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王城から、家出しました
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カトリアーナが王女として生まれ育ったバルドランは、豊かな森林に恵まれた平和で小さな王国だ。
国は小さいながらも上質のポーションを産出し、近隣の森で出没する魔獣を狩って確保した魔石も豊富である。加えてそれらを加工した付与付き魔石の装飾品作りも盛んで、割と高価な特産品のお陰で国の産業が成り立っている。
大量生産はしていないが、それら特産品の質の良さでは他国でも聞こえが高い。
北は大山脈、南は大海、北東に向かって氷の大地に続く大森林、やや南西には隣国との間に高い高い崖の台地が横たわっていて、孤立しがちなこの国も特殊産業が発達しているお陰で程よく潤っていた。
西隣の隣国、大国カルドランとは地続きではあったが、特殊な地形により国同士の行き来は海運に限られている。
二国間には、見上げても先が見えない山脈並みの断崖絶壁の台地が横たわるせいで、陸からのアクセスは飛龍でも使わない限りどうしようもなかったのだ。
飛龍は極めて貴重な妖魔獣で、市場には滅多に出てこない。
小国のバルドランには手に入れる機会もなく、他国との交流は隣国に限らず、もっぱら海での交通に頼っている。
だがその分、船での貿易は大変盛んで、バルドランの港町セトには自他国の商船や客船が絶え間なく往き来している。
外貨との摩擦を避ける為にも適度な関税が定められており、各国の金融機関の支店もこの国には進出してきている。
そんな国事情で、世界の果てに位置するバルドランは、国の規模の割には外交も盛んである。
政治的にも代々続く王家が国を治めていて、安定した王政が行き届いていた。
森に出没する魔獣と戦う兵士は自然と鍛えられ、特産品産業も発達し、小さいながらも平和な王国だったのだ。
ところある時、国王夫妻が国賓として出かけた帰りの航海で嵐に遭遇し、帰らぬ人達となってしまった。
悲報を聞いて泣き崩れた母后は後を追うよう亡くなり、引退した前国王も体調を崩し滅多に人前に出ることはなくなった。
活気のあったこの国も続く悲報に国全体が意気消沈したが、まだ希望の光は人々の心に灯っていた。
国一の魔法騎士であった国王と聖女と名高かった王妃の間に生まれた一人娘カトリアーナ王女は、幼かったため、この旅路には同行していなかったのだ。
一人娘で王位継承権一位であるリナは、悲劇の事故当時は王位を継ぐにはまだ幼過ぎた。
女王に即位できる歳になるまで、宰相と当時は穏健派であった王弟、リナにとっては叔父に当たるヨセフが摂政として政治を取り仕切ることになったのだ。
『カトリアーナ王女が一人前になって立派な夫を迎えるまで、私が国政を預かろう』
しかしながら温厚で優しかった叔父の様子が、リナが『女狐』と呼ぶ子連れの女性アイラと結婚した頃から、だんだんと変わってきたのだ。
アイラの連れ子である、メラニーが大きくなるにつれ、リナの命が何度も狙われるようになった。
国の教会司祭であり、外戚でもあるリナの祖父は、そんな事件が増えるにつけ危機感に囚われた。
このままでは、いつか孫は本当に亡き者にされてしまうのではと……
相次ぐ王女暗殺未遂事件に、折しも、王城に努める宰相をはじめ穏健派貴族や騎士達なども、城中の不穏な空気に懸念を抱きはじめていた。
こうして、祖父の協力と城中の味方を経たリナは、この国で一人前の大人と見なされる18歳になるまで『原因不明の病にかかって以来、病弱体質になってしまった故に塔で静かに療養する』ということに表向きとり計らわれたのだった。
そんな不自由を強いられたリナには、幼き時から父王が定めた婚約者、辺境伯の息子ローリーがいた。
歳も近かった二人は、幼少の頃から仲も良く、辺境伯が城に参勤する度によく一緒に遊んだ。
幼き頃からリナはいつか自分が結婚して女王になる、と教えられていた為、温厚な性格であったローリーと結婚することにはさして反抗心も持たず、事実として受け止めていた。
『リナ、結婚するなら僕が一人前になってから君にプロポーズする。だから、待ってて』と言う彼の言葉を信じていたのだ。
ローリーが、将来の為に騎士の中でもエリートである近衛隊員を目指している、と手紙で教えてくれた時から、彼の成長を楽しみに過ごす日々となった。
そうして、結婚できる18歳を幾年か過ぎても、いつか来るその日を心待ちにしていたのに……
(そうよね、浮気なんて疑いもせず、大人しく待っていた間抜けな自分が信じられないわ……)
ここ10年程は病弱な設定になっていたので彼と直接会うことはなかった。が、それでもせっせと手紙のやりとりを続けて、朗報を待ち望んでいた矢先のことだった。この手酷い裏切りに見舞われたのは……
風の噂では、メラニー姫からの色仕掛けの罠にまんまとハマってしまい、誘惑に負けて一夜を過ごした責任をローリーが取る、という形で今回の結婚式に至ったらしい……
自分はあの女狐の娘に婚約者を寝取られたのだ!
婚約破棄をローリーから手紙で告げられた時、リナはショックのあまり真っ白に燃え尽きてしまい、しばらくはその場から動けなかった。
(嘘っーーーー! こんなことって……)
やがて、悔しさと後悔、怒りに焦りなどの感情がすべて一緒くたに詰まった、大きな鉛玉を飲み込んでしまったかのような息苦しさを覚えた。生まれて初めて、クラっと目眩がきて、気がついた時には、がっくりと床に手をついてしまっていた。
バルドラン法典では夫がいないと女王に即位できないことになっており、今回のローリーの婚約破棄は二重の意味でのショックだったのだ……
「あんの裏切り者! 何が『僕が近衛隊員になったらリナを守ってあげる』だぁ、メラニーごときの誘惑に、負けてるんじゃあないわよっ!」
「まあまあ、姫様、お気持ちは良く分かりますが、過ぎ去った男の愚痴を言っても何も始まりません。今はそれより、今後どうする?です」
ローリーとメラニーの結婚式出席を嬉々として放棄した後、リナ達は急いで森から城に戻ってきた。
只今、城内の広々としたキッチンで皆が見守る中、「緊急事態発生! 今朝の姫様暗殺事件にどう対応する?」会議が、急遽開かれている最中であった。
出席メンバーは、ヨルンとヒルダの早急召集呼びかけで集まった、先王を慕ってリナの病弱王女ぶりを演出してくれた数々の使用人達、魔法騎士達だ。
後援会員の貴族たちは、結婚式出席のため皆留守であった。
「っ大体、なんで女王になるのに夫が必要なのよっ! どこの誰よ! あんな時代遅れの法を定めたのはーっっ!」
「…姫様の尊いご先祖様です。お気に召さないのであればご自分が女王になった暁にでも、法を改正なされば宜しいかと…」
「分かってるわよっ、ちょっと愚痴って見ただけよ…」
自分だって、王政の定めで跡継ぎが大事なことぐらいは分かっている。
だけど、不可抗力ではあったがこんな状況に追い込まれてしまったのだ。
たとえ、安らかにお眠り下さっているご先祖様の御魂であろうと、今は揺さぶり起こして愚痴の一つぐらい聞いてもらいたい、そんな心境であった。
「…何にしろ今回は真剣に考えなくちゃね、こんな真っ昼間に堂々と仕掛けて来たのって、初めてだし…」
「そうですねえ、今まではネチネチと食事に毒を入れてみたり、チマチマと寝込みを襲ったり、程度でしたのに…」
「間抜けにもすべて未遂ですけど…」と続いたテンやヒルダの言葉に考え込んでいたヨルンは、思い切った様子で提案してきた。
「王女様、思うにこの城にこれ以上留まれても、お命を更に狙われるだけで、あまり意味がないように思われます」
(はあ~、やっぱりそうよね)
分かってはいるのだが、敢えて考えないようにしていたのだ。
「今までは、かの方が出世されるまでは、と明確な理由がありました。しかしながら、その根本が崩れた以上、この城に御身を留めおく必要はないのでは?」
「ええ、その通りなのだけど…」
病弱設定だった為に、生まれた時から暮らしているこの城と城下街バルドラル周辺しかリナは知らなかった。
知識で得た外の世界に、興味はもちろんある。
今日までは、不安に揺れる心がヨルンに指摘された事実を、前向きに検討することを躊躇わせていたのだったが……
「いかがでしょう、ここはいっその事、『王女様は賊に襲われ瀕死の重傷を負われたため教会で静養する』という名目で、一旦城を出るというのは?」
「教会、かあ。教会本部の巫女見習いは、そりゃあ確かに続けられるけど…」
「本部はポーションの研究室もあり鉄壁の守りでネズミ一匹近づけません。教会に留まる必要はないのです。いくらでも静養中、面会謝絶で誤魔化せますし」
「ああ、なるほど。良い案だ、ヨルン」
ヒルダも、ヨルンの言葉に賛同するように大きく頷いている。
ふうむ、と考えてみれば、確かに教会には同じ年頃の女性が沢山出入りしている。
教会が、聖属性魔法保持者の為に、ポーションの生成や付与魔法、治癒魔法の教室を主催しているからだ。
リナもこっそり城を抜け出しては、巫女見習いと称して一通り教室には通っており、全ての課程は習得済みだった。
しばらくヨルンの案を熟考したリナは、ある結論へと辿りついた。
「ねえ、確か、法典には王女が女王となるには夫が必要、とだけ記してあるだけで、夫の身分の制限はないはずよね?」
「はい、確かに仰る通りです。ですが、代々王族の姫は、外交策も兼ねて国内外の貴族や他国の王族と婚姻関係を結ぶことで、この国の安定に貢献なさってこられました」
「でも、はっきり言って、幽霊王女と呼ばれるこの私と結婚してくれそうな貴族の男性って、この国にいると思う?」
「それは……」
ヨルンやヒルダだけでなく、城の皆まで目を泳がせている。
お世辞にも、「もちろんですとも、どなたか尊い犠牲心を持ったお方が……」とも言ってくれない正直者ばかりなのだ。
(はっきり言って、とは確かに言ったけど、王女の私にこの態度…こんなんでどうやって今まであの叔父一家を騙せてきたのかしら…?)
「やっぱり、いないわよねー…特に今は国が揺れてる時だし、外交問題も大きくなってきてるし、その上病弱な妻の看病という苦労をわざわざ買ってでる、高尚で高徳な独身の貴族の方なんて……」
実際は病弱うんぬんは、デマである。
しかし、リナの言う通り、女王の夫は、独身貴族からすれば魅力のある地位では決してないのだ。
なんせリナが女王なのだから、夫はそれ以上の権力を持てない。
その上、財布の紐はガッチリ握られ贅沢が出来るわけでもなし、世間の目があるから浮気はおろか再婚も望めない。
すでに重要職についているとか、よっぽど特殊な事情がない限り、はっきり言って夫はお飾りに近い立場だ。
(う~ん、私って、幽霊王女って噂になっちゃってるし、『それでも婿になるっ』て言う気骨のある年頃の貴族の男性って周りにはいなさそう……)
いくら高尚で独身でも、世継を残してもらわないと…なので、それなりにお年を召した貴族は当然却下だった。
なんと言ってもリナにはローリーという婚約者がいた為、年頃の貴族の男性達と全く交友をしてこなかったのが、今回やっぱり痛かった……
「こうなったら、今から他国の年頃の貴族や王子達の実態調査でも行いますか?」
「資料が揃うまでに何年かかるかしら? そんなに待っていられないわ。ここは思いきって、こちらから婿探しの旅に出ようかと思うのだけど」
さっき思いついた名案を、意を決して声にしてみる。
「婿探し…ですか?」
「世界は広いのよ、度量が広くて、政治的にも敏腕な独身男性がきっとどこかにいるはずっ」
そう、この国にいないのなら、こちらから出向いて探してみればいいのではないか?
それは一旦言葉にすると、いかにも理にかなっている案のような気がした。
「それに、この頃頻繁になってきたこの国の瘴気の問題には、何か不吉なものを感じるわ。叔父はこの件をほったらかしだけど、即位すれば私が指揮をとって調査にも乗り出さなくちゃいけないし、自由に動ける今は、かえって瘴気の根源を探し出す絶好のチャンスかも」
リナの言葉に、テンは、一考する価値はあるといった顔だ。
「そうですねえ、せっかく、実戦訓練を兼ねて冒険者ギルドに『リナ』として登録してあるのだし、この身分証を活用すれば、リナが『挑戦してみたい』と言っていた、瘴気で汚染された魔獣討伐依頼にも赴くことが出来ますねぇ」
「それは確かにそうかも! そうしたら他の冒険者の人達にも出会えるわ。私もできるなら旦那様にはせめて、私以上に腕の立つ人になってもらいたいし」
(冒険者ギルド、かあ…城の魔法騎士以外の強い男性に巡り会える、良い機会かもしれない……)
これまでは、城の門限までには帰城しなければならない時間制限があった。
したがって冒険者としてはバルドラル周辺限定の依頼しか受けることができなかったのだ。
そんなお使いのような依頼では、他の冒険者に出会えることも滅多になかった。
それに、ローリーは気立ては確かによかったが、何せお坊っちゃま育ちであった。
将来の女王の婿候補だったため、皆本気で戦って怪我でも負わせては、と試合でも対戦相手は遠慮がちで審判の判定勝ちが多かった、と聞き及んでいる。
加えて、リナが覚えている限りローリー本人はもともと、剣より花や植物を育てる分野に興味がある人柄、だったはずだ。
婚約者だからそれでも構わないと思っていたが、本音を言えばやっぱり、弱い男性よりは強い男性の方が好みでもあったのだ。
「そうですねえ、バルドランの王室に新しい血を取り入れて貴族以外の方を婿に迎えるのも、選択の一つとして面白いかもしれません」
何百年も昔から、バルドランにちょくちょくと遊びに来ていたらしいテンは、この案が結構気に入っているようだ。
バルドランは確かに小さな国だ。
この小さな国の貴族間だけで、婚姻を結ぶのにも限界があった。
規模でいうなら、隣のカルドランの辺境伯の方が、バルドラン国土全体よりもよっぽど大きな領地を治めているのだ。
御先祖の中には通貨もカルドランギルを使っているのだし、いっそのこと併合してもらった方が国の為にも、と考えた国王もいたらしい。
大国のカルドランは昔からありがたい事に、こんな小さな隣国のバルドランを対等に扱う事はあっても、決して見下したり攻めてきた前歴はない。
両国の関係は、いつでも良好だった。
その良好な関係が、叔父の政策のせいで近頃ギクシャクしだしたのだ。
摂政である叔父は何故か、この頃カルドランへのポーションの取引を制限しており、使者がなんども訪れては、『どう言うことなのか?』と外交上の問題にまで発展している。
(こんな小さな国なのに、何でお隣と喧嘩なのよ!)
その上、叔父は徐々に関税も引き上げていく、と議会で発言している。
宰相をはじめ、多くの貴族の反対で今の所断念はしているものの、外交的には頭の痛い発言に関係者は戸惑っていた。
リナの耳には、酔った席で叔父が自慢げに口を滑らした発言も、穏健派の貴族を通して入ってきていた。
「この国のポーションや付与魔石は、世界に稀見る上質のものだ。欲しいなら、値を釣り上げても文句はないだろう。その金で軍事強化を強いて、この国を世界一の強国に育てるのだ!」
誰もそんな事など望んでいないのに、叔父の一家だけが積極的にこの政策を推し進めており、視野の狭い愛国者を、ジワジワと増やしているのだ。
平和が一番、とある程度潤いのある静かな田舎暮らしを願うバルドラン国民にとって、それはとんでもなく見当違いの野望だった。
(まったく、この頃各国では、魔獣が瘴気に汚染されて凶暴化するケースが増えて問題になっているというのに!)
そんなことを考える暇があるなら、人々の暮らしを苦しめている、瘴気の問題にでも取り組んで欲しいものだ。
叔父の暴走がこの頃、やけに顕著になってきているような気がする。
それに実際は、国庫のお金を軍事強化などに費やしてはいない。
財政の方では叔父一家の贅沢な出費が多くて困る、と頭を抱えているのだ。
(だけど、叔父は昔は優しかったし、できることなら争いたくないのね)
甘い、と言われても、両親が亡くなった頃の優しい叔父を覚えている。
身内で内戦だけは、避けたかった。
リナが夫を迎えさえすれば、すんなり合法的に叔父は摂政から平和リタイアだ。
「取り敢えずは私、この城を出るわ。このままでは結婚できる可能性はほとんどないし、自力で夫を見つけてみせる!」
「では、私とヒルダは王女様の護衛としてお供しましょう。皆は王女様が帰還されるまで留守を頼んだぞ。しっかり城を守るのだ」
「そうですね、姫様、ぜひ私もお連れ下さい」
ヨルンとヒルダが意気込んで立ち上がった。
「そうね、冒険者パーティを組むにしても仲間がいないと…あっ、待って……」
一瞬、お腹のあたりが熱くなって、自然と目を閉じると瞼にビジョンが浮かんでくる。
リナの身体から、ボンヤリ天啓の証である聖なる光が、ふわっと滲み出ていた。
「姫様! お告げですか?!」
「王女様!」
みんな固唾を飲んで、リナの言葉を待っている。
この小さな国が、こんなに長い間平和を守って来れたのも、やはりそれなりに理由があるのだ。
それは、他の国に比べて格段に多い、この国の聖属性魔法の使い手達の活躍であった。
特にリナの母は、聖女と呼ばれるほどの一流の使い手だった。
天啓は、聖属性魔法の使い手に訪れる、いわば未来のビジョンだ。
それは決して予知に限定されず、このまま行動すれば、という仮定の未来視も含んでいる。
(わあっ、これはバッドエンドだ。絶対避けなきゃっ!)
瞼に浮かんだビジョンは、目を背けたくなるようなグロテスクなものだった。
「ごめんね、二人とも連れていけないわ……」
「王女様!」「姫様!」
「…今回はテンと二人で行ってくるわ。二人とも、私が戻るまで城やみんなをお願い」
「そんな…それでは姫様がお一人にっ! 私達でなくとも構いません、姫様付の近衛から誰か腕の立つ騎士をぜひお供に!」
「テンがいるから大丈夫よ」
ビジョンは明確だった。ベテランのヨルンとヒルダがダメなら、他の近衛の誰と行ってもダメだ。
必ず最後は、何か得体の知れない大きな影に倒されてしまう……
「それなら、俺が付いて行こうか?」
「え!?」
どこからともなく聞こえてきた、低い張りのあるセクシーボイス、朗朗とした美声がキッチンに響き渡った。
今の今までキッチンの隅で、昼食の丸々としたロースト肉をちゃっかり美味しそうに食べていた男に一斉に視線が集まる。ナイフとフォークも綺麗に揃え、食べ終わって口の端をナプキンで拭いていた黒髪の冷たい美貌が立ち上がった。
大きな声を出した訳でもないのに、よく通る低い心地の良い声だった。
その上、思わず人を惹きつける美声だけでなく、態度も毅然としていて大したものだ。
完全部外者の筈の男の言葉に、皆が一瞬で魅せられたように耳を傾けてしまっている。
そして向きなおった男の紺碧の瞳が、リナを力強く捉えた。
「俺としても丁度いい、君は俺が採取した魔草でポーションが作れるんだろう? 俺の受けた依頼は、瘴気を必ず抑えることの出来るポーションを入手して村まで配達、だ」
先ほど森から舞い戻ってきたリナの一行に、当然のごとくついてきたこの漆黒の髪の男が、「どうだろう?」と聞いてくる。
「へ? ええと、まあ確かに出来るけど…」
「姫様、いったい彼は何者です。見ない顔ですね?」
城のみんな、コック長から近衛の騎士まで、このイケメンに興味津々のようだった。
特にメイド達の目は、若い者から孫がいそうな年齢のお婆ちゃんに至るまで、ほとんどがハート型だった。
「…彼は森で拾ったのよ。ちょっと不味いところを見られちゃって、コトが収まるまで喋られちゃ困るから迂闊に野放しにも出来ないし、任意で一緒に城に来てもらったの」
「一緒に来れば、昼食を奢ってくれる、という約束だったからな」
「だからちゃんと奢ってあげたじゃない? ちゃっかりお代わりまでしたの、しっかり見てたわよっ!」
こんな綺麗な顔して、よく食べるわね~、と、リナは男が出された料理を綺麗に平らげるのを半分呆れながら見ていたのだった。
「昼食は美味しかった。歓待にも大いに満足した。馳走になった」
黒髪の男は、満足そうに意外と丁寧に昼食の礼を言ってくる。
そう言えば、いまは見当たらないが、先ほどは確かに大きな立派な大剣を背負っていたし、あれだけの剣を扱えるのなら剣の腕前の方も護衛としては大いに期待できる。
その時、メイドの一人がおずおずと男に聞いて来た。
「あの、あなたはもしかして、サライ村の依頼を受けて魔獣を倒してくださった冒険者の方ですか? 黒髪で青い目の凄いイケメン冒険者が瘴気を吸って凶暴化した魔獣を討伐してくれた、と妹から聞いたんですけど?」
「ん? サライ村か、ああ、確かに依頼は受けた。美味しい依頼だった、魔獣の魔石をそのまま報酬として貰い受けたからな」
「やっぱり! 姫様、この方、冒険者としての腕は絶対確かですよ! A級依頼の凶暴化した大型ゴリウザルの集団を一人で、それも一夜で片付けた、と聞いています」
「ええ!? ゴリウザルの集団を?」
ゴリウザルは人の3倍はある、図体の大きな凶暴魔獣だ。
ゴリウザルのオスを中心としたハーレムを形成するので、巨大な魔獣が固まって移動することになる。うっかりハーレム集団の前に姿を現わすと、一斉に襲ってくるので普通は何組かの冒険パーティが組んで人里に近づいた集団を討伐しなければならない。
つまりは一人での討伐は、よっぽど腕に覚えがないと不可能なはずだった。
メイドの報告を受けてキッチンは騒然となった。
そんな凄腕の冒険者など、この国にいたのだろうか?
「はいはい、静かにー! そこのあなた、まだ名前を聞いてなかったわね、私はリナ、あなたの名前は?」
「…俺はシンだ」
黒髪の男が名乗った途端、身体中がまたざわざわと騒めいた。
(やんっ! 何なのこれ? でも、二度も同じ手には乗らないわっ!)
リナは、スウッと呼吸を整え魔力を身体中に意識して回すと、騒めきを瞬く間に収めた。
(んっ もう平気!)
なぜにこの男の言動に、リナの聖女の、多分聖属性魔法の魔力だろうが、反応するのかはわからない。
だがとにかく、こんな些細な事でいちいち動揺なんか、この非常時にしていられない。
リナの第六感は、この男は大丈夫だ、と告げているが、迷った時の神獣頼みだ。
「テン、あなたの意見は?」
「そうですねえ、何かが邪魔してよくわからないのですが、私の感覚としてはオーケーです」
神獣のテンでさえ、この男には何か感じるものがあるらしい。
今は人型に化けているので銀髪をかすかに傾げた美女姿のテンは、不思議そうに好奇心一杯の目でシンを見ている。
(だけど、結論としてはこの男を一緒に連れて行っても、大丈夫ってことよね?)
城の皆には、神獣一角獣テンの言葉は絶大な効果があった。
「テン様がそうおっしゃるのなら大丈夫でしょう。シンとやら、姫様を宜しくお願いしますよ」
「王女様、くれぐれもお大事にお気をつけて」
「みんなも、私のあげた加護の魔石を絶対身体から離しちゃダメよ。身に付けていれば瘴気には絶対囚われないから」
「「はいっ」」
元気に返事をした人々を見て、シンはなるほどと頷いた。
「ヤケに緊迫した話の割にはここの人々は元気があると思ったら、これだけの人数全員に付与効果のある魔石を持たせていたのか。さすがに一流の付与魔石産地のバルドランだな」
「そうだ! 大事なことを忘れていたわ。シン、私の護衛というか、一緒に行動するに当たっての報酬は何がお望み? さっきあなたが言ってたポーションの生成だけでいいの?」
しばらく、ふむ、と考えていたシンは、ニヤリと笑ってリナに言った。
「お礼は成功報酬でいいが、討伐などが上手くいった場合にはそれなりに見合った報酬を頂く。それでいいか?」
その要求は、極、まともな条件だ。
「わかったわ。それでOKよ」
「よし、依頼内容は目的を達成するまでのリナの護衛、だな。それではこの依頼、確かに引き受けた」
こうして、城のみんなと相談した結果、しばらくは教会で治療中と称し、その間は冒険者リナとして依頼を引き受けて増える一方の瘴気発生原因を探ることとなった。
同時に、希望する強い男性を物色するいい機会だとも言えるこの計画に、望みが叶うかも知れないちょっとした期待感で胸が弾んでくる。
そんなリナの様子を眺めながら、「そんなに堂々と街中を歩いて大丈夫なのか?」とシンは不思議そうだ。
「ちょっと待ってて、着替えてくるわ」と答えて、いつもの動きやすい外回り用教会巫女服に着替えると再びキッチンに戻ってきた。
「ほう、そうしていると、なる程、巫女見習いだな」
「実際教会では見習いの仕事してるしね」
「なる程、どうりて様になっている」
「ありがとう」
今朝の生気のなかった様子から一転して、リナはいきいきと快活な本来の姿に戻っていた。
「その髪は本来の色なのか?」と、じっと髪を見つめて聞いてくるシンにも、ニッコリと笑って、「そうよ」とちょっぴり嬉しそうに答える。
ポーションを飲んで髪も元の艶々ストレートの鮮やかな空色に戻したし、白粉も落として唇も肌も血色の良いピンクとすべすべ肌に戻っている。冒険者であるシンのお墨付きももらい、この姿なら自由に動ける、と門限なしの初めてのお出掛けに少々興奮気味な胸が高鳴ってしまう。
薄いブルーグレイの瞳は茶目っ気たっぷりに輝いて、メラニーのようにお色気ムンムンの美女ではないが、自分の容姿はそれほど悪くは無いはず…と、くるりん、とその場で踊り出したくなった。
(絶対、いい旦那様を見つけて、早々に帰還するわっ!)
頬はピンク色に染まり瞳は輝いて、そんなはやる気持ちに駆られて気分は晴れやかだ。
そこに、割と冷静なシンのコメントが落ち着いた声で飛んできた。
「だが、なんとなく胸のあたりがダブついていないか? その服…」
「なっ! 成長期だから、これでいいのっ!」
(こいつだけは、有り得ないっ! 私のっ、イッチバン気にしてる事をっーーーーっ!)
「そうか、意気込んでいるところを悪いが、あの籠の中のモモリンゴも、おやつにもらっていいか?」
「……ええ、どうぞ…」
キッチンの入り口付近に置いてあったカゴにのんびりと手を伸ばす男を、キッっと睨みつけてから、含み笑いを隠しきれていないテンを「テン、行きましょうっ」と促した。大股で、ズンズンと皆のもとに再び戻っていく。
「姫様、くれぐれもお気をつけて」「王女様、お留守の間の城はお任せ下さい」という名残惜しそうな声を後にし、「大丈夫、絶対夫と共にできるだけ早く王城に戻ってくるわ」と見送る皆に、笑顔で手を振った。
城のキッチンから外の様子を、念の為に入念にチェックしてみる。
「こちらへ」と小声で先導してくれるメイドと共にさり気なく、城中の廊下へと抜け出してゆく。
艶やかな空色の髪をポニーテールで纏めた巫女姿のリナは「さあ行きましょう」となんの気負いもせず、城中をいかにも手馴れた様子で歩きだした。
目指すは仲間の警備門番兵が見張っている、先程も通ってきた城の裏門だ。
「おい。門番が先の男と違うぞ、大丈夫なのか?」
「平気平気、まあ見てて」
慌てる様子も見せず、堂々と警備兵の方へ近づいた。
「お疲れ様です」
「ああ、いつも元気だね。今日のお使いはもう済んだのかい?」
「はい、今日はいつもより荷物が重かったので、臨時の荷物持ちを同伴しましたから」
「そうかい、じゃあ帰り道も気を付けてな」
「ありがとうございます」
丁寧に門番に礼をして、トコトコ歩いて堂々と裏門を通ってゆく。
シンとテンはその後を、城の皆が持たせてくれたタオルや毛布などの入ったカバンを背負って静かについて行った。
ここまで来れば声も聞こえないだろう、と思われる城からかなり離れたところでシンに説明を始めた。
「もうバレてると思うけど、私、実はこの国の王女なのよ。本当の名前は、カトリアーナ・バルドラン。ちょっと言いにくい名前でしょ、だから普段はリナ、なの」
不意にそよ風が吹いてきて、空色の髪のポニーテールが、ふわんと揺れて背中を擽った。
(ふふふ、こんなに堂々と本名を名乗るのは、ホント久しぶりだわ……)
「だけどね、ちょっと、というか、あんまりにもしょっちゅう命を狙われるものだから、苦肉の策として病弱でずっと塔に籠っていることになっていたの」
今朝の燻んだ灰色の髪の姿を見ていたシンは、目の前の健康優良児のリナの姿に、成る程と頷いた。
「もちろん陽のある内は塔に籠ってなんかいないわ。教会から病弱な王女様にポーションを差し入れする司祭見習いとして、お使いで出入りも自由だし、昼間は毎日こうやって城外で過ごすのよ」
「もしかして、城の者は君の顔を知らないのか?」
シンの驚いた顔に大きく頷いて、収納指輪に魔力を流して空中に現れた扉を無造作に開く。
シンの信じられない、という顔を薄いブルーグレイの瞳で、へえ、こんな顔もするんだ、面白いー、と観察してみる。
何気にテンから渡された荷物をそのまま、ポイっポイっと次々扉の中に収納していきながら事情を手短に説明した。
「もちろんよ、大きな病気を患って以来、灰色の髪に変色しちゃって病弱体質、年がら年中病気で伏せってて、メイドや医者や御付きの騎士にしか会ってない事になってるんだから」
「先ほどキッチンにいた連中だな」
「そうよ、実際はもっと多くの人数がいるんだけど、公務を疎かには出来ないから、非番や手の空いている人達だけに集まってもらったの」
「結構な人数の味方がいるんだな」
(ホント、皆には感謝しているわ)
荷物をしまい終えると、三人は再び城下町バルドラルの裏街道をゆっくり歩き出した。
「私が、こうして無事育ったのも、皆のおかげよ。それに私、城外では教会に通っていたの。そこでお祖父様がつけてくれた先生に魔法や歴史や色んなことを教わったわ。さっきのヒルダやヨルン達と手合せがわりに冒険者登録したりもして、簡単な一日でできる討伐依頼を受けたこともあるのよ」
王家の姫としての教育は分かるが、王女が冒険者登録とは……
もちろん普通ではないのだが、幼き頃の記憶にある父王の討伐への出撃勇姿を覚えているリナは、それを当たり前だと思っているようだった。
「…まあ市政を知るのも、将来の統率者としてはいい勉強だよな」
「そうでしょう? 今回の婿探し、じゃなかった瘴気解決の旅の件では、ヨルン達が直接お祖父様と段取りをつけてくれているわ。だからね、私達は今から、ただの見習い巫女と冒険者、リナとシンよ」
「私も忘れないでくださいなっ」
「もちろん、テンはいつでも心強い味方よ」
「そちらの事情はわかった。今日はもう昼も過ぎたし、ギルドに戻ってもしょうがないな。リナはこれからどうするつもりだ?」
(そうねえ…取り敢えずは結婚式から帰ってくる連中に鉢合わせしないよう、港町セトを目指すかな……)
今日の結婚式にはリナの味方連中も大勢出席しているが、王家の結婚式に招かれるほどの高位の者達は、このリナのプチ家出に賛成してくれるかは大いに疑問だった。
(動機もなにせ、瘴気の原因探りと婿探し、だもんね……)
もちろん叔父夫婦はリナの味方達が、ガッチリ真実から遠ざけているので、まさか瀕死の王女が動ける状態であるとは夢にも思わないだろう。
「知り合いに会うリスクを避ける為にも、取り敢えずはセトの街に向かいたいわ」
港町セトなら、バルドラルから適度に離れてるし、街も大きい。
大海の国々を行き来する大規模商船も訪れるセトは、活気溢れる港町だ。
冒険ギルドもあるし、万が一にも絶対に見つからないだろう。
「ならまだ昼過ぎだし、セト行きの寄り合い馬車があるだろう。取り敢えず町の辻馬車停留所まで行くか?」
「あら、私ならテンがいるから大丈夫よ、あなたさえ良ければ、このままセトに向かいたいわ」
テンはいつの間にか、銀のフサフサのたてがみを持つ普通の馬に早変わりしていた。
「よし、こっちだ」
感心したように、まばゆい白銀の馬姿のテンを認めたシンは、踵を返すと街道沿いの馬屋の方に歩いてゆく。
こうしてリナは神獣テンと共に、シンとしか名前しか知らない得体の知れない男と、その日から冒険の旅に出ることになった。
国は小さいながらも上質のポーションを産出し、近隣の森で出没する魔獣を狩って確保した魔石も豊富である。加えてそれらを加工した付与付き魔石の装飾品作りも盛んで、割と高価な特産品のお陰で国の産業が成り立っている。
大量生産はしていないが、それら特産品の質の良さでは他国でも聞こえが高い。
北は大山脈、南は大海、北東に向かって氷の大地に続く大森林、やや南西には隣国との間に高い高い崖の台地が横たわっていて、孤立しがちなこの国も特殊産業が発達しているお陰で程よく潤っていた。
西隣の隣国、大国カルドランとは地続きではあったが、特殊な地形により国同士の行き来は海運に限られている。
二国間には、見上げても先が見えない山脈並みの断崖絶壁の台地が横たわるせいで、陸からのアクセスは飛龍でも使わない限りどうしようもなかったのだ。
飛龍は極めて貴重な妖魔獣で、市場には滅多に出てこない。
小国のバルドランには手に入れる機会もなく、他国との交流は隣国に限らず、もっぱら海での交通に頼っている。
だがその分、船での貿易は大変盛んで、バルドランの港町セトには自他国の商船や客船が絶え間なく往き来している。
外貨との摩擦を避ける為にも適度な関税が定められており、各国の金融機関の支店もこの国には進出してきている。
そんな国事情で、世界の果てに位置するバルドランは、国の規模の割には外交も盛んである。
政治的にも代々続く王家が国を治めていて、安定した王政が行き届いていた。
森に出没する魔獣と戦う兵士は自然と鍛えられ、特産品産業も発達し、小さいながらも平和な王国だったのだ。
ところある時、国王夫妻が国賓として出かけた帰りの航海で嵐に遭遇し、帰らぬ人達となってしまった。
悲報を聞いて泣き崩れた母后は後を追うよう亡くなり、引退した前国王も体調を崩し滅多に人前に出ることはなくなった。
活気のあったこの国も続く悲報に国全体が意気消沈したが、まだ希望の光は人々の心に灯っていた。
国一の魔法騎士であった国王と聖女と名高かった王妃の間に生まれた一人娘カトリアーナ王女は、幼かったため、この旅路には同行していなかったのだ。
一人娘で王位継承権一位であるリナは、悲劇の事故当時は王位を継ぐにはまだ幼過ぎた。
女王に即位できる歳になるまで、宰相と当時は穏健派であった王弟、リナにとっては叔父に当たるヨセフが摂政として政治を取り仕切ることになったのだ。
『カトリアーナ王女が一人前になって立派な夫を迎えるまで、私が国政を預かろう』
しかしながら温厚で優しかった叔父の様子が、リナが『女狐』と呼ぶ子連れの女性アイラと結婚した頃から、だんだんと変わってきたのだ。
アイラの連れ子である、メラニーが大きくなるにつれ、リナの命が何度も狙われるようになった。
国の教会司祭であり、外戚でもあるリナの祖父は、そんな事件が増えるにつけ危機感に囚われた。
このままでは、いつか孫は本当に亡き者にされてしまうのではと……
相次ぐ王女暗殺未遂事件に、折しも、王城に努める宰相をはじめ穏健派貴族や騎士達なども、城中の不穏な空気に懸念を抱きはじめていた。
こうして、祖父の協力と城中の味方を経たリナは、この国で一人前の大人と見なされる18歳になるまで『原因不明の病にかかって以来、病弱体質になってしまった故に塔で静かに療養する』ということに表向きとり計らわれたのだった。
そんな不自由を強いられたリナには、幼き時から父王が定めた婚約者、辺境伯の息子ローリーがいた。
歳も近かった二人は、幼少の頃から仲も良く、辺境伯が城に参勤する度によく一緒に遊んだ。
幼き頃からリナはいつか自分が結婚して女王になる、と教えられていた為、温厚な性格であったローリーと結婚することにはさして反抗心も持たず、事実として受け止めていた。
『リナ、結婚するなら僕が一人前になってから君にプロポーズする。だから、待ってて』と言う彼の言葉を信じていたのだ。
ローリーが、将来の為に騎士の中でもエリートである近衛隊員を目指している、と手紙で教えてくれた時から、彼の成長を楽しみに過ごす日々となった。
そうして、結婚できる18歳を幾年か過ぎても、いつか来るその日を心待ちにしていたのに……
(そうよね、浮気なんて疑いもせず、大人しく待っていた間抜けな自分が信じられないわ……)
ここ10年程は病弱な設定になっていたので彼と直接会うことはなかった。が、それでもせっせと手紙のやりとりを続けて、朗報を待ち望んでいた矢先のことだった。この手酷い裏切りに見舞われたのは……
風の噂では、メラニー姫からの色仕掛けの罠にまんまとハマってしまい、誘惑に負けて一夜を過ごした責任をローリーが取る、という形で今回の結婚式に至ったらしい……
自分はあの女狐の娘に婚約者を寝取られたのだ!
婚約破棄をローリーから手紙で告げられた時、リナはショックのあまり真っ白に燃え尽きてしまい、しばらくはその場から動けなかった。
(嘘っーーーー! こんなことって……)
やがて、悔しさと後悔、怒りに焦りなどの感情がすべて一緒くたに詰まった、大きな鉛玉を飲み込んでしまったかのような息苦しさを覚えた。生まれて初めて、クラっと目眩がきて、気がついた時には、がっくりと床に手をついてしまっていた。
バルドラン法典では夫がいないと女王に即位できないことになっており、今回のローリーの婚約破棄は二重の意味でのショックだったのだ……
「あんの裏切り者! 何が『僕が近衛隊員になったらリナを守ってあげる』だぁ、メラニーごときの誘惑に、負けてるんじゃあないわよっ!」
「まあまあ、姫様、お気持ちは良く分かりますが、過ぎ去った男の愚痴を言っても何も始まりません。今はそれより、今後どうする?です」
ローリーとメラニーの結婚式出席を嬉々として放棄した後、リナ達は急いで森から城に戻ってきた。
只今、城内の広々としたキッチンで皆が見守る中、「緊急事態発生! 今朝の姫様暗殺事件にどう対応する?」会議が、急遽開かれている最中であった。
出席メンバーは、ヨルンとヒルダの早急召集呼びかけで集まった、先王を慕ってリナの病弱王女ぶりを演出してくれた数々の使用人達、魔法騎士達だ。
後援会員の貴族たちは、結婚式出席のため皆留守であった。
「っ大体、なんで女王になるのに夫が必要なのよっ! どこの誰よ! あんな時代遅れの法を定めたのはーっっ!」
「…姫様の尊いご先祖様です。お気に召さないのであればご自分が女王になった暁にでも、法を改正なされば宜しいかと…」
「分かってるわよっ、ちょっと愚痴って見ただけよ…」
自分だって、王政の定めで跡継ぎが大事なことぐらいは分かっている。
だけど、不可抗力ではあったがこんな状況に追い込まれてしまったのだ。
たとえ、安らかにお眠り下さっているご先祖様の御魂であろうと、今は揺さぶり起こして愚痴の一つぐらい聞いてもらいたい、そんな心境であった。
「…何にしろ今回は真剣に考えなくちゃね、こんな真っ昼間に堂々と仕掛けて来たのって、初めてだし…」
「そうですねえ、今まではネチネチと食事に毒を入れてみたり、チマチマと寝込みを襲ったり、程度でしたのに…」
「間抜けにもすべて未遂ですけど…」と続いたテンやヒルダの言葉に考え込んでいたヨルンは、思い切った様子で提案してきた。
「王女様、思うにこの城にこれ以上留まれても、お命を更に狙われるだけで、あまり意味がないように思われます」
(はあ~、やっぱりそうよね)
分かってはいるのだが、敢えて考えないようにしていたのだ。
「今までは、かの方が出世されるまでは、と明確な理由がありました。しかしながら、その根本が崩れた以上、この城に御身を留めおく必要はないのでは?」
「ええ、その通りなのだけど…」
病弱設定だった為に、生まれた時から暮らしているこの城と城下街バルドラル周辺しかリナは知らなかった。
知識で得た外の世界に、興味はもちろんある。
今日までは、不安に揺れる心がヨルンに指摘された事実を、前向きに検討することを躊躇わせていたのだったが……
「いかがでしょう、ここはいっその事、『王女様は賊に襲われ瀕死の重傷を負われたため教会で静養する』という名目で、一旦城を出るというのは?」
「教会、かあ。教会本部の巫女見習いは、そりゃあ確かに続けられるけど…」
「本部はポーションの研究室もあり鉄壁の守りでネズミ一匹近づけません。教会に留まる必要はないのです。いくらでも静養中、面会謝絶で誤魔化せますし」
「ああ、なるほど。良い案だ、ヨルン」
ヒルダも、ヨルンの言葉に賛同するように大きく頷いている。
ふうむ、と考えてみれば、確かに教会には同じ年頃の女性が沢山出入りしている。
教会が、聖属性魔法保持者の為に、ポーションの生成や付与魔法、治癒魔法の教室を主催しているからだ。
リナもこっそり城を抜け出しては、巫女見習いと称して一通り教室には通っており、全ての課程は習得済みだった。
しばらくヨルンの案を熟考したリナは、ある結論へと辿りついた。
「ねえ、確か、法典には王女が女王となるには夫が必要、とだけ記してあるだけで、夫の身分の制限はないはずよね?」
「はい、確かに仰る通りです。ですが、代々王族の姫は、外交策も兼ねて国内外の貴族や他国の王族と婚姻関係を結ぶことで、この国の安定に貢献なさってこられました」
「でも、はっきり言って、幽霊王女と呼ばれるこの私と結婚してくれそうな貴族の男性って、この国にいると思う?」
「それは……」
ヨルンやヒルダだけでなく、城の皆まで目を泳がせている。
お世辞にも、「もちろんですとも、どなたか尊い犠牲心を持ったお方が……」とも言ってくれない正直者ばかりなのだ。
(はっきり言って、とは確かに言ったけど、王女の私にこの態度…こんなんでどうやって今まであの叔父一家を騙せてきたのかしら…?)
「やっぱり、いないわよねー…特に今は国が揺れてる時だし、外交問題も大きくなってきてるし、その上病弱な妻の看病という苦労をわざわざ買ってでる、高尚で高徳な独身の貴族の方なんて……」
実際は病弱うんぬんは、デマである。
しかし、リナの言う通り、女王の夫は、独身貴族からすれば魅力のある地位では決してないのだ。
なんせリナが女王なのだから、夫はそれ以上の権力を持てない。
その上、財布の紐はガッチリ握られ贅沢が出来るわけでもなし、世間の目があるから浮気はおろか再婚も望めない。
すでに重要職についているとか、よっぽど特殊な事情がない限り、はっきり言って夫はお飾りに近い立場だ。
(う~ん、私って、幽霊王女って噂になっちゃってるし、『それでも婿になるっ』て言う気骨のある年頃の貴族の男性って周りにはいなさそう……)
いくら高尚で独身でも、世継を残してもらわないと…なので、それなりにお年を召した貴族は当然却下だった。
なんと言ってもリナにはローリーという婚約者がいた為、年頃の貴族の男性達と全く交友をしてこなかったのが、今回やっぱり痛かった……
「こうなったら、今から他国の年頃の貴族や王子達の実態調査でも行いますか?」
「資料が揃うまでに何年かかるかしら? そんなに待っていられないわ。ここは思いきって、こちらから婿探しの旅に出ようかと思うのだけど」
さっき思いついた名案を、意を決して声にしてみる。
「婿探し…ですか?」
「世界は広いのよ、度量が広くて、政治的にも敏腕な独身男性がきっとどこかにいるはずっ」
そう、この国にいないのなら、こちらから出向いて探してみればいいのではないか?
それは一旦言葉にすると、いかにも理にかなっている案のような気がした。
「それに、この頃頻繁になってきたこの国の瘴気の問題には、何か不吉なものを感じるわ。叔父はこの件をほったらかしだけど、即位すれば私が指揮をとって調査にも乗り出さなくちゃいけないし、自由に動ける今は、かえって瘴気の根源を探し出す絶好のチャンスかも」
リナの言葉に、テンは、一考する価値はあるといった顔だ。
「そうですねえ、せっかく、実戦訓練を兼ねて冒険者ギルドに『リナ』として登録してあるのだし、この身分証を活用すれば、リナが『挑戦してみたい』と言っていた、瘴気で汚染された魔獣討伐依頼にも赴くことが出来ますねぇ」
「それは確かにそうかも! そうしたら他の冒険者の人達にも出会えるわ。私もできるなら旦那様にはせめて、私以上に腕の立つ人になってもらいたいし」
(冒険者ギルド、かあ…城の魔法騎士以外の強い男性に巡り会える、良い機会かもしれない……)
これまでは、城の門限までには帰城しなければならない時間制限があった。
したがって冒険者としてはバルドラル周辺限定の依頼しか受けることができなかったのだ。
そんなお使いのような依頼では、他の冒険者に出会えることも滅多になかった。
それに、ローリーは気立ては確かによかったが、何せお坊っちゃま育ちであった。
将来の女王の婿候補だったため、皆本気で戦って怪我でも負わせては、と試合でも対戦相手は遠慮がちで審判の判定勝ちが多かった、と聞き及んでいる。
加えて、リナが覚えている限りローリー本人はもともと、剣より花や植物を育てる分野に興味がある人柄、だったはずだ。
婚約者だからそれでも構わないと思っていたが、本音を言えばやっぱり、弱い男性よりは強い男性の方が好みでもあったのだ。
「そうですねえ、バルドランの王室に新しい血を取り入れて貴族以外の方を婿に迎えるのも、選択の一つとして面白いかもしれません」
何百年も昔から、バルドランにちょくちょくと遊びに来ていたらしいテンは、この案が結構気に入っているようだ。
バルドランは確かに小さな国だ。
この小さな国の貴族間だけで、婚姻を結ぶのにも限界があった。
規模でいうなら、隣のカルドランの辺境伯の方が、バルドラン国土全体よりもよっぽど大きな領地を治めているのだ。
御先祖の中には通貨もカルドランギルを使っているのだし、いっそのこと併合してもらった方が国の為にも、と考えた国王もいたらしい。
大国のカルドランは昔からありがたい事に、こんな小さな隣国のバルドランを対等に扱う事はあっても、決して見下したり攻めてきた前歴はない。
両国の関係は、いつでも良好だった。
その良好な関係が、叔父の政策のせいで近頃ギクシャクしだしたのだ。
摂政である叔父は何故か、この頃カルドランへのポーションの取引を制限しており、使者がなんども訪れては、『どう言うことなのか?』と外交上の問題にまで発展している。
(こんな小さな国なのに、何でお隣と喧嘩なのよ!)
その上、叔父は徐々に関税も引き上げていく、と議会で発言している。
宰相をはじめ、多くの貴族の反対で今の所断念はしているものの、外交的には頭の痛い発言に関係者は戸惑っていた。
リナの耳には、酔った席で叔父が自慢げに口を滑らした発言も、穏健派の貴族を通して入ってきていた。
「この国のポーションや付与魔石は、世界に稀見る上質のものだ。欲しいなら、値を釣り上げても文句はないだろう。その金で軍事強化を強いて、この国を世界一の強国に育てるのだ!」
誰もそんな事など望んでいないのに、叔父の一家だけが積極的にこの政策を推し進めており、視野の狭い愛国者を、ジワジワと増やしているのだ。
平和が一番、とある程度潤いのある静かな田舎暮らしを願うバルドラン国民にとって、それはとんでもなく見当違いの野望だった。
(まったく、この頃各国では、魔獣が瘴気に汚染されて凶暴化するケースが増えて問題になっているというのに!)
そんなことを考える暇があるなら、人々の暮らしを苦しめている、瘴気の問題にでも取り組んで欲しいものだ。
叔父の暴走がこの頃、やけに顕著になってきているような気がする。
それに実際は、国庫のお金を軍事強化などに費やしてはいない。
財政の方では叔父一家の贅沢な出費が多くて困る、と頭を抱えているのだ。
(だけど、叔父は昔は優しかったし、できることなら争いたくないのね)
甘い、と言われても、両親が亡くなった頃の優しい叔父を覚えている。
身内で内戦だけは、避けたかった。
リナが夫を迎えさえすれば、すんなり合法的に叔父は摂政から平和リタイアだ。
「取り敢えずは私、この城を出るわ。このままでは結婚できる可能性はほとんどないし、自力で夫を見つけてみせる!」
「では、私とヒルダは王女様の護衛としてお供しましょう。皆は王女様が帰還されるまで留守を頼んだぞ。しっかり城を守るのだ」
「そうですね、姫様、ぜひ私もお連れ下さい」
ヨルンとヒルダが意気込んで立ち上がった。
「そうね、冒険者パーティを組むにしても仲間がいないと…あっ、待って……」
一瞬、お腹のあたりが熱くなって、自然と目を閉じると瞼にビジョンが浮かんでくる。
リナの身体から、ボンヤリ天啓の証である聖なる光が、ふわっと滲み出ていた。
「姫様! お告げですか?!」
「王女様!」
みんな固唾を飲んで、リナの言葉を待っている。
この小さな国が、こんなに長い間平和を守って来れたのも、やはりそれなりに理由があるのだ。
それは、他の国に比べて格段に多い、この国の聖属性魔法の使い手達の活躍であった。
特にリナの母は、聖女と呼ばれるほどの一流の使い手だった。
天啓は、聖属性魔法の使い手に訪れる、いわば未来のビジョンだ。
それは決して予知に限定されず、このまま行動すれば、という仮定の未来視も含んでいる。
(わあっ、これはバッドエンドだ。絶対避けなきゃっ!)
瞼に浮かんだビジョンは、目を背けたくなるようなグロテスクなものだった。
「ごめんね、二人とも連れていけないわ……」
「王女様!」「姫様!」
「…今回はテンと二人で行ってくるわ。二人とも、私が戻るまで城やみんなをお願い」
「そんな…それでは姫様がお一人にっ! 私達でなくとも構いません、姫様付の近衛から誰か腕の立つ騎士をぜひお供に!」
「テンがいるから大丈夫よ」
ビジョンは明確だった。ベテランのヨルンとヒルダがダメなら、他の近衛の誰と行ってもダメだ。
必ず最後は、何か得体の知れない大きな影に倒されてしまう……
「それなら、俺が付いて行こうか?」
「え!?」
どこからともなく聞こえてきた、低い張りのあるセクシーボイス、朗朗とした美声がキッチンに響き渡った。
今の今までキッチンの隅で、昼食の丸々としたロースト肉をちゃっかり美味しそうに食べていた男に一斉に視線が集まる。ナイフとフォークも綺麗に揃え、食べ終わって口の端をナプキンで拭いていた黒髪の冷たい美貌が立ち上がった。
大きな声を出した訳でもないのに、よく通る低い心地の良い声だった。
その上、思わず人を惹きつける美声だけでなく、態度も毅然としていて大したものだ。
完全部外者の筈の男の言葉に、皆が一瞬で魅せられたように耳を傾けてしまっている。
そして向きなおった男の紺碧の瞳が、リナを力強く捉えた。
「俺としても丁度いい、君は俺が採取した魔草でポーションが作れるんだろう? 俺の受けた依頼は、瘴気を必ず抑えることの出来るポーションを入手して村まで配達、だ」
先ほど森から舞い戻ってきたリナの一行に、当然のごとくついてきたこの漆黒の髪の男が、「どうだろう?」と聞いてくる。
「へ? ええと、まあ確かに出来るけど…」
「姫様、いったい彼は何者です。見ない顔ですね?」
城のみんな、コック長から近衛の騎士まで、このイケメンに興味津々のようだった。
特にメイド達の目は、若い者から孫がいそうな年齢のお婆ちゃんに至るまで、ほとんどがハート型だった。
「…彼は森で拾ったのよ。ちょっと不味いところを見られちゃって、コトが収まるまで喋られちゃ困るから迂闊に野放しにも出来ないし、任意で一緒に城に来てもらったの」
「一緒に来れば、昼食を奢ってくれる、という約束だったからな」
「だからちゃんと奢ってあげたじゃない? ちゃっかりお代わりまでしたの、しっかり見てたわよっ!」
こんな綺麗な顔して、よく食べるわね~、と、リナは男が出された料理を綺麗に平らげるのを半分呆れながら見ていたのだった。
「昼食は美味しかった。歓待にも大いに満足した。馳走になった」
黒髪の男は、満足そうに意外と丁寧に昼食の礼を言ってくる。
そう言えば、いまは見当たらないが、先ほどは確かに大きな立派な大剣を背負っていたし、あれだけの剣を扱えるのなら剣の腕前の方も護衛としては大いに期待できる。
その時、メイドの一人がおずおずと男に聞いて来た。
「あの、あなたはもしかして、サライ村の依頼を受けて魔獣を倒してくださった冒険者の方ですか? 黒髪で青い目の凄いイケメン冒険者が瘴気を吸って凶暴化した魔獣を討伐してくれた、と妹から聞いたんですけど?」
「ん? サライ村か、ああ、確かに依頼は受けた。美味しい依頼だった、魔獣の魔石をそのまま報酬として貰い受けたからな」
「やっぱり! 姫様、この方、冒険者としての腕は絶対確かですよ! A級依頼の凶暴化した大型ゴリウザルの集団を一人で、それも一夜で片付けた、と聞いています」
「ええ!? ゴリウザルの集団を?」
ゴリウザルは人の3倍はある、図体の大きな凶暴魔獣だ。
ゴリウザルのオスを中心としたハーレムを形成するので、巨大な魔獣が固まって移動することになる。うっかりハーレム集団の前に姿を現わすと、一斉に襲ってくるので普通は何組かの冒険パーティが組んで人里に近づいた集団を討伐しなければならない。
つまりは一人での討伐は、よっぽど腕に覚えがないと不可能なはずだった。
メイドの報告を受けてキッチンは騒然となった。
そんな凄腕の冒険者など、この国にいたのだろうか?
「はいはい、静かにー! そこのあなた、まだ名前を聞いてなかったわね、私はリナ、あなたの名前は?」
「…俺はシンだ」
黒髪の男が名乗った途端、身体中がまたざわざわと騒めいた。
(やんっ! 何なのこれ? でも、二度も同じ手には乗らないわっ!)
リナは、スウッと呼吸を整え魔力を身体中に意識して回すと、騒めきを瞬く間に収めた。
(んっ もう平気!)
なぜにこの男の言動に、リナの聖女の、多分聖属性魔法の魔力だろうが、反応するのかはわからない。
だがとにかく、こんな些細な事でいちいち動揺なんか、この非常時にしていられない。
リナの第六感は、この男は大丈夫だ、と告げているが、迷った時の神獣頼みだ。
「テン、あなたの意見は?」
「そうですねえ、何かが邪魔してよくわからないのですが、私の感覚としてはオーケーです」
神獣のテンでさえ、この男には何か感じるものがあるらしい。
今は人型に化けているので銀髪をかすかに傾げた美女姿のテンは、不思議そうに好奇心一杯の目でシンを見ている。
(だけど、結論としてはこの男を一緒に連れて行っても、大丈夫ってことよね?)
城の皆には、神獣一角獣テンの言葉は絶大な効果があった。
「テン様がそうおっしゃるのなら大丈夫でしょう。シンとやら、姫様を宜しくお願いしますよ」
「王女様、くれぐれもお大事にお気をつけて」
「みんなも、私のあげた加護の魔石を絶対身体から離しちゃダメよ。身に付けていれば瘴気には絶対囚われないから」
「「はいっ」」
元気に返事をした人々を見て、シンはなるほどと頷いた。
「ヤケに緊迫した話の割にはここの人々は元気があると思ったら、これだけの人数全員に付与効果のある魔石を持たせていたのか。さすがに一流の付与魔石産地のバルドランだな」
「そうだ! 大事なことを忘れていたわ。シン、私の護衛というか、一緒に行動するに当たっての報酬は何がお望み? さっきあなたが言ってたポーションの生成だけでいいの?」
しばらく、ふむ、と考えていたシンは、ニヤリと笑ってリナに言った。
「お礼は成功報酬でいいが、討伐などが上手くいった場合にはそれなりに見合った報酬を頂く。それでいいか?」
その要求は、極、まともな条件だ。
「わかったわ。それでOKよ」
「よし、依頼内容は目的を達成するまでのリナの護衛、だな。それではこの依頼、確かに引き受けた」
こうして、城のみんなと相談した結果、しばらくは教会で治療中と称し、その間は冒険者リナとして依頼を引き受けて増える一方の瘴気発生原因を探ることとなった。
同時に、希望する強い男性を物色するいい機会だとも言えるこの計画に、望みが叶うかも知れないちょっとした期待感で胸が弾んでくる。
そんなリナの様子を眺めながら、「そんなに堂々と街中を歩いて大丈夫なのか?」とシンは不思議そうだ。
「ちょっと待ってて、着替えてくるわ」と答えて、いつもの動きやすい外回り用教会巫女服に着替えると再びキッチンに戻ってきた。
「ほう、そうしていると、なる程、巫女見習いだな」
「実際教会では見習いの仕事してるしね」
「なる程、どうりて様になっている」
「ありがとう」
今朝の生気のなかった様子から一転して、リナはいきいきと快活な本来の姿に戻っていた。
「その髪は本来の色なのか?」と、じっと髪を見つめて聞いてくるシンにも、ニッコリと笑って、「そうよ」とちょっぴり嬉しそうに答える。
ポーションを飲んで髪も元の艶々ストレートの鮮やかな空色に戻したし、白粉も落として唇も肌も血色の良いピンクとすべすべ肌に戻っている。冒険者であるシンのお墨付きももらい、この姿なら自由に動ける、と門限なしの初めてのお出掛けに少々興奮気味な胸が高鳴ってしまう。
薄いブルーグレイの瞳は茶目っ気たっぷりに輝いて、メラニーのようにお色気ムンムンの美女ではないが、自分の容姿はそれほど悪くは無いはず…と、くるりん、とその場で踊り出したくなった。
(絶対、いい旦那様を見つけて、早々に帰還するわっ!)
頬はピンク色に染まり瞳は輝いて、そんなはやる気持ちに駆られて気分は晴れやかだ。
そこに、割と冷静なシンのコメントが落ち着いた声で飛んできた。
「だが、なんとなく胸のあたりがダブついていないか? その服…」
「なっ! 成長期だから、これでいいのっ!」
(こいつだけは、有り得ないっ! 私のっ、イッチバン気にしてる事をっーーーーっ!)
「そうか、意気込んでいるところを悪いが、あの籠の中のモモリンゴも、おやつにもらっていいか?」
「……ええ、どうぞ…」
キッチンの入り口付近に置いてあったカゴにのんびりと手を伸ばす男を、キッっと睨みつけてから、含み笑いを隠しきれていないテンを「テン、行きましょうっ」と促した。大股で、ズンズンと皆のもとに再び戻っていく。
「姫様、くれぐれもお気をつけて」「王女様、お留守の間の城はお任せ下さい」という名残惜しそうな声を後にし、「大丈夫、絶対夫と共にできるだけ早く王城に戻ってくるわ」と見送る皆に、笑顔で手を振った。
城のキッチンから外の様子を、念の為に入念にチェックしてみる。
「こちらへ」と小声で先導してくれるメイドと共にさり気なく、城中の廊下へと抜け出してゆく。
艶やかな空色の髪をポニーテールで纏めた巫女姿のリナは「さあ行きましょう」となんの気負いもせず、城中をいかにも手馴れた様子で歩きだした。
目指すは仲間の警備門番兵が見張っている、先程も通ってきた城の裏門だ。
「おい。門番が先の男と違うぞ、大丈夫なのか?」
「平気平気、まあ見てて」
慌てる様子も見せず、堂々と警備兵の方へ近づいた。
「お疲れ様です」
「ああ、いつも元気だね。今日のお使いはもう済んだのかい?」
「はい、今日はいつもより荷物が重かったので、臨時の荷物持ちを同伴しましたから」
「そうかい、じゃあ帰り道も気を付けてな」
「ありがとうございます」
丁寧に門番に礼をして、トコトコ歩いて堂々と裏門を通ってゆく。
シンとテンはその後を、城の皆が持たせてくれたタオルや毛布などの入ったカバンを背負って静かについて行った。
ここまで来れば声も聞こえないだろう、と思われる城からかなり離れたところでシンに説明を始めた。
「もうバレてると思うけど、私、実はこの国の王女なのよ。本当の名前は、カトリアーナ・バルドラン。ちょっと言いにくい名前でしょ、だから普段はリナ、なの」
不意にそよ風が吹いてきて、空色の髪のポニーテールが、ふわんと揺れて背中を擽った。
(ふふふ、こんなに堂々と本名を名乗るのは、ホント久しぶりだわ……)
「だけどね、ちょっと、というか、あんまりにもしょっちゅう命を狙われるものだから、苦肉の策として病弱でずっと塔に籠っていることになっていたの」
今朝の燻んだ灰色の髪の姿を見ていたシンは、目の前の健康優良児のリナの姿に、成る程と頷いた。
「もちろん陽のある内は塔に籠ってなんかいないわ。教会から病弱な王女様にポーションを差し入れする司祭見習いとして、お使いで出入りも自由だし、昼間は毎日こうやって城外で過ごすのよ」
「もしかして、城の者は君の顔を知らないのか?」
シンの驚いた顔に大きく頷いて、収納指輪に魔力を流して空中に現れた扉を無造作に開く。
シンの信じられない、という顔を薄いブルーグレイの瞳で、へえ、こんな顔もするんだ、面白いー、と観察してみる。
何気にテンから渡された荷物をそのまま、ポイっポイっと次々扉の中に収納していきながら事情を手短に説明した。
「もちろんよ、大きな病気を患って以来、灰色の髪に変色しちゃって病弱体質、年がら年中病気で伏せってて、メイドや医者や御付きの騎士にしか会ってない事になってるんだから」
「先ほどキッチンにいた連中だな」
「そうよ、実際はもっと多くの人数がいるんだけど、公務を疎かには出来ないから、非番や手の空いている人達だけに集まってもらったの」
「結構な人数の味方がいるんだな」
(ホント、皆には感謝しているわ)
荷物をしまい終えると、三人は再び城下町バルドラルの裏街道をゆっくり歩き出した。
「私が、こうして無事育ったのも、皆のおかげよ。それに私、城外では教会に通っていたの。そこでお祖父様がつけてくれた先生に魔法や歴史や色んなことを教わったわ。さっきのヒルダやヨルン達と手合せがわりに冒険者登録したりもして、簡単な一日でできる討伐依頼を受けたこともあるのよ」
王家の姫としての教育は分かるが、王女が冒険者登録とは……
もちろん普通ではないのだが、幼き頃の記憶にある父王の討伐への出撃勇姿を覚えているリナは、それを当たり前だと思っているようだった。
「…まあ市政を知るのも、将来の統率者としてはいい勉強だよな」
「そうでしょう? 今回の婿探し、じゃなかった瘴気解決の旅の件では、ヨルン達が直接お祖父様と段取りをつけてくれているわ。だからね、私達は今から、ただの見習い巫女と冒険者、リナとシンよ」
「私も忘れないでくださいなっ」
「もちろん、テンはいつでも心強い味方よ」
「そちらの事情はわかった。今日はもう昼も過ぎたし、ギルドに戻ってもしょうがないな。リナはこれからどうするつもりだ?」
(そうねえ…取り敢えずは結婚式から帰ってくる連中に鉢合わせしないよう、港町セトを目指すかな……)
今日の結婚式にはリナの味方連中も大勢出席しているが、王家の結婚式に招かれるほどの高位の者達は、このリナのプチ家出に賛成してくれるかは大いに疑問だった。
(動機もなにせ、瘴気の原因探りと婿探し、だもんね……)
もちろん叔父夫婦はリナの味方達が、ガッチリ真実から遠ざけているので、まさか瀕死の王女が動ける状態であるとは夢にも思わないだろう。
「知り合いに会うリスクを避ける為にも、取り敢えずはセトの街に向かいたいわ」
港町セトなら、バルドラルから適度に離れてるし、街も大きい。
大海の国々を行き来する大規模商船も訪れるセトは、活気溢れる港町だ。
冒険ギルドもあるし、万が一にも絶対に見つからないだろう。
「ならまだ昼過ぎだし、セト行きの寄り合い馬車があるだろう。取り敢えず町の辻馬車停留所まで行くか?」
「あら、私ならテンがいるから大丈夫よ、あなたさえ良ければ、このままセトに向かいたいわ」
テンはいつの間にか、銀のフサフサのたてがみを持つ普通の馬に早変わりしていた。
「よし、こっちだ」
感心したように、まばゆい白銀の馬姿のテンを認めたシンは、踵を返すと街道沿いの馬屋の方に歩いてゆく。
こうしてリナは神獣テンと共に、シンとしか名前しか知らない得体の知れない男と、その日から冒険の旅に出ることになった。
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