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一章

三十六話 ラルフィールの歌2

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 光の外で、ジアンがひざまずいた。感激にふるえる右手を肩に合て、天上を見上げていた。降りくる彼の音は、ラルにだけ、聞こえていた。皆が知るのは、ラルが節と音を変えたことと――果てない光の奔流だけだった。
 光はアイゼの魂を抱き、ゆるやかにラルのもとへ回り降りてくる。ラルの音と彼の音はいつしか完全に重なっていた。――リュウテの音が、粒をなして響き出す。
 光は髪となり、顔となり、体をつくり――ラルの頭上に、頭から舞い降りてくる。

(――)

 そうして、その長い髪が、ラルの肩をかすめ、その顔がゆっくりとラルへ近づき――ラルの目元に、そっと、キスを落とした。ラルは、いつものように目を閉じる。
 瞬間、あたりは大きな光にのまれる。それは、すべてをくらますような、みどりの光だった。
 しかしそれは一瞬のことで、光はもとの白き光となり、そしてやわくなり、地面に、天に還りだした。
 ラルはずっと目を閉じていた。体の内から、何か放たれ、同時に満ちていく感覚。全てと一体であり、全てから離れている。
 力がラルを満たし、そして静かに抜けていく。ラルは、ラルへと戻り始めていた。
 目を開いた。
 ――シルヴァス。
 彼の名を魂で呼んだ。肉体の感覚が戻ってくる。ラルは指先と頭の先におさまり、ゆっくりとふたを閉じる。

「おお……」

 嘆息が響く。発したのは、エルガであり、ジアンでもあった。皆この光景の一部分となっていた。
 ラルは天を仰いでいた顔を、視線を元に戻した。まだ、意識は夢とうつつをさまよっている中、思うはただひとつだった。
 アイゼ……。
 天に迎えただろうか。
 その時、ラルは、自分の腕があたたかいことに気づいた。抱えている腕が、あたたかい。見下ろしたアイゼの体は、うっすらと光をまとっていた。光はアイゼの体に飲まれていく。
 そうして、音が。アイゼの体の内に、はじめの音が鳴る。薄く開いた唇から、すうと長い音を発した。
 アイゼが目を開いた。眠りから覚めたような、穏やかな目覚めであった。

「……姫様?」
「アイゼ……!」
「あれ? オレ……」

 アイゼの顔色は、平素の穏やかで明るいもので、そこに一切の苦痛は消え、あたたかだった。どこかほうけた様子で、アイゼが自身の胸に手をやる。砕けていた手は、あとかたもなく治っていた。

「痛くない? どこも、変じゃない?」
「はい。……あれ、何で……」

 ラルはアイゼの頬を今一度、拭った。顔の傷もすべて消えていた。何が起こったのだろう。もっと状況のつかめていないアイゼは、しばらくラルにされるがままになっていた。しかし、ラルに抱えられていることに気づくと、火がついたように真っ赤になった。

「わあっ姫様!」
「よかった……! アイゼ、ありがとう……」
「あ、あわ、あわわ」

 ラルがアイゼを抱きしめる。アイゼは泡を食ったようにあわてていたが、ラルの泣き声が聞いて、されるがままになった。ラルは泣いた。どういうことだろう? 何もかもが信じられない。けれど、アイゼがあたたかく、動いている。この真実を、受け止めたかった。

「魂問い……」

 ジアンがつぶやく。その声は陶然としていた。

審問ラルフィールか」

 アーグゥイッシュは吐き捨てるように言った。そしてその場を去ろうとする。すると、平素の様子を取り戻したジアンが、厳しい声で呼び止めた。

「用はまだ済んでおらぬ」
「まあ、待てジアン。今は言うな」

 エルガが止めた。エルガは滂沱しており、声は情緒にあふれていた。

「獣人の、お前は、アイゼといったか」
「はい」

 アイゼは身を起こし、平伏する。ラルは不安になり、エルガを見上げた。

「人間に手をあげるのは、死罪と知っているな」
「エル――」

 ラルが庇おうとするのを、アイゼはそっと押しとどめた。

「はい、存じております」

 そうして頭を下げた。

「うむ。しかし、お前は先に一度死んだ」

 ラルとアイゼが同時に顔を上げる。

「先に死に、魂問いにより、今お前は再び命を得た」
「え、と……それは……?」

 アイゼが戸惑いに満ちた声を上げる。ジアンがその不敬に眉をひそめたが、エルガはふっと笑った。

「お前の罪は消えたという事だ」

 ラルとアイゼの目は、大きく見開かれる。アイゼは信じられない、という顔で、それから、あわてて平伏した。

「あ、ありがとうございます……!」
「エルガ、ありがとう」
「何の。魂問いにゆるされた命を、許さぬなどあり得ぬ事ですからな」

 ラルの言葉に、エルガは笑い、首を振った。その頬は紅く輝いていた。

「姫様、私はあなた様にますますの忠誠を誓います」

 ひざまずいて、そっとラルの手に自身の額をつけた。ラルは、ほほえんだ。

「ありがとう」

 そうして、ラルは――糸が切れたように倒れた。

「姫!?」
「姫様!」

 皆の声も、抱えられた腕も遠く、ラルは深い、深い眠りに落ちていった。
 よかった――その言葉と同じく、もっと深いところに、彼の音の余韻を、刻みながら。
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