上 下
21 / 57
一章

十一話 光

しおりを挟む
「御前を失礼いたします」

 それからエレンヒルは、何事もなかったように去っていった。ラルはぼんやりと眺めて、それから、寝台に仰向けに倒れ込んだ。どういうものなのか、この寝台は固いのに柔らかい。
 結局、何も聞けなかった。流されたと言っていいに等しい。

「うー……」

 顔を覆って唸った。よけいに身動きができなくなってしまった。エレンヒルの意味深な言葉、それが気になるせいだ。シルヴァスに会うには、無事を確かめるには、自分はどうすればいいのだろう。ここから逃げる? それとも――エレンヒルを信じてみるべきなのか。
 エレンヒルは、あの生き物――アーグゥイッシュと、同じ群の生き物だ。アーグゥイッシュは、シルヴァスを赤に染めた張本人だ。その言葉を、信じていいのだろうか。

「わからない音」

 今までのエレンヒルの出す音とは違い、さっきシルヴァスのことを話した時のエレンヒルには、壁がなかった。直の音であった、ように聞こえた。
 いや、でも……と考えても答えの出ないラルは、「やっぱりあの時ちゃんと聞くんだった」と自分を責める。

(とりあえず、ここはどんな所?)

 ラルはあたりを見渡した。白くて、広くて、四角くて、乾いて固そうな部屋。何もかもが自分の棲み家と違う。四方の三方には、板が立てかけてある。これは、先にエレンヒルが用意したものだ。板を立てかけていない、一方を見る。左斜め前に、穴が空いていた。そこから皆出入りしている――つまり、あそこが外につながっている。
 そうとあたりをつければ、ラルは立ち上がり、そこへ向かった。外に出てみよう。そうして、ここがどこか、わかれば次のことを考えられる。穴の外からそっと顔を出すと、一本の道が横にのびているのがわかった。穴のちょうど向かいにも板が数枚立てかけてあった。そのおかげで、その道を確認できた。
 が、ここまでだった。顔を左右に向けて、目を瞑った。それ以降の道が、ラルにとって、あまりに明るかったのだ。小さな窓から差し込む光は、殺風景な廊下を温かなものにするのに一役買っていたが、ラルにとっては、激しい白の線が、草のない地面を焼いているようにしか見えない。常人からすると、ぽつぽつと差しているだけの光だが、ラルはまた目が痛くなってきて、目を覆った。
 勇気を出してそっと一歩踏み出したが、そこから動けなくなってしまった。やはり目を開けていられない。それでも何とか涙に濡れ、痛む視界で見ると、どうやらこの白がずっと続くようだった。
 うずくまっていると、見張りの兵士がラルを部屋まで押し戻した。寝台に逆戻りとなり、ラルは歯噛みした。この白がある限り、外を歩くことも出来ない。
 こうしている間にも、シルヴァスの命が――そこからは思考であっても言葉にすることは出来なかった。不吉なものは呼びたくなかった。
 もどかしい思いを抱えるほど、時が過ぎるのは遅かった。何度も、部屋の向こうに行こうとしては、痛い白と、見張りの兵士に押し戻されるを繰り返した。
 そうしているうちに、だんだんと白が弱くなってきたことに気づいた。そうして、あたりが橙に染まりだした。
 それは、不思議な光景だった。どうしてこんなに色が変わるんだろう。誰が変えているのだろうか。

「姫様、お部屋に」

 何度目かの兵士の言葉を受けながらも、ラルは動けず、しばし呆然としていた。兵士が焦る声音を立てていたが、ラルには聞こえていなかった。ただ、目の前の光景に見入った。ここは不思議なところだ。橙は、次第に藍色へと移り変わり、そうして薄い黒が降りてきた。なじみの深い色に近くなって、ラルの心に静寂がやってくる。ネヴァエスタの空より、ずっと黄色の光を帯びた黒だった。すごく明るい。
 召使いが訪れ、ラルに食事を持ってきた。相手はラルに、ひどくおびえていた。ラルはぼんやりとそれを見ていた。しかし、ラルが黙っていると、相手は困るようだった。薄い黒の中で、ラルは少し落ち着きはじめていた。

「ありがとう」

 ひとまずその食事を受け取ったが、ひどく心許なかった。どうして、食べ物をもってくるのだろう? もらうよりも、自分で食物を取りに行く方が、よほど安心できる。運ばれた食事は、一人で食べるには多く感じたが、食べてみるとそうでもなかった。ネヴァエスタのものより、腹持ちが悪いのかもしれない。
 祈りの言葉をつぶやくと、胸がしくしくと痛い。祈りの時に、他のことは考えてはいけないと、シルヴァスによくしかられたが、この時ばかりは許してほしかった。

(今なら、外に出られる)

 目が開けられるようになり、ラルは外に出ることにした。それにしても、なんと明るいことだろう。ただでさえ明るいのに、火を焚いている。火など、ラルはネヴァエスタではほとんど見たことがない。シルヴァスが特別な折りに見せてくれただけだ。

『火は、ここと相性が悪い。森の生き物と、仲良くしたいなら、使うものじゃない』

 シルヴァスの言葉がよみがえる。ここは、違う。なら、ここは、森ではないのか?
 ラルはそうっと部屋の外を、顔を出さないように、気配を消してうかがった。兵士がいる。この生き物は、ずっとここでラルを見張っている。そのことをラルもわかっているので、少し考えた。目を閉じ、衣を引き上げ、頭にかぶる。
 それから、上空に向け、ふっと息をふきかけた。すると兵士の頭上に、緑の光の玉が浮き上がる。その光を見留めると、ラルはすっと指で光を指し、それから横に流した。指の動きに連なるように、光の玉は廊下の奥へと流れていく。常人には、暗い空である。そこに緑の光が突如浮き上がり、廊下の向こうに飛んでいった。兵士に、一瞬の隙ができた。
 その隙にそっと兵士が向いたのと逆の方向へと、ラルは抜け出した。気配を消して、静かに静かに、急いで抜ける。
 うまくいった。ラルはいたく安堵する。どこだかわからないけれど、森と同じことはできた。それにしても不思議な所だった。森の道も狭かったが、左も右も平たくべったりとして、迫ってくるように狭い道だった。「壁」を知らないラルからすると、どこを走っているかわからなくて、どうにも息が詰まる。親しみのない景色からぬけようと、ひたすら早足をしていると、壁が消えた。そこは渡り廊であり、「外」の空間だった。
 空気が冷たい。先から感じていたが、より顕著になった。夜なのに、驚くほど寒い。ラルは自分の身を抱いた。壁から抜けて、開けた視界に、ここがどこか改めて見ようと思った。まず上を見上げて、ラルは目を見開いた。
 空のあちこちが光っている。黒に穴をあけたように、ちらちらと瞬いている。そしてひときわ大きく丸い、黄色いものが見える。赤みがかった黄色は、不思議な光を発していた。
 不安になって、腕を伸ばした。そこで、空を切る。そこで、気づいた。シルヴァスはいないのだ。いつもの癖で、袖をつかもうとした。

「シルヴァス……」

 ラルは悲しくなって、小さな細い息を吐き出した。発したのは小さな音だった。唇から、光が落ちる。手のひらを上に向け、前方に差し出した。ラルの手のひらから、光の玉が、浮かび上がった。

(シルヴァス、どこにいるの?)

 思いを込めて放つ。光は、いくつも浮かび、そして上空にのぼり、消えていく。その光を、ラルは何度も見送った。光のはかなさは、手応えのなさだ。シルヴァスを、掴みたくて、でも、掴めなかった。
 悲しかった。ラルは音を出すのをやめた。余韻で、まだ手から光は溢れていた。
 その時、ラルは自分以外の生き物が、立っていることに気づいた。音を出すことに夢中で、気づかなかった。ラルにははっきりと姿が見えた。黒い髪をしている、自分と似た姿の生き物だ。

「……誰?」

 しばしの沈黙。相手は、ラルの顔をじっと眇めるように見ていた。ラルからはその表情ははっきりと見えた。赤みがかった目に、ウォーロウのような三角の耳をしている。一つは黒、もう一つは白。

「ジェイミ」

 相手は、静かにラルに名を告げた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。

秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚 13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。 歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。 そしてエリーゼは大人へと成長していく。 ※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。 小説家になろう様にも掲載しています。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

完結 若い愛人がいる?それは良かったです。

音爽(ネソウ)
恋愛
妻が余命宣告を受けた、愛人を抱える夫は小躍りするのだが……

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

ドラゴン王の妃~異世界に王妃として召喚されてしまいました~

夢呼
ファンタジー
異世界へ「王妃」として召喚されてしまった一般OLのさくら。 自分の過去はすべて奪われ、この異世界で王妃として生きることを余儀なくされてしまったが、肝心な国王陛下はまさかの長期不在?! 「私の旦那様って一体どんな人なの??いつ会えるの??」 いつまで経っても帰ってくることのない陛下を待ちながらも、何もすることがなく、一人宮殿内をフラフラして過ごす日々。 ある日、敷地内にひっそりと住んでいるドラゴンと出会う・・・。 怖がりで泣き虫なくせに妙に気の強いヒロインの物語です。 この作品は他サイトにも掲載したものをアルファポリス用に修正を加えたものです。 ご都合主義のゆるい世界観です。そこは何卒×2、大目に見てやってくださいませ。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

転生したらチートすぎて逆に怖い

至宝里清
ファンタジー
前世は苦労性のお姉ちゃん 愛されることを望んでいた… 神様のミスで刺されて転生! 運命の番と出会って…? 貰った能力は努力次第でスーパーチート! 番と幸せになるために無双します! 溺愛する家族もだいすき! 恋愛です! 無事1章完結しました!

処理中です...