませんが、その方達には、『要望には応じられない』とお断り頂けますか?」

いかにも海の男、と言った感じの立派な口髭を生やした船長は、堂々とした3人の対応に大きく頷いた。そして丁寧に謝罪を述べた後、畏まった慇懃な礼をサッとして、颯爽と下がっていったのだった……



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