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一章
十一話 光
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「御前を失礼いたします」
それからエレンヒルは、何事もなかったように去っていった。ラルはぼんやりと眺めて、それから、寝台に仰向けに倒れ込んだ。どういうものなのか、この寝台は固いのに柔らかい。
結局、何も聞けなかった。流されたと言っていいに等しい。
「うー……」
顔を覆って唸った。よけいに身動きができなくなってしまった。エレンヒルの意味深な言葉、それが気になるせいだ。シルヴァスに会うには、無事を確かめるには、自分はどうすればいいのだろう。ここから逃げる? それとも――エレンヒルを信じてみるべきなのか。
エレンヒルは、あの生き物――アーグゥイッシュと、同じ群の生き物だ。アーグゥイッシュは、シルヴァスを赤に染めた張本人だ。その言葉を、信じていいのだろうか。
「わからない音」
今までのエレンヒルの出す音とは違い、さっきシルヴァスのことを話した時のエレンヒルには、壁がなかった。直の音であった、ように聞こえた。
いや、でも……と考えても答えの出ないラルは、「やっぱりあの時ちゃんと聞くんだった」と自分を責める。
(とりあえず、ここはどんな所?)
ラルはあたりを見渡した。白くて、広くて、四角くて、乾いて固そうな部屋。何もかもが自分の棲み家と違う。四方の三方には、板が立てかけてある。これは、先にエレンヒルが用意したものだ。板を立てかけていない、一方を見る。左斜め前に、穴が空いていた。そこから皆出入りしている――つまり、あそこが外につながっている。
そうとあたりをつければ、ラルは立ち上がり、そこへ向かった。外に出てみよう。そうして、ここがどこか、わかれば次のことを考えられる。穴の外からそっと顔を出すと、一本の道が横にのびているのがわかった。穴のちょうど向かいにも板が数枚立てかけてあった。そのおかげで、その道を確認できた。
が、ここまでだった。顔を左右に向けて、目を瞑った。それ以降の道が、ラルにとって、あまりに明るかったのだ。小さな窓から差し込む光は、殺風景な廊下を温かなものにするのに一役買っていたが、ラルにとっては、激しい白の線が、草のない地面を焼いているようにしか見えない。常人からすると、ぽつぽつと差しているだけの光だが、ラルはまた目が痛くなってきて、目を覆った。
勇気を出してそっと一歩踏み出したが、そこから動けなくなってしまった。やはり目を開けていられない。それでも何とか涙に濡れ、痛む視界で見ると、どうやらこの白がずっと続くようだった。
うずくまっていると、見張りの兵士がラルを部屋まで押し戻した。寝台に逆戻りとなり、ラルは歯噛みした。この白がある限り、外を歩くことも出来ない。
こうしている間にも、シルヴァスの命が――そこからは思考であっても言葉にすることは出来なかった。不吉なものは呼びたくなかった。
もどかしい思いを抱えるほど、時が過ぎるのは遅かった。何度も、部屋の向こうに行こうとしては、痛い白と、見張りの兵士に押し戻されるを繰り返した。
そうしているうちに、だんだんと白が弱くなってきたことに気づいた。そうして、あたりが橙に染まりだした。
それは、不思議な光景だった。どうしてこんなに色が変わるんだろう。誰が変えているのだろうか。
「姫様、お部屋に」
何度目かの兵士の言葉を受けながらも、ラルは動けず、しばし呆然としていた。兵士が焦る声音を立てていたが、ラルには聞こえていなかった。ただ、目の前の光景に見入った。ここは不思議なところだ。橙は、次第に藍色へと移り変わり、そうして薄い黒が降りてきた。なじみの深い色に近くなって、ラルの心に静寂がやってくる。ネヴァエスタの空より、ずっと黄色の光を帯びた黒だった。すごく明るい。
召使いが訪れ、ラルに食事を持ってきた。相手はラルに、ひどくおびえていた。ラルはぼんやりとそれを見ていた。しかし、ラルが黙っていると、相手は困るようだった。薄い黒の中で、ラルは少し落ち着きはじめていた。
「ありがとう」
ひとまずその食事を受け取ったが、ひどく心許なかった。どうして、食べ物をもってくるのだろう? もらうよりも、自分で食物を取りに行く方が、よほど安心できる。運ばれた食事は、一人で食べるには多く感じたが、食べてみるとそうでもなかった。ネヴァエスタのものより、腹持ちが悪いのかもしれない。
祈りの言葉をつぶやくと、胸がしくしくと痛い。祈りの時に、他のことは考えてはいけないと、シルヴァスによくしかられたが、この時ばかりは許してほしかった。
(今なら、外に出られる)
目が開けられるようになり、ラルは外に出ることにした。それにしても、なんと明るいことだろう。ただでさえ明るいのに、火を焚いている。火など、ラルはネヴァエスタではほとんど見たことがない。シルヴァスが特別な折りに見せてくれただけだ。
『火は、ここと相性が悪い。森の生き物と、仲良くしたいなら、使うものじゃない』
シルヴァスの言葉がよみがえる。ここは、違う。なら、ここは、森ではないのか?
ラルはそうっと部屋の外を、顔を出さないように、気配を消してうかがった。兵士がいる。この生き物は、ずっとここでラルを見張っている。そのことをラルもわかっているので、少し考えた。目を閉じ、衣を引き上げ、頭にかぶる。
それから、上空に向け、ふっと息をふきかけた。すると兵士の頭上に、緑の光の玉が浮き上がる。その光を見留めると、ラルはすっと指で光を指し、それから横に流した。指の動きに連なるように、光の玉は廊下の奥へと流れていく。常人には、暗い空である。そこに緑の光が突如浮き上がり、廊下の向こうに飛んでいった。兵士に、一瞬の隙ができた。
その隙にそっと兵士が向いたのと逆の方向へと、ラルは抜け出した。気配を消して、静かに静かに、急いで抜ける。
うまくいった。ラルはいたく安堵する。どこだかわからないけれど、森と同じことはできた。それにしても不思議な所だった。森の道も狭かったが、左も右も平たくべったりとして、迫ってくるように狭い道だった。「壁」を知らないラルからすると、どこを走っているかわからなくて、どうにも息が詰まる。親しみのない景色からぬけようと、ひたすら早足をしていると、壁が消えた。そこは渡り廊であり、「外」の空間だった。
空気が冷たい。先から感じていたが、より顕著になった。夜なのに、驚くほど寒い。ラルは自分の身を抱いた。壁から抜けて、開けた視界に、ここがどこか改めて見ようと思った。まず上を見上げて、ラルは目を見開いた。
空のあちこちが光っている。黒に穴をあけたように、ちらちらと瞬いている。そしてひときわ大きく丸い、黄色いものが見える。赤みがかった黄色は、不思議な光を発していた。
不安になって、腕を伸ばした。そこで、空を切る。そこで、気づいた。シルヴァスはいないのだ。いつもの癖で、袖をつかもうとした。
「シルヴァス……」
ラルは悲しくなって、小さな細い息を吐き出した。発したのは小さな音だった。唇から、光が落ちる。手のひらを上に向け、前方に差し出した。ラルの手のひらから、光の玉が、浮かび上がった。
(シルヴァス、どこにいるの?)
思いを込めて放つ。光は、いくつも浮かび、そして上空にのぼり、消えていく。その光を、ラルは何度も見送った。光のはかなさは、手応えのなさだ。シルヴァスを、掴みたくて、でも、掴めなかった。
悲しかった。ラルは音を出すのをやめた。余韻で、まだ手から光は溢れていた。
その時、ラルは自分以外の生き物が、立っていることに気づいた。音を出すことに夢中で、気づかなかった。ラルにははっきりと姿が見えた。黒い髪をしている、自分と似た姿の生き物だ。
「……誰?」
しばしの沈黙。相手は、ラルの顔をじっと眇めるように見ていた。ラルからはその表情ははっきりと見えた。赤みがかった目に、ウォーロウのような三角の耳をしている。一つは黒、もう一つは白。
「ジェイミ」
相手は、静かにラルに名を告げた。
それからエレンヒルは、何事もなかったように去っていった。ラルはぼんやりと眺めて、それから、寝台に仰向けに倒れ込んだ。どういうものなのか、この寝台は固いのに柔らかい。
結局、何も聞けなかった。流されたと言っていいに等しい。
「うー……」
顔を覆って唸った。よけいに身動きができなくなってしまった。エレンヒルの意味深な言葉、それが気になるせいだ。シルヴァスに会うには、無事を確かめるには、自分はどうすればいいのだろう。ここから逃げる? それとも――エレンヒルを信じてみるべきなのか。
エレンヒルは、あの生き物――アーグゥイッシュと、同じ群の生き物だ。アーグゥイッシュは、シルヴァスを赤に染めた張本人だ。その言葉を、信じていいのだろうか。
「わからない音」
今までのエレンヒルの出す音とは違い、さっきシルヴァスのことを話した時のエレンヒルには、壁がなかった。直の音であった、ように聞こえた。
いや、でも……と考えても答えの出ないラルは、「やっぱりあの時ちゃんと聞くんだった」と自分を責める。
(とりあえず、ここはどんな所?)
ラルはあたりを見渡した。白くて、広くて、四角くて、乾いて固そうな部屋。何もかもが自分の棲み家と違う。四方の三方には、板が立てかけてある。これは、先にエレンヒルが用意したものだ。板を立てかけていない、一方を見る。左斜め前に、穴が空いていた。そこから皆出入りしている――つまり、あそこが外につながっている。
そうとあたりをつければ、ラルは立ち上がり、そこへ向かった。外に出てみよう。そうして、ここがどこか、わかれば次のことを考えられる。穴の外からそっと顔を出すと、一本の道が横にのびているのがわかった。穴のちょうど向かいにも板が数枚立てかけてあった。そのおかげで、その道を確認できた。
が、ここまでだった。顔を左右に向けて、目を瞑った。それ以降の道が、ラルにとって、あまりに明るかったのだ。小さな窓から差し込む光は、殺風景な廊下を温かなものにするのに一役買っていたが、ラルにとっては、激しい白の線が、草のない地面を焼いているようにしか見えない。常人からすると、ぽつぽつと差しているだけの光だが、ラルはまた目が痛くなってきて、目を覆った。
勇気を出してそっと一歩踏み出したが、そこから動けなくなってしまった。やはり目を開けていられない。それでも何とか涙に濡れ、痛む視界で見ると、どうやらこの白がずっと続くようだった。
うずくまっていると、見張りの兵士がラルを部屋まで押し戻した。寝台に逆戻りとなり、ラルは歯噛みした。この白がある限り、外を歩くことも出来ない。
こうしている間にも、シルヴァスの命が――そこからは思考であっても言葉にすることは出来なかった。不吉なものは呼びたくなかった。
もどかしい思いを抱えるほど、時が過ぎるのは遅かった。何度も、部屋の向こうに行こうとしては、痛い白と、見張りの兵士に押し戻されるを繰り返した。
そうしているうちに、だんだんと白が弱くなってきたことに気づいた。そうして、あたりが橙に染まりだした。
それは、不思議な光景だった。どうしてこんなに色が変わるんだろう。誰が変えているのだろうか。
「姫様、お部屋に」
何度目かの兵士の言葉を受けながらも、ラルは動けず、しばし呆然としていた。兵士が焦る声音を立てていたが、ラルには聞こえていなかった。ただ、目の前の光景に見入った。ここは不思議なところだ。橙は、次第に藍色へと移り変わり、そうして薄い黒が降りてきた。なじみの深い色に近くなって、ラルの心に静寂がやってくる。ネヴァエスタの空より、ずっと黄色の光を帯びた黒だった。すごく明るい。
召使いが訪れ、ラルに食事を持ってきた。相手はラルに、ひどくおびえていた。ラルはぼんやりとそれを見ていた。しかし、ラルが黙っていると、相手は困るようだった。薄い黒の中で、ラルは少し落ち着きはじめていた。
「ありがとう」
ひとまずその食事を受け取ったが、ひどく心許なかった。どうして、食べ物をもってくるのだろう? もらうよりも、自分で食物を取りに行く方が、よほど安心できる。運ばれた食事は、一人で食べるには多く感じたが、食べてみるとそうでもなかった。ネヴァエスタのものより、腹持ちが悪いのかもしれない。
祈りの言葉をつぶやくと、胸がしくしくと痛い。祈りの時に、他のことは考えてはいけないと、シルヴァスによくしかられたが、この時ばかりは許してほしかった。
(今なら、外に出られる)
目が開けられるようになり、ラルは外に出ることにした。それにしても、なんと明るいことだろう。ただでさえ明るいのに、火を焚いている。火など、ラルはネヴァエスタではほとんど見たことがない。シルヴァスが特別な折りに見せてくれただけだ。
『火は、ここと相性が悪い。森の生き物と、仲良くしたいなら、使うものじゃない』
シルヴァスの言葉がよみがえる。ここは、違う。なら、ここは、森ではないのか?
ラルはそうっと部屋の外を、顔を出さないように、気配を消してうかがった。兵士がいる。この生き物は、ずっとここでラルを見張っている。そのことをラルもわかっているので、少し考えた。目を閉じ、衣を引き上げ、頭にかぶる。
それから、上空に向け、ふっと息をふきかけた。すると兵士の頭上に、緑の光の玉が浮き上がる。その光を見留めると、ラルはすっと指で光を指し、それから横に流した。指の動きに連なるように、光の玉は廊下の奥へと流れていく。常人には、暗い空である。そこに緑の光が突如浮き上がり、廊下の向こうに飛んでいった。兵士に、一瞬の隙ができた。
その隙にそっと兵士が向いたのと逆の方向へと、ラルは抜け出した。気配を消して、静かに静かに、急いで抜ける。
うまくいった。ラルはいたく安堵する。どこだかわからないけれど、森と同じことはできた。それにしても不思議な所だった。森の道も狭かったが、左も右も平たくべったりとして、迫ってくるように狭い道だった。「壁」を知らないラルからすると、どこを走っているかわからなくて、どうにも息が詰まる。親しみのない景色からぬけようと、ひたすら早足をしていると、壁が消えた。そこは渡り廊であり、「外」の空間だった。
空気が冷たい。先から感じていたが、より顕著になった。夜なのに、驚くほど寒い。ラルは自分の身を抱いた。壁から抜けて、開けた視界に、ここがどこか改めて見ようと思った。まず上を見上げて、ラルは目を見開いた。
空のあちこちが光っている。黒に穴をあけたように、ちらちらと瞬いている。そしてひときわ大きく丸い、黄色いものが見える。赤みがかった黄色は、不思議な光を発していた。
不安になって、腕を伸ばした。そこで、空を切る。そこで、気づいた。シルヴァスはいないのだ。いつもの癖で、袖をつかもうとした。
「シルヴァス……」
ラルは悲しくなって、小さな細い息を吐き出した。発したのは小さな音だった。唇から、光が落ちる。手のひらを上に向け、前方に差し出した。ラルの手のひらから、光の玉が、浮かび上がった。
(シルヴァス、どこにいるの?)
思いを込めて放つ。光は、いくつも浮かび、そして上空にのぼり、消えていく。その光を、ラルは何度も見送った。光のはかなさは、手応えのなさだ。シルヴァスを、掴みたくて、でも、掴めなかった。
悲しかった。ラルは音を出すのをやめた。余韻で、まだ手から光は溢れていた。
その時、ラルは自分以外の生き物が、立っていることに気づいた。音を出すことに夢中で、気づかなかった。ラルにははっきりと姿が見えた。黒い髪をしている、自分と似た姿の生き物だ。
「……誰?」
しばしの沈黙。相手は、ラルの顔をじっと眇めるように見ていた。ラルからはその表情ははっきりと見えた。赤みがかった目に、ウォーロウのような三角の耳をしている。一つは黒、もう一つは白。
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