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思わぬ暴露(1) 私が春の乙女ですって?

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王宮の正門前に一台の黒い馬車が停まる。
ほどなく男がストンと降り立ち、手に持つ木刀と真剣とを慣れた手つきで腰に差す。
その人物がかつてアルゴンの英雄として国に名を馳せ今もなお伝説として語り継がれているギリアン=ブラッドリー侯爵その人であるということを、通りを行き交う人間は誰一人として気がつくことはない。
ギリアンは御者に待機を命じて正門をくぐり、離宮でも稽古場でもなく王城を目指してまっすぐに歩き出した。

***********

もう二度と来ないと思っていた。

王城の廊下を渡り、はるか前方に護衛が立ち並ぶ扉を見つけてライラは深いため息をついた。前回ここを通ったのは約半年前。あの時はアランが一緒だったが今日は一人と一匹での登城。

『......ライラ、大丈夫?』

袖口から微かな声が上がり、ライラは固くなっていた表情を少し緩める。

『体調悪い?』

「いいえ、体調はすこぶる元気よ。弓も引けて食欲もあって自分でも感心しているくらいなんだから」

眠りから目覚めて早三日。寝起きの段階では力の入らなかった両脚も今や駆け回れるまでになり、診療所の所長リナからも全快のお墨つきをもらう程にすっかり回復しきっていた。
袖口からはプシュと柔らかな噴気音が上がる。

『良かった。.........そしたらさ、そろそろ肉だけじゃなくて野菜も食べた方がいいんじゃないかな。栄養の偏りは体に良くないから』

ギルバードはライラが食事をするたびにテーブル上から監督しており、その偏食っぷりを気がかりに感じていた。目覚めて最初の軽食を除き、ライラがリクエストをするのは表面を軽く焼いたステーキのみ。本人は怪我で失った血を取り戻すためともっともらしい弁を述べるが、単純に野菜を食べたくないからだろうとギルバードは思っていた。

「野菜なら今朝食べたわよ」

歩きながらあっけらかんと返され、ギルバードは袖の中で頭をひねる。今朝もサラダには手をつけずアンナにお願いして食べてもらっていたはず。

『野菜あったっけ。肉の下に入ってた?』

「添えてあったでしょ。ポテトとパン」

『...........?』

もし蛇に手があったなら頭を抱えていたに違いなかった。

『どっちも野菜にはカウントされないよ.....』

「動物性か植物性かで言ったら?」

『もしかして植物由来のものは全部野菜だと思ってるの?』

「似たようなものでしょう」

絶対違う。
と思ったが否定すると意固地になるので言葉は慎重に選ぶ。

『ポテトとパンもいいけどリーフ系の生野菜を少し食べてみるとか』

「生野菜を食べている動物を私が食べるんだからいいじゃない」

『......ほうれん草を食べた牛を食べたからってライラがほうれん草を食べたことにはならないよ。森で野草を採って食べるのは好きなのに、なんで普通のサラダは食べようとしないのさ』

「野草や野花は別。なんというか別腹なの」

令嬢にあるまじき屁理屈のオンパレードにギルバードは遠い目をする。屋敷の中だけならまだしも、今後正式な食事会に参加した時にもこれではマナー的にまずいのでは。
添え物のポテトとパンが食べられるならたとえば野菜とローストビーフのサンドであれば一緒くたに食べるのだろうか。それを尋ねようとして、しかしライラがぴたりと歩を止めたことで出かかった言葉を飲み込んだ。

ライラは扉の前に立って軽く目を閉じ呼吸を整える。左右に控えた護衛が扉を開くので、意を決して脚を踏み入れその場につどう面々に一礼をした。アンティークと金の調度品で飾り立てられた広間の中央には大きな長テーブルがあり、そこには王族と大神官四人と父ギリアンの姿があった。
ギリアンは娘の様子を見るべく席を立ちかけたが、先んじてリリアナが席を離れて駆け出して行ったために暫し座して待つことにする。


「ライラ、ああ、良かった.....!」


リリアナの黒い瞳には涙が光っていた。ライラは取られた手をぎゅっと握り返して頭を下げる。

「起きてすぐにご挨拶できず申し訳ありません」

目覚めてから今日まで診療所の指示により面会禁止となっていたため、やっと果たせた対面だった。

「いいえ、ありがとうライラ。私、ずっとあなたにお礼を言いたかったの。助けてくれて本当にありがとう」

「ライラ嬢、私からも礼を」

デオンもやってきてリリアナを支えて立ち、ライラに穏やかな眼差しを向けて言った。

「あの場で身を挺して戦ってくれたことを心より感謝する。リリアナも民も、私の心も救われた。心ばかりになってしまうが王家より礼の品を贈らせて貰う」

「いえそんな畏れ多い...!」

ライラは慌てて首をぶんぶんと横に振り、その様子が面白くてアランは密かに小さく吹き出す。

「私はあの場でできることをしたまでで、むしろ戦うたびに怪我をしていて恥ずかしい限りです」

「大きな傷を負わせてしまったわね」

リリアナが悲しい顔をするのでライラはまた勢いよく首を振った。

「この程度の傷私には痛くも痒くもありません。これでも父の娘ですから」

そう言ってちらと父の方を見る。ギリアンはたとえ血の繋がりがなくとも心の在り方はしっかり似るようだとしみじみ思い、しかし続く娘の言葉にその胸中は乱されることになる。

「リリー様をお守りできたのは私の生涯の誇りです。もう二度と起こらないことを祈りますけれど、もし同じ事態に遭遇すれば私はまた迷わずとなるでしょう」

盾。

紅紫眼の民マゼンタ・アイを想起させる単語に一同微妙な面持ちになるもライラはうつむいており気づかず、ただこの時ふいに花時計広場で受けた天啓を思い出して、あれは一体なんだったのだろうかと不思議に思いながらも下向けていた顔を上げた。

「より一層研鑽して今後なるべくご心配をお掛けすることのないように努めて参ります。リリー様、ギルバードのお世話をしてくださって本当にありがとうございました」

リリアナは瞬きをしてじっとライラを見つめ、滲む涙を拭って笑った。

「体は大事にして頂戴。たとえあなたが痛くなくても大切な友人が傷つくのはとても辛いから」

友人。

ライラは頬をぱあっと赤く染める。

「あ、あのっ、はい......」

嬉しさと恐縮とで居ても立ってもいられなくなり、瞳をきょろきょろとして再び父の方を見た。ギリアンは組んでいた腕をほどいて立ち上がりライラの元にやってきて言った。

「眠気はもうないな」

「はい、食後と夜以外は眠くありません」

ギリアンはライラの頭を撫でて僅かに笑み、ライラは父の手の温もりを感じてほっとしていた。
歴戦の傷痕を持つ、大きくて優しくて温かい手。
子どもの頃はよくこうして撫でてもらっていたっけと懐かしい記憶を思い起こした。

その後デオンとリリアナが席へと戻り、ライラも父に導かれて着席した。はす向かいの席を見るとアランが脚を組んで座っており、目が合って恥ずかしくなりライラはぱっと視線を逸らした。

皆が居住まいを正したところでようやくダンテが口を開く。

「ギリアンの娘、王太子から伝えた通り此度こたびの功績を讃えて褒美をとらせる」

「はい.....ありがとうございます」

開口一番に王から話を振られてどきりとしつつ無難に御礼を返すに留めた。具体的になにを貰えるのか気になりはしたものの、この場でそれを聞く気分にはならなかった。

「贈呈は明月祭で行う予定だが、その話も含めて二点大神官から話がある」

ダンテは大神官の方を見遣り、最年長のカナンがこほんと咳払いをして声を上げた。

「では私からライラ様にチャリティの件のご確認と、えー.....明月祭のご案内をさせていただきます」

サイモンとサイラスは落ち着きなく身を揺らし、オルフェウスは眼鏡の下の双眸を伏せて微動だにせず座っていた。

「はい。お願いいたします」

ライラはカナンの方に体を向け、カナンはまたひとつ咳払いをしてから話し始める。

「ではまずチャリティの件を。花時計広場で機械人形と戦われた際に会話をされたというのは本当でしょうか」

人形と聞いてライラは思わず眉根を寄せる。

「......人形というのはフードを被った男のことを仰ってますか?」

「はい」

人形?あれが?と疑問符が浮かぶが、少し考えたのちにある事実に思い至って総毛立った。男を矢で射った際に脇腹から流れ出てきたもの、それは血ではなくネジや鉄くずといった部品だった。

「人形には見えませんでしたが......普通に男性の声で話をしていましたし」

「話した内容を教えていただけますか」

「墓を壊したのはお前か、というのと」

一瞬ためらってから、

「脆い盾だ、と言われました」

ライラにしてみれば侮りとして告げられた恥ずべき言葉に過ぎなかったのだが、聞かされた一同は異なる考えをもって目を見合わせた。

言葉を話すイーリアス製の機械人形。
彼は対峙するライラを見て《盾》にたとえた。

それは機械人形に人の魂が降ろされていた証明となるばかりか、その魂はかつてイーリアスに存在していた王家の盾、である可能性が高いということを示唆していた。

「......あの、どうかされました?」

流れる重々しい雰囲気をライラは訝しみ、カナンは首を振って続ける。

「いいえ。ちなみに墓というのは」

「私と使い魔ギルバードで壊した墓型の召喚石ポータルのことかと。ただ明言されたわけではありません」

カナンはオルフェウスに視線を流す。

「オルフェウス卿、あの墓石は修復済だな」

「ええ。他の多くの石と同様西の森に通じています。紋様がということくらいしか特徴はありません」

ふむ、とカナンは顎をかいて息をついた。

「チャリティについてはわかりました。ありがとうございます」

「いえ...」

意外とあっさりした確認だった。
もっと根掘り葉掘り聞かれるかと思っていたため拍子抜けしつつライラは続く言葉を待つことにする。

「それでは次にの件についてお知らせいたします」



.....春の乙女?



ライラは怪訝な目をカナンに向ける。

明月祭の件ではなくて?

「実は―――」

以降、眠っている間に起きていたマリアンナの役目辞退や自身の推薦の話を時系列で告げられて、ライラの表情はみるみる冷ややかなものへと変貌していく。殺伐とした空気の中カナンは淡々と話を進め、単なる業務連絡のように締めくくった。

「―――と、いうことで国民投票を行いました結果ライラ様が新たな春の乙女として選出されました。春の乙女は国の安寧と豊穣祈願のみならず国を代表する淑女として他国訪問なども行う重職です。まずは来月初旬に神殿で開催する明月祭に向けてすみやかに準備を進めてください」

「..........状況は理解しました、が」

マリアンナの代理で春の乙女をやれですって?


冗談じゃない。


「できません。本日限りで辞退させていただきます」

怒り心頭だった。
どこをどう聞いてもマリアンナのわがままを許可した尻拭いを命じられているとしか思えなかった。

「辞退は不可能です、決定事項ですので...」

カナンは眉を釣り上げ怒りを露わにして言い掛けるが、射殺さんとする赤紫色の瞳を目の当たりにしてひるみ目を泳がせた。
ライラはドスの効いた声で詰問し始める。

「教えてください、あえて私を選ぶ必要がどこにありました?他の方にすれば少なくとも三か月を準備期間にてさせることができたかと思います」

「それはマリアンナ様の強い推薦のご意思もありますし、アルゴン国民の真心があなたを是非にと選んだのです。神殿としてその願いをどうくつがえすことができましょうか」

「先程春の乙女は国の重職だと仰いましたよね?であればマリアンナ様の推薦や国民の願いを優先するのではなくただちに機能する代理を立てて引き継ぎを開始するべきだったのではありませんか?」

「......国民投票は伝統です」

「伝統なんてマリアンナ様の辞退を容認された段階で打ち壊しておいでではありませんか。それでもなお伝統を重んじる姿勢をとられるのであれば寝ている人間を指名するべきではありません。もしこの三か月私が起きるのをただ悠長に待っていたのでしたらはっきり申し上げて怠慢としか思えませんがその点どうお考えで?」

ライラは滔々とうとうと責め立てて問いただし、その光景にサイモンとサイラスはギリアンの方をちらちらと見て「娘を止めろ」と非難の視線を送っていたがギリアンは黙って無視をきめ込んでいた。
こうなることを予期して「春の乙女について娘から質問が出た際にはしっかりと聞いて回答してやってほしい」とライラが広間にやって来る前に事前了承をとっていた。

「それで、後一ヶ月もない明月祭でなんの準備もしていない人間に一体なにをさせるおつもりですか?挨拶ですか?祈りですか?」

「......《神降ろしの舞》という演目を演じていただきます。神に感謝を捧げその威光を知らしめんとする伝統的な舞です」

「過去のご令嬢達は平均どの程度の期間で習得しているのでしょうか」

「個人差がありますので一概には申し上げられません」

回答を濁されたことでライラの眉間のしわが深くなる。

「リリー様、過去に春の乙女を務めていらっしゃいましたよね」

神官達に目を向けたまま尋ね、リリアナは息をついて頷く。

「ええ。神降ろしの舞もやったわ」

「習得にどれほどかかりました?」

「二か月くらいかしら。朝夕の祈りや勉強を毎日並行してこなしていたから、まとまった練習時間がとれなくて」

「お言葉ですが乙女の技量によって講師が内容を変えますし」

リリアナの言葉の端を奪ってカナンがすかさず話に割り入る。

「大体10分前後で内容も激しいものではなく小道具を用いてアルゴンの神話を演じる劇です。ストーリー性がありますので覚えやすいかと思います」

「.....劇?すみませんが普通のダンスの方がよほど楽です」

ライラがにべもなく言って睨みつけるとカナンは言葉を発せずに黙り込み、横にいたサイラスがついにしびれを切らして援護を試みる。

「で、ですがマリアンナ様はあなたの他に春の乙女の適任はいないと仰っておりまして」

余計なことを。
ライラは額に手をあててため息をつく。

「公爵家だけでも数十家門ありますよね。その方々を差し置いてなにをもって私が適任だと仰ったのでしょうか」


「そ、それは......ライラ様はあの名門のアン・ブロシエールを歴代一位の成績で卒業された才媛だそうではありませんか。特にと大絶賛されておりました」


ここにきて思わぬ暴露をされたことでライラは呆けて口をつぐむ。
意外な話にアランは瞠目して、

「知らないなそんな話。これまで一度も聞かされていないが」

それはライラへの問いであったのだが、ライラが黙ったことをこれ幸いとサイラスは身を乗り出してペラペラと話し続けた。


「たしかな話ですよ。舞の講師が元アン・ブロシエールの教師で直に聞きましたから。春の乙女への選出のみならずアラン王子との婚約も至極当然のことだと言っていました。なにせライラ様だけが特別レッスンとプリンセス教育を受けていたそうで、と言っても過言ではないと」


王族全員の視線がライラに注がれ、ライラは袖の中にいるギルバードに腕をつつかれてはっと我に返る。

「やめてください!学園の教えは関係ありません。婚約も春の乙女も寝ている間に決まったことで、私は教えを活かしたことも今後活かす予定もありませんでした」

舞の講師のおしゃべり具合とサイラスの軽薄さに腹が立ったがそれより焦る気持ちが湧いてきていた。
学園の教育によって王家に近づきアランとの婚約に漕ぎ着けたなどと勘繰られてはたまらない。

「ダンスも卒業以来一度もやっておりません!マリアンナ様やその講師が私についてどんなことを仰ったかわかりませんが、他の人の言葉で勝手に期待をしないでください。私は春の乙女をやりたいなんて思っておりません」

膝の上で手を握って俯くとギルバードが心配するように腕に頬を寄せる気配がした。
その時一人の護衛が足早にテーブルの方へとやってきてダンテの横に身を屈めて何事かを告げた。ダンテは暫しの間ののちに「通せ」と言い、護衛は一礼して素早く立ち去る。

間もなく広間の扉が開かれ入室してきた人物を見てライラは動揺のあまり目を見開く。

そこには男性とその妻と見られる赤毛の婦人がおり、二人の間には赤毛の令嬢―――マリアンナがいて可憐な容貌を赤らめて立っていた。
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