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姉
しおりを挟む私はそんな生活から脱け出したかった。
だから、私は潔く逃げることにした。二度と姉のことで煩わされてたまるものか。誰も私を知らない所へいきたくて遠方の高校へ私は進学した。
しかし、姉が死ぬらしい。これは一体どうしたことだろうか。
これで全てがおじゃんか、と思った。同時に何も変わらないだろうという諦念と期待があった。
「休みたい?」
部活の先輩である上坂は不機嫌そうにそう言った。当分、週に一度は休みをもらいたいという相談という名の報告をしに行ったときのことだ。
「姉が病気で、危なくて」
事情の説明を始めると、上坂はしかめ面を急いでほどいた。そうしてわかりやすく心配の色を顔に浮かべる。私の手を握って、「大丈夫?」とまで尋ねてくれる。さっきまでの不機嫌を帳消しにするような優しさだった。
「昔から悪いんで」
私は軽く笑って答えた。すると、上坂は
「ああ、そう……」
と気まずそうな顔をして手を離した。それは、明らかな私への失望の態度であった。
上坂は、「お姉さんかわいそう」という空気を、離した両手のうちでこねまわしていた。「かわいそう」は、病気に対してではなく、私のような妹の存在に対してだった。まるで、自分が姉自身になったかのような、そんな顔を見ると
(なら今、泣いてもいいのか?)
そう聞きたくなる。
私が今泣いたところで上坂が何となく満足するか、内心困るかのどちらかしかなかった。そのこと自体を上坂だけがわかっていなかった。
こういう手合いにかかずらわっているのは疲れる。
私は一礼すると、背を向けて歩き出した。カーデのポケットから取り出したイヤホンをつけて、音量を三上げた。響きが悪くなってきた。買い換えなければならない。
ほぼ無人の電車の中、黄色の西日が柱のかげをかわるがわる射し込ませた。
白米は新米なれど誰も喜ぶものなし。
ご飯を食べる。握り飯を食む。固い冷たいご飯だった。
いつものことながら、母は家にいない。ただ、もっといなくなった。もっと上の空になった。
カップラーメンにはもう飽きていたので、昨日飯を炊いた。
姉が死ぬ。しかし、くるくると食糧だけ、いつものように買い足されている。新米の季節だった。
私は一人、それを炊き、今日もまた食べた。
ふと、姉が食べているご飯は味がついていなくて不味かったことを思い出した。
姉の見舞いの前日の日の事だった。
白く冷たく、病気のにおいの麻痺した部屋。
姉を見たとき、「ああ、死ぬな」と思った。
もはやそれは確信に近かった。母の涙の重さがようやく追い付いてきた。あの時はただ涙に困っていただけだった。
私は母と二人、ゼリーを持って見舞いに行った。
高校に入ってから、通う間がなかったので、幾分久しぶりの見舞いであった。
何故、母が私を呼んだかもわからない。体裁だろうか、そう思うほど、母は道中、何も言わなかった。
痛々しくもない、ただ気後れする沈黙の中、私達はひたすらに電車に揺られていた。
正直なところ、私は姉自身のことをどう思っているか、よくわからない。
しがらみであっても、姉の人格がわたしを煩わせたことはなかった。
温厚なのか疲れているのか、いつもおっとりとして、姉のまわりは静かだった。私より年上のせいなのかと思ったが、私より四つ上の近所の高木さんは、少し年代が違うだけの女の人だ。どちらかというと、姉のそれは職員室の隅にいつも静かに座っている、「おじいちゃん先生」の北見のそれによく似ていた。
姉はいつも病院と家を行き来していた。だから、あまりに姉と病院というものが身近に結び付きすぎていて、母に「駄目かもしれない」と泣かれて、神妙に病院に呼ばれても、私は何とも思わなかった。
いや、何かいやなものを感じてはいた。けれど、そんなもの嘘の危機感であったと、姉を見た瞬間に悟った。
姉は死ぬ。
するとその瞬間、不思議に、私のなかで感動が生まれた。何故か突然、姉がとても慕わしい存在に思えたのだ。
私の感傷に気づいた母が、何か理由をつけて病室から出させた。私は姉を気遣い、何気ない顔をよそおって、外へ出た。少しこの感動に流されてやれば、涙まで浮かびそうな気分だった。私は同時にそんな自分の心の動きにぞっとしていた。
今泣くのは気持ちが悪い。それはずるく卑怯な行為だった。私はこの姉がいなくてもずっと平気で生きてきたし、生きていけるのだ。
買ってきたゼリーが、姉と私の距離だ。
イヤホンをつけて、音量をガンガンに上げた。ずれてついたイヤホンから音漏れがして、通りすぎた誰かの見舞い人が、私をちらりと見て去った。
私は姉のがりがりの体を憎んだ。黄色く、浅黒くなってしまった肌を憎んだ。もっと健康体で死んでくれたらよかったのだ。私が申し訳ないと思わなくてもすむような、そんな体で。
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