姫君は、鳥籠の色を問う

小槻みしろ

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一章

二十五話 姫様3

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「うまいなあ」

 特別にしばしの休憩をもらった邸の召使い達は、蒸し菓子をほおばり顔をほころばせた。ポトの実をねりこんだ蒸し菓子は、エルガ卿が日々のねぎらいに振る舞いたいと、特別に用意させたものだ。もっとも、用意したのは自分たちなのだが、皆嬉しそうにしている。

「よい方だなあ」
「エルガ卿は、姫様のお心だって」
「ふうん……姫様がか」

 召使の数人が首を傾げた。嬉しいもののやや釈然としないという顔になる。

「姫様、とても優しいよ」

 しかし、年少の召使いの一人が、その言葉につかれたようにぽろりとこぼした。

「僕のけがの心配をしてくれたんだ。『自分のせいで罰を受けて、ごめんなさい』って……こう、頬にさわって……えらい方が謝るのなんて、僕、はじめて聞いた」

 大きな目から、ぽろりと涙がこぼれた。蒸し菓子を飲み下してから、何かとても特別なものをかみしめるように、大切に大切に話した。その言葉に、他の召使いが続く。

「そういえば、食事を持って行ったら、いつも『ありがとう』といってくださるな」
「ここの話をよく聞かれるんだけど、ずっと目を合わせてくれて聞いてくださる」

 などと、一度こぼれたら、いろいろと話題はつきなかった。

「こらお前達、あまり浮かれるんじゃない。気をひきしめろ。もうすぐまた仕事だ。これからいつもより忙しいのだから」

 アルマが皆に檄をとばす。しかし、アルマでさえ、そうだった。表だっては、「私は違います」という顔をしているが、どこかこの状況に浮かされて、うきうきとしている。アルマもまた、罰について姫に謝罪をされたと聞いた。

 ――これだ。これがずっといやだった。ジェイミはどうしようもなく苦く、焼け付くような気持ちになる。エルガ卿に、姫に――人間の気まぐれな「お慈悲」に、皆浮かれている。
 頭を垂れさせる人間に、自分たち獣人はずっと、怒りや屈辱を抱いている。それなのに、それゆえか、同時に、人間に認められたいと願っている。
 だから、こうして少し優しくされたり、よく扱われると、喜んでしまう。――相手は、自分を虐げる存在だというのに。ジェイミが許されたと聞いた時も、皆そうだった。理不尽よりも喜びが勝っていたのだ。
 そんな媚を、ジェイミはどうしても許せなかった。認められたいなどと、尊厳の放棄、弱さの証だ。人間に認められずとも、自分は自分であるはずなのだ。
 だから、ずっとあの女がいやだった。「ジェイミを信じられる」と言った、あの時からずっと――。

「ジェイミ」

 一人輪からはずれたところにいるジェイミの隣に、キーズとアイゼがやってきた。ジェイミの返事を待たずに、そのまま両脇に腰掛ける。二人は、大事そうに蒸し菓子を手にしていた。

「こんなはずれに、どうしたんだ。食わないのか」
「食うさ。こいつのために、これから飯を切り詰めるわけだしな」

 ジェイミの皮肉に、二人は顔を見合わせる。

「まあ、そうかもしれないけど、うまいよ」
「どうしたんだ? 機嫌悪いな?」

 ジェイミは一口かじる。確かに甘くておいしかったが、どうにも喜べない。傍らにおいて、息をついた。二人の楽しい空気を壊したことに後悔したが、どうにも気分が曇った。

「まあな。悪い」
「姫様のお相手は疲れるか?」
「キーズ」

 アイゼがキーズの言葉にたしなめるような反応をした。キーズは、蒸し菓子を一口ほおばりながら、笑った。

「何つーか、気まぐれそうだものな。処分しようとしたりやめたりさ」
「そんなことないよ」

 アイゼの言葉に、ジェイミが眉をひそめた。キーズは互いの顔を確認した上で、アイゼを手で制し、言葉を続けた。

「でも俺は、お前が助かってくれてよかったよ。気まぐれにも感謝万歳ってやつだ」

 キーズの目を見る。キーズは浮かれていなかった。ただ、ジェイミに対しての親愛の情にあふれていた。ジェイミはそのことに少し気分を持ち直した。

「気にすんなよ。まあそりゃ皆わりかし浮かれてっけどさ。お前からすると、気分も良くないのはとーぜんだって」
「――オレ、皆の気持ちわかるよ」
「アイゼ」

 今度はキーズがアイゼをたしなめた。アイゼは、思い詰めた顔で、地面をにらんでいたかと思うと、きっと顔を上げた。

「オレは、ジェイミが、助かってくれて本当によかった。そこは絶対だ」

 はっきりと強い、熱のこもった言葉だった。そこに嘘はなかった。

「でも、姫様は、お優しい方だよ。ジェイミの罰のこと、『自分のせいだ』って、本当に悲しんでたんだ。オレの話を聞いて、ジェイミを助けてくれた」

 アイゼが、一生懸命言葉を探しているのがわかった。キーズは少し困ったように目をぐるりと上に向けたが、また平素の表情になる。
 アイゼの言葉を咀嚼する。ジェイミには、言いたいことはわかっていた。だって、あの女は、確かに自分をかばい、「ごめんなさい」と――あの時も、その後も、言われもないことで謝ったのだから。

「ジェイミ、どうしてそんなに姫様がきらいなんだ」
「アイゼ、わかった。わかったから、まあちっとこっち来い」
「わかってるんだ。お前が本当に、大変だったのに、こんなこと言うなんて、オレは友達がいがねえんだ。けど、なんだか、このままだと、間違っちまいそうで怖いんだ」

 キーズがアイゼの服を引き、しばし離そうとするのを、アイゼは踏ん張ってジェイミに言い募った。ジェイミは、最後の言葉に反応する。

「間違う?」
「何にかはわかんねえ。でも」

 アイゼが口ごもり、言葉を探していた。

「オレなりに、姫様のおそばにいて思うんだ。この方は、違うんじゃねえかって」

 アイゼはジェイミだけでは手が足りないときの世話役の内の一人に選ばれていた。アイゼは、姫に気に入られているようで、たびたび声をかけられている。アイゼはそのたび、頬を染めて嬉しそうに姫と話していた。

「オレみたいなのが何をって思うかもしんねえけど。でもオレ、なんだか姫様といると、本当に、頼りにされているような気持ちになるんだよ」

 ジェイミは、アイゼの顔を見つめた。アイゼの榛色の目に、自分の顔が映って、揺れている。

「人間とか、獣人とかじゃなくてさ。オレっていうものを見て、頼ってくれてる気がするんだ」

 ジェイミだって、そう思うだろ?
 アイゼの言葉に、ジェイミは沈黙した。そして、目を伏せた。
 そう。――だから、いやなのだ。あの女といると、錯覚させられる。

「わかってるよ」

 痛いほど、わかってる。だからこそ、信じるわけにはいかないのだ。
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