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一章
三十九話 予感2
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いよいよ明日、エルガ卿の一行は、邸を出立する。
グルジオらが訪れた日から考えると、ここドミナンにしては長い緊張の期間であった。召使いの部屋には、安堵ある疲労が部屋に満ちていた。
「こらお前達、まだ明日があるのだぞ。見送るまで気を抜くんじゃない」
アルマが声を張った。ジェイミは「それを言うなら、出て行ってからも、だろう」と思ったが顔にも出さなかった。自分に関係のなくなる場所に、口を出すのは無責任というものだ。
「ジェイミ、今までありがとう」
「向こうでも頑張って」
「元気でね」
年少の召使いたちが、ジェイミのもとを訪れては、口々に別れの言葉を紡いだ。名残惜しさ、寂しさ、不安、特有の気恥ずかしさ――それらがいっぱいになった彼らの顔を見下ろして、ジェイミはふ、と微笑した。
「ああ。おまえ達も元気でな」
全員の頭を、一度ずつ撫でてやる。彼らはくすぐったそうに笑った。そうして笑いの中に、賢明に涙を隠していた。いじらしい様子に、少しやりきれない気持ちになる。
ジェイミはここを出て、エルガ卿の一行についていくことになっていた。
「男しかおらぬ道中故、姫様の世話をするものがほしい」との言葉だったが、やはりあの時、自分の命はあの一行に預けられたのだと、感じるほかなかった。
まさか、こんなに早く、この村を離れることとなるとは……狭い召使い部屋の中を見渡す。罰を待つ身となったとき、一度は逃げだそうとしたのに、こうなると名残惜しい気がするから不思議だ。それは、新たな奉公先の枷が、どうにも重く、息苦しいからかもしれない。
(さて、これからどうなることやら)
この数日で、たくさんの事が起こりすぎた。いや、そもそも人間の都合で、命など簡単に消える身の上だ。現実に立ち返ったという方が正しいか。
(やはり、ここに慣れすぎた)
気を引き締めなければならない。
自分の左隣を見る。そこにも獣人達が集まっていた。
「アイゼ、元気でね」
「くれぐれも、へまするなよ」
「皆、ありがとう。精一杯頑張ってきます」
獣人達が、アイゼに口々に声をかけていた。アイゼは、彼らの激励に笑って答えている。
アイゼもまた、ジェイミと共に、一行についていくことが決まっていた。
――この数日で、こいつに起こった出来事が、一番大きな事だったかもしれない。ジェイミは思う。獣人だから、ではくくれないことが、アイゼの身には起きた。
四日前、人間相手に襲いかかり、その咎で殺された。しかし、「魂問い」によって、再び命を得たことで、その罪を許されたのだ。
アイゼがここを出て人間達についていくのは、「邸の庭を荒らしたので暇を出されたところを、エルガ卿の温情で世話として使っていただくことになった」ということに表向きはなっている。――庭を荒らした獣人に温情をかけるなど、理屈に合わないがそこは皆知らないふりをしている。
ほとんどの獣人は「魂問い」を知らないふりをして生きているからだ。なので、アイゼが魂問いで許されたことは公然の秘密なのだ。
四日前のあの時、五感の鋭い獣人達はすぐに異変に気づいた。
そしてあの光景――すぐに兵士達により人払いがなされたが、何かとてつもない、すさまじいことが起きていることなど、見なくてもわかった。四日経った今でも、皆の心の底にあの時の不思議な空気が染み着いていた。
――だから。
アイゼがあの後、部屋に帰ってきて、それからアルマに沙汰を下されるまで、部屋は常と違う空気に満ちていた。押さえようとしても、あふれてくる、そんな感じだった。
魂問いにより、獣人が救われた――という、不信と喜び。
救われたアイゼを見る奇異、誇り、畏怖、嫉妬の視線。
「アイゼ、お前は暇をとらす。代わりに、エルガ卿の一行に付き従うがよい」
あの時の、驚きと、喜びと、劣等感に満ちた空気。
今だって隠しているだけで感じる。アイゼは、自分たちとは別のものだという感情がよかれ悪しかれあたりに満ちていた。無邪気なのは、年少の獣人達くらいである。
「アイゼ、頑張ってね」
「ありがとう!」
ジェイミはアイゼを気の毒に思った。アイゼに別れを惜しみにくる仲間達は、ジェイミのそれより、ずっと少ない。
ジェイミとて、何も言われなかったわけじゃない。
しかし、アイゼは質にとられたジェイミと違う扱いで、人間たちの一行に加わった。羨望や嫉妬など、あてられる感情は、ジェイミの比ではなかった。――アイゼは、殺されたというのに。
アイゼはというと、気にした様子などおくびも見せず、ずっとにこにこと笑っていた。
あの件に関して、ジェイミの率直な気持ちを述べるなら、バカなことをと思う。しかし、人間相手に向かっていくなんて、なかなか出来ることじゃない。
今の態度も併せて考えると、思ったよりずっと、克己心がある奴だ。でも、心配しない訳じゃない。
しかし、本当にこれから、大変な道のりが待っているだろう。
――にもかかわらずだ。
「なんでお前まで来ちゃうかね」
「んあ?」
グルジオらが訪れた日から考えると、ここドミナンにしては長い緊張の期間であった。召使いの部屋には、安堵ある疲労が部屋に満ちていた。
「こらお前達、まだ明日があるのだぞ。見送るまで気を抜くんじゃない」
アルマが声を張った。ジェイミは「それを言うなら、出て行ってからも、だろう」と思ったが顔にも出さなかった。自分に関係のなくなる場所に、口を出すのは無責任というものだ。
「ジェイミ、今までありがとう」
「向こうでも頑張って」
「元気でね」
年少の召使いたちが、ジェイミのもとを訪れては、口々に別れの言葉を紡いだ。名残惜しさ、寂しさ、不安、特有の気恥ずかしさ――それらがいっぱいになった彼らの顔を見下ろして、ジェイミはふ、と微笑した。
「ああ。おまえ達も元気でな」
全員の頭を、一度ずつ撫でてやる。彼らはくすぐったそうに笑った。そうして笑いの中に、賢明に涙を隠していた。いじらしい様子に、少しやりきれない気持ちになる。
ジェイミはここを出て、エルガ卿の一行についていくことになっていた。
「男しかおらぬ道中故、姫様の世話をするものがほしい」との言葉だったが、やはりあの時、自分の命はあの一行に預けられたのだと、感じるほかなかった。
まさか、こんなに早く、この村を離れることとなるとは……狭い召使い部屋の中を見渡す。罰を待つ身となったとき、一度は逃げだそうとしたのに、こうなると名残惜しい気がするから不思議だ。それは、新たな奉公先の枷が、どうにも重く、息苦しいからかもしれない。
(さて、これからどうなることやら)
この数日で、たくさんの事が起こりすぎた。いや、そもそも人間の都合で、命など簡単に消える身の上だ。現実に立ち返ったという方が正しいか。
(やはり、ここに慣れすぎた)
気を引き締めなければならない。
自分の左隣を見る。そこにも獣人達が集まっていた。
「アイゼ、元気でね」
「くれぐれも、へまするなよ」
「皆、ありがとう。精一杯頑張ってきます」
獣人達が、アイゼに口々に声をかけていた。アイゼは、彼らの激励に笑って答えている。
アイゼもまた、ジェイミと共に、一行についていくことが決まっていた。
――この数日で、こいつに起こった出来事が、一番大きな事だったかもしれない。ジェイミは思う。獣人だから、ではくくれないことが、アイゼの身には起きた。
四日前、人間相手に襲いかかり、その咎で殺された。しかし、「魂問い」によって、再び命を得たことで、その罪を許されたのだ。
アイゼがここを出て人間達についていくのは、「邸の庭を荒らしたので暇を出されたところを、エルガ卿の温情で世話として使っていただくことになった」ということに表向きはなっている。――庭を荒らした獣人に温情をかけるなど、理屈に合わないがそこは皆知らないふりをしている。
ほとんどの獣人は「魂問い」を知らないふりをして生きているからだ。なので、アイゼが魂問いで許されたことは公然の秘密なのだ。
四日前のあの時、五感の鋭い獣人達はすぐに異変に気づいた。
そしてあの光景――すぐに兵士達により人払いがなされたが、何かとてつもない、すさまじいことが起きていることなど、見なくてもわかった。四日経った今でも、皆の心の底にあの時の不思議な空気が染み着いていた。
――だから。
アイゼがあの後、部屋に帰ってきて、それからアルマに沙汰を下されるまで、部屋は常と違う空気に満ちていた。押さえようとしても、あふれてくる、そんな感じだった。
魂問いにより、獣人が救われた――という、不信と喜び。
救われたアイゼを見る奇異、誇り、畏怖、嫉妬の視線。
「アイゼ、お前は暇をとらす。代わりに、エルガ卿の一行に付き従うがよい」
あの時の、驚きと、喜びと、劣等感に満ちた空気。
今だって隠しているだけで感じる。アイゼは、自分たちとは別のものだという感情がよかれ悪しかれあたりに満ちていた。無邪気なのは、年少の獣人達くらいである。
「アイゼ、頑張ってね」
「ありがとう!」
ジェイミはアイゼを気の毒に思った。アイゼに別れを惜しみにくる仲間達は、ジェイミのそれより、ずっと少ない。
ジェイミとて、何も言われなかったわけじゃない。
しかし、アイゼは質にとられたジェイミと違う扱いで、人間たちの一行に加わった。羨望や嫉妬など、あてられる感情は、ジェイミの比ではなかった。――アイゼは、殺されたというのに。
アイゼはというと、気にした様子などおくびも見せず、ずっとにこにこと笑っていた。
あの件に関して、ジェイミの率直な気持ちを述べるなら、バカなことをと思う。しかし、人間相手に向かっていくなんて、なかなか出来ることじゃない。
今の態度も併せて考えると、思ったよりずっと、克己心がある奴だ。でも、心配しない訳じゃない。
しかし、本当にこれから、大変な道のりが待っているだろう。
――にもかかわらずだ。
「なんでお前まで来ちゃうかね」
「んあ?」
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