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婚約破棄、されました

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馬車の窓からふと、視線をあげて空を見上げた。
今日の天気は朝っぱらから、腹立たしいほど快晴だ。
晴れ渡った青空には、ふわふわの綿菓子のような真っ白な雲が浮かんでいる。
けれども、眩しいほどの好天気とはまるで対照的なリナ、ことカトリアーナ・バルドラン王女の心は、雨模様の憂鬱な気分であった。

(…はあ~、今すぐ引き返して、城に戻りたい……)

それもそのはず、この馬車の行き先に待ち受けるのは元婚約者の結婚式だ。
傷ついた乙女が平気なフリをして出席しなければならない、厳しい現実であったのだ。

磨き上げられた車窓には、くすんだ灰色の髪がボンヤリと映っている。
沈んだ気分を少しでもまぎらわそうと、丁寧にまとめ上げられた髪に手をやり、わざとほつれを少し作ってみる。

(…やっぱり、何とかしてサボれないかしら?)

ほつれた髪をいじりながら、思わず重い溜息が漏れた。
今日はこれで何回目の、タメ息だろうか?

(どうせ、却下されるでしょうけど……)

そうは思いながらもダメ元で、隣の御付おつき侍女に化けているテンに、何度目かの提案を懲りずに持ちかけてみた。

「ねえ、テン、こう言うのはどう? 朝食の卵にあたって、腹痛で欠席…」
「駄目です、仮にも名目上は王家の結婚式に、王女がトイレにこもって欠席するなど、前代未聞です。恥を知りなさい、恥を!」

やっぱりよね、とは思いながらも、リナにしては珍しく、返す声が苦々しくなってしまった。

「ええ~っ、だって、幽霊王女と呼ばれる私が欠席したって、誰も気にしないわよ。ってか、絶対喜ばれるわ、たぶんあの『女狐』とか、今日の主役の花嫁辺りに…」
「確かにそうかも知れません…ですが、ここで尻尾を巻いて逃げるような真似だけは、絶対にダメです」
「いや、まあ、そうなんだけど…」
「もちろん、この結婚には私だって、ホンット腹が立っています。それにですねえ、いつかあの連中にリナの本当の姿を見せつけて、吠え面をかかせてやる!と思っているのは私だけではないはずですよ!」

それは当然自分とて、出来るならそうしたい、けれども……

「…まあ、ローリーがメラニーに突然心変わりしたのも、きっと仕方がないことなのよ。自分で言うのも何だけど、病弱で塔から一歩も出ない灰色の幽霊王女と呼ばれる私より、一応美女だし、体面上は王族の姫だし、普通はメラニーの方がどう考えたって、美味しい物件よね……」

幼い頃からの婚約者であるローリーに、突然、婚約破棄をされてしまった。
あまりにもショックで、自分自身に「表向きはそうなんだから、仕方ないじゃない…」と何百回も言い聞かせてきた。だが、こんな言い訳を口にしても、なんの気休めにもならないこともわかっている。

「そんなの、あちらの勝手です。前王様の時世から取り決めてあったリナとの結婚を、白紙に戻しただけでなく、アッサリメラニーに乗り換えるなんて! 馬鹿にするのにも、程がある!」

『あのメラニー』とは、叔父が結婚した女の連れ子のことだ。
王家の血は一滴も受け継いでいないのだが、本人も叔父一家も王家の姫だ豪語しており、一応王族扱いされている。
おまけに、美女だと評判になってはいるのだが、彼女自身は身持ちの固い方では決してないらしい。様々な貴族との噂が何かと絶えない、有り体に言えば、浮名を流しまくっている女性でもあった。

リナは王位継承権一位の王家の姫ではあったが、ローリーの立場にしてみれば、亡くなった父の弟、王弟の娘である妖艶な美女、メラニーの方が幽霊王女に比べれば良い縁組なのだろう。

(でも、理屈は分かってるけど、やっぱり割り切れないものよね……)

「いやまあそうだけど、何で婚約破棄された私より、城のみんなの方がこんな感情的なのよ……」

強がってはみるものの、今度の婚約破棄の件では、本当はリナも心の底から参っていたのだ。
実際には、皆が自分の分まで怒ってくれるたびに、少しづつ自分の鬱憤も減っていくような気がしていた。
ゆえに、まるで自分の娘のことのように気にかけてくれる皆には、実はとっても感謝している。

そんな健気にもカラ元気を装っているリナではあったが、ローリーとメラニーの結婚式である今日だけは、さすがに顔色も冴えず薄いブルーグレイの瞳は曇りがちだった。
病弱だという設定のお化粧をわざわざ施さずとも、その顔はいつもの生気を見事に欠いている。見るからに青白く沈んでいるのだった。

ローリーの裏切りでひどく傷ついていたし、結婚して女王になったら…と長年少しづつ推し進めていた将来の計画が、ここまで来て見事に頓挫とんざ寸前なのだ。
内心では、これから本当にどうしよう?、と途方に暮れているリナであった。

泣きたいのは山々だが、そんなことをしても結婚できるわけでもなければ、女王になれるわけでもない。

(それに、バルドランこの国がこれ以上民意から外れた道を歩むのを、黙って見ているわけにはいかない。何とかしないと……私さえ、いい人を見つけて、すぐにでも結婚してしまえばっ、女王として即位できるのに!)

だが、恨めしいほど晴天の今日、その結婚をする予定だった元婚約者がりにってリナの天敵とも言える女と、結婚式を挙げるのだ。

自分を応援してくれている味方の為にも、今日の結婚式で公に自分の存在をアピールする事は、大事な将来の布石になる。
それはよくよく分かってはいる。
けれども、やはり振られたばかりのうら若い乙女としては、当然のごとく「この結婚式の出席だけは、なんとか放棄したい!」と思ってしまうのだった。

そう、信じていた未来が突然足下から崩れて、どうしていいのか分からないまま、今日まで来てしまっていた……

リナのどんよりした心を映し出すかのように、差し込んだ陽の光が、突然、ふっと陰った。
みると、馬車の外の景色が一気に暗くなっていた。
馬車がギリギリ通れるような、王家の細い森林道にかかったのだ。
眩しい太陽も届かぬ涼しい青々とした緑の木々の間を、リナ達を乗せた王室専用馬車はまっすぐ教会へと進んでいく。
そうするうちに、馬車が、カタコトと少し揺れ始めた。昨夜降った通り雨のせいで、道が少しぬかるんでいるらしい。

(わざわざ、人気ひとけのない裏道を選んだけど、せっかくの森の抜け道も、もうすぐ終わってしまうのね……)

リナがどっぷり浸っていたその時、いきなり馬の甲高いいななきが聞こえた。
と、出し抜けに馬車が急激な勢いで、キキーと軋みながら唐突に止まったのだ。

「きゃあっ!」

ガタン、と馬車の中が大きく揺れる。
しまった、油断した! とは思ったものの、とっさに伸ばした両手で馬車の扉の取っ手を、グイッと上手い具合につかめた!
誰も座っていない前面の席に片足を振りあげ、リナは王女にあるまじき仕草で前に持っていかれそうになった身体のバランスを器用にとった。即座、御者の魔法騎士達に鋭くたずねる。

「どうしたのっ? 一体何事?」

すぐ横に座っていたはずのテンは、みれば馬車の中で平然とした顔で、フワンと浮いている。
小さな明かり採り窓から、落ち着いたテンの声がおもむろに御者に語りかけた。

「何事です?」
「囲まれましたっ! 王女様、お逃げ下さいっ!!」

(囲まれた? って…) 

慌てて窓から外を見てみると、傭兵らしき装備の男たちの集団が目にうつった。
それぞれ剣を構えた男たちは、襲いかかるタイングを計るように、ぐるりっと馬車の周りを取り囲んでいるようだ。

(あら~、本当だわ……)

一目ひとめで分かる人相のよろしくない男たちに、心は思いっきりゲンナリ、だった。

おまけに、この刺客たちの黒幕である気取った年増女の薄ら笑いが、忌々いまいましくもやにわ頭に、パッと浮かんできたのだ。
思わず、喉からうなり声のようなものが漏れてしまう。

(あんの女狐っーー! よくも、やってくれるわねっ!)

女狐とは、叔父の結婚相手にリナが勝手につけたあだ名だ。
忘れた頃に繰り返される理不尽でちゃちな暗殺の企みにも、これまでは「このごに及んで、またなの? 懲っりないわね~」と余裕のある心で立ち向かっていくことができた。

だがしかし、今日のリナは、いつもと様子が違っていた。
婚約者の裏切りへの憤りに、結婚式出席へのストレス、おまけにこの暗殺騒ぎだ。
憂鬱だった気分の反動はハンパではなく「黙って大人しくなんて、これ以上、もうやってられるか!」と、心の中で何かが、プチッと切れた音がした。

「ここは私どもが足止めいたします! どうぞ王女様は、一刻も早くお城へ!」

(…いや、これは戻ったって、どっちみち状況は変わらないわね……)

「……テン、貴女の侍女服をちょっと貸してちょうだい。ちょうどムシャクシャしてたトコだし」
「……しょうがないですネェ。くれぐれも気をつけるのですよ」

そう言ってテンが、スッとリナの見事なシルクのドレスに触れると、リナの魔導服はテンとお揃いの侍女服に早変わりしていた。

「行ってくる」
「お気をつけて~」

据わった目で立ち上がったリナに、テンはどこからともなく取り出した真っ白なハンカチを、ハタハタと振っている。
たいして心配する様子も見せないテンに、「大丈夫」と頷くと、何の前触れもなく馬車の扉を、バタンと乱暴に開けた。

(よし、前方敵のみ!)

「ちょっとそこのあなた達、鬱陶しいし邪魔なのよ、ここから退いてちょうだいっ!」

リナが手を前方にかざすと、いきなり眩しい光の魔法陣と共に、エネルギーのうねりの様な強風が吹き荒れた。
前方どころか、見渡す限り、周りを囲まれていたはずの敵の約半分が物の見事に次々と吹っ飛んで、森の木々に強く叩きつけられていった……

「あっ…しまったわ…」

(力の加減、間違っちゃった!)

憂さ晴らしのつもりだったので、うっかり力が入り過ぎたらしい。

「王女様!」
「しーっ!」

馬車の上に飛び乗ってシールドを張っていた魔法騎士ヨルンに、「内緒よ」とウインクをして、まだ馬車の反対側に残っている敵を指差してから、『私に任せて』と口だけ動かして伝える。

リナ付であるヨルンは渋い顔をしたものの、ゆっくり「了解」と頷いた。

(よし! では早速……)

今度は素早く馬車の反対側に移動する。
強風からようやく、ヨロヨロと立ち直り始めていた一番手前の傭兵を、手始めに、見事な回し蹴りで勢いよく蹴りとばした。

「馬鹿にしてるわね! いくら幽霊王女と呼ばれているからって、軍神とも呼ばれたお父様と聖女と呼ばれたお母様の娘の私を、たった20足らずの傭兵で始末しようなんてっ!」

蹴飛ばした傭兵が落とした剣を拾いながら、敵に聞こえないよう口の中でぶつぶつと文句タラタラだ。

「こんの小娘っ」
「うるさいわねっ 今の私は機嫌があまりヨロシクないんだから、ちょっとばかり手元が狂っても文句言わないでちょうだい!」

斬りかかってきた何人かの傭兵に、自分もいさめるつもりで一応注意を促してみたものの、それでなくても朝から鬱憤が溜まっていたのだ。

(悪いけど、ちょっとサンドバッグがわりになってもらうわよ)

身体強化で握り締めた拳に、否が応でも力が入る。

(こんな汚れ仕事、いくら積まれたか知らないけど、引き受けたあなた達が悪いんだからね!)

リナの手元に魔方陣が現れ、瞬く間に光が集中した。
ぐにゃりと柔らかくなった剣を、バキッという音と共にいとも簡単に叩き折る。
何やら尋常じゃないリナの気迫に、男達はじりと一歩下がった。
そんな敵を見据えて、さあ、かかって来なさい、とばかりに元剣であった残骸を後ろに、ヒューンと勢いよく放り投げた。

「信じらんないっ、ローリーの奴。昔はあんなに素直で可愛いかったのに!」
「グホッ」
「ちょっと姫付の騎士になったからって、つけあがってんじゃないの!」
「ゴホッ」
「この私との約束を、サラッと無かったことに、だなんて!」
「ゲエッ」
「ここ何年も病弱なふりして塔に閉じこもってた私に、どうやって次の結婚相手を見つけろってのよっ!」
「ゲホホッ」

バキッ、ドカッ、バキバキッ、と鈍い打撃音が、静かな森に容赦なく無情に響きわたる。
そしてしばらくすると、辺りはあっという間に、シーンと静まりかえったのだった。

「ふぅ~」
「お疲れ様~、終わりました?」
「テン! お陰様でちょっとスッキリしたわ!」

どこからか取り出したクッキーを頬張りながら、テンは、フワフワ浮いて上から見物していたらしい。

(フウ、いい運動になった! ストレスも多少解消できたし…)

肩を回しながら、スッキリしたー、と爽やかないい笑顔でテンに笑いかけるリナに、ヨルンがやれやれ、と呆れた顔で近づいてきた。

(久しぶりに、ちょっと良い気分だわ~!)

颯爽としたリナの背後には、伸びた男達の山がこんもりと盛り上がっている。
おりしも、テンの落としたクッキーのかけらが、パラパラと男達の山に降りかかり、小鳥達が、チチチと可愛く鳴きながらその上に飛び乗っていった。

「あの~…王女様、こいつらどうしましょう?」
「そうねえ、取り敢えず気弱そうな奴を叩き起こして、誰の指図で動いたのか聞きだしましょう」
「…そんな簡単に口を割りますかね?」
「大丈夫よ、こいつら見たとこ傭兵だし、傭兵はお金で動くわ。忠誠心なんてないわよ」
「なるほど……」

ずっと城仕えの魔法騎士には、理解しがたいのだろう。
それでもしきりに首を捻っているヨルンの肩を、御者台で油断なく弓矢を構えていたヒルダが、ポンポンとたたいた。

「姫様はよく分かってらっしゃる、大丈夫だ」
「ああ、そうだな、分かった」
「それと、そこの木の上に隠れてる人。もう大丈夫だから、降りて来ていいぞ」

ヒルダの呼びかけで、ハッと木の上を見上げた。

そう言えばそうだった。
さっき外に出た途端、気配には気付いたものの、木の上で、ジッと動かないので、もしかして森に採集に来た人が巻き込まれたのかしら?と、気にもかけていなかった。

4人の視線が、一本の高い木の上に一斉に集まる。
すると、頭の上から「ハァ」とため息なようなものが小さく聞こえてきた。
次の瞬間、木の上の枝葉が、ガサガサっと騒めき、見上げるような高い木の上から、ストンと人影が飛び降りてきた。

(えっ、何? 鳥っ?!)

一瞬鳥のように見えた人影が、スッと立ち上がりリナ達に向きなおった。
とたんに、その背の高い男から見えない威圧感が、ブワッと放たれその場を一瞬で支配した。

(うわっ、何この覇気…何者っっ?)

リナの身体は瞬時にして即応できる構えになっていた。

だが、一瞬感じた感覚は、瞬く間に霧散してゆく。

(あれ? 気のせい…だった?)

今、目の前の男からは、そんな気配は微塵も感じられない。

「ああ、俺は敵ではない、剣を収めてくれないか?」
「貴様、何者だ?」
「ただの冒険者、ではないな?」

ヨルンもヒルダも先程感じた気配が気になるのか、油断なく構えを解いていない。
「参ったな」と言いながら、男は長い指で髪を掻き上げた。

(うわぁ! なんて綺麗なあおの瞳…!) 

漆黒の髪から覗いた双眸は、見たこともない紺碧の色だった。

(何だか魂まで吸い取られそうな、深い碧ね……)

長い睫毛に縁取られた、煌めくような瞳だ。
太陽の光が反射したのか、一瞬その瞳が金色に光ったように見えて、えっ? と思わず目を見張って、じっとその整った容貌を観察してまう。

すっと刷毛はけではいたような眉に綺麗な額。
鼻筋が通った秀麗な顔立ち。
深い闇のような漆黒の髪と、その、冷たい美貌、という言葉がぴったりくる容姿の男は、彼の周りの空気の温度が一瞬、スウっと一気に下がったと感じられるほど物凄く男前だった。
けれど決して儚い美貌というわけでなく、武装服に包まれた逞しい身体に意思の強そうな瞳、閉じた口元などは精悍さが伴ってむしろこの男の男らしさを強調している。

思いがけず見知らぬ男の容貌に見惚れたリナを、意志の強さをたたえた紺碧の瞳が、ピタリ、と捕らえた。

ビクッ?!
途端、訳もなく身体が小さく震えてしまう。

(何っ?! 身体が…違う、私の中の魔力が…?)

無意識に反応するのは、自分の中の聖女の力なのだろうか。
それがザワザワ身体中で騒めいて、生まれて初めて味わう感覚に戸惑ってしまう。

(何なの、これ? ちょっと静まってっ……)

とっさに肩が震え出しそうになる。
そんな震えを意志の力で抑えこんでゆくと、すぐさま、身体の中心から温かい魔力が、ふわんと湧き上がってきた。
ほっこりした温もりが、身体中を即座に駆け巡り心地良い感覚が指先にも戻ってくる。

突然起こった身体の異変は、唐突に収まっていた。

安堵の溜息が、ホウッと小さく漏れる。
同時に男も、参ったなぁ、という感じで溜息をついていた。

「俺は、ちょっと薬草を採取しに来ただけの、単なる通りがかりの者なんだがな」
「ここを、王家の森と知っての狼藉か?」

争う気はない、と男は手に持った採集袋を掲げて見せる。
一見すると普通の冒険者だが、スラリとした男の背中からは背丈程もありそうな大剣の柄が覗いていた。
着ている服も地味な濃紺色ではあったが、バリバリの戦闘服である。

どこをどう見ても、森の番を兼ねる近くの住民ではない。
そんな風体の男を、魔法騎士達は油断なく見据えている。

「あ~、やっぱり王家の森だったのか、すまない、森に入ったときに感じた聖気でそうじゃないか、とは思ったんだが…この辺りに自生地の匂いがすると言われて、つい……」
「この森での無許可採集は、大罪だぞ」

王家の森は昔から、一角獣の森とも呼ばれている。
珍しい植物の宝庫であるこの森には、一般人どころか貴族達でさえも許可なしでは、立ち入れなかった。

「そうか、ならばどこに許可を取りに行けばいい?」

悪びれる様子もなく堂々とした男の態度に、ちょっと呆れたヒルダが答えようとした。

「ちょっと、そこのアナタ、採集袋、開けて見せてくれる?」
「姫様?!」
「大丈夫よ、テン?」
「…なんか、思い出すのも嫌な奴の気配が一瞬感じられたんですけど、この人は大丈夫っぽいですね」

珍しくも本来の一角獣の姿に戻って上空から一同を見下ろしていたテンは、「気のせいか?」と呟きながらもリナの問いに、大丈夫だと頷きかえした。

銀のたてがみが穏やかな風になびいてる。
先ほどクッキーを頬張っていた呑気な姿はどこへやら、今は神獣と呼ばれるにふさわしい風格をテンは凛と纏っていた。
けがれることのない角が、太陽の下、キラリンと鮮やかに光り輝く。

「ほう、聖気の素は貴女だったのか、一角獣を見るの初めてだな」
「…ここで私の姿を見た事、そして一連の出来事で聞いた事は一切他言無用ですよ。そもそも、森への侵入という大罪を犯した貴方を、寛大な心の持ち主のリナがチャラにしてあげる、と言っているのですから」
「…わかった。約束する、他言は一切しない。ほら、これが袋の中身だ」

(キズナシ草、紫ヨミ花…か)

「どっちも、対瘴気ポーションの強力魔草だわ…これを必要とする人達が、どこかにいるのね」

この男も、瘴気に悩まされている村や街から依頼を受けて、この森に辿り着いたのだろう。
この王家の森はテンの遊び場でもあって、濃厚な聖気を吸った色々な珍しい薬草や魔草が森のあちこちで自生している。

「わかったわ、オーケーよ。採集した分については許可しましょう。紫ヨミ花は、ポーションを生成する際は花びらだけを使うようにね」
「ありがたい、恩に着る。対価と言ってはなんだが、その男達の雇い主の人相や風体の情報を、良かったら俺が提供しよう」
「えっ? ホントに?」

(やったわっ~ 手間が省けるっ!)

「あぁ、昨日の夜、酒場でやつらが金になる仕事が手に入った、と自慢げに話していたからなぁ。金を渡していた奴は陰気臭い赤ひげハゲだ。まだ若そうなのにつるっ禿げだった。口調は随分と偉そうな奴だったぞ」

内心小躍りしはじめたリナだが、頷く男の答えを聞くと、ぬか喜びは即座に焦りにとって代わった。

「げっ! 不味いっ、城の新任の門番警備だわ。門からの出入りがこれで一層難しくなっちゃうじゃないっ!」

(知らなかった…アイツも女狐の一派なのね…)

「姫様、一刻も早く城に帰って対策を練りましょう。結婚式で城の主立おもだった者が留守の今は、ある意味チャンスです」
「そうね、ここまで式に出ないことを期待されているのなら、その期待に応えましょっか。あっ、その前に…」

指にはめていた魔石指輪に魔力を流すと、開いた異空間収納扉から大きなポーションの瓶を、うんせ、と取り出した。

「手分けしてこれを、ここに伸びてる全員に飲ましてくれる?」
「姫様、毒殺は…」
「違うわよっ! これは強力なワインの悪酔い効果を持つポーションよ。飲んだら丸一日は目を覚まさないし、起きたらひどい頭痛で前後の記憶が怪しくなるのよ。上手くすれば酔ってすべて忘れるわよ、こいつらなら」

(まったく…研究所でも加減が難しくて、調合に苦労したんだから…)

「俺も手伝うか?」と協力を申し出てくれた黒髪の男にも手伝ってもらって、せっせとポーションを倒れている男たちに飲ませてゆく。

まもなく、酒臭い息の酔っ払い集団と化した傭兵達は森に置き去りにされていた。
リナ達はひとまず、一旦城に帰って今後の対策を早急に練ることにしたのだった。

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