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序章
ネヴァエスタの森3
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「シルヴァス、ごはんだよ」
棲み家から出て、上空――空のない上空へと声をかけた。ヨルドリの羽音が、ラルの声に反応するように立った。返事はない。それはいつものことなので、ラルは気にせずにもう一度「シルヴァス」と呼んだ。
ヨルドリの鳴く、ため息のような音が応えるのみで、やっぱり返事はなかった。
もう、と仕方がないと思う反面、不安がラルの顔にのぞいたころ、空の上で、火花が二、三度散った。パチッ、パチッ、と横、斜めに跳ねて、ラルの目が赤紫のそれを追う。その目に、火花が映り込んだ。瞬間。
ひときわ、大きな爆ぜる音がした。とっさにぎゅっと目をつぶった時には、ラルの体は温かな布に包まれていた。目を開け、見下ろして、シルヴァスの外衣だとわかった。
「冷えるよ」
シルヴァスが隣に立っていた。いくら夜だからといって、と、とんと咎めるように頭をこづいた。
「シルヴァス、さっきの何?」
シルヴァスが起きてくる時、いつも変な現れ方をするが、大きな音は初めてだった。
「話を聞かないよね。まったく君はさ」
呆れたように言う声はいつものもので、「よく寝た」と言った。
「ごめんなさい」
「何だい、急に」
「うん。えっと」
「うん」
先のことを謝ろうと思った。けれど、シルヴァスのいつも通りの態度を見ていると、うまく切り出せなかった。結局言えたのは、「ごはんできてる」といういつもの言葉だった。
「失敗したのかい?」
「してない」
怪訝な顔をした後、そらっとぼけて言うシルヴァスに、とっさに否定すると、「ならいいじゃない」と重ねられた。
「お腹すいたよ。早く食べよう」
もう一度、頭にぽんと手をおいて、シルヴァスは中へ入っていった。よくわからない音を口にのせて。耳慣れた音は、シルヴァスが機嫌のいいときに出す音だ。ラルは、まだ納得のいかない顔をしていたが、後に続く。帳をあげて、ラルに先に入らせると、自分も入り、おろした。その時に、人差し指が、何かをなぞるように、二度空を切り、青白い光が走ったが、先に食事の準備を始めているラルにはわからなかった。
「シルヴァス」
ラルが呼んだ。ミルクの入った皿を持って、差し出しながら。シルヴァスは「おいしそうだね」と応えた。するとラルは得意そうに、胸を張る。いつもと変わらない、きっと明日も同じ顔をするだろう、という顔で。それを、シルヴァスはそっといつものように笑みながら見つめていた。
「ウィネ、リヒーティア」
神に祝福を、という意味の、食前の決まりの言葉である。
眠りの折りや朝にも決まってささげられるそれの時のみ、シルヴァスはいつも、首から下げているペンダントを内衣から引っ張り出し、ペンダントの石の部分を手に胸元にかかげる。小指ほどの直径の楕円のその石に祈りをささげるように、真剣に。
普段、内衣に隠された胸飾りは、シルヴァスと同じやわらかなみどり色をしている。その眠りにつく前の意識のような、ゆるやかな波紋のあるみどりの石が、祈りの時にだけ、シルヴァスの手に取られ姿を現すのを、ラルはいつも楽しみにしていた。自分には、祈りをささげる胸飾りはないので、何かを持っているふりで、シルヴァスと同じ格好をして、祈りの言葉をつぶやくのだ。
薄く目を開いて、目を伏せるシルヴァスの顔を、ぬすみ見る。一度バレてしかられてからは、あまりしないようにしているけれど、シルヴァスの持つ石も、シルヴァスの目を閉じた姿も、ラルはとても気になって、見ずにはいられなかったのだ。
棲み家から出て、上空――空のない上空へと声をかけた。ヨルドリの羽音が、ラルの声に反応するように立った。返事はない。それはいつものことなので、ラルは気にせずにもう一度「シルヴァス」と呼んだ。
ヨルドリの鳴く、ため息のような音が応えるのみで、やっぱり返事はなかった。
もう、と仕方がないと思う反面、不安がラルの顔にのぞいたころ、空の上で、火花が二、三度散った。パチッ、パチッ、と横、斜めに跳ねて、ラルの目が赤紫のそれを追う。その目に、火花が映り込んだ。瞬間。
ひときわ、大きな爆ぜる音がした。とっさにぎゅっと目をつぶった時には、ラルの体は温かな布に包まれていた。目を開け、見下ろして、シルヴァスの外衣だとわかった。
「冷えるよ」
シルヴァスが隣に立っていた。いくら夜だからといって、と、とんと咎めるように頭をこづいた。
「シルヴァス、さっきの何?」
シルヴァスが起きてくる時、いつも変な現れ方をするが、大きな音は初めてだった。
「話を聞かないよね。まったく君はさ」
呆れたように言う声はいつものもので、「よく寝た」と言った。
「ごめんなさい」
「何だい、急に」
「うん。えっと」
「うん」
先のことを謝ろうと思った。けれど、シルヴァスのいつも通りの態度を見ていると、うまく切り出せなかった。結局言えたのは、「ごはんできてる」といういつもの言葉だった。
「失敗したのかい?」
「してない」
怪訝な顔をした後、そらっとぼけて言うシルヴァスに、とっさに否定すると、「ならいいじゃない」と重ねられた。
「お腹すいたよ。早く食べよう」
もう一度、頭にぽんと手をおいて、シルヴァスは中へ入っていった。よくわからない音を口にのせて。耳慣れた音は、シルヴァスが機嫌のいいときに出す音だ。ラルは、まだ納得のいかない顔をしていたが、後に続く。帳をあげて、ラルに先に入らせると、自分も入り、おろした。その時に、人差し指が、何かをなぞるように、二度空を切り、青白い光が走ったが、先に食事の準備を始めているラルにはわからなかった。
「シルヴァス」
ラルが呼んだ。ミルクの入った皿を持って、差し出しながら。シルヴァスは「おいしそうだね」と応えた。するとラルは得意そうに、胸を張る。いつもと変わらない、きっと明日も同じ顔をするだろう、という顔で。それを、シルヴァスはそっといつものように笑みながら見つめていた。
「ウィネ、リヒーティア」
神に祝福を、という意味の、食前の決まりの言葉である。
眠りの折りや朝にも決まってささげられるそれの時のみ、シルヴァスはいつも、首から下げているペンダントを内衣から引っ張り出し、ペンダントの石の部分を手に胸元にかかげる。小指ほどの直径の楕円のその石に祈りをささげるように、真剣に。
普段、内衣に隠された胸飾りは、シルヴァスと同じやわらかなみどり色をしている。その眠りにつく前の意識のような、ゆるやかな波紋のあるみどりの石が、祈りの時にだけ、シルヴァスの手に取られ姿を現すのを、ラルはいつも楽しみにしていた。自分には、祈りをささげる胸飾りはないので、何かを持っているふりで、シルヴァスと同じ格好をして、祈りの言葉をつぶやくのだ。
薄く目を開いて、目を伏せるシルヴァスの顔を、ぬすみ見る。一度バレてしかられてからは、あまりしないようにしているけれど、シルヴァスの持つ石も、シルヴァスの目を閉じた姿も、ラルはとても気になって、見ずにはいられなかったのだ。
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