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一章

七話 夜の邂逅2

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「おまえは鈍くさい」

 ジェイミはよく、アイゼに対し呆れたように言った。アイゼは比較的獣人に寛容なドミナンに慣れて警戒心が薄いのだと。しかし、今日ばかりはその言葉を言わなかった。アイゼがじっとジェイミを見ていると、ため息をついて

「責めてほしいなら、よそに行け」

 一言そう言った。それきり翌日の支度を始める。何も言わなかったが、話しかけてほしくない、そう背中が言っていた。アイゼはその背に、「ごめん」と言うのが精一杯だった。ジェイミは、アイゼ達少年の獣人の中では年長者である。それは、アイゼより年下の獣人達にとってもそうであり、ジェイミは彼らの世話をまかされていた。世話役という事は、つまり今日の夜、多くの獣人の子供達をジェイミは打ったという事に他なら無かった。
 改めてジェイミの気持ちを思うと、合わせる顔がなかった。厳しい言葉をくれるジェイミに甘えていたことを気づかされ、ひどく恥ずかしくなった。
 ショウジョウの鳴く声が耳に響く。とても息が苦しかった。謝っても仕方ない、後悔してももうどうしようもない。けれど、胸がずっともやもやとスッキリしなくてそれが何かしなきゃいけないような、そんな気にさせる。もとよりアイゼは、悩むのは得意ではなかった。解決策のない問いに、頭をぐしゃぐしゃとかき回した。

「うーー……」

 不意に音が聞こえた気がした。

「……ん?」

 何だろう、ふと顔を上げてアイゼはふらりと顔をうろつかせた。何か聞こえた気がする。いや、もしかしたら見えた、のかもしれない。ケーフラが飛び過ぎていくのを見たのかもしれない。ケーフラは夜に光を放つ虫だ。それなら理由がつくが、不思議な感覚だった。形にするなら、りん、だとか、そういう不思議に意識に残る――

「いや、気のせいか」

 幻覚を見るほど参っているのだろうか。それとも自分はこんな時に他のことに気をとられるような、弱虫なのか……アイゼはまた肩を落とす。とぼとぼと歩くアイゼの肩を、何者かが叩いた。

「うわっ」
「わっ」

 アイゼは飛び上がった。相手もアイゼが驚くとは思っていなかったらしく、驚きの声が重なった。後ろにいたのは、キーズだった。

「なんだよお」

 俺が近づいてきたの、気づかなかったのか。
 呆れたようにキーズが言った。それからしーと人差し指を口元に当て、静かにと言う。いつもはジェイミがする仕草だった。アイゼは開いた口を固めて、それに何度もうなずく。しかしキーズと対面すると、驚いたままの表情をそこからどうもっていっていいのかわからなかった。情けない顔はみられたくない。それでも、いつも通りに振る舞うこともできなかった。アイゼは、半端な笑みをかみ殺すかどうか判断できず、ただ気まずくなる。

「とりあえず、戻らん? あんまりうろついたら、またどやされちまう」
「うん……」

 キーズはいつも通りだった。促す声も、アイゼの背を押す、少しおおざっぱな手つきも、何も変わらない。獣人の耳には届く程度に、声音を小さくしている以外は、今日の折檻まで何気なかったかのような空気を出している。それでも、アイゼは胸が詰まった。

「あのさ、本当にごめん」
「あん? 何が。ああ、これのこと?」

 キーズの後を追うアイゼが、小走りで隣に並ぶとその勢いのままで言った。すると、キーズは訝しげに顔をしかめたが、言わんとすることがわかったのか、頬をさする。乾いた血の跡の残る口の端は、切れて青黒く変色していた。

「そんな気にすんなって」
「……謝ってもすむ話じゃねえけど……」
「おっも。重いって。あのなあ、そんなん俺たちも一緒だって」

 キーズが傷をさすりながら、苦笑した。――そう、自分たちは事前に気をつけるように言われてはいたのだ。事実、気をつけているつもりだった。でも結局それは、「ドミナンでの配慮」の範疇を出なかった。「ドミナン外での獣人の危機管理」には全く及ばない。

「でも、オレがへましなきゃ」
「うん。わかるよ。今回は、お前のへまがあったからかも。でもさぁ、皆わかってなかったんだよ。やっぱ」

 俺とお前、ちびたちだけじゃなくて、本当に皆がだぞ、そうキーズは念押すように言った。自分達はドミナンの安全さに飼い慣らされていたのだと、腕を頭の後ろでくんで歩きながら言う。口調は気負いも怒りもなく、静かだった。

「俺たち、たぶんこっから出たらすぐ死ぬなってさ、思った。やべえよ、これ。だからこれくらいで済んでよかった。痛かったけどさ。つーか、だから? むしろよかったんじゃねえかな、みたいに俺は思うわけ。痛かったけどさ」

 痛かったけど、これで皆の気も引き締まる。皆、無駄死にしなくてすむ。

「そういう意味では、お前がへましてよかったんじゃね。俺の気持ちとしてはそんなかんじ」

 そう言って笑った。前歯が一本欠けていた。アイゼの目から、ぽろりと涙が溢れた。キーズはアイゼの肩を抱く。

「泣いてんなよ、めっちゃ笑える」
「泣いてねえ……――ごめんな、キーズ。次の歯が生えてくるまでオレのビヌのスープあげるよ」
「いーらねえよ。あれ食った気しねえもん。もっと歯ごたえあんのくれ」
「ええ……」

 肩を抱き合って、小声で囁くように話しながら、ふらついたまま寝床への道を歩いた。いつもなら少し笑いあったりするものだが、そこはもう心得ていた。

「ただっつか、だからっていうか……――ジェイミは今、そっとしといてやろうぜ」

 あいつ、堪えてるだろうから。
 建物の中へ入る前に、こそりと、本当に小さな声でキーズは言った。アイゼは、キーズが自分の事以外にこの言葉も言いたかったのだと、そして、自分の為に、その言葉が聞けるだけの準備が整うまで見ていてくれたのだと悟る。

「うん」
「おう、悪いな」
「ありがとうな」

 キーズがばつが悪そうに謝る。アイゼは今度は謝らなかった。代わりに笑ってみせると、今度こそキーズも笑った。
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