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一章
九話 エレンヒル
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あれからずっと、ラルは寝台にうずくまっていた。先にアーグゥイッシュによってひどく荒らされた心が、まだむき出しのままで、とにかく不安定だった。一人になったのに、目が痛くて、あけられなくて、何もすることができない。それが悔しく、ひどく心細かった。今すぐシルヴァスに会いたい。
ふと、一方の光が弱くなった。ラルは、痛む目を薄らとあけて、白のかげった方を確認する。すぐにまた目は閉じられたが――部屋の向こうの白が、黒茶になっているようにラルには見えた。
エレンヒルが入ってきたのは、ラルが顔を向けたのと同時であった。
エレンヒルは、ラルの元に近よる前に、片手を合図するように振った。すると、獣人の召使いたちが大きな板と布を持ちやってきて、部屋の入り口に通じる廊下の窓にそうしたように――ラルの寝台の周り――正確に言うと部屋の周りをぐるりと回り、窓に板を立てかけていった。ラルは、瞼と手の向こうで、にわかに白い痛みが弱まった気配を感じ、困惑した。
一連の作業を終え、ひざまずいた召使いに、手をついと上げ、エレンヒルは下がるように命じた。召使いたちは我先にと部屋から出ていく。
エレンヒルは悠然とした様子で、寝台の側に近づき、そしてひざまずいた。
「姫様、怯えなさいますな。エレンヒルです。ご挨拶が遅れ申し訳ありません。僭越ながら、少々、影を作らせていただきました。姫君はネヴァエスタでの暮らしに慣れてらっしゃるので、ここはいささか眩しいかと思いました故。これなら、目を開けますか」
「あ……」
確かに、体にさす光が、幾分黒くなっているのを感じた。それでもネヴァエスタに比べるとまだ明るかったが、慣れ親しんだものに近くなったこと、また、それをエレンヒルが説明してくれた事に、ラルは困惑しながらも、次第に安堵を覚え始めた。
「無理に開けなくても、結構です」
穏やかな後押しに、ラルは意を決して目をそっと開いた。
「ああ、ようやく美しい瞳を拝見することがかないましたね」
エレンヒルがうれしそうな声を上げる。ラルは目を開けられた事に、どこかきょとんとした顔で目を瞬かせ、涙を追い払う。そして濡れた目元をもう一度拭った。
「……痛くない」
前よりもずいぶんと、部屋の中が暗くなっている為、目は痛まなかった。それでも、ラルにとっては明るく白い部屋で、初めてちゃんと確認した部屋は、全く知らない所で、遅れた驚きがここでやってきた。
「では改めて。ご機嫌麗しゅう姫君。エレンヒルです」
笑みをいっさい崩さずに、自身の胸元に手を当て、恭しく礼をする。ラルは、エレンヒルの礼に、慌てて頭を下げ、礼を返した。
「どこか具合が悪いところなど、ございませんか。昨夜は、何分せわしない道中でありました故。もしございましたなら、すぐに薬湯をお持ちいたしましょう」
言葉を発するエレンヒルの様は、とにかく恭しかった。そう言ったきり跪き、ラルの言葉を待っている。ラルは、先のアーグゥイッシュの迫力の余波をくらった状態で、またどこか落ち着かない様子で、どうしようか迷った。迷ったまま、とにかくまず浮かんだ言葉を口にした。
「シルヴァスは?」
「……」
エレンヒルは笑みを崩さなかったが、深い青の目の奥に笑み以外の感情が浮かぶ。虚を突かれたというより意図して黙した、という様子だった。
「怪我したの。無事なの?」
「姫、あの者は」
「どうなってるの? 姫って何? ラルは、ラルよ。ここはどこなの? すごく白くて、痛い」
言葉にすれば、一気にあふれ出た。ラル自身でももう止められなかった。
ふと、一方の光が弱くなった。ラルは、痛む目を薄らとあけて、白のかげった方を確認する。すぐにまた目は閉じられたが――部屋の向こうの白が、黒茶になっているようにラルには見えた。
エレンヒルが入ってきたのは、ラルが顔を向けたのと同時であった。
エレンヒルは、ラルの元に近よる前に、片手を合図するように振った。すると、獣人の召使いたちが大きな板と布を持ちやってきて、部屋の入り口に通じる廊下の窓にそうしたように――ラルの寝台の周り――正確に言うと部屋の周りをぐるりと回り、窓に板を立てかけていった。ラルは、瞼と手の向こうで、にわかに白い痛みが弱まった気配を感じ、困惑した。
一連の作業を終え、ひざまずいた召使いに、手をついと上げ、エレンヒルは下がるように命じた。召使いたちは我先にと部屋から出ていく。
エレンヒルは悠然とした様子で、寝台の側に近づき、そしてひざまずいた。
「姫様、怯えなさいますな。エレンヒルです。ご挨拶が遅れ申し訳ありません。僭越ながら、少々、影を作らせていただきました。姫君はネヴァエスタでの暮らしに慣れてらっしゃるので、ここはいささか眩しいかと思いました故。これなら、目を開けますか」
「あ……」
確かに、体にさす光が、幾分黒くなっているのを感じた。それでもネヴァエスタに比べるとまだ明るかったが、慣れ親しんだものに近くなったこと、また、それをエレンヒルが説明してくれた事に、ラルは困惑しながらも、次第に安堵を覚え始めた。
「無理に開けなくても、結構です」
穏やかな後押しに、ラルは意を決して目をそっと開いた。
「ああ、ようやく美しい瞳を拝見することがかないましたね」
エレンヒルがうれしそうな声を上げる。ラルは目を開けられた事に、どこかきょとんとした顔で目を瞬かせ、涙を追い払う。そして濡れた目元をもう一度拭った。
「……痛くない」
前よりもずいぶんと、部屋の中が暗くなっている為、目は痛まなかった。それでも、ラルにとっては明るく白い部屋で、初めてちゃんと確認した部屋は、全く知らない所で、遅れた驚きがここでやってきた。
「では改めて。ご機嫌麗しゅう姫君。エレンヒルです」
笑みをいっさい崩さずに、自身の胸元に手を当て、恭しく礼をする。ラルは、エレンヒルの礼に、慌てて頭を下げ、礼を返した。
「どこか具合が悪いところなど、ございませんか。昨夜は、何分せわしない道中でありました故。もしございましたなら、すぐに薬湯をお持ちいたしましょう」
言葉を発するエレンヒルの様は、とにかく恭しかった。そう言ったきり跪き、ラルの言葉を待っている。ラルは、先のアーグゥイッシュの迫力の余波をくらった状態で、またどこか落ち着かない様子で、どうしようか迷った。迷ったまま、とにかくまず浮かんだ言葉を口にした。
「シルヴァスは?」
「……」
エレンヒルは笑みを崩さなかったが、深い青の目の奥に笑み以外の感情が浮かぶ。虚を突かれたというより意図して黙した、という様子だった。
「怪我したの。無事なの?」
「姫、あの者は」
「どうなってるの? 姫って何? ラルは、ラルよ。ここはどこなの? すごく白くて、痛い」
言葉にすれば、一気にあふれ出た。ラル自身でももう止められなかった。
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