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第15話
しおりを挟む人魚島には、港らしい港がない。一番、人の往来がある砂浜を船着き場としている。船を停泊させて、一行は下船の準備をしていた。
アレックスはトマスとバートと一緒に、甲板から島の様子を探った。クリスの館は、反対側にある別の砂浜側にある。リックの船をとめたのも、この砂浜の端だっため、高さのある船から見たここの景色は、初めてだ。
「さて、テオをどう降ろすかな」
トマスは腕を組んで、船の下を見下ろす。既に船員達の大半は、ようやく辿り着いた人魚島に、並々ならぬ興奮を抱いて島へと繰り出していった。島民の迷惑そうな視線は気にならないようだ。
「この前みたいに、女物の服を着て誤魔化せば良いんじゃねえか?」
「ここは人魚島なんだ。このまま上陸しても、テオは安全だろ」
「だけど、まだ怪我が治りきってないんだろ? 嫌だぜ、島の奴らに妙な誤解されるのは。トマス、ちょっくら島で使えそうな服を見繕ってきてくれよ」
バートに頼まれて、トマスは面倒くさそうに出ていく。アレックスは頬を掻きながら、トマスを見送った。
テオが人魚島を出る時、長老を始めとした島民には黙っていた。絶対に止められると、わかりきっていたからだ。ここで怪我をしたテオを見られるのは、確かにまずいのかもしれない。
「だけど、人魚に人間の服を着せたとして、それがバレたときの方が、状況的にはまずいと思うぞ。島民は人魚に不自由させることを良しとしないらしい」
「そうなのか? まあ、トマスが戻ってから決めれば良いさ。アレックス、お前はちょっと来てくれ。見て欲しいものがある」
バートは手招いて、海に面している側へアレックスを連れて行った。
「何をするんだ?」
「ちょっと向こうを見てくれ。ここからだと見づらいが、島が見えないか?」
望遠鏡を差し出して、アレックスに催促した。筒を覗くと確かに、遠くに小さな島のようなものが見える。人が住めるようには見えず、白い岩礁の上部は緑で生い茂り、全体の形や高さは左右非対称だ。人食い人魚のいる海域と同じ方角にあり、おそらく件の海域を抜けて、ここへ辿り着くまでの途中に位置している。
「あれは」
「ほら、前に言っただろ? あそこに人魚の巣があるらしい」
「ああ……」
「あの時は言い忘れていたが、アレックス、お前の意思は尊重するが、お前に選択肢はないんだよ」
「は?」
水平線を途切れさせる孤島を見つめていたアレックスは、違和感に気付いて振り返った。先程より、船が人魚島から離れている。島の奥から小さな人影が慌てて走り出してきたと思ったら、大きく口を開けてこちらを見上げた。トマスだ。
「おいおいおい! おーい! 何してる!? 俺の船だぞ!」
叫ぶ彼は、どんどん遠ざかっていく。アレックスは平静を装いつつも、ヒヤリとした心地でバートに視線を移した。
「どういうことだ?」
「見ればわかるだろ? 今からあの島を探検しようぜ」
「俺は行かないって言っただろ」
「お前には、ついてきてもらう必要があるんだよ」
音もなく前に出されたバートの手を見て、アレックスは固まった。一丁のピストルが、こちらに向けられている。バートの口元は笑っているが、目は笑っていない。
(こいつ……)
床が軋む音がして、アレックスが周囲に視線を遣ると、船員の数人が威圧するように彼を囲み始めていた。見覚えのある顔しかいないが、船に乗っていた全員ではない。トマスが置いていかれたように、他にも置いていかれた船員がいるのだ。
(まずい)
船内には、クリスとテオがいる。クリスはともかく、テオは水中以外では自由に動き回れない。今ザッと見ただけでも、アレックスの周りには、彼の動きを止めるのに十分な人数がいる。おそらく、クリスとテオの状況も似たようなものだろうと、容易に想像できた。
「お前には、言うことを聞いてもらわないと困るんだ」
「あの二人を人質にするつもりか?」
嫌悪感を顕にすると、バートは可笑しそうに声を上げて笑った。
「人質だって? わかってないな、アレックス。テオと博士は貴重な人材だ。下手に手は出せない。それに比べて、お前は知識もないただの人間だが、あの二人と親しく、信頼されている」
「……」
「人質はお前だよ、アレックス」
アレックスは、頭を抱えたくなった。つい先日、囚われたテオとクリスを助け出したばかりだと言うのに、今度はアレックスが同じ立場になろうとしている。ついてきてもらう必要がある、というのはつまり、アレックスを側において、二人を働かせる口実にするつもりだ。
忌々しげに舌打ちして、アレックスは深い溜息を飲み込んだ。バートの瞳は暗く愉しげで、欲にギラついていた。
アレックスがテオ達と再び顔を合わせたのは、例の孤島に到着してからだった。アレックスの体は縄で拘束され、縄の端はバートが握っている。体を押さえつけられたクリスと、担ぎあげられたテオは、アレックスを見て表情を和らげた。
「無事かい? アレックス」
「俺は何ともない。そっちは……」
「勝手に喋るな」
バートがピストルの角でアレックスの頭を小突く。見た目に反してピストルは重く、バートの力は強かった。アレックスは青ざめたテオをチラリと見て、口を閉じた。
「さて。さっそくだが、テオに仕事だ。以前、人魚に追われてこの島に逃げ込んだ奴がいた。そいつが言うには、島のどこかが、人魚の巣に続く洞窟の入り口になっていたらしい。その入り口を探して来い」
「見つけたとしても、人間が入れる場所かはわからないよ」
「水路の他に、人の通れる陸地も続いていると聞いた。帰ってくるのがあんまり遅いと、アレックスの腕が一本潰れるぞ」
テオは白い顔でこくこくと頷き、水中に潜って行く。
島は遠目で見たとおり、非常に小さく、一日もあれば簡単に一周できそうな大きさしかない。片側は切り立った崖で、あちらこちらに岩が突き出ており、ゴツゴツとした輪郭が全体を覆っている。
テオが戻ってきたのは、体感にして一時間後くらいだった。彼の泳ぐ速さを身をもって知っているアレックスは気を揉んだ。
(テオにしては時間がかかったな。怪我の調子が良くないんじゃないか?)
テオの体は今、傷が剥き出しになっている。人魚は怪我をしても包帯なんて巻かないからと、ある程度回復したら解いてしまったのだが、傷口はまだ生々しい跡になったままだ。
「あったか? 案内しろ」
バートの言葉にテオは渋々といったふうに頷いた。テオに案内されて向かった場所は、水面の上にそそり立つ岩壁と岩壁との、隙間だ。水中はまだ少し余裕がありそうだが、水上の隙間は非常に狭く、小さなボートが何とか通れる幅しかない。手漕ぎボートは船に積んであったが、大人の男が三人も乗れば、ミチミチと窮屈になる。何往復かして、一行は洞窟の中への侵入を試みた。
隙間を抜けたところには、穏やかな水面と湿った地面があった。ほぼ岩と言っても良い地面は滑りやすく、三人並べばいっぱいいっぱいの広さだ。隣に広がる水面の方が広く、海の中の生き物にとっては、進みやすい環境だろう。
彼らは陸地を進み、テオは隣の水路を泳いだ。そのうち段々と地面が高くなり、水面が眼下に遠ざかっていったため、アレックスの前にいた男がテオを水から引っぱり上げて担いだ。
水面が手の届かない距離にまで離れた頃には、陸地はますます狭くなり、道は崖のようになっていた。頭上は、ところどころに穴が空いており、日の光が白く降り注いでいる。神秘的な光と危険な道のりは、何ともアンバランスだ。
「何か書いてある」
バートが、あまり意味のなくなった明かりで、洞窟の中をぐるりと照らした。彼らの横の壁面に、何かの記号や絵が乱雑に描かれている。
「人魚文字だ!」
列の最後から二番目にいたクリスが、突然声を上げた。
彼は以前も言っていた通り、人食い人魚の領域から非常に近いという理由から、この場所の調査に踏み出せずにいたのだ。ここに来るまでも警戒と懸念はあり、アレックスの身も心配していた。だが、人食い人魚に出会わなかったことや、アレックスがいまだ五体満足であることから、今ではむしろ、この洞窟に対する興味が抑えきれなくなったようだ。彼は後ろからバートの顔色を伺いつつも、ソワソワと声に興奮を混ぜる。
「なあ、メモしても良いだろうか?」
「……好きにしろ」
呆れ声で返されると、クリスは早速懐から手帳を取り出して、壁の文字を記し始める。そのせいで、彼が逃げないよう気を配っていた後方の男達まで、歩く速度が落ちた。自然と列の間隔は緩み、バートは軽く溜息を吐いて前方に視線を戻した。
「テオ、人魚なら読めるだろ? 何て書いてあるか読め」
「読み間違えるかもしれないよ」
「良いから」
アレックスは、人知れず戸惑いの空気を滲ませる。
(読み間違える?)
テオは人魚文字をよく知っており、視力だって、人より遥かに良い。そんな彼が読み間違いを懸念しているのは、不自然な気がした。テオは、自身を担ぎ上げている男に声をかけて、モゾモゾと動いた。
「読むから、抱き方を変えてくれるかい? この体勢だと見づらいんだ。うん、こんな感じが良いな」
男は、肩に担いでいた体を正面から抱き上げる。男の首元にテオは頭を埋め、肩越しに壁を眺めて、文字を訳し始めた。テオの腕は、落ちないように男の首に回されている。アレックスは何となく不愉快になり、無意識のうちに、縛られた手で拳を作っていた。
テオがゆっくりと読み上げて、訳し始めた言葉達は、脈絡のない意味深な単語ばかりだ。『人魚』『秘宝』など、いかにも何か大きな秘密がありそうな単語に、周りの男達は喉を鳴らして色めき立つ。そんな中で、アレックスはふと気付いた。
(それ、そんな読み方だったか?)
アレックスは人魚島に滞在していた頃、テオに人魚文字をほんの少しばかり教わった。覚えたのはたったの数文字、一単語だけだったが、そのうちの一字を使った単語が、壁面のところどころにあった。
アレックスはそっと後ろに目を遣り、クリスの表情を伺った。明かりに浮かび上がる不思議そうな目と目があったかと思うと、彼は突然叫び出した。
「わかったぞ!」
周りにいた男達の肩が、ビクリと跳ねる。
「何がわかったんだ、博士?」
「いや、テオの声を聞いていたら、私にも読み方がわかってきたという意味だ」
「なるほど? さすがに頭が良いみたいだな」
男達は感心していたが、若干緩んだ空気の中で、アレックスは笑い声を漏らした。バートのきつい視線を感じて、大声で誤魔化す。
「いや、悪い。クリスのマイペースさに思わず笑った。もう黙るよ。何があっても、喋らない」
「そうしてくれ」
バートが再びテオの方へ視線を移した時、前方から、男の短い悲鳴が聞こえた。
「ぎゃあ!」
一瞬、空気に動揺が走った。その場にいた男達は、皆一斉に声の方を見たが、時すでに遅かった。テオを抱き上げていた男の首元に、テオが思い切り噛み付いていたのだ。彼の歯は人食い人魚程ではないが、アレックスが驚愕する程度には鋭い。我慢ならなくなった男は、一秒ともたずに、抱えていた体を放り出した。
この刹那的な動揺を、アレックスは見逃さなかった。バートが縄を引くより先に、彼の股ぐらを蹴り上げる。呻き声と共に体を折り曲げたバートは、反射的に縄から手を離した。アレックスは、その隙に地面を蹴り、湿って滑りやすい崖から身を踊らせた。
「くっ……」
バートが顔を歪めたまま、アレックスに向かってピストルを撃つ。銃声はアレックスを追いかけ、逃さない。焼け付くような鋭い痛みが右足を貫いたが、アレックスは顔を顰めながらも、ニヤリと笑った。
崖から離れたアレックスの体が、宙に浮かぶ。放り出されたテオもまた、アレックスと共に落下していた。
水飛沫が上がる音が、洞窟に反響する。バート達は唖然としながらも、崖の端から下を覗き込んだ。水面は遠く、静まっていく波紋しか見えない。しんと静まり返った空気には、水をかき分ける音すら聞こえない。
「おい! 他に落ちた奴はいるか!?」
バートは忌々しげに舌打ちして、周囲を確認した。アレックスとテオはもちろん、クリスも忽然といなくなっている。クリスは拘束されているわけでもなかったため、二人より自由に動けるのは、当然だ。
「やられた……ッ! クソッ!」
バートはギリリと歯軋りしながら、岩壁を拳で殴りつけた。
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