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真田奈依

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2 シングルマザー

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 容寛ようかんを妊娠中に、子どもたちを女手一つで育てる覚悟で離婚した。でも、幸せになれるなら、再婚するのもいいと思う。一生をシングルマザーとして送るのは寂しい気がする。
 実際に、再婚して前の結婚より幸せになったシングルマザーはいる。そのいい例がタカ・ノゾミさん。
 彼女はYouTubeで、幸せな再婚のためのレクチャーをしている。彼女のような、人がうらやむ再婚が理想。憧れる。私はチャンネル登録して、視聴している。


〈タカ・ノゾミの 愛されチャンネルへようこそ。
 貴女あなたの幸せは男性次第。今日も幸せな再婚を目指してレッスンしてまいりましょう〉
 画面の女性が話す。上品な服。表情も声も穏やか。ゆとりが感じられる。物心ともに満たされているんだなぁ。
〈自分を助けてくれる人がいるって、素敵ですね。男性に守られる安心感っていいですよね。
 幸せに生きるための極意は、“男性から選ばれること” と “男性から求められること” ですよ。
 そのためのレッスンをこれからも続けてまいりましょう〉
 選ばれる女性になるためのレクチャーは勉強になるが、セレブな暮らしぶりを観るのも、仕事と育児と家事に追われる日々の中の楽しみだった。
 彼女のように再婚して幸せになれたらどんなにいいだろう。





 天気のいい休日。私たち母子おやこは、いね美さんと公園に来ていた。芝生は濃い緑。ブランコやすべり台の遊具がある公園の、木製の大きなテーブルとセットになったベンチに腰掛けて、おやつを食べる。
「いね美お姉さん、自分磨きは順調ですか」
 萌華もなかが向かい側のいね美さんに遠慮がちに聞く。
「ええ、順調よ」
 玉の輿たまのこしを望んでいるいね美さん。婚活や自分磨きで忙しいながらも、都合がつけば今日みたいに、私たち母子おやこと一緒に過ごしてくれていた。
 いね美さんが子どもたちに目を配ってくれる間、私はひと息つけるので、とても助けられている。




 それからしばらくして、そんな休日に正彦さんも加わるようになった。
 バーベキューの帰り際、年下で独身のエリートサラリーマンの正彦さんから、連絡先を渡された。屈託のない笑顔。驚いた。
「ありえない!」
 いね美さんも驚く。
 だが、再婚を前提につき合っている。
 正彦さんが子どもたちと遊んでくれているので、私といね美さんは心置きなくガールズトークできる。
「心配しないで、いね美さん。時間をかけて付き合うつもりだから」
 まだ、正彦さんを私たち母子おやこの暮らす市営住宅に呼んだことはない。公園などで一緒に過ごすだけ。
「でも正彦さんのご両親と会ったんでしょう?」
「ええ、そうなの」
「ずいぶん急な話ね。反対されなかったの?」
「私も心配だったの。でも正彦さんが、その時は親を説得するって言ってくれて、それでご挨拶に伺ったの。それで────」
「それで?」
「ご両親は、息子が選んだ人なら心配してないっておっしゃって、とても好意的だったの」
「ふぅ~ん。それはよかったわね。
 ───と言いたいところだけど。初婚のエリートサラリーマンと、年上のシングルマザーとじゃ釣り合いが取れないんじゃないの。
 “釣り合わぬは不縁の元”って言うわよ」
 嫌な気分になった。確かに私はバツイチの子持ち。シングルマザーを結婚に失敗した女と見る人もいる。だけど、私は自分を惨めとは思っていない。
 釣り合わないなんて言われないようにしよう。“愛されチャンネル” を参考に、今まで以上に身だしなみに気を配り、肌の手入れをして……。





 21歳のとき職場で、14歳年上のお金持ちの公認会計士に見染められた。仕事で会食することが多いあの人は、家では手作りしたご飯を食べてリラックスすることを望んでいた。特に、おいしい味噌汁が食べたいと言っていた。
 交際期間中、私は料理教室に通い、あの人が喜ぶ味噌汁が作れるようになった。
 プロポーズの言葉は「味噌汁を作ってほしい」だった。夜景がきれいな高級レストランのロマンティックなシチュエーションで言われた。高価なダイヤモンドの指輪とともに。
 望まれて結婚した。ハイグレードマンションに住んで、専業主婦として家事をして、バリバリ仕事をして帰ってきた夫をねぎらい、家でリラックスできるようにした。
 ヨガ教室に通ったり、美容院に行ったり、友だちとランチしたりといった自由時間も充分あった。みんながうらやましがった。一年後に萌華を出産。育児という仕事は増えたけど、私の心はゆったりしていた。
 それから四年後、二人目の子どもを授かった。萌華の時とは全然違っていた。つわりがひどい。料理をしようとすると耐えられない。特に味噌汁を作ろうとするとひどかった。つらくてつらくて、起き上がれなかった。夫と萌華の食事をフード・デリバリーで用意した。
「妊娠は病気じゃないのに、働いて帰って来る夫のために、料理さえしてくれないとは」
 帰宅した夫は、家事ができない私にこう冷たく言った。氷でできたやいばのように、私の心に突き刺さった。悲しかった。夫婦ってなんだろうって思った。涙が止まらなかった。
「これじゃあ、仕事に打ち込めないじゃないか。内助の功ないじょのこうができていない」
 と、泣いている私に、さらに冷たい言葉。
 冷たい人。急にそうなったわけではない。なんとなく、感じていたけれど、気にしないことにしていた。身につけるブランド品はよく買ってくれた。だけど、思いやりを感じたことはなかった。心を満たしてくれる人ではなかった。
 つわりがひどくて何もできない私が、出産を終えるまで里帰りすることも、実家の母が泊まって家事や育児を手伝うことも嫌がった。
 かなりの年上で社会的には成功しているのに、大人げないと思うこともあった。
 お金は持っている人だから、家事と萌華の世話をしてくれる家政婦さんは雇ってくれた。けれど、つわりで苦しんでいる私をいたわるどころか、なじる夫。私は幸せではなかった。
 離婚したいと言っても、両親は理解してくれなかった。夫のことを、あんないい人はいない、恵まれた生活の何が不満なのか、私のわがままだと言われた。
 離婚に反対の両親は、出戻っても面倒は見られないとも言った。それでも私は離婚したかった。夫はあっけないほどすんなり承諾した。
 両親はさすがにお腹の大きな娘を突き放すことはしなかったけれど、実家は居心地のいいところではなかった。仕事を見つけ、託児所と市営住宅に入る手続きをして、産後6カ月で家を出た。
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