上 下
54 / 58

血染めの花時計(2) 脆い盾

しおりを挟む
髪を震わせる羽音に振り向いた時、ライラのすぐ目の前には黒光りする虫の胴体があった。

「ひっ...!!」

驚いて飛び退き弓を構えた時、眼前は地獄絵図と化していた。

耳をつんざく悲鳴。
逃げ惑う人。
逃げる人を羽交い締めにしてかじりつく、人間サイズの虫の群れ。

視界の隅でゴロゴロと白い物体が転がっていく。それはゴブレットのようで、そこから湯水のように次々と巨大な虫が噴き出していた。

召喚石ポータルだ、と瞬時に思った。

テロ?
シュレーターがこの場にいるの?

考える余裕もなく目の前にきた虫が毒針らしきものを突き出してきて、咄嗟に胴体を矢で射つが装甲が硬く弾かれてしまった。

違う、急所。
虫の急所って?

混乱する思考で目を狙えば矢が突き通り、虫は絶叫して地を転がる。バタつく虫はさておき急いで神力の矢―――ギルバードの大弓を手の内に形成しゴブレットを狙って射ち抜いた。
ガシャン、と壊れる音がして虫の流出が止まりほっとしたものの、既にかなりの軍勢が出ていってしまったように思われた。

王宮はお父様がいる。
だからきっと大丈夫。
でも広場にはたくさんの人とが。


「リリー様!!」


虫と人とが千々に入り乱れる中必死に呼ぶが返答はなかった。嫌な予感に震えながら見渡すと、護衛の身に護られながら石畳に倒れているリリアナを見つけて息を飲んだ。

護衛全員やられたの?
あんなにいたのに?
糸を見ていた時、後ろで一体なにが起きていたの?

リリアナに駆け寄ろうとすると数匹の虫に阻まれた。虫達は不思議とライラには近づこうとしないものの、リリアナの方には口吻をカチカチと鳴らしながら群がっていく。

「やめなさい!」

怒りを込めて叫び、阻む虫に矢を放って落とすが次々と飛んでくる。食われ始めた護衛の体から骨が剥き出しになるのを見て戦慄して、


「いや!やめて!!」


刹那、誰かの言葉が頭に響いた。


―――戦場で最も必要な感情はなんだと思う?
―――愛?そんな腑抜けたものじゃない。
―――怒り?そんな生易しいものでもない。

―――敵を憎め。紅紫眼マゼンタ・アイの誇りに賭けて矛より強い盾となれ。


天啓とでもいうのだろうか。


地に降りた虫がガサガサと歩きリリアナのドレスの裾に脚をかける。その光景を見るライラの手の中では無意識に神力の弓矢が形成されていく。

それはいつもの青色ではなく、紫色に妖しく輝く。

「ギル」

今だけは。
あなたの力のすべてを貸して。

後退してなるべく多くを巻き込める位置に立ち、渾身の一矢を放った。バチバチバチッ!とこれまでにない激しい音と紫色の閃光を纏う矢が放たれたかと思えば、光は虫から虫へと伝染して広がり続けて爆発する威力をもって広場一帯の虫を殲滅した。

やった、と喜びを覚えたのも束の間、押さえたが、痛みは一瞬で消え去ったためにそれ以上気にすることはなかった。

遠くで人々の悲鳴が聞こえる中、広場で立っているのはライラだけだった。足元には倒れてぴくりとも動かない人々が横たわり、虫の体液と残骸の海に沈んで死んでいた。

「リリー様」

最悪の結果が脳裡をよぎりうち震える。疲れを感じながら走り寄り、膝をつき震える手で護衛の体の下からリリアナの手を引き出して脈を確認する。

規則的な拍動が手にふれて、ライラは大きく安堵の息を吐いた。

「ああ......よかった...リリー様」

そう言葉が口をついて出た時だった。
ザリ、と微かに地面を踏む足音がして振り向けば、フードつきの外套を着た人物が少し離れたところに立ってライラを見ていた。
一瞬アランかと思ったが纏う雰囲気が明らかに違う。

リリアナを背後で守って立ち上がり弓を構えた瞬間、


ドスッ


重苦しい衝撃が腹に走った。


「......えっ」


驚いて息がとまる。
フードの人物が恐るべき速さで接近し、人の骨ほどの太さがある黒く鋭利な得物をライラの右腹に突き立てていた。
その人物は身を屈めて囁く。

「お前か、墓を壊したのは」

低い男の声。

墓?

回らない頭で考えて思いついたのは、祭典の日にギルバードが破壊した墓石型の召喚石のこと。

男は突き刺した武器を乱暴に引き抜いて外套を大量の返り血で染めた。ライラはよろめき片膝をつくが、不思議と痛みは感じなかった。足元に落ちていた虫の脚と見られる棒きれをわし掴みにして男に向かって投げつける。
苦し紛れの抵抗だと男は笑い、難なくそれを手で払いのけるが、


「――――――ぐっ」


ライラが間髪入れずに放った神力の矢が直撃して呻き、右腹を押さえた。男の腹からは血ではなくネジと歯車がボロボロと落ちる。空いた穴からは剥き出しの部品が覗く。
男は感心した声で嗤った。

「まだ動けるのか」

「......どうってことないわ」

全くもってどうってことなくはないが、強がりを言って睨みつける。

「負けるものですか」

よろめきつつも立ち上がる。
ドレスの下で腹から脚に血が流れる感覚も、口の中に広がる血の味さえも無視をして。

「チャリティをめちゃくちゃにして。たくさんの人々を傷つけて。リリー様のことも......。絶対ゆるさない」

赤紫色の瞳は憎悪に燃える。
男は呆れて小さく呟く。

「脆い盾だな」

そうして今度こそ息の根を止めてやろうと剣を抜いて膝を屈めた。

その直後。
黒い影が二人の間に割って入り、金色の光が閃いた。
彼はライラを腕と背で守って立ち、金色の剣で男の体を一撃で破壊せしめる。

ライラは目を見開く。


アラン様。


言葉は出さず唇だけ動かす。
握りしめていた光の弓が朧に溶けて消えていく。


貴方はいつも来てくれる。

でも、こんなにも嬉しいのに。

心がひどく苦しくなる。
震える双眸を閉じ、顔を背ける。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

<番外編>政略結婚した夫の愛人は私の専属メイドだったので離婚しようと思います

結城芙由奈 
ファンタジー
< 嫁ぎ先の王国を崩壊させたヒロインと仲間たちの始まりとその後の物語 > 前作のヒロイン、レベッカは大暴れして嫁ぎ先の国を崩壊させた後、結婚相手のクズ皇子に別れを告げた。そして生き別れとなった母を探す為の旅に出ることを決意する。そんな彼女のお供をするのが侍女でドラゴンのミラージュ。皇子でありながら国を捨ててレベッカたちについてきたサミュエル皇子。これはそんな3人の始まりと、その後の物語―。

【完結】異世界で小料理屋さんを自由気ままに営業する〜おっかなびっくり魔物ジビエ料理の数々〜

櫛田こころ
ファンタジー
料理人の人生を絶たれた。 和食料理人である女性の秋吉宏香(あきよしひろか)は、ひき逃げ事故に遭ったのだ。 命には関わらなかったが、生き甲斐となっていた料理人にとって大事な利き腕の神経が切れてしまい、不随までの重傷を負う。 さすがに勤め先を続けるわけにもいかず、辞めて公園で途方に暮れていると……女神に請われ、異世界転移をすることに。 腕の障害をリセットされたため、新たな料理人としての人生をスタートさせようとした時に、尾が二又に別れた猫が……ジビエに似た魔物を狩っていたところに遭遇。 料理人としての再スタートの機会を得た女性と、猟りの腕前はプロ級の猫又ぽい魔物との飯テロスローライフが始まる!! おっかなびっくり料理の小料理屋さんの料理を召し上がれ?

最強の英雄は幼馴染を守りたい

なつめ猫
ファンタジー
 異世界に魔王を倒す勇者として間違えて召喚されてしまった桂木(かつらぎ)優斗(ゆうと)は、女神から力を渡される事もなく一般人として異世界アストリアに降り立つが、勇者召喚に失敗したリメイラール王国は、世界中からの糾弾に恐れ優斗を勇者として扱う事する。  そして勇者として戦うことを強要された優斗は、戦いの最中、自分と同じように巻き込まれて召喚されてきた幼馴染であり思い人の神楽坂(かぐらざか)都(みやこ)を目の前で、魔王軍四天王に殺されてしまい仇を取る為に、復讐を誓い長い年月をかけて戦う術を手に入れ魔王と黒幕である女神を倒す事に成功するが、その直後、次元の狭間へと呑み込まれてしまい意識を取り戻した先は、自身が異世界に召喚される前の現代日本であった。

婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです

青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。 しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。 婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。 さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。 失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。 目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。 二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。 一方、義妹は仕事でミスばかり。 闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。 挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。 ※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます! ※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。

そして、腐蝕は地獄に――

ヰ島シマ
ファンタジー
盗賊団の首領であったベルトリウスは、帝国の騎士エイブランに討たれる。だが、死んだはずのベルトリウスはある場所で目を覚ます。 そこは地獄―― 異形の魔物が跋扈する血と闘争でまみれた世界。魔物に襲われたところを救ってくれた女、エカノダもまた魔物であった。 彼女を地獄の王にのし上げるため、ベルトリウスは悪虐の道を進む。 これは一人の男の死が、あらゆる生物の破滅へと繋がる物語。 ―――― ◇◇◇ 第9回ネット小説大賞、一次選考を通過しました! ◇◇◇ ◇◇◇ エブリスタ様の特集【新作コレクション(11月26日号)】に選出して頂きました ◇◇◇

あいつに無理矢理連れてこられた異世界生活

mio
ファンタジー
 なんやかんや、無理矢理あいつに異世界へと連れていかれました。  こうなったら仕方ない。とにかく、平和に楽しく暮らしていこう。  なぜ、少女は異世界へと連れてこられたのか。  自分の中に眠る力とは何なのか。  その答えを知った時少女は、ある決断をする。 長い間更新をさぼってしまってすいませんでした!

異世界でお金を使わないといけません。

りんご飴
ファンタジー
石川 舞華、22歳。  事故で人生を終えたマイカは、地球リスペクトな神様にスカウトされて、異世界で生きるように言われる。  異世界でのマイカの役割は、50年前の転生者が溜め込んだ埋蔵金を、ジャンジャン使うことだった。  高級品に一切興味はないのに、突然、有り余るお金を手にいれちゃったよ。  ありがた迷惑な『強運』で、何度も命の危険を乗り越えます。  右も左も分からない異世界で、家やら、訳あり奴隷やらをどんどん購入。  旅行に行ったり、貴族に接触しちゃったり、チートなアイテムを手に入れたりしながら、異世界の経済や流通に足を突っ込みます。  のんびりほのぼの、時々危険な異世界事情を、ブルジョア満載な生活で、何とか楽しく生きていきます。 お金は稼ぐより使いたい。人の金ならなおさらジャンジャン使いたい。そんな作者の願望が込められたお話です。 しばらくは 月、木 更新でいこうと思います。 小説家になろうさんにもお邪魔しています。

転生おばさんは有能な侍女

吉田ルネ
恋愛
五十四才の人生あきらめモードのおばさんが転生した先は、可憐なお嬢さまの侍女でした え? 婚約者が浮気? え? 国家転覆の陰謀? 転生おばさんは忙しい そして、新しい恋の予感…… てへ 豊富な(?)人生経験をもとに、お嬢さまをおたすけするぞ!

処理中です...