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一章

二話 獣人

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 ドミナン――それはラルの住んでいたネヴァエスタの森より、もっとも近い辺境の村々の中で、とりわけ大きな村であり、その名の通りドルミール卿の治める領内にあった。

「う、うわああああああ~!」

 そしてここは、ドミナンの村長の邸であった。ラルがアーグゥイッシュによって気絶させられてから、グルジオ達一行は、ここにホロスを飛ばし戻ってきたのである。グルジオはドルミールの配下であり、ここを一時の休息の場として使うこととしていた。
 そうして、邸の厩に、叫ぶ声が一つ。澄んだ音で、中性的な響きが、気持ちよく壁をたたき、空へと上った。

「どうしよう……! 『はい』って言って戻ってきちゃった……っていうかどうしよう……! どうしよう……!」

 一人、頭を抱えて体を前傾させたり起きあがったり、髪をくしゃくしゃかき回したりと忙しい者がいた。背はにゅっと高く、年かさは青年にさしかかる頃合いだが雰囲気があどけなく、まだ少年といってもよかった。
 頭を抱えるのは、先ほど、ラルに「世話」を申し出たアイゼである。あちこち跳ねた赤茶の髪は生まれつきのようで、くしゃくしゃと手で崩し、また手で頭を覆い撫でつけても、何度も同じように戻ってくる。

「よくないよ……! どうしよう……オレ、無礼なことしちゃったのかなぁ、それとも、ああ……でも、こればっかりはぁ……」

 頭を押さえつけていた手を離すと、ぴょんと耳が飛び出した。彼の耳は、顔の横に生える代わりに、頭頂にあり、頭髪と同じように赤茶の毛が生えている。見た目からしてふわふわとしているそれは、ちょうど獣の耳とそっくりである。

「ここには、召使いは獣人エルミールしかいねえ……」
「まあ、ど辺境だからなあ」
「キーズ……」

 うんうんうなるアイゼに、水桶を両腕に持った少年がほいと言葉を返した。キーズと呼ばれた少年は、やや煤けた茶色の短髪で、アイゼよりも幾分背が低いが、井戸からなみなみくんできた水を苦もなくほいほいと運んでいる。そしてまた彼の耳もまた頭頂にあり、頭髪と同じ色の耳が生えていた。

「仕方ねえよ。それを理由にされちゃあ、手も足も出ねえ」

 耳と尾は出るけどな、とおどけて見せて、キーズはけたけた笑った。

「うう……でもなあ」
「しかし、こんな辺境で、人間の世話役がつくと思っているのか? やはり高貴な者は違うな」

 またもう一つ、声が飛んだ。飼い葉を足しながら吐かれた言葉は、淡々としていたが、皮肉を含んでいた。

「ジェイミ!」
「しー。聞こえやしねえよ」

 アイゼがそれを窘めるが、当の本人は素知らぬ顔で、逆にアイゼを窘める。自身の吐いた言葉がどう聞こえるかをわかっているのか、元より声は極力抑えられていた。聞こえないとわかった上での言葉だった。何も悪いことなど話していませんという顔で厩から連れ出してあるホロスの体を拭き始める。そのまま鼻歌まで歌い出す始末だった。

「はあ、やっぱり都市だと、人間も俺らみてえな仕事すんのか」
「そりゃ、そうなんじゃねぇの」
「うう……」

 キーズが、間の抜けた声で感心する。彼はそれに笑いながらも、その話の内容自体には興味なさげに答えた。笑った拍子に、さらりと髪が揺れる。艶のある柔らかそうな黒髪は、本人もそれが自慢なのか襟足だけやや長くのばしてある。耳はアイゼとキーズと同じく頭にあり、左耳は頭髪と同じ色だが、右耳は銀色がかった白色をしている
 ジェイミと呼ばれたその青年が、おそらくこの三人の中で一番の年長者であり、リーダー的役割をしているようだった。黙って手を動かすシェイミに、何か言いたげに黙っていたアイゼだが、ならってホロスの手入れを始めた。

「しっかし、おまえここにいていいのかよ」
「え? ……でも――」

 世間話を装って、ジェイミがアイゼに尋ねた。意図をつかんだアイゼは、平静をつとめながらも、しおれる声を抑えるのにやっとだった。

「いや、そのお高い姫様とやらは、もういいとしてさ」
「違うよ!」

 突然、アイゼが声を張った。うるさいとばかりに、ホロスがぶるぶると体をふるわし一声鳴いた。アイゼは自身の失態に、あわててホロスを撫でてなだめる。

「は?何だよ」

 声を抑えろ、と眉をひそめるジェイミに、アイゼは目でごめんと謝りながらも、言葉を続けた。今度は、慎重に、声を潜めて。

「そんな風に見えなかったよ。お高いとか、全然そんなんじゃ……」
「実際、断られてるし、顔さえ見てもらえなかったんだろ」
「そうだけど、なんか……」

 もごもごと要領をえない言葉を、口の中で丸めているアイゼに、ジェイミが呆れた、というより若干しらけた顔をした。キーズが、にょきっと二人の間から顔をつきだして、にししと笑った。

「何だよ、もしかして可愛かったのかぁ?」
「――えっ!? うん……あっ! いや、あー、そりゃ……」

 思わず肯定してしまい、キーズに「おお、あたりだ」と笑われ、アイゼの顔が紅潮する。気持ちを逃がすようにアイゼは水桶につけたばかりの雑巾を両手の平でもんだ。バチャバチャと桶に戻った水が、音を立て跳ねる。そうして何とか言い訳しようと試みたが、話がずれていることにハッとなった。

「いや、ちがくて! オレがいいたいのはっ」
「ハイハイ、わかったわかった。姫さんがおまえ好みだったのはわかった」

 面倒そうに、ジェイミが横やりを入れる。生ぬるい目で、話を戻すぞ、と続けた。

「違うってば! いや、違わないけど、聞いて」
「いいって。話戻すぞ、お前が聞け。――あのな、お前、こんなところで油売ってるけど、ちゃんと上役に話通したのか」
「えっ? ……あっ」

 答えは、「まだ」である。アイゼは、つい断られ戻ってきてしまったが、次にどうするかをまだ決めていなかった。

「姫様が獣人嫌いで断ったっつっても。少なくとも、今のままだと、お前が任した仕事をほっぽりだしたことになってんじゃない」
「あ! やっばい……! そうだよな、行ってくる!」

 ジェイミの言葉に、さっと顔色を変えて、脱兎のごとく走り去った。去り際かけられた、「ありがとな」の言葉と一緒に遠ざかる。
 喧噪が去ると、はあとジェイミはため息をついた。

「まあ、俺らの言葉なんて、届くかどうかはわかんないけどさ」
「それでもまあ、言わないよかマシっしょ」
「そうだね」

 こぼした皮肉に、あっけらかんとしたキーズの言葉が返る。それにジェイミはふ、と薄く笑った。派手だが繊細な作りのジェイミの顔は、こういう笑いがとても似合った。

「クビかなぁ」
「かもね」
「下手すりゃ手討ちかも」
「まあね。いいやつだったね」

 軽口をたたきながら、二人とも手はよどみなく動かしている。

「……しかし、春かねえ」
「かねぇ。おめでたいこって」
「はーあ」

 キーズがやたらと感心した風に切り出した。おっとりした調子を合わせながらも、ジェイミはうなずく。ジェイミの呆れた調子にそれには気づいていないのか、聞き流しているのか、気を払わずに、キーズはひとり惚けたようなため息をついた。

「なあ」
「ん?」

 しばらくして、キーズが遠慮がちに切り出した。常にない様子に、いぶかしみながらも聞き返す。しかし、

「――……やっぱ、都市部とか、身分の高い人は、かわいいんかね?」
「っは!」

 もじもじとして切り出された言葉のあんまりな内容に、ジェイミは思わず吹き出した。

「――そりゃあ、そうなんじゃねえの。かわいい女の子も見つけ放題ってね。……おら、ぼさっとしてんな」

 笑みをかみ殺して、今度はこちらが怪訝な顔をしているキーズにそう返した。そうして、止まっているぞと、ジェイミはキーズの手を顎で示す。見ると、厩の向こうから、二人よりずっと小さな背丈の獣人の少年たちが、せわしなく走りすぎていく。自分たちだけ、油を売っていていい、という理由はあるまい。ただでさえ、今日は、早朝に到着した村長のさらに目上らしい、軍隊とやらの兵士たち、のホロスの手入が最初にあったせいで時間がいつもより押していた。遊んでいては日が暮れてしまう。
 あの人間達は、ドルミール卿の治めるこの領内でも、都市部に近い方から来たのだろうか。しかし、耳に入る噂をたぐった所によると、そうでもないらしい。もっと遠くから、それこそ王都の方から――そこまで考えて、ジェイミは思考を止めた。むやみな詮索ほど、命を縮め、また無益なこともない。
 彼らのホロスを見たところ毛艶もよく、目をかけられ、どのホロスもよく走りそうだった。さぞかしいいものを食べているのだろう、ジェイミは俗な事を考え、思考をわざと茶化した。

「俺には関係ない、っと」

 都市部に思いを馳せるキーズの鼻歌を聞きながら、ブラシをかける手に力を込めた。機嫌良さげに嘶くホロスを、よしよしと仕上げのように撫でてやる。いやに気分が悪かった。一体彼らはいつまでいるのだろう。早く帰ってほしい。
 ジェイミはそう思った。人間は、好きじゃない。
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