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どきどきする彼と、落ち着く彼

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カランと響く鈴の音を聞きながら、二人はガンシャルビーを後にした。

「良い弓になりそうですね」

ナインハルトの言葉に、ライラはこっくりと大きく頷く。

「はい、ナインハルト様のおかげです。完成を待ち遠しく思います」

他国からの部品取り寄せの都合もあり、納品に一ヶ月程かかるとのことだった。

大広場通りへと向かい、二人並んでのんびり裏路地を歩き出す。見上げる空は青く、吹き抜ける微かな風が草木を揺らす。
初夏の匂いが漂うこの上ない散歩日和。

「受け取りの際は荷物持ちとしてご同行します。レディをザックスと二人にするわけにもいきませんから」

そうナインハルトが言うので、ライラは以前父が馬車の中で話していたことを思い出した。

「男は全員狼と思え、ということでしょうか?そのようなことを父が前に話していました」

「ええ、そういうことです」

ナインハルトはくすりと笑う。

「私は狼ではなくて、クマのようですけどね」

なんのこと?とライラは少し考えて、あっと思い出す。先程ナインハルトの弓を見てクマの一撃と例えていたのだった。

「申し訳ありません。いい表現が浮かばなくてつい......あっ!」

動物の話で唐突に思い出したことがあり、ライラは思わず両手を打ち合わせた。 

「私、ナインハルト様の使い魔を拝見したことがありません。普段お屋敷にいらっしゃるのでしょうか」

ナインハルトは碧い双眸を見開く。
思い出すようにやや瞳を上げて、

「たしかに。一度もご紹介していませんでしたね。少々お待ちください」

そう言って立ち止まり、急に首元のボタンをひとつふたつと外し始めた。
何事かとライラはどきりとするが、ナインハルトは開けた襟元から服の下に提げていた金の鎖のペンダントを引き出して外し見せてきた。 

ライラは目を瞬く。
もしかしてこのペンダントが?

「彼女は今変化中でして」

ナインハルトはペンダントを手のひらに乗せた。

「シャルロット」

手のひらの上が一瞬光り、光が収束すると琥珀色の毛並みをしたリスが現れた。主人を見上げたかと思えばふさふさの尻尾の毛繕いをし始める。

「私の使い魔シャルロットです」

「りっ、えっ、かっ、かわ......」

あまりの衝撃に言葉が上手く出なかった。

リス。
可愛い。
もけもけでとんでもなく可愛い。

シャルロットのふわふわとした体とつぶらな瞳、小さな手で尻尾を抱えて毛繕いをする愛くるしい仕草にライラは完全に魅せられ目をキラキラさせる。
ナインハルトは笑って、服の内ポケットから何かを取り出してこっそりライラに渡してきた。

「レディ、これを」

「これは?」

「どんぐりです」

どんぐり、という響きにシャルロットはぴくりとして後ろ脚だけで立ち上がる。

「私があげてもいいのですか?」

「どうぞ」

ライラは恐る恐るどんぐりを差し出してみる。するとシャルロットは両手でそっと受け取ったかと思うと無心にカリカリとかじり始めた。もぐもぐと動く小さな口元を見て、ぱっとライラの頬が紅潮する。

「可愛いすぎます...」

「そんなに喜んでいただけるなんて。もっと早くにお目にかければよかったな」

見せれば令嬢達が寄ってきてしまうため、人目に触れさせることを避けていた。
ライラはシャルロットの背を撫で、ほわんとした顔で、

「これまで図鑑でしか見たことがなくて。こんなに可愛い生き物だなんて知りませんでし............あら?シャルロット、もう食べ終わってしまったの?」

シャルロットはどんぐりのかけらを探して足元をフンフンと嗅いでいる。

「早食い大食いでして。屋敷に置いておくと何をかじるかわからないのでいつも帯同しています」

「ギルと違って食いしん坊なのね」

そんな人間二人の会話を聞きながらシャルロットは下腹をくるくると毛繕いする。すると視界にキラリと光るものが入り、ついと視線を向ければ路地に差し込んだ日差しに輝くライラの銀の髪が目に留まる。

ぐっ、と後ろ脚に力を込める。

「きゃっ!」

「こ、こら!シャルロット」 

ナインハルトの声は聞かずに身軽に跳んで、シャルロットはライラの肩へと飛び乗ってきた。肩口と首元をうろうろ移動して小さな手で髪を掴む。ふさふさの尻尾や毛並みが首や頬にさわさわと触れてライラは身をすくませる。

「ふ、くすぐったい」

まただ、とナインハルトは思う。
初めて会った時とは異なり、今では柔らかい表情もできるようになっているようだった。

「シャルロットは温かいわね」

ナインハルトの思案には気づかず、ライラはシャルロットに話しかける。

「ギルは触るとひんやりしているのよ」

髪で遊ぶシャルロットを優しく撫でるライラの手には、弓の練習で負ったであろう新旧の傷が出来ていた。

それはの令嬢であれば当然忌避すべきもの。

「レディは......」

「はい」

「アン・ブロシエールに通われていた、と伺ったのですが」

「...ええ」

この時、一瞬ライラの表情が堅くなったのをナインハルトは見逃さなかった。
ライラの方はというと誰から聞いたのだろうと思いつつも一呼吸おいて頷いた。

「はい。通っておりましたが、それがなにか?」

「いえ、私の姉達も通っていたので」

「あら、そうでしたか」

ベルシュギール家の令嬢は記憶になかった。忘れているのかもしれないが、ナインハルトの姉となるとそもそも在学期間が自分と重なっていないのだろう。

「ナインハルト様、お姉様がいらっしゃったのですね」

「姉が三人います。一人は結婚後イーリアスに移住しました」

「イーリアスの方とご結婚されたのですか?」

「ええ、イーリアス在住の発明家と」

当時を思い出し、ナインハルトは苦笑する。

「姉から猛アプローチをした上での結婚でした。無事に結婚に至ったからよかったものの、家族全員どうなることかとハラハラしていました」

「へ、へえ...」

素で驚いて間の抜けた返事をしてしまった。
模範的な貴族として名高い家門なのにと意外だった。

「お姉様三人となると、ナインハルト様はさぞ可愛がられたのではないですか?」

「ええまあ。よくドレスを着せられて茶会に参加させられていました」

ナインハルトはズンと沈んだ面持ちをし、ライラは目をぱちくりとしてそれを見上げる。

金色の髪に碧い瞳。
端麗な顔立ち。

「とても可愛らしかったでしょうね」

ナインハルトは瞬きをして、慌てて顔を背ける。

「レディ、想像はしないでください!」

照れている。
ライラは軽く笑み、肩にいるシャルロットをぽんぽんと撫でて、

「......シャルロット?」

軽い寝息が聞こえてくる。

「寝てる...?」

やれやれとナインハルトは息をついてシャルロットに手を差し出した。

「シャルロット、出てきなさい」

シャルロットは身じろぎのみをする。
すっかり髪にくるまっており、もはや銀の毛玉になっている。

「髪を寝床にしたのね。かわいいわ」

「......まったく。レディ、失礼します」

ナインハルトはシャルロットを取り出すべく、ライラの髪に手を触れた。銀の髪はさらさらと絹糸のようで、ナインハルトは図らずもどきりとしてしまうが気にしないようにして。
しかしライラの首筋にある傷痕に気が付き、無意識にぴたりと手を止める。

「ナインハルト様?」

髪に触れたまま動かないので、ライラは訝しむ。

「からまってます?」 

ナインハルトの碧い瞳を見れば悔恨の色が滲む。
その表情を見て、もしや首の傷痕を見ているのかと思い至る。

「......私の方が先に追っていたのに」

やっぱり。

「いいのです、ナインハルト様」

シャルロットを落とさないように手を添えつつ、ふるふると小さく首を振れば、首元に添えられていたナインハルトの手と手が触れ合ってしまい慌てて腕を降ろす。

「私はこの傷を気にしていません」

「彼より早くレディを見つけていればと。あの時悠長にしていた自分が悔しくてなりません」

「私は本当に気にし......」

ふわりと抱きしめられ、驚きで一瞬息が止まる。
心臓は早鐘を打ち、しかし徐々に穏やかになる。

アラン様とは違う。

こんな時に呑気としか言いようがないが、そんなことを考えてしまった。

アラン様といる時はどきどきしたりときめいたりして、こんなにも落ち着いてなんかいられない。
ナインハルト様にはときめく感覚はないけれど、一緒にいるのは心地良くて不思議と落ち着く。

不遜かしら。
二人の高貴な男性をこうして比べてしまうだなんて。

「......今日の私を見て、意外とできる娘だとお思いになりましたでしょう?」

ライラはナインハルトの胸に手を当てて、微かに押すようにして身を離した。すると前に言い争いをした時とは異なり彼はすんなり腕を解いたが、依然その瞳には後悔の気持ちが滲んでいた。
ライラは意志の籠もった赤紫色の瞳でナインハルトをじっと見上げる。

「私は守られるより守る側の人間になりたいのです。ギルバードと共に仕事をしたり弓を始めたり、そして父の強さを知る内に自然とそう思うようになりました。未熟者ゆえにこれからも傷を負うことはあると思っていますが、それも承知の上です」

「私は...」

出掛かった言葉をナインハルトはぐっと飲み込む。
抱きしめていた腕に残る感触は華奢でかよわく、やりきれない想いが募る。

「とはいえなるべく傷は避けたい所です。ナインハルト様は傷すら美しいと多くのご令嬢から評判ですけれど...」

ナインハルトの左瞼に走る傷痕。
それは柔和な顔立ちに精悍さを加え、貴族剣士という言葉を引き立てるものだった。

「私もご令嬢達の言葉に同意します。あとナインハルト様は笑顔の時が一番素敵です。だから笑っていてください」

まるで男性が女性に言うような台詞を真顔でしれっと言うので、苦しい息をついた後ナインハルトは少し笑った。

その時。
ぐうぐうぴーぴーと小さないびきと鼻息とが聞こえてきて、二人は顔を見合わせる。
これにはナインハルトも普通に笑い、ライラもふっと笑む。

「この子、本格的に寝始めましたね」

「そうですね。つい忘れていた」

ライラも手伝い、シャルロットは髪の寝床の中からようやく捕獲された。ナインハルトが手のひらに乗せれば、また金のペンダントに変化する。

「髪を乱してしまって...すみません、レディ」

「いえ!見せてくださってありがとうございました」

ライラは髪を手櫛でざっくりと整えながら、

「物に変化している使い魔というのも初めて見ました」

「ギルバードも変化可能と聞きましたが、物ではないのですね」

ナインハルトはペンダントをかけなおして言った。

「ギルバードの変化について、アラン様に聞いても見ればわかると勿体ぶって教えてくれなくて。部隊の中ではギルバードが巨大な蛇や双頭の蛇になると話されています」

ライラは巨大な双頭ギルバードとその横に立つ自分とを想像する。かなり格好いい気もするが、悪役っぽい気もするような。

「皆様のご期待に添えずですが、ギルは人になります」

「......ひと?」

一瞬理解ができずナインハルトが復唱すれば、ライラはこくりと頷く。

「青年の姿に。実の所ナインハルト様はもう見かけていらっしゃるのですが」

それは思いもよらない言葉だった。
見かけたことのある青年と聞いて思い当たるのはあの人物しかいないのだが、どうしても蛇の姿と結びつかない。

「まさかとは思いますが、あの時の銀の髪の青年。もしや彼が」

「ええ。彼がギルバードです。今度お目にかけますね」

ライラは数歩歩いて振り向き、行きましょうと告げる。少しいたずらな光を宿す瞳は生き生きと輝いていた。

********** 
「あー...リス、ですねあれは。ライラ様がリスと戯れておいでです」

コーヒーをすすりながらセーブルが呟く。
セーブルの目は今、目の前のコーヒーではなく王都上空にいるイーゴを通じてとある路地を見下ろしていた。
アランは腕組みをしてため息をつく。

「シャルロットだな」

アランの右腕且つ眉目秀麗なナインハルトの使い魔がリスと言うことで、ギャップ萌えだとかなんとかで女性人気を爆上げする一端を担っている。
令嬢達がリスを触りにくるのがわずらわしいと言って、長いこと人前には出していなかったが。

「使い魔で釣るのはずるいだろ。それでも戦士か」

以前自分もデルタリーゼの肉球で釣ろうとしたことは棚に上げてぶつくさと呟く。

「あ、リスが肩に乗ってます」

「どっちの」

「ライラ様の。あー、和むなあ見てて」

セーブルはのんびりと実況しながらコーヒーを飲む。
しかし、ある時を境に急に静かになる。

「...セブ?」

「えーと、少しお待ちを」

何を待つことがあるのだろうか。
そう思いながらも待つこと数分、セーブルはぎゅっと目を閉じる。
再度開けば元の茶色の瞳に戻っていた。

「えーと。落ち着いて聞いてくれます?」

「既に落ち着いていられないんだが?」

「いや、お二人は冷静ですので」

「なんだよそれ」

謎すぎる予防線が逆に怖い。

「ナインハルト様がライラ様に近づいて、首筋に手を添えていらっしゃって」

この時点でアランの表情はぎょっとしたものになる。

「そこからナインハルト様がライラ様を......ぎゅっと」

「ぎゅっと?えっどんな風に」

「どんな風にって、ぎゅって」

「......わからないな。悪いが実演してくれるか。俺がライラ役をやるから」

「やりませんよ!?というか最後まで聞いてください」

アランは机にばったりと突っ伏して頷く。

「ぎゅっと、まあ、抱きしめた後はそれ以上何もなく、ライラ様の方から身を離されておいででした。お二人とも今は大広場の通りを歩いております。手を繋ぐとかそう言ったこともありません」

「......どう見えた?」

突っ伏したままアランは尋ねる。

「どうって?」

「恋人っぽいとか仲良さそうだとか」

「あー......正直な感想としては初々しいカップルに見えましたけど」

アランは何も返答せず、机と一体化している。
そんなに落ち込むことだろうかと思いながらセーブルは慌てて、

「でも会話までは聞こえてませんし、ライラ様から身を離してますから!それに本当に好き合ってるならぎゅっとして終わりはないでしょう。そう思いません?」

「......たしかに。でもナインは一度ライラを怒らせてるから、慎重になってるだけかもしれない」

「ちょっと、ネガティブすぎますって」

「セブならどちらを選ぶ?俺かナインか」

答えにくい。
それでも思考を巡らせる。

「女性の気持ちはわかりかねますが......」

セーブルは眉間に中指を当てて真剣に考え込む。

「お二人とも、家柄良し、見目良し、アルゴンの戦士で剣の使い手、22歳とあまりに条件が似すぎているのが......。あ、でもアラン様はヴァルギュンターを首席卒業でしたっけ。それに体術は剣より長く習ってましたよね」

「確かに片手剣ブレード部門で首席だったが剣以外の武器は使えない。体術はまあそれなりにできるがブラッドリー侯爵には及ばない。ナインは剣も弓も斧も、基本的な武器は全部扱える。体術も俺ほどじゃないが強い」

「しれっとブラッドリー侯爵を混ぜないでください」

はあ、とセーブルは息をついて頭をかいた。

「こうなるともう顔の好みとか性格の合う合わないくらいしかありませんよ。両者の系統は全然違いますから」

「好み......ギルがいれば聞くんだが」

「あとは例えば、手合わせでもしてどちらの方がより腕が立つか勝敗を見るとか?ライラ様はお父様があの方ですからね、強い男性の方が好きと仰るかも」

これについて、セーブルとしては苦し紛れの思いつきで言ってみただけだった。
しかしアランは机からぱっと身を起こす。

「......手合わせか」

どちらが強いか。
思えば成人以降、奴とはまともに戦ってない。

「面白い。最近視察で馬車に乗りっぱなしだし、気晴らしにもなるしちょうどいい」

「んっ?えっ??アラン様?」

アランは何やら不敵に笑っている。
何か面倒なスイッチを入れてしまったかもしれないが、落ち込みから立ち直ったならまあいいかとセーブルは考えることにする。
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