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依頼を受けることに、なりました
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軽やかに地面を蹴るとシンは、真っ黒な狼に優雅な身のこなしで跨がった。
なるほど、これは確かに馬とは違う。
そんな姿を目の前にしてようやく、一日遅れにして『馬にはしばらく乗っていない』と言われた意味が理解できた。
体をちょうど大型の馬の大きさに変化させたフェンは、さも当然という態度でシンを背中に乗せている。
轡や手綱は見当たらないが、鞍がちゃっかり背中に現れたのにも驚いた。
それに何と言っても、真っ黒な大型狼に、すらっとした姿の絶世の黒髪美男子が逞しく騎乗しているのは、なんというか迫力のある光景であった。
(なんか、二人?で会話してるし、目の前で見てても、この現実はとってもシュールなんだけど……)
背に人を乗せた狼が、人語を喋って笑っている……
真っ赤な口内から、時々、鋭い牙が垣間覗いてるし、陽気な声が聞こえていなければ普通は近づくのも躊躇してしまうワイルドな姿である。
そんな猛々しいと言うか、パワフルなエネルギーをフェンから感じとり、笑っていてもやっぱり、妖魔獣なんだわ、と今更ながら実感してしまった……
(なんだかね…魂に刻まれた契約者? だっけ? それって、召喚獣だって事よね? こんな、オオカミなんておっかない妖魔獣と、よく契約を交わしたものよね…)
普通は、移動用魔獣にはオオラマモドキ、とか、ハヤアシドンキー、などの大人しい妖魔獣を召喚するものなのだが……
(あ、でも、もしかして…戦闘用魔獣として召喚したのかしら?)
それならば、オオカミ類は確かに大いにあり得る。
(…って事は、シンって少なくとも、フェンよりは強いって事?)
何しろ魔獣召喚は、高等魔法でもかなり難しい魔法の一つだ。
術者の素質はもちろん、呼びかけに魔獣が応えるのだから、召喚される魔獣も人語を解する程度の知能を持つ。
これらの魔獣は、そこいらの動物などが魔力を浴びて進化した普通の魔獣よりも知能が高いことから『妖魔獣』と呼ばれていて、厳密には普通の魔獣からは区別されているのだ。
そして、呼びかけに応えた妖魔獣を、天界や魔界といった異世界から引っ張ってくるのだから、術者にも相当な魔力がいる。
当然、召喚する側の術者が魔術に優れかつそれなりに実力もないと、召喚しても妖魔獣との使役契約には至らない。
魔力量は足りたが実力がない術者は、下手をすれば召喚した妖魔獣に殺されてしまう危険もあるのだ。
要するに、釣りのように上手く釣り針に引っ掛かっても、サメを一人で釣り上げられないのと同じである。
妖魔獣と術者の両者の波長と実力がそれなりにあってこそ、召喚が成り立つ。
飛龍のように卵の頃から手懐けて飼育するのでない限り、普通は自分よりも弱いものにはおめおめと従わないのが妖魔獣なのだ。
そういえば…と、シンの逞しい背にちらほら覗く大剣の鞘と柄を見て、なるほど有り得るわね、と思い当たった。
たまにだが、この大剣が消えたようにどこにも見当たらなくなるので、不思議に思って聞いてみた。
シンの剣は、任意で出したり仕舞ったりが自由自在にできるそうだ。
自分の服も着せ替え自由な特別製なので、「へえ~、世の中には不思議で便利な道具があるものね」と、その時は感心しただけだった。
だけどもよくよく考えてみれば、この服は、魔力量たっぷりのリナでこそ着こなせているが、一般の人では維持をする事さえとても難しい。
多分だが、シンの大剣も似たような仕組みに違いない。
そんな唯一無二の魔道具を難なく使いこなす彼は、やはり、実力もある強い人なのだろう。
シンとフェン、二人のまるで友達のようなやり取りを不思議に思いながらも、移動用としても戦闘用としてもフェンはとても優秀だ、と思う。
それに…そのしなやかな体を覆う黒い艶やかな毛皮は、極上の毛並みで柔らかく、実に触り心地最高である。
昨夜その恩恵に、ありがた~く預かったリナは、身を以てその事実を体験している。
言い訳をするわけではないが、あまりにもグッスリ眠れたお陰で、決まり悪くも今日の朝は寝坊をしてしまった。
そう、なんでもないことのはずの今朝の出来事を思い出すと、なぜか頬にちょっと赤みが差してくる。
それは朝早く、けれども、お日様が地平線に顔を出す時刻をとっくに過ぎた頃のことであった。
何かが頬を擽る感覚に、ふふ、なあに?テン、と寝惚け眼でまだ眠い目を擦りながら目を覚ました。
すると目の前には、デ~ンと、ツヤツヤモフモフの真っ黒で大きな尻尾が……
自分の頬を先ほどから優しく擽っているのは、何と、大きな尻尾の先っぽだったのだ。
『き、き、きゃぁ!』
『おはよう、やっと起きたな、すまんがそろそろどいてくれないか?』
なんとなく聞き覚えのある男の美声に、惹き寄せられるように振り向くと……
漆黒の狼が、寝ぼけて目を擦っているリナを紺碧の瞳で柔らかく見つめて、丁寧に語りかけてくれていた。
(あ、私ったら……)
恥ずかしい事にどうやら、シンはスヤスヤ寝ている自分を起こすのを不憫に思ったらしく、ギリギリまで寝かせておいてくれたらしい。
(ふわっ…バッチリ寝顔見られちゃった! …それに…)
手のひらに感じる温かみに、みるみる顔が熱くなってきた。
(うっわー、昨夜は疲れてたし頭がよく回っていなかったのかも…? だけど、私ってばシンと一緒に……)
そこまで考えてから、慌てて脳内で否定する。
(違うっ! オオカミっ、昨夜一緒に寝たのは、あくまでもオオカミだからっ)
そうは言っても、今まさに寝起きの顔を、じっと見つめてくるのは、狼の姿ではあっても実の所間違いなくあのシンなのだ。
紺碧の瞳の持ち主は、優しく目を細めると尻尾を身体から、ふわっと持ちあげてくれた。
『ご、ごめんなさい』
『そろそろ、フェンとテンも戻る頃だ、あの二人はさっき朝食を探しに森に赴いた』
『そうだったの』
気恥ずかしさを押し隠しながら、なるべく平気なフリをして、慌ててそのふかふかの腹部から起き上がる。
どうやら、自分だけがぐうぐう寝ていて、他の者は皆とっくに起床していたらしい。
(初日から寝坊してしまった…恥ずかし~い、それに、う~ん朝は結構冷えるのね…)
暖かい毛皮布団から抜け出すと、一気に身に染みる外の空気のヒンヤリとした冷たさであった。
着ていた服を少し厚い生地に変化させると、身体が寒さに慣れるまで少しストレッチでもしてみる。
城から離れてこんなに遠い所にまで出向いたのも初めてなら、屋外での寝泊りも初めてだ。
何もかもが初めてだらけで、新鮮な気持ちだった。
川の水もこのままでは冷たいだろうと、魔法で手を温めてから触れて正解だった。温まった手で顔を、パシャパシャと洗い終わると、ようやく一息入れる。
昨日よりもずっと冷たく感じる水は、朝から野外で過ごす現実をしみじみと実感させてくれる。
シャキッとしなきゃね、とリナは急いで身支度を整えた。
そうこうするうちに、森で採集した果物やナッツを手に抱えたテン、それに遠目にも何やら口に含んでいたものを、もぐもぐゴクンと飲み込んだフェンが、おしゃべりをしながら森の奥から戻ってきた。
どうやら、久しぶりに実体化してはしゃいだフェンは、一晩中を森で過ごしたらしい。
こうして朝食を終えて出発の準備が整うと、一同は話し合い、シンはここから先はフェンに騎乗して行くこととなった。
『そうすればこの馬の負担も減って、昨日ほどには疲れないでしょう』
『俺もフェンの方が乗り慣れてるしな』
『そうなのね…じゃあ、出発しましょう』
こうして、シンを軽々と乗せたフェンを加えた一同は、人の姿が見当たらない街道を足音も軽く駆けていく。
この旧街道は、森の中を通り抜ける遠回りなルートである。
この道を選択する旅人は稀で、利用するのは地元人ぐらいのはずだが、次の宿場町に近づくほど、やはり、旅人の姿を、ポツリポツリと見かけるようになってきた。
彼らの側を通り過ぎる時は、速度を落とし、光魔法で顔やフェンの姿をはっきり見えないようにぼやかしている。
不審に思われないよう挨拶を交わしながらもさりげなく、ささっと横を通り過ぎてゆく。
こんな場面を何回かやり過ごすと、いつの間にか時刻は昼前の時間になっていた。
(あ、木立の向こうに街らしき影が…)
思ったより随分早く、宿場街タルが前方に見えてきた。
「どうしますか? 寄って行きますか?」
「そうね。ここまで離れたら見つかる心配はほぼないし、先を急ぐ旅でもないしね」
せっかくの機会なのだ、できるならバルドラル以外の街も視察してみたかった。
「それに思いつきで出発したから、必要な装備もろくに持ってないし…この街で、調達できればいいのだけれど…?」
「ああ、それなら心配ない、この街には冒険者ギルドの支店がある。装備は揃うだろう」
「よかった…あ、でもフェンはどうするの?」
こんな大きな狼妖魔獣を、人の大勢闊歩する街中に連れて入れば大騒ぎになる。また目立つ事この上ない。
それにだ、召喚獣や運搬用の魔獣を街中に連れ出すのには証明書がいるし、そういう役所関係は手続きがややこしいのだ。
なるべく穏便に街への訪問を済ませたい。
引き留められるような要素は、出来るなら最初から排除したかった。
「ああ、一旦引っ込めるから平気だ。フェン、戻れ」
フェンから、ヒョイと飛び降りてシンが声を掛ける。
「はいよ、じゃあな、相棒」
するとフェンの姿が、フッと消えて、シンはそのまま今度は黒馬に跨った。
その間にリナはテンから飛び降りると、人型に戻ったテンと二人で黒馬の後をのんびり歩いてついていく。
冒険者ギルド発行の身分証を使うと、街へ入る許可は難無く得ることができた。
(わあ~、ではでは)
早速にも好奇心一杯、タルの街の大通りを道なりに歩いてみる。
(へぇ~、このタルは、ただの宿場町と言うより、道具や武器屋が集まってできた街って感じね……)
通りに並ぶ看板の中には、決して少なくない数の剣や盾などの武器屋と魔道具屋の看板がある。
街の印象をそんな風に考えていると、どこからともなく美味しそうな匂いが通りに流れてきた。
匂いにつられ全員一致で、「お腹も減ったし」と早い昼食を取ることに決定した。
その足で適当な食事処を物色しながら、街を見てまわる。
入口からいい匂いが漂ってくる街中食堂に誘われるように入ってみると「いらっしゃいませ~」と、元気な声で迎えられた。
人がいっぱいの食事処で人々の喧騒をバックに、三人で美味しく昼食を食べながらの会話は、自然とこの後の行動についであった。リナは、「テンと共に装備の買い物に行きたい」と意見を述べると、シンの意見を聞いてみる。
「シンはどうする?」
「俺も一緒に行こう。フェンが戻ってきたから、先ずは黒馬を手放す。その後、買い物に付きあう。俺も瘴気殲滅ポーションの足りない材料を入手したい」
「ああ、それなら心配ないわ。私、必要なものは全て持ってきてるから」
「しかし、それはリナの所持品だろう。もちろん代金は払うが、分けてもらっていいのか?」
「心配しないで、お金も要らないわ。そうねえ、その代わり装備のアドバイスをしてくれると助かるわ」
「分かった、よし、じゃあ行こう」
防具は、今来ている外回り用教会巫女服が戦闘服になるし、買う必要はない。
実はこの服は、テンの羽が材料として使われている魔道具なのだ。
テンの本当の姿には翼が生えていて、空を自由に駆ける事が出来る。
普段はもちろん、一角獣の姿の時も、必要ないので見せてはいなのだが。
魔道具でもあるこの服は変幻自在だ。汚れないし、破れない上に防御機能も、ももちろんバッチリ備えている。
今現在リナに足りない装備は、武器であった。
「今まではヨルンが前衛、ヒルダが後衛、私が支援でテンが遊撃だったんだけど、シンはやっぱり前衛?」
黒馬を手放した後、装備を目当てに武器屋街を目指しながら聞いてみる。
「俺は普段ソロで行動するからなぁ。敢えてパーティを組んだ事はない」
「えっ! …そうなの?」
「反対に聞くが、リナは一体何が得意なんだ?」
「えっと、巫女が使う聖魔法の治療、ポーション生成、聖光、加護にシールド、光魔法の目くらまし、光の矢、ヘブンズライト、炎魔法のファイアボール、水魔法の…」
「待て待て待て、ヘブンズライトに炎魔法に水魔法だと?」
「ええ、後は土魔法と風魔法だっけ?」
聞かれて列挙した魔法の数々に、シンは困惑顔だ。
「…なあ、テン、もしかしてこいつ」
「だから言ったじゃないですか、魔力は中性が多いって」
「それでもこんなデタラメなのは、聞いた事ないぞ?」
普通は、生活魔法を除けば、一つか二つの特定の魔法属性があるらしい。
リナの判定は全てポジティブ、魔法を教わった騎士達が使える魔法は全て使えた。
「ヘブンズライトなんて、上級魔法までか?」
「ええ、ファイアボールも大火事になるので手毬程度で止めましたが、多分城門ぐらいの大きさまでは生成できるんじゃないでしょうか?」
「…それはもう、ファイアボールとは言わんだろ…」
テンの説明に呆れ返った様子のシンだ。
「こんな危ないのに、そんな魔法、教えていいのか?」
「だから初級魔法しか教えてないんですよ。ヘブンズライトは護衛のヨルンが一回、襲ってきたグレイグマにライトガンを向けて放ったのを真似したら、できてしまったのですよ」
ふむ、と言った様子のシンは、おもむろにこちらに向き直ると聞いてきた。
「リナ、聞くが魔力制御は得意か?」
「ええと、実はあんまり……」
シンの質問に正直なリナは、目をさりげなく、ふう~と泳がした。
「できないんだな、よし分かった。俺が剣を教えてやるから、お前は極力魔法は使わなくていい、今まで通り、支援を頼む」
「剣なら得意よ。みんなして、『姫さまには剣技の方がお似合いで』とか言ってくれて、色々教えてもらったから」
「正しい方向性だ。なら一流の剣を見立ててやろう」
と言う訳で、やってきましたタルの武器屋街。
…と思ったら、シンはさっさと素通りして「ちょっと待ってろ」と言って冒険ギルドに入って行く。
しばらくして手に何やら地図を持って出てきたシンについて行くと、鍛冶屋と看板が掛かっている店に二人を連れて入っていった。
「鍛冶屋?」
「ああ、この店は評判が良くて値段も良心的だそうだ」
どうして武器屋に行かないのだろう?
不思議に思いながらも、「こんにちはー」、と店に入ってみる。
「いらっしゃいませ」
「この人が扱える剣を探しているのだが、適当なのはあるか?」
シンの格好を見て冒険者だと一目で見抜いたのだろう。対応に出てきた女性は親切にも忠告してくれた。
「冒険者の方なら、付与付きの剣を武器屋で調達なさった方が、多分、よろしいんじゃないでしょうか? 当店の剣はすべて普通の剣ですよ」
「ああ、付与はこちらでできるからいいんだ、だな? リナ?」
「ええ、できるわ」
巫女姿のリナの返事に、納得したように店員は頷いている。
「まあそうですか、それでしたら…ええっと…」
(ああ、なるほど、付与は確かに自分達で行使した方が使い勝手がいいし、その分、お財布にも優しいものね)
シンの意図を察して感心していると、店員さんが「どうぞ、こちらへ」と案内してくれる。
請われるまま店に飾ってあった剣を試しに数個振ってみて、このぐらいまでの重さなら、と良さそうな感じの剣を店員に伝えた。
親切な店員さんは「ちょっと待ってて下さいね」と奥から5つほど剣を両手に抱えて戻ってきた。
そうして、それらを順に目の前で並べて行く。
「えっと、こちらから値段の安い順になります、一番安いのはただの鉄剣、後は順に強度と魔力を補強する為に硬化魔石を砕いて混ぜて打ってあるので、高価な魔石が使われているものがお値段が一番高くなりますね」
「一番高いのは幾らだ?」
「30万カルドランギルとなります、こちらは一級魔石を丸一個全て砕いてあります」
「リナ、手持ちはどれくらいだ?」
「そうねえ、あるけど無駄遣いはできないし…」
一家四人が丸々1ヶ月ぐらい暮らせる程の値段に、どうしよう?と迷ってしまう。
「あの、でしたら、こちらの剣に付与を施して頂ければ、当店から直接魔道具屋に下ろせるので、その分値引きをさせて頂きますが?」
女性はリナが考え込んでいる姿を見て、こう提案してきた。
「ああ、なるほど、じゃあ試しにその鉄の剣にリナ、付与をしてみてくれるか? もし失敗したら買い取るから、大丈夫だ」
「ありがとう、やってみるわ」
シンの心強い励ましの言葉に、よし、と鉄の剣を受け取ると、さて何を付与しよう?と考えてみる。
迷っていると、さり気なくシンが助言してくれた。
「リナ、多分聖魔法の支援系が一番需要が高い、攻撃力や防御力を上げる効果のついた付与の剣は属性に関係なく、一般の人にも使えるからな」
「分かったわ」
剣を持って、じゃあこれは物理攻撃加重、と魔力を慎重に剣に流していく。
「できたわ!」
「え? もう、ですか?」
「鑑定してもらえるか?」
「はい、少々お待ち下さい」
奥からメガネを持ってきた女性は剣を手に取って、ジッと見つめる。
「確かに物理攻撃3%加重、付与付き剣です。わぁ、凄い!」
「普通の鉄だから、これで精一杯よ、魔力を通す媒介が入っていれば、もう少し比重は上げられると思うけど…」
「じゃあ、あの、これにしてもらって良いですか?」
店員は次の剣を差し出した。
「あ~、でも失敗したら、料金が…」
「この鉄剣だけで元は取れます。ぜひ、お願いします!」
「じゃあ、やってみるわ」と剣を受け取って、う~んと付与を始めたリナを、店員はキラキラした目で見ている。
「お連れさん、凄い優秀な巫女様ですね。彼女さんですか?」
(ぶっっ、あ、しまったぁっ!)
何気なく耳に入ってきた店員の問いに、吹き出しそうになった。
(力入り過ぎちゃったっ! なんか余計な付与まで流れ出ちゃったし…)
「いや違う、依頼人だ」というシンの声を聞きながら、思わず魔力制御に失敗して、力が入り過ぎて刃こぼれしてしまった剣を恐る恐る、店員に差し出した。
「ごめんなさい、ちょっと加減を間違えてしまって…」
「あら? この感じは……」
再び眼鏡をかけ、剣を手に取って、ジッと見つめた店員は、ニッコリ笑って答えた。
「問題ありません、剣の方が付与に耐えられなかったんですから、それより、こちらの剣に同じように付与していただけませんか?」
何やら、ゴソゴソとカウンターの下から男性用の剣を出してきた。
「同じって、付与を二つ付けてしまっていいのかしら?」
「はいっ、宜しくお願いします! 成功すればご所望の剣を、どうぞどれでもお持ちになって下さい」
「えっ、それってタダでくれるって事?」
「もちろんです、付与が二つも施されている大剣は、一般に出回るのは非常に珍しいですから」
「そうなんだ…」
知らなかった。自分は普通に施せることから、どの剣もそんな物だと思っていた。
どうりで、リナ付きの魔法騎士たちは彼らのために付与を施した武器を、『一生大事にしますっ』と感激して受け取っていた訳だ……
どれどれ、と先ほど施していた物理攻撃加重、と魔法攻撃加重付与を、早速、渡された大剣に慎重に施してゆく。
最初の剣より少し時間は掛かったが、出来はこっちの方がいいはず、とできた剣を店員に渡した。
待っていたように鑑定眼鏡で観察した店員の顔が、みるみる嬉しそうに綻んでいった。
「ありがとうございます。確かに物理攻撃10%加重、魔法攻撃10%加重の付与付き剣です。さあ、どうぞ、こちらの剣で宜しいですか?」
(やったぁ! 必要な武器がこれで手に入ったわ)
「どうもありがとう」
「いえいえ、こちらこそ、毎度ありがとうございます。あの、もしかして、これからギルドの方に出向かれるのですか?」
「えっと…」
そこまでは、まだ、考えていなかった。
そうなの?と、シンとテンの方をみると、どちらも肩を竦めて、リナに任せる、といった様子だ。
「そうねえ、ちょっと覗いてみてもいいかな?」
「それでしたら、是非、あの、うちから出している依頼を、ぜひぜひ受けてもらえませんか? そちらの方は、A級でいらっしゃいますよね?」
鑑定眼鏡を掛けた店員は、シンを眼鏡を掛けたまま見たので冒険者ランクが判ったらしい。
縋るような目で一同を見てくる。
「あ~、依頼内容による、かしら?」
目を曇らせた彼女は、溜息をついて依頼内容を告げだした。
「目的はバルドラン川上流のヨクシア山脈からの金剛鉱石採集なんですが、近頃尋常でない強さの魔獣が何匹かウロついているらしいのです。いつも鉱石を届けに下山してくるヨクシア村の方も、この数ヶ月姿をお見かけしないんですよ」
金剛鉱石は、金属を硬くする最上の鉱石だ。
(そうか、このタルという街は、山脈からこうした鉱石が豊富に集まるから道具屋や鍛冶屋が自然に集まったのね……)
ヨクシア山脈は『瘴気の発生が異常に増え続けている』と、城に報告のあった場所だ。
「報酬には、金剛鉱石を混ぜて打った剣を差し上げる事になっているので、依頼を出してすぐに二つのパーティーが出発したんですが、既に二ヶ月経った今もどなたもお戻りならないのです」
親切そうな店員さんは、目を曇らせている。
「依頼内容はB級だったはずなんですが、最近ギルドからA級内容として変更するとの知らせがありまして、そうなると、この国では挑戦なさる方の数が限られますから……」
これは、当たりかもしれない。
昨日、遭遇した突然変異のような草ウナギが出没した川は、下流でバルドラン川に合流する支流の一つだ。
川は上流部分で分かれており、本流は険しい峡谷になっている難所だ。
この女性が述べた通り、その源流はヨクシア山脈の奥に至る。
「わかったわ、ギルドに行って依頼を受けましょう。いいわね、シン?」
「一つ確認したいのだが、鉱石を採集するにあたって、道すがら倒した魔獣の魔石は、こちらでもらい受けても構わないか?」
「勿論です。魔石はご自分で魔道具に使用するのも、例えばギルドで換金なさっても構いません。こちらと致しましては、注文のあった金剛鉱石が手に入ればOKなのです。報酬も、とてもA級クエストに見合うものを用意できませんし」
シンはそれを聞いて頷いた。
そうと決まれば早速、店の女性から先ほどの剣を譲ってもらい、ギルドに赴く事にした。
「リナ、俺がギルドで金剛鉱石採集依頼を受けてくる。どうせ、元々俺の受けた依頼は、瘴気を必ず抑えることの出来るポーションを入手、それをヨクシア村に届ける、だ」
「え? じゃあ…」
「そうだ、俺の受けた依頼はな、このポーションは生成が難しい上に必要な魔草が手に入りにくいとかで、B級依頼だった」
(あ、だから王家の森にいたのね)
初めて出会った王家の森へは、やはり依頼を受けて迷い込んだらしい。
「どうせヨクシア村まで出向くなら、ヨクシア山脈からの金剛鉱石採集もついでだ。リナとテンもパーティ同伴者として登録しておくから、その間に、剣に必要な付与魔法を掛けておけ」
そのままギルドに向かおうと背を向けたシンは、「ああ、そうだ」と振り返った。
「それと、魔法を実行する時だがな、人目がないところでしたほうがいい。二つ以上の付与魔法を施した剣など、国宝物になるからな」
「え! そうなの? わかったわ……」
確かに教会でも習った基礎は、一つの属性魔法の威力を上げるのみだった。
先ほど施した付与魔法は、リナが感覚的にこうすれば、できるかな? と試してみて自己流に成功させたものだ。
そう言えば、ヨルンからも、あまり人前で付与魔法を実行しない事、と口酸っぱく注意されていたのだった……
こうして、シンとはタルの街外の森で待ち合わせをして、テンと二人で街の外にテクテクと歩いていく。
街への関門が遠くに見え出した森の入り口付近で、二人で周りに誰もいないことを確かめると、よし、じゃあと、ごそごそ茂みの奥へと入っていった。
開けた木々の間で、先ほど手に入れた剣を取り出す。
「ねえテン、どんな付与魔法をかけたらいいかしら?」
「そうですねえ、リナは攻撃は問題ありませんし、防御はすでにシールドとその服で十分でしょうから、剣の打ち合いで力負けしないように、物理防御に特化してはどうでしょう?」
「なるほど、じゃあこの剣が受ける物理攻撃の無効、はさすがに無理だと思うから、出来るだけ軽減して、壊れないように硬化強化を施しましょうか?」
「それに剣のバランスを取りながら、重量を軽くしてみてはどうでしょう?」
「成る程、じゃあその三つで、っと」
シンの忠告はどこへやら、いつの間にか二人の会話ではアッサリ国宝級の付与を剣に施す事になっている。
こうして出来た、見た目よりウンと軽く、硬く、攻撃がなかなか効かない、というチートな剣を試しに振ってみて、うん、いい感じ、と動きやすいように剣を鞘ごと背中に背負った。
(よし、とシンはまだかな?)
カサカサ音を立てながら茂みから出ていくと、頼もしい姿がすでに森の入り口で大木に寄りかかって待っていた。
「お待たせ!」
「どうだ、剣の付与効果の方は?」
「バッチリよ! 取り敢えずは、物理攻撃軽減に硬化強化に重量軽量化の三つに留めといたから」
「…その三つすでに常識を逸脱してるんだが…まあいい」
「平気よ、この剣を売る気はないわ」
「…そうか、では出発するか。方向はこっちだな、フェン、出てきていいぞ」
リナの非常識をスルーする事に決めたシンは、馬の姿に変化したテンをみて、フェンを呼び出した。
「よう相棒」
「…なんでまた、小さくなってるんだ?」
ポワン、現れた手のひら大のフェンが、空中を嬉しそうに駆け回っている。
「シャバの空気は、やっぱ最高だ」とか言いながらもフェンも首をかしげた。
「それがさあ、魔力はたっぷりあるけどよ、なんか火種がないロウソクってえの? 一旦引っ込むと実体化できないみたいなんだよなぁ…」
「火種?」
「ふむ、昨日はリナの魔力で一応できたのに? ですか…?」
「そうなんだよなぁ。それに、今んとこ実体化は、やっぱ1日ちょっとが限界かも知れねえ、陰性魔力はタップリなんだがなあ? 一旦引っ込めば充電はできてるんだけどよぉ」
しきりと頭を傾げて「やっぱあのダンジョンで食った毒の実、よっぽど強力だったんだな、なかなか回復しねえ」とかなんとか、フェンはブツブツ呟いている。
「まだもうちょっと、本調子が出ないみたいだな」
「…元々何かの制限を受けているみたいですし、昨日はリナの魔力でブーストした、って感じだったみたいですね、と言う事は…」
(っっえ? なんでみんな、一斉にこっちを向いてるの?)
「リナ、もう一度、魔力を分けてもらえないか?」
「ええっっーー!?」
(うっそーー!! 昨日のキスもどきを、また、しなきゃならないのっっ?!)
「多分ですか、試してみる価値はあると思います」
「黒馬も売ってしまったしな」
「嬢ちゃん、頼むよ」
(そんな事言われても…あれは、一回だけの試し、じゃなかったのーーっ??)
真っ赤になって狼狽えるリナに、馬の姿のテンは諭すように告げてきた。
「リナ、そんなに余ってる魔力を、有効にいい事に活用できるんですよ、キスの一つや二つ、なんです」
「嬢ちゃん、大丈夫だ。減りやしないよ、そんなもの」
ふわふわ浮いている狼も、大きく頷いている。
(いんや、確実に減って行くような気が、今、にわかに増してきたわ……)
「大変興味深いです」と興味津々で勧めてくるテンに、うるうる懇願の目のフェン。
肝心のシンは? と見れば……
「なんだ、そんなに俺とキスするのが嫌、なのか?」
(ちょっと、そこで落ち込まないでよっ! なんだか、私が凄く悪いことをしてるような気に、なってくるじゃないっ……)
いつもは輝いている紺碧の瞳が曇り始め、その整った顔が悲しそうに眉を寄せるのを見ていると、どうしようもなく罪悪感に駆られてくる。
「別に嫌だ、とは、言ってないわよ、だけどっ」
「そうか、ならいいよな」
遂に絆されるように口を開いたリナの言葉に、笑顔であっさり腰を抱かれた。
(へ? あれ? 身体が……)
これはシンに最初に会った時と同じ感覚だ、とは思うものの、魔力が騒めく身体は何故か、ピクリとも動かない。
紺碧の瞳が輝くと、あ、またあの綺麗な金色…と吸い込まれるような気持ちになる。
「ほら、目を瞑れ」
(何これ、勝手に目が……)
抵抗する間も無く瞼が勝手に閉じてゆく。
シンに更に抱き寄せられているのが、感覚で分かる。
(ふあ、この香り、昨日の夜と同じ……)
モフモフ状態のシンの毛皮に包まれた時に感じた、凄くいい匂いが鼻腔に溢れてくる。
と、同時に、シンの唇が優しく重なってきた。
「ん…んん…」
(柔らかくて、気持ちいい…)
唇が重なった途端、ちゅっと優しく唇を吸われて、思わず自分からも同じように、シンの唇をちゅちゅっと吸い返してしまっていた。
その上キスを返すだけでなく、シンの唇を、ペロンと小さく舐めると、開いた唇に柔らかい舌を侵入させている?!
昨日味わった甘い蜜を求めて、シンの舌を舐めあげ、積極的に舌を差し込んでいるはどう考えても自分ではないか!
(ええっ? こんなどうして?)
心は半分パニック状態だが、同時に、求めていた甘い蜜を味わうと、陶酔感のようなものが湧き上がってくる……
(あん、やっぱり甘くて、冷たい…癖になりそう、この味…)
いつの間にか差し出した舌を柔らかく押し返されて、今度は我が物顔で侵入してきた彼の熱い舌を、喜んで自分の口内に引入れている。
夢中になって舌を絡め合い、甘い液体を吸い取ってゆく……
身体にシンの長い手が回されて、そのままゆっくり押されると背中に硬い木の感触を感じた。
支えを得たリナの身体から両手が勝手に伸びてゆき、シンの首に巻きついている。
その逞しい身体を自分に引き寄せては、柔らかい黒髪を指で夢中に掻き回しはじめた。
「ん…んんーー…」
(あぁ……)
身体の奥から、フワンと温かい魔力が湧き上がってきて、冷たい蜜と合わさってゆく。
この、何とも言えない二人の魔力が交わる心地よい感じ……
ちゅく…と濡れた音が、お互い深いキスに夢中な二人から絶え間なく紡ぎだされている。
リズムを変えながらのお互いの味を味わい尽くすようなキスは、いつまで経ってもやめられそうにない……
ゆっくり甘えるように軽く唇を擦りあわせられ、と思うと刹那、性急に深くさぐられる……
(キスって…、なんて気持ちいいものなの……)
寄りかかっている固い木の感触と、森の緑の匂いがする。
リナの感覚は研ぎ澄まされているのに、それは自分の感覚ではないみたいな受身の感覚だ。
そよ風を受けて、森の木々の梢の葉は、サワサワと揺れ、落ち葉は足元で、カサカサと風で舞っている。
チチチチ、と鳴く小鳥の囀りと共に、この実験が成功したら、といつもの調子で話すテンの声が聞こえてきた。
目を閉じて見えていなくても、地面に蹄で魔力の変換についての図面まで書き出して、熱心にフェンと語り合う呑気なテンの様子がまじまじと伝わってくる。
それはキスを夢中で交わす二人の濡れた音より、余程大きな声であった。
だけどリナには、そんな周りを気にする余裕はまったくなかった。
この2回目のキスも、甘く痺れるような感覚がじわりじわりと浸透してきていて、身体がだんだん熱くなってくる。
なにせとっても、気持ちいいのだ。
(ふうん…もっと)
自覚がまったくないままに、もうすでにヒートアップしてしまっている身体を逞しい腰にスリ、と押し付けると、低い声が唇をあわせたまま確かめてくる。
「…リナ、もっといいのか? くれるというのなら遠慮しないが?」
「ん……」
無自覚にも誘い込むようなリナの奔放な仕草であったにもかからわず、ゆっくりと身体を離され、優しくなだめるように頬に大きな手が当てられた。
紺碧の瞳が、ボンヤリしたブルーグレイの瞳を確かめるように覗き込んでいる。
親指の指先でそっと掠めるように頬をなぞられると、触れてくる指先から感じる熱で、ようやく頭が働き出した。
(あれ? 私ってば、一体何を……)
すぐ目の前には煌めく紺碧の瞳が……
(き、き、き、きゃあーーーーっ!)
「お? 終わったかい?」
「では、早速実験ですね」
遅れ馳せながらようやく頭が動きだして、慌ててシンの腕の温もりから飛びだした!
どっ、どっ、どっと、鼓動は早鐘を打つようになり続ける。
(このドキドキ、ちょっと静まってー!)
その動悸をなだめるように、手で胸を抑え込む。
狂ったようになり続ける鼓動は、これ以上興奮したら耐えられそうにない。
「だ、ダメーーっ!」
「そうか、残念だ」
ちょっと物足りそうな顔をしたシンは、頷いてフェンに向き直った。
(な、何でーっ、ドキドキが止まらない……)
後ろでフェンの変化が成功した事を興奮気味に見守るテンと、満足そうなため息をついたシンを痛いほど意識しながらも、リナは己の身体に灯った熱を抑えるのに必死になっていた。
なるほど、これは確かに馬とは違う。
そんな姿を目の前にしてようやく、一日遅れにして『馬にはしばらく乗っていない』と言われた意味が理解できた。
体をちょうど大型の馬の大きさに変化させたフェンは、さも当然という態度でシンを背中に乗せている。
轡や手綱は見当たらないが、鞍がちゃっかり背中に現れたのにも驚いた。
それに何と言っても、真っ黒な大型狼に、すらっとした姿の絶世の黒髪美男子が逞しく騎乗しているのは、なんというか迫力のある光景であった。
(なんか、二人?で会話してるし、目の前で見てても、この現実はとってもシュールなんだけど……)
背に人を乗せた狼が、人語を喋って笑っている……
真っ赤な口内から、時々、鋭い牙が垣間覗いてるし、陽気な声が聞こえていなければ普通は近づくのも躊躇してしまうワイルドな姿である。
そんな猛々しいと言うか、パワフルなエネルギーをフェンから感じとり、笑っていてもやっぱり、妖魔獣なんだわ、と今更ながら実感してしまった……
(なんだかね…魂に刻まれた契約者? だっけ? それって、召喚獣だって事よね? こんな、オオカミなんておっかない妖魔獣と、よく契約を交わしたものよね…)
普通は、移動用魔獣にはオオラマモドキ、とか、ハヤアシドンキー、などの大人しい妖魔獣を召喚するものなのだが……
(あ、でも、もしかして…戦闘用魔獣として召喚したのかしら?)
それならば、オオカミ類は確かに大いにあり得る。
(…って事は、シンって少なくとも、フェンよりは強いって事?)
何しろ魔獣召喚は、高等魔法でもかなり難しい魔法の一つだ。
術者の素質はもちろん、呼びかけに魔獣が応えるのだから、召喚される魔獣も人語を解する程度の知能を持つ。
これらの魔獣は、そこいらの動物などが魔力を浴びて進化した普通の魔獣よりも知能が高いことから『妖魔獣』と呼ばれていて、厳密には普通の魔獣からは区別されているのだ。
そして、呼びかけに応えた妖魔獣を、天界や魔界といった異世界から引っ張ってくるのだから、術者にも相当な魔力がいる。
当然、召喚する側の術者が魔術に優れかつそれなりに実力もないと、召喚しても妖魔獣との使役契約には至らない。
魔力量は足りたが実力がない術者は、下手をすれば召喚した妖魔獣に殺されてしまう危険もあるのだ。
要するに、釣りのように上手く釣り針に引っ掛かっても、サメを一人で釣り上げられないのと同じである。
妖魔獣と術者の両者の波長と実力がそれなりにあってこそ、召喚が成り立つ。
飛龍のように卵の頃から手懐けて飼育するのでない限り、普通は自分よりも弱いものにはおめおめと従わないのが妖魔獣なのだ。
そういえば…と、シンの逞しい背にちらほら覗く大剣の鞘と柄を見て、なるほど有り得るわね、と思い当たった。
たまにだが、この大剣が消えたようにどこにも見当たらなくなるので、不思議に思って聞いてみた。
シンの剣は、任意で出したり仕舞ったりが自由自在にできるそうだ。
自分の服も着せ替え自由な特別製なので、「へえ~、世の中には不思議で便利な道具があるものね」と、その時は感心しただけだった。
だけどもよくよく考えてみれば、この服は、魔力量たっぷりのリナでこそ着こなせているが、一般の人では維持をする事さえとても難しい。
多分だが、シンの大剣も似たような仕組みに違いない。
そんな唯一無二の魔道具を難なく使いこなす彼は、やはり、実力もある強い人なのだろう。
シンとフェン、二人のまるで友達のようなやり取りを不思議に思いながらも、移動用としても戦闘用としてもフェンはとても優秀だ、と思う。
それに…そのしなやかな体を覆う黒い艶やかな毛皮は、極上の毛並みで柔らかく、実に触り心地最高である。
昨夜その恩恵に、ありがた~く預かったリナは、身を以てその事実を体験している。
言い訳をするわけではないが、あまりにもグッスリ眠れたお陰で、決まり悪くも今日の朝は寝坊をしてしまった。
そう、なんでもないことのはずの今朝の出来事を思い出すと、なぜか頬にちょっと赤みが差してくる。
それは朝早く、けれども、お日様が地平線に顔を出す時刻をとっくに過ぎた頃のことであった。
何かが頬を擽る感覚に、ふふ、なあに?テン、と寝惚け眼でまだ眠い目を擦りながら目を覚ました。
すると目の前には、デ~ンと、ツヤツヤモフモフの真っ黒で大きな尻尾が……
自分の頬を先ほどから優しく擽っているのは、何と、大きな尻尾の先っぽだったのだ。
『き、き、きゃぁ!』
『おはよう、やっと起きたな、すまんがそろそろどいてくれないか?』
なんとなく聞き覚えのある男の美声に、惹き寄せられるように振り向くと……
漆黒の狼が、寝ぼけて目を擦っているリナを紺碧の瞳で柔らかく見つめて、丁寧に語りかけてくれていた。
(あ、私ったら……)
恥ずかしい事にどうやら、シンはスヤスヤ寝ている自分を起こすのを不憫に思ったらしく、ギリギリまで寝かせておいてくれたらしい。
(ふわっ…バッチリ寝顔見られちゃった! …それに…)
手のひらに感じる温かみに、みるみる顔が熱くなってきた。
(うっわー、昨夜は疲れてたし頭がよく回っていなかったのかも…? だけど、私ってばシンと一緒に……)
そこまで考えてから、慌てて脳内で否定する。
(違うっ! オオカミっ、昨夜一緒に寝たのは、あくまでもオオカミだからっ)
そうは言っても、今まさに寝起きの顔を、じっと見つめてくるのは、狼の姿ではあっても実の所間違いなくあのシンなのだ。
紺碧の瞳の持ち主は、優しく目を細めると尻尾を身体から、ふわっと持ちあげてくれた。
『ご、ごめんなさい』
『そろそろ、フェンとテンも戻る頃だ、あの二人はさっき朝食を探しに森に赴いた』
『そうだったの』
気恥ずかしさを押し隠しながら、なるべく平気なフリをして、慌ててそのふかふかの腹部から起き上がる。
どうやら、自分だけがぐうぐう寝ていて、他の者は皆とっくに起床していたらしい。
(初日から寝坊してしまった…恥ずかし~い、それに、う~ん朝は結構冷えるのね…)
暖かい毛皮布団から抜け出すと、一気に身に染みる外の空気のヒンヤリとした冷たさであった。
着ていた服を少し厚い生地に変化させると、身体が寒さに慣れるまで少しストレッチでもしてみる。
城から離れてこんなに遠い所にまで出向いたのも初めてなら、屋外での寝泊りも初めてだ。
何もかもが初めてだらけで、新鮮な気持ちだった。
川の水もこのままでは冷たいだろうと、魔法で手を温めてから触れて正解だった。温まった手で顔を、パシャパシャと洗い終わると、ようやく一息入れる。
昨日よりもずっと冷たく感じる水は、朝から野外で過ごす現実をしみじみと実感させてくれる。
シャキッとしなきゃね、とリナは急いで身支度を整えた。
そうこうするうちに、森で採集した果物やナッツを手に抱えたテン、それに遠目にも何やら口に含んでいたものを、もぐもぐゴクンと飲み込んだフェンが、おしゃべりをしながら森の奥から戻ってきた。
どうやら、久しぶりに実体化してはしゃいだフェンは、一晩中を森で過ごしたらしい。
こうして朝食を終えて出発の準備が整うと、一同は話し合い、シンはここから先はフェンに騎乗して行くこととなった。
『そうすればこの馬の負担も減って、昨日ほどには疲れないでしょう』
『俺もフェンの方が乗り慣れてるしな』
『そうなのね…じゃあ、出発しましょう』
こうして、シンを軽々と乗せたフェンを加えた一同は、人の姿が見当たらない街道を足音も軽く駆けていく。
この旧街道は、森の中を通り抜ける遠回りなルートである。
この道を選択する旅人は稀で、利用するのは地元人ぐらいのはずだが、次の宿場町に近づくほど、やはり、旅人の姿を、ポツリポツリと見かけるようになってきた。
彼らの側を通り過ぎる時は、速度を落とし、光魔法で顔やフェンの姿をはっきり見えないようにぼやかしている。
不審に思われないよう挨拶を交わしながらもさりげなく、ささっと横を通り過ぎてゆく。
こんな場面を何回かやり過ごすと、いつの間にか時刻は昼前の時間になっていた。
(あ、木立の向こうに街らしき影が…)
思ったより随分早く、宿場街タルが前方に見えてきた。
「どうしますか? 寄って行きますか?」
「そうね。ここまで離れたら見つかる心配はほぼないし、先を急ぐ旅でもないしね」
せっかくの機会なのだ、できるならバルドラル以外の街も視察してみたかった。
「それに思いつきで出発したから、必要な装備もろくに持ってないし…この街で、調達できればいいのだけれど…?」
「ああ、それなら心配ない、この街には冒険者ギルドの支店がある。装備は揃うだろう」
「よかった…あ、でもフェンはどうするの?」
こんな大きな狼妖魔獣を、人の大勢闊歩する街中に連れて入れば大騒ぎになる。また目立つ事この上ない。
それにだ、召喚獣や運搬用の魔獣を街中に連れ出すのには証明書がいるし、そういう役所関係は手続きがややこしいのだ。
なるべく穏便に街への訪問を済ませたい。
引き留められるような要素は、出来るなら最初から排除したかった。
「ああ、一旦引っ込めるから平気だ。フェン、戻れ」
フェンから、ヒョイと飛び降りてシンが声を掛ける。
「はいよ、じゃあな、相棒」
するとフェンの姿が、フッと消えて、シンはそのまま今度は黒馬に跨った。
その間にリナはテンから飛び降りると、人型に戻ったテンと二人で黒馬の後をのんびり歩いてついていく。
冒険者ギルド発行の身分証を使うと、街へ入る許可は難無く得ることができた。
(わあ~、ではでは)
早速にも好奇心一杯、タルの街の大通りを道なりに歩いてみる。
(へぇ~、このタルは、ただの宿場町と言うより、道具や武器屋が集まってできた街って感じね……)
通りに並ぶ看板の中には、決して少なくない数の剣や盾などの武器屋と魔道具屋の看板がある。
街の印象をそんな風に考えていると、どこからともなく美味しそうな匂いが通りに流れてきた。
匂いにつられ全員一致で、「お腹も減ったし」と早い昼食を取ることに決定した。
その足で適当な食事処を物色しながら、街を見てまわる。
入口からいい匂いが漂ってくる街中食堂に誘われるように入ってみると「いらっしゃいませ~」と、元気な声で迎えられた。
人がいっぱいの食事処で人々の喧騒をバックに、三人で美味しく昼食を食べながらの会話は、自然とこの後の行動についであった。リナは、「テンと共に装備の買い物に行きたい」と意見を述べると、シンの意見を聞いてみる。
「シンはどうする?」
「俺も一緒に行こう。フェンが戻ってきたから、先ずは黒馬を手放す。その後、買い物に付きあう。俺も瘴気殲滅ポーションの足りない材料を入手したい」
「ああ、それなら心配ないわ。私、必要なものは全て持ってきてるから」
「しかし、それはリナの所持品だろう。もちろん代金は払うが、分けてもらっていいのか?」
「心配しないで、お金も要らないわ。そうねえ、その代わり装備のアドバイスをしてくれると助かるわ」
「分かった、よし、じゃあ行こう」
防具は、今来ている外回り用教会巫女服が戦闘服になるし、買う必要はない。
実はこの服は、テンの羽が材料として使われている魔道具なのだ。
テンの本当の姿には翼が生えていて、空を自由に駆ける事が出来る。
普段はもちろん、一角獣の姿の時も、必要ないので見せてはいなのだが。
魔道具でもあるこの服は変幻自在だ。汚れないし、破れない上に防御機能も、ももちろんバッチリ備えている。
今現在リナに足りない装備は、武器であった。
「今まではヨルンが前衛、ヒルダが後衛、私が支援でテンが遊撃だったんだけど、シンはやっぱり前衛?」
黒馬を手放した後、装備を目当てに武器屋街を目指しながら聞いてみる。
「俺は普段ソロで行動するからなぁ。敢えてパーティを組んだ事はない」
「えっ! …そうなの?」
「反対に聞くが、リナは一体何が得意なんだ?」
「えっと、巫女が使う聖魔法の治療、ポーション生成、聖光、加護にシールド、光魔法の目くらまし、光の矢、ヘブンズライト、炎魔法のファイアボール、水魔法の…」
「待て待て待て、ヘブンズライトに炎魔法に水魔法だと?」
「ええ、後は土魔法と風魔法だっけ?」
聞かれて列挙した魔法の数々に、シンは困惑顔だ。
「…なあ、テン、もしかしてこいつ」
「だから言ったじゃないですか、魔力は中性が多いって」
「それでもこんなデタラメなのは、聞いた事ないぞ?」
普通は、生活魔法を除けば、一つか二つの特定の魔法属性があるらしい。
リナの判定は全てポジティブ、魔法を教わった騎士達が使える魔法は全て使えた。
「ヘブンズライトなんて、上級魔法までか?」
「ええ、ファイアボールも大火事になるので手毬程度で止めましたが、多分城門ぐらいの大きさまでは生成できるんじゃないでしょうか?」
「…それはもう、ファイアボールとは言わんだろ…」
テンの説明に呆れ返った様子のシンだ。
「こんな危ないのに、そんな魔法、教えていいのか?」
「だから初級魔法しか教えてないんですよ。ヘブンズライトは護衛のヨルンが一回、襲ってきたグレイグマにライトガンを向けて放ったのを真似したら、できてしまったのですよ」
ふむ、と言った様子のシンは、おもむろにこちらに向き直ると聞いてきた。
「リナ、聞くが魔力制御は得意か?」
「ええと、実はあんまり……」
シンの質問に正直なリナは、目をさりげなく、ふう~と泳がした。
「できないんだな、よし分かった。俺が剣を教えてやるから、お前は極力魔法は使わなくていい、今まで通り、支援を頼む」
「剣なら得意よ。みんなして、『姫さまには剣技の方がお似合いで』とか言ってくれて、色々教えてもらったから」
「正しい方向性だ。なら一流の剣を見立ててやろう」
と言う訳で、やってきましたタルの武器屋街。
…と思ったら、シンはさっさと素通りして「ちょっと待ってろ」と言って冒険ギルドに入って行く。
しばらくして手に何やら地図を持って出てきたシンについて行くと、鍛冶屋と看板が掛かっている店に二人を連れて入っていった。
「鍛冶屋?」
「ああ、この店は評判が良くて値段も良心的だそうだ」
どうして武器屋に行かないのだろう?
不思議に思いながらも、「こんにちはー」、と店に入ってみる。
「いらっしゃいませ」
「この人が扱える剣を探しているのだが、適当なのはあるか?」
シンの格好を見て冒険者だと一目で見抜いたのだろう。対応に出てきた女性は親切にも忠告してくれた。
「冒険者の方なら、付与付きの剣を武器屋で調達なさった方が、多分、よろしいんじゃないでしょうか? 当店の剣はすべて普通の剣ですよ」
「ああ、付与はこちらでできるからいいんだ、だな? リナ?」
「ええ、できるわ」
巫女姿のリナの返事に、納得したように店員は頷いている。
「まあそうですか、それでしたら…ええっと…」
(ああ、なるほど、付与は確かに自分達で行使した方が使い勝手がいいし、その分、お財布にも優しいものね)
シンの意図を察して感心していると、店員さんが「どうぞ、こちらへ」と案内してくれる。
請われるまま店に飾ってあった剣を試しに数個振ってみて、このぐらいまでの重さなら、と良さそうな感じの剣を店員に伝えた。
親切な店員さんは「ちょっと待ってて下さいね」と奥から5つほど剣を両手に抱えて戻ってきた。
そうして、それらを順に目の前で並べて行く。
「えっと、こちらから値段の安い順になります、一番安いのはただの鉄剣、後は順に強度と魔力を補強する為に硬化魔石を砕いて混ぜて打ってあるので、高価な魔石が使われているものがお値段が一番高くなりますね」
「一番高いのは幾らだ?」
「30万カルドランギルとなります、こちらは一級魔石を丸一個全て砕いてあります」
「リナ、手持ちはどれくらいだ?」
「そうねえ、あるけど無駄遣いはできないし…」
一家四人が丸々1ヶ月ぐらい暮らせる程の値段に、どうしよう?と迷ってしまう。
「あの、でしたら、こちらの剣に付与を施して頂ければ、当店から直接魔道具屋に下ろせるので、その分値引きをさせて頂きますが?」
女性はリナが考え込んでいる姿を見て、こう提案してきた。
「ああ、なるほど、じゃあ試しにその鉄の剣にリナ、付与をしてみてくれるか? もし失敗したら買い取るから、大丈夫だ」
「ありがとう、やってみるわ」
シンの心強い励ましの言葉に、よし、と鉄の剣を受け取ると、さて何を付与しよう?と考えてみる。
迷っていると、さり気なくシンが助言してくれた。
「リナ、多分聖魔法の支援系が一番需要が高い、攻撃力や防御力を上げる効果のついた付与の剣は属性に関係なく、一般の人にも使えるからな」
「分かったわ」
剣を持って、じゃあこれは物理攻撃加重、と魔力を慎重に剣に流していく。
「できたわ!」
「え? もう、ですか?」
「鑑定してもらえるか?」
「はい、少々お待ち下さい」
奥からメガネを持ってきた女性は剣を手に取って、ジッと見つめる。
「確かに物理攻撃3%加重、付与付き剣です。わぁ、凄い!」
「普通の鉄だから、これで精一杯よ、魔力を通す媒介が入っていれば、もう少し比重は上げられると思うけど…」
「じゃあ、あの、これにしてもらって良いですか?」
店員は次の剣を差し出した。
「あ~、でも失敗したら、料金が…」
「この鉄剣だけで元は取れます。ぜひ、お願いします!」
「じゃあ、やってみるわ」と剣を受け取って、う~んと付与を始めたリナを、店員はキラキラした目で見ている。
「お連れさん、凄い優秀な巫女様ですね。彼女さんですか?」
(ぶっっ、あ、しまったぁっ!)
何気なく耳に入ってきた店員の問いに、吹き出しそうになった。
(力入り過ぎちゃったっ! なんか余計な付与まで流れ出ちゃったし…)
「いや違う、依頼人だ」というシンの声を聞きながら、思わず魔力制御に失敗して、力が入り過ぎて刃こぼれしてしまった剣を恐る恐る、店員に差し出した。
「ごめんなさい、ちょっと加減を間違えてしまって…」
「あら? この感じは……」
再び眼鏡をかけ、剣を手に取って、ジッと見つめた店員は、ニッコリ笑って答えた。
「問題ありません、剣の方が付与に耐えられなかったんですから、それより、こちらの剣に同じように付与していただけませんか?」
何やら、ゴソゴソとカウンターの下から男性用の剣を出してきた。
「同じって、付与を二つ付けてしまっていいのかしら?」
「はいっ、宜しくお願いします! 成功すればご所望の剣を、どうぞどれでもお持ちになって下さい」
「えっ、それってタダでくれるって事?」
「もちろんです、付与が二つも施されている大剣は、一般に出回るのは非常に珍しいですから」
「そうなんだ…」
知らなかった。自分は普通に施せることから、どの剣もそんな物だと思っていた。
どうりで、リナ付きの魔法騎士たちは彼らのために付与を施した武器を、『一生大事にしますっ』と感激して受け取っていた訳だ……
どれどれ、と先ほど施していた物理攻撃加重、と魔法攻撃加重付与を、早速、渡された大剣に慎重に施してゆく。
最初の剣より少し時間は掛かったが、出来はこっちの方がいいはず、とできた剣を店員に渡した。
待っていたように鑑定眼鏡で観察した店員の顔が、みるみる嬉しそうに綻んでいった。
「ありがとうございます。確かに物理攻撃10%加重、魔法攻撃10%加重の付与付き剣です。さあ、どうぞ、こちらの剣で宜しいですか?」
(やったぁ! 必要な武器がこれで手に入ったわ)
「どうもありがとう」
「いえいえ、こちらこそ、毎度ありがとうございます。あの、もしかして、これからギルドの方に出向かれるのですか?」
「えっと…」
そこまでは、まだ、考えていなかった。
そうなの?と、シンとテンの方をみると、どちらも肩を竦めて、リナに任せる、といった様子だ。
「そうねえ、ちょっと覗いてみてもいいかな?」
「それでしたら、是非、あの、うちから出している依頼を、ぜひぜひ受けてもらえませんか? そちらの方は、A級でいらっしゃいますよね?」
鑑定眼鏡を掛けた店員は、シンを眼鏡を掛けたまま見たので冒険者ランクが判ったらしい。
縋るような目で一同を見てくる。
「あ~、依頼内容による、かしら?」
目を曇らせた彼女は、溜息をついて依頼内容を告げだした。
「目的はバルドラン川上流のヨクシア山脈からの金剛鉱石採集なんですが、近頃尋常でない強さの魔獣が何匹かウロついているらしいのです。いつも鉱石を届けに下山してくるヨクシア村の方も、この数ヶ月姿をお見かけしないんですよ」
金剛鉱石は、金属を硬くする最上の鉱石だ。
(そうか、このタルという街は、山脈からこうした鉱石が豊富に集まるから道具屋や鍛冶屋が自然に集まったのね……)
ヨクシア山脈は『瘴気の発生が異常に増え続けている』と、城に報告のあった場所だ。
「報酬には、金剛鉱石を混ぜて打った剣を差し上げる事になっているので、依頼を出してすぐに二つのパーティーが出発したんですが、既に二ヶ月経った今もどなたもお戻りならないのです」
親切そうな店員さんは、目を曇らせている。
「依頼内容はB級だったはずなんですが、最近ギルドからA級内容として変更するとの知らせがありまして、そうなると、この国では挑戦なさる方の数が限られますから……」
これは、当たりかもしれない。
昨日、遭遇した突然変異のような草ウナギが出没した川は、下流でバルドラン川に合流する支流の一つだ。
川は上流部分で分かれており、本流は険しい峡谷になっている難所だ。
この女性が述べた通り、その源流はヨクシア山脈の奥に至る。
「わかったわ、ギルドに行って依頼を受けましょう。いいわね、シン?」
「一つ確認したいのだが、鉱石を採集するにあたって、道すがら倒した魔獣の魔石は、こちらでもらい受けても構わないか?」
「勿論です。魔石はご自分で魔道具に使用するのも、例えばギルドで換金なさっても構いません。こちらと致しましては、注文のあった金剛鉱石が手に入ればOKなのです。報酬も、とてもA級クエストに見合うものを用意できませんし」
シンはそれを聞いて頷いた。
そうと決まれば早速、店の女性から先ほどの剣を譲ってもらい、ギルドに赴く事にした。
「リナ、俺がギルドで金剛鉱石採集依頼を受けてくる。どうせ、元々俺の受けた依頼は、瘴気を必ず抑えることの出来るポーションを入手、それをヨクシア村に届ける、だ」
「え? じゃあ…」
「そうだ、俺の受けた依頼はな、このポーションは生成が難しい上に必要な魔草が手に入りにくいとかで、B級依頼だった」
(あ、だから王家の森にいたのね)
初めて出会った王家の森へは、やはり依頼を受けて迷い込んだらしい。
「どうせヨクシア村まで出向くなら、ヨクシア山脈からの金剛鉱石採集もついでだ。リナとテンもパーティ同伴者として登録しておくから、その間に、剣に必要な付与魔法を掛けておけ」
そのままギルドに向かおうと背を向けたシンは、「ああ、そうだ」と振り返った。
「それと、魔法を実行する時だがな、人目がないところでしたほうがいい。二つ以上の付与魔法を施した剣など、国宝物になるからな」
「え! そうなの? わかったわ……」
確かに教会でも習った基礎は、一つの属性魔法の威力を上げるのみだった。
先ほど施した付与魔法は、リナが感覚的にこうすれば、できるかな? と試してみて自己流に成功させたものだ。
そう言えば、ヨルンからも、あまり人前で付与魔法を実行しない事、と口酸っぱく注意されていたのだった……
こうして、シンとはタルの街外の森で待ち合わせをして、テンと二人で街の外にテクテクと歩いていく。
街への関門が遠くに見え出した森の入り口付近で、二人で周りに誰もいないことを確かめると、よし、じゃあと、ごそごそ茂みの奥へと入っていった。
開けた木々の間で、先ほど手に入れた剣を取り出す。
「ねえテン、どんな付与魔法をかけたらいいかしら?」
「そうですねえ、リナは攻撃は問題ありませんし、防御はすでにシールドとその服で十分でしょうから、剣の打ち合いで力負けしないように、物理防御に特化してはどうでしょう?」
「なるほど、じゃあこの剣が受ける物理攻撃の無効、はさすがに無理だと思うから、出来るだけ軽減して、壊れないように硬化強化を施しましょうか?」
「それに剣のバランスを取りながら、重量を軽くしてみてはどうでしょう?」
「成る程、じゃあその三つで、っと」
シンの忠告はどこへやら、いつの間にか二人の会話ではアッサリ国宝級の付与を剣に施す事になっている。
こうして出来た、見た目よりウンと軽く、硬く、攻撃がなかなか効かない、というチートな剣を試しに振ってみて、うん、いい感じ、と動きやすいように剣を鞘ごと背中に背負った。
(よし、とシンはまだかな?)
カサカサ音を立てながら茂みから出ていくと、頼もしい姿がすでに森の入り口で大木に寄りかかって待っていた。
「お待たせ!」
「どうだ、剣の付与効果の方は?」
「バッチリよ! 取り敢えずは、物理攻撃軽減に硬化強化に重量軽量化の三つに留めといたから」
「…その三つすでに常識を逸脱してるんだが…まあいい」
「平気よ、この剣を売る気はないわ」
「…そうか、では出発するか。方向はこっちだな、フェン、出てきていいぞ」
リナの非常識をスルーする事に決めたシンは、馬の姿に変化したテンをみて、フェンを呼び出した。
「よう相棒」
「…なんでまた、小さくなってるんだ?」
ポワン、現れた手のひら大のフェンが、空中を嬉しそうに駆け回っている。
「シャバの空気は、やっぱ最高だ」とか言いながらもフェンも首をかしげた。
「それがさあ、魔力はたっぷりあるけどよ、なんか火種がないロウソクってえの? 一旦引っ込むと実体化できないみたいなんだよなぁ…」
「火種?」
「ふむ、昨日はリナの魔力で一応できたのに? ですか…?」
「そうなんだよなぁ。それに、今んとこ実体化は、やっぱ1日ちょっとが限界かも知れねえ、陰性魔力はタップリなんだがなあ? 一旦引っ込めば充電はできてるんだけどよぉ」
しきりと頭を傾げて「やっぱあのダンジョンで食った毒の実、よっぽど強力だったんだな、なかなか回復しねえ」とかなんとか、フェンはブツブツ呟いている。
「まだもうちょっと、本調子が出ないみたいだな」
「…元々何かの制限を受けているみたいですし、昨日はリナの魔力でブーストした、って感じだったみたいですね、と言う事は…」
(っっえ? なんでみんな、一斉にこっちを向いてるの?)
「リナ、もう一度、魔力を分けてもらえないか?」
「ええっっーー!?」
(うっそーー!! 昨日のキスもどきを、また、しなきゃならないのっっ?!)
「多分ですか、試してみる価値はあると思います」
「黒馬も売ってしまったしな」
「嬢ちゃん、頼むよ」
(そんな事言われても…あれは、一回だけの試し、じゃなかったのーーっ??)
真っ赤になって狼狽えるリナに、馬の姿のテンは諭すように告げてきた。
「リナ、そんなに余ってる魔力を、有効にいい事に活用できるんですよ、キスの一つや二つ、なんです」
「嬢ちゃん、大丈夫だ。減りやしないよ、そんなもの」
ふわふわ浮いている狼も、大きく頷いている。
(いんや、確実に減って行くような気が、今、にわかに増してきたわ……)
「大変興味深いです」と興味津々で勧めてくるテンに、うるうる懇願の目のフェン。
肝心のシンは? と見れば……
「なんだ、そんなに俺とキスするのが嫌、なのか?」
(ちょっと、そこで落ち込まないでよっ! なんだか、私が凄く悪いことをしてるような気に、なってくるじゃないっ……)
いつもは輝いている紺碧の瞳が曇り始め、その整った顔が悲しそうに眉を寄せるのを見ていると、どうしようもなく罪悪感に駆られてくる。
「別に嫌だ、とは、言ってないわよ、だけどっ」
「そうか、ならいいよな」
遂に絆されるように口を開いたリナの言葉に、笑顔であっさり腰を抱かれた。
(へ? あれ? 身体が……)
これはシンに最初に会った時と同じ感覚だ、とは思うものの、魔力が騒めく身体は何故か、ピクリとも動かない。
紺碧の瞳が輝くと、あ、またあの綺麗な金色…と吸い込まれるような気持ちになる。
「ほら、目を瞑れ」
(何これ、勝手に目が……)
抵抗する間も無く瞼が勝手に閉じてゆく。
シンに更に抱き寄せられているのが、感覚で分かる。
(ふあ、この香り、昨日の夜と同じ……)
モフモフ状態のシンの毛皮に包まれた時に感じた、凄くいい匂いが鼻腔に溢れてくる。
と、同時に、シンの唇が優しく重なってきた。
「ん…んん…」
(柔らかくて、気持ちいい…)
唇が重なった途端、ちゅっと優しく唇を吸われて、思わず自分からも同じように、シンの唇をちゅちゅっと吸い返してしまっていた。
その上キスを返すだけでなく、シンの唇を、ペロンと小さく舐めると、開いた唇に柔らかい舌を侵入させている?!
昨日味わった甘い蜜を求めて、シンの舌を舐めあげ、積極的に舌を差し込んでいるはどう考えても自分ではないか!
(ええっ? こんなどうして?)
心は半分パニック状態だが、同時に、求めていた甘い蜜を味わうと、陶酔感のようなものが湧き上がってくる……
(あん、やっぱり甘くて、冷たい…癖になりそう、この味…)
いつの間にか差し出した舌を柔らかく押し返されて、今度は我が物顔で侵入してきた彼の熱い舌を、喜んで自分の口内に引入れている。
夢中になって舌を絡め合い、甘い液体を吸い取ってゆく……
身体にシンの長い手が回されて、そのままゆっくり押されると背中に硬い木の感触を感じた。
支えを得たリナの身体から両手が勝手に伸びてゆき、シンの首に巻きついている。
その逞しい身体を自分に引き寄せては、柔らかい黒髪を指で夢中に掻き回しはじめた。
「ん…んんーー…」
(あぁ……)
身体の奥から、フワンと温かい魔力が湧き上がってきて、冷たい蜜と合わさってゆく。
この、何とも言えない二人の魔力が交わる心地よい感じ……
ちゅく…と濡れた音が、お互い深いキスに夢中な二人から絶え間なく紡ぎだされている。
リズムを変えながらのお互いの味を味わい尽くすようなキスは、いつまで経ってもやめられそうにない……
ゆっくり甘えるように軽く唇を擦りあわせられ、と思うと刹那、性急に深くさぐられる……
(キスって…、なんて気持ちいいものなの……)
寄りかかっている固い木の感触と、森の緑の匂いがする。
リナの感覚は研ぎ澄まされているのに、それは自分の感覚ではないみたいな受身の感覚だ。
そよ風を受けて、森の木々の梢の葉は、サワサワと揺れ、落ち葉は足元で、カサカサと風で舞っている。
チチチチ、と鳴く小鳥の囀りと共に、この実験が成功したら、といつもの調子で話すテンの声が聞こえてきた。
目を閉じて見えていなくても、地面に蹄で魔力の変換についての図面まで書き出して、熱心にフェンと語り合う呑気なテンの様子がまじまじと伝わってくる。
それはキスを夢中で交わす二人の濡れた音より、余程大きな声であった。
だけどリナには、そんな周りを気にする余裕はまったくなかった。
この2回目のキスも、甘く痺れるような感覚がじわりじわりと浸透してきていて、身体がだんだん熱くなってくる。
なにせとっても、気持ちいいのだ。
(ふうん…もっと)
自覚がまったくないままに、もうすでにヒートアップしてしまっている身体を逞しい腰にスリ、と押し付けると、低い声が唇をあわせたまま確かめてくる。
「…リナ、もっといいのか? くれるというのなら遠慮しないが?」
「ん……」
無自覚にも誘い込むようなリナの奔放な仕草であったにもかからわず、ゆっくりと身体を離され、優しくなだめるように頬に大きな手が当てられた。
紺碧の瞳が、ボンヤリしたブルーグレイの瞳を確かめるように覗き込んでいる。
親指の指先でそっと掠めるように頬をなぞられると、触れてくる指先から感じる熱で、ようやく頭が働き出した。
(あれ? 私ってば、一体何を……)
すぐ目の前には煌めく紺碧の瞳が……
(き、き、き、きゃあーーーーっ!)
「お? 終わったかい?」
「では、早速実験ですね」
遅れ馳せながらようやく頭が動きだして、慌ててシンの腕の温もりから飛びだした!
どっ、どっ、どっと、鼓動は早鐘を打つようになり続ける。
(このドキドキ、ちょっと静まってー!)
その動悸をなだめるように、手で胸を抑え込む。
狂ったようになり続ける鼓動は、これ以上興奮したら耐えられそうにない。
「だ、ダメーーっ!」
「そうか、残念だ」
ちょっと物足りそうな顔をしたシンは、頷いてフェンに向き直った。
(な、何でーっ、ドキドキが止まらない……)
後ろでフェンの変化が成功した事を興奮気味に見守るテンと、満足そうなため息をついたシンを痛いほど意識しながらも、リナは己の身体に灯った熱を抑えるのに必死になっていた。
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