こんな人いました

真田奈依

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こんな人いました

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 地元の文化ホールのリハーサル室。この鏡とバーのある20畳ほどの部屋が、サークルの稽古場だった。
「瀬戸さん、脚を上げるたびに腕が下がってますよ」
 先生が休む時は、バレエ教室に25年以上通っている私が、サークルのレッスンを任されていた。先生はクラシックバレエをより多くの人に親しんでほしいという思いから、大人が教室より気軽に参加できるバレエサークルを3年前に作った。今6人ほどの会員が週に一回のレッスンをしている。

 最近、身体の歪みを改善したいからと50歳の瀬戸さんが入会した。年だからとか体が硬いからという理由でバレエを敬遠する人が多い中、サークルのドアを叩いてくれた瀬戸さんの前向きさに好感をおぼえた。
 先生を除けば一番の年長者だった瀬戸さんは、世話好きであっという間にみんなから「瀬戸姐さん」と呼ばれ、慕われるようになった。
「プレゼントするのが好きなの」
 そう言ってよく会員たちに、肌に優しい石鹸などのちょっとした物を贈っていた。


 海外の有名なバレエ団の公演があるので、私が運転する車で瀬戸さんと一緒に観に行った。『白鳥の湖』を観たその帰り、カフェに寄ってお茶を飲んだ。
 本物のクラシックバレエの舞台を初めて観た瀬戸さんは感動していた。感想などを語りあい楽しい時間となった。やがて話題がサークルのことに移った。
「サークルが楽しい。レッスンができなくなっても、ずっと関わっていきたい。
 三浦さんもサークルで出かけるのが息抜きなんだって。お姑さん、イヤミな人で大変みたいなの。大変といえば由佳さんは旦那さんが入院中で。
 まなみさんは職場に嫌な人が困っていて。でも人事部に相談したら、みんなが味方になってくれてるんだって。それから……」
 私の知らない、会員のプライベートをよく知っていた。みんなといろいろ話をしているようだ。仲がいいんだなと思った。

「ところで三浦さんだけど、太りすぎよね。二重顎を見たときびっくりした。相撲部屋のほうがお似合いって感じよね。体は柔らかいのに太いももがじゃまで5番ポジションにならないの。腕が振袖みたいにたるんでいるから、ダイエットはしているみたいだけどね。
 まなみさんも太り気味だし、白鳥の湖というよりはあひるの池よね。かわいく振る舞っているけど、あのエラの張った顔からして、相当したたかな性格だとあたしは思ってる。
 由佳さんはせっかく痩せているのに、動きが雑だし全然きれいじゃないし……」
 瀬戸さんの辛辣な言葉に耳を疑った。みんなをこんなふうに見ていたのか。こんなことを言うのは自分はましだと思っているからだろう。猿みたいな容姿をしているのに。私も悪口を言われているのかも。
 みんなからいい人とだと思われている「瀬戸姐さん」のきつい裏の顔が垣間見えた。


 最近は私ばかりがレッスンを担当している。先生は滅多に来ないで私に丸投げだ。せめて先生が来れば、瀬戸さんも好き勝手しないと思うのだが。
 瀬戸さんはモンスター会員だった。負けず嫌いの性格のようで、年下の私のやり方にケチをつけるようになった。そして、みんなを仕切るようになった。 
「まなみさん、腰を折るように身体を反らせて」
 バレエを始めたばかりの新入りの瀬戸さんが、知ったかぶってアドバイスをしている。そして瀬戸さんよりずっと若いまなみさんはそれを素直に聞いている。そんなことをしたら腰を痛めてしまう。
 サークルだから仲間同士で教え合うのもありだけど、私としてはもやもやした。私はプロのバレリーナではないし、バレエ教師でもないが、四半世紀以上教室に通っていて、先生からレッスンを任されているのに、それを否定されているような気がした。

 レッスンの内容を説明している時だった。
「ゆうべ、スーパーのお惣菜のコロッケを出したら、親が胸焼けするからいらないって言って、けんかになった」
 瀬戸さんが無視しておしゃべりを始めた。みんなもレッスンを中断する。三浦さんや由佳さんの姑の愚痴に、年上とはいえ独身の瀬戸さんがアドバイスをし、医療従事者の経験もないのに、健康相談に答えているようだった。
 高い月謝を払う教室なら、元を取らなければならないからレッスン中におしゃべりをするなんてあり得ないことだ。でも手頃な会費で参加できるサークルは、まるで「瀬戸姐さんとの交流の場」のようだった。
 私が長い時間とたくさんお金をかけて身につけたスキルを、無償で提供していることが、ありがたみを薄れさせているのかもしれない。
 たしかに『白鳥の湖』には程遠いサークルだが、自分がそのレッスンの時間を奪っているとは思わないのだろうか。私はやりにくくてしょうがなかった。
   
 別の日のバーレッスンでのことだった。右手でバーをつかんで(正しくは添えるものなのだが)後ろ姿で立つ瀬戸さん。天井から吊るされるように真っ直ぐ立つのがバレエの基本なのだが、バレエを始めて半年経つのに、ちゃんとできていなかった。体が右側に傾いていたのでそのことをやんわり指摘すると、
「バランスが崩れているですって!? あたし股関節の調子が悪いんだから、しょうがないでしょう!」
 歯を剥いて逆ギレされた。ほんと、猿みたい。そういえば、瀬戸さんは身体の歪みを正したいからと言ってバレエを始めたのだった。だが、いつも姿勢がよかったので、そのことをすっかり忘れていた。
 だとしても、だったらなおのこと身体の歪みを改善するために、できるだけまっすぐ立つように意識する必要があると思うのだが。
 それに身体の歪みというより、右半身を引き上げていないだけにしか見えなかった。それを身体の歪みと開き直られては、何も言えない。指導のしようがない。途方に暮れた。モヤモヤしてその夜は眠れなかった。

 また別の日、瀬戸さんはみんなに「裏ワザ」と称してピルエット(回転)のレクチャーをしていた。
「こうすれば簡単よ」
 そう言って腕を広げる動作を省略して得意げに回っていた。だがそれはクラシックバレエの型どおりのピルエットとは程遠いものだった。先生が見たら、そんなピルエットを容認していたと、私だけが責められかねない。
 みんなが間違ったピルエットを覚えてしまっては厄介だった。間違った動きを身につけてしまうと、それを直すのは容易ではない。「裏ワザ」をやめてもらわなければならなかった。また逆ギレされそうだが、言うべきことを言わないわけにはいかない。
「先生もこのサークルを、クラシックバレエを学ぶ場にしているわけですから、正しいピルエットを覚えていきましょう」
 へそを曲げさせないように話をし、どうにかやめてもらった。


 自治体の芸能祭が、サークルの毎年の舞台発表の場だった。今年は『コッペリア』のバリエーションをそれぞれが踊ことになった。私は〈スワニルダのワルツ〉で、瀬戸さんは〈あけぼの〉を初心者向けの振り付けで踊る。
 舞台を2ヶ月後に控え、レッスンを週二回に増やすことになった。
「次のレッスンは土曜日の午前ですから」
 日時を決めなければと思っていたら、瀬戸さんのほうからレッスンの日時の連絡が来てとまどった。
「レッスン日の調整を、先生から頼まれたのですか?」
 先生がまさか新入りの瀬戸さんに任せるとは思えなかった。
「あんたが早くしないから、予定を決めたわよ。優先順位を考えてちゃんとしないとだめでしょう」
 私が知らないうちに独断でリハーサル室の予約をしていた。
「あたしやりますよ、こういう手続きなんかは」
 瀬戸さんは独身の家事手伝いで、時間がいっぱいあった。むしろ暇だった。初舞台ということもあり、はりきって準備を仕切るようになった。でも裏方の仕事は頼んでも断り、花束の手配などの目立つことをやりたがった。

 知ったかぶって勝手に動くことが多々あった。まさか一人でバレエショップに行くとは思わなかった。聞かれもしないのにこちらから教えようとしたら噛みつく人なので、聞いてくるのを待っていたら瀬戸さんは、自分のタイツとサテンのバレエシューズを買っていた。
 買ってきたタイツはまっ白だった。私がいつもレッスンで履いているタイツも、プロのバレリーナが履いている物も、白くは見えるが、白っぽいピンクだったり肌色に近いオレンジ色なのだ。猿のような容姿の瀬戸さんの白いタイツ姿は、ギャグのようだった。
 そしてサテンシューズのリボンを変なところで切っていた。足の甲でクロスさせ足首に巻いて結ぶリボンは、履く人が自分に合わせて切るようになっていた。どうすればいいのか聞かれればちゃんと教えたのだが、そうはしなかった。
 本来結び目が内側になるように、2㎝ほど長くして切るものなのだが、足首の後ろで、血流が止まるくらいぎっちぎちに結んでいた。既に結び目のすぐそばで切ってしまっていたので、ゆるめることもできない状態だった。

 
 いよいよ芸能祭が近づき、ステージを借りて練習することになった。リハーサル室とは広さも勝手も違う本物の舞台で、場所を確認しながら踊りを仕上げていく。
 貴重なステージ練習だが、今日も先生は来なかった。私がみんなの踊りを見なければならない。私も練習するので、客席からではなく上手の舞台袖からみんなを見ていた。
 瀬戸さんの〈あけぼの〉は、曲の終わりに合わせて舞台下手の前から後ろ向きで袖に振り付けだった。瀬戸さんはいつも緞帳どんちょうより前に出て斜め後ろに下がって袖にはけていた。
 瀬戸さんが斜め後ろで向かう先には、本番の時は照明機材が置かれるはすだった。先生が見たら、私がちゃんと指導していないと責められかねない。
「そこまで出てしまうと、斜め後ろにことになります。危険ですから、この位置から真横にようにしてください。
 練習でちゃんと踊れないと本番に悪い癖が出ますから、練習の時から、ここから前には出ないように身体で覚えて、正しい位置で止まってください」
「当日、気をつければいいんだから、関係ないでしょう!
ちゃんと調整するから!」
 またしても逆ギレされた。私に言われて何かやるのは嫌みたい。年上のプライドからか、いちいち反発してくる。人に教えることが私の学びにもなると先生は言って私にレッスンを任せたが、ストレスでしかなかった。なんでこんな嫌な思いをしなければならないのだろう。
 でも、先生に相談しても、私の指導力に問題があることにされかねない。サークルを休まない瀬戸さんを先生は、バレエのよき理解者とほめそやしてる。いい人の瀬戸を悪く言う人のほうが悪い人ということになってしまう。
 モンスター会員とうまくやる努力を私がすればいいのだけれど、あの人の機嫌を取るより自分のバレエに集中したい。もやもやした気持ちで舞台に立つのはよくないのだけれど。


 芸能祭当日。なんとか踊りきることができた。無事に終わったと思ったがそうでもなかった。注意した私に啖呵たんかを切った瀬戸さんだったが、案の定斜め後ろにため、照明機材にしたたか頭をぶつけたのだった。だが、そのことを先生は知らない。
 だけど私が言わなくても、いずれ先生もみんなも瀬戸さんの本性を思い知るだろう。それだけが望みだった。

 モンスター会員の瀬戸さん。あの人が来てからサークル活動がダメになった。レッスンの間しゃべっていて、私の指導に逆ギレし、見当違いのアドバイスをしたがり、レッスンがやりにくかった。瀬戸さんがいるサークルに行かなきゃならないのかと思うと憂鬱だった。
 おしゃべり好きな人気者気取りの瀬戸さんは、みんなから「瀬戸姐さん」と慕われているサークルを気に入っているから、やめることはないだろう。瀬戸さんと関わるのが嫌なら、私がやめるしかない。あの人のために私がやめるのもしゃくだが……。




 あの人が去った。この世から。車での自損事故だった。50歳直前で免許を取った瀬戸さんは、運転に慣れていなかった。
「職場から直接レッスンに来るまなみのために、おにぎり作ってくれたこともあったの。面倒見のいい、優しい人だった」
 みんなが、いい人だったと言って偲んでいる。自分の運転ミスで死んだのだが、不幸な死に方だったので、三浦さんなんかは号泣している。

 いい人なんかじゃない。邪悪なものを腹に持っていながらいい人を演じていただけ。
 瀬戸さんが私に悪態をついていたことを知らないはずはないのだが、自分がそうされたわけではないから、自分にとってはいい人だったということか。
 いい人ほど早死にするという話はあるが、50ちょっとだった瀬戸さんは、ほんとうはいい人だったのだろうか。
 悪い人ではなかった。だけど私に嫌な思いをさせる人だった。大嫌いだった。でもそのことを知られるわけにはいかない。いい人を嫌うほうが、悪いことにされてしまう。
 私が瀬戸さんの言動を言わないせいもあるが、一面しか知らない先生も瀬戸さんをいい人と思っている。先生に私がどれだけ大変だったか話したところで、共感してもらえないだろう。瀬戸さんの本性を暴露したいが、そうしたら先生は、私を瀬戸さんよりも忌むだろう。
 死んだ人を悪く言えば、言ったほうが悪者になってしまう。

 みんなが、瀬戸さんの本性を思い知る前に、その機会はなくなってしまった。嫌なところを知っているのは私だけ。
 死者を過剰に美化している。いい人が早く死ぬのではない。早く死んだからいい人と思われるのだ。瀬戸さんにひどいことを言われていたことを知らず、自分たちのレッスンの時間を奪っていた人をいい人と言って偲んでいる。おめでたい人たち。

 サークルを搔き回していたモンスター会員はもういない───。
 だけど、私には嫌な思い出のあの人が、いい人としてみんなの記憶に生き続ける。名誉会員として名簿に載せられ、ことあるごとに話題に登る。
「短いつきあいだったけど、ほんとうにいい人だったわね」
 聞くのも嫌だ。こんなことがこれからもずっとあるサークルなどまっぴら。
 私はサークルをやめ、別のバレエ教室に移った。


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