真昼の月は燃え上がる

小槻みしろ

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一章

二話 くらい家

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 バスを降りて少し歩いた先に、パン屋「るぱん」が建っている。その前にあるベンチに、あさきは一人座っていた。脇には学生鞄と買ったばかりのパンが置かれ、手には、ソフトクリームが握られていた。「るぱん」には、たくさんの種類のソフトクリームが売られていて、あさきは「るぱん」を利用し始めてから、貼られた広告の左から順に頼んでいるのであった。今日は巨峰だった。ブドウ味に、牛乳を足したような味だった。 あたりは強い西日が射して、赤と黄色の光が、くらい陰を作りだしていた。
 さっきから、学生たちが、何人も前を通り過ぎていく。あさきと同じ制服の子が大多数であったが、違う制服の子達もちらほらいた。二人から三人座れるベンチを一人で占拠し、足を投げ出したいつものスタイルで座っているあさきを、何人か興味深げに見ていく。しかし当のあさきは、彼らの残像を視界に流していくのみで、何の関心も払っていなかった。ソフトクリームはなぜ溶けてしまうのだろう、だから、食べなければならない、そんな事を思っていた。
 通り過ぎてくはずの陰の内の一つが、手前で躊躇いがちに揺れて、それから小走りに駆け寄ってきた。内緒話をするようなそぶりだった。その見慣れた動きと気配に、あさきは反応し顔を上げた。

「あさき」

 少しかがみ込んで、小声で話しかけてきた少女を見て、予想通りだと思う。見上げるあさきの無表情に、ほんの少し色がついた。

「さな」

 あさきが呼ぶと、早愛は隣に座って問い返すように首を傾けた。脱色したての明るい金色の髪が、くらむように輝いていた。
 彼女――小野田早愛おのださなは、あさきの幼なじみだった。二人は同級生でもあり、先ほどのラインを送ってきたのも、早愛だった。

――遠いところで、ふたりで、やりなおそう――

 あさきの手を取って、早愛が言ったのはもう一年も前のことになる。その言葉のとおりなのか、あさきと早愛は家から片道一時間半かかる、東峰高校に入っていた。

「電車、乗らないの」

 小声で、確かめるように早愛は尋ねる。ソフトクリームが溶けだして、一筋コーンに軌跡を作った。あさきは、ソフトクリームのコーンを噛んだ。水分とブドウ牛乳味を吸って、やわらかくなっているそれを一口飲み込んだ。ソフトクリームは一度溶け出すと、一気に収拾がつかなくなる。しばらくソフトクリームを処理していたが、早愛が自分を見ていることがわかったので、あさきは一言、

「帰りたくないの」

 と返した。早愛の眉がハの字に下げられる。あさきはまた一口コーンを噛んで含んだ。

「でも」

 早愛が言いたいことはわかった。何度も二人の間でなされたやりとりだったからだ。早愛は何か言いたげに、口を開いて、両手を胸の前でもぞもぞと動かした。右手の指を左手でつまんでぐいぐいとのばしたりしごく。あさきは、ソフトクリームを全て流し込んでしまうと、もう一度口を開いた。

「まだ帰りたくない。早愛は帰りな」

 西日は傾いてあたりは暗くなり出していた。早愛は視線をうろうろさせたが、あさきの膝元に、手をやると、口を開いた。

「沢谷って、最低だよね」

 さっきより幾分、低くはっきりとして艶がのり、強い声音だった。あさきは、早愛を横目で見るが、また視線を戻した。

「あさきにあんな言い方するなんて。私も体育委員にさせられちゃったし――あいつ、本当に気持ち悪い。見た目も、しゃべり方も」

 早愛は、堰を切ったように話し続けた。

「でも、クラスの皆も、大したことないね。皆ださいし、ブスばっかだし、本当、めいっちゃうよね」

 ね、早愛はあさきの、ソフトクリームに取られていない方の手を取った。あさきの手を両手で広げるようにふにふにと握った。

「高校来たら、いいことがたくさんあると思ったのに。がっかりだよね。あさきもそれでいやなんだよね?」

 あさきは、コーンを口の中に放り込んだ。口をもぐつかせつつ、べとついた指を口に含む。

「べつに」

 あさきは咀嚼の途中で、一言返した。次につながるような間を持っていたので、早愛は黙った。

「変わらないよ」

 どこだって別に。
 飲み下すと、早愛の方を向いた。早愛は、すこし傷ついた顔をしていた。あさきは目を伏せると、立ち上がった。早愛は、首を傾げてあさきを見ていた。あさきは学生鞄とパンの袋をひっつかむ。

「帰るよ」

 そこで、早愛は、あさきの行動に合点がいったらしい。あわてて自分も立ち上がる。春の夜の冷気とソフトクリームで少し身体が冷えていた。

「本当に、何であさきも私も、こんな目にあうんだろうね」

 早愛が、あさきの隣に並び、歩きながらつぶやいた。

「本当に、あいつのせい。あいつがいなかったらよかったのに」

 あさきは答えなかった。今度のは、自分ではっきりと選択した無言だった。

 家に着いたのは、七時を過ぎた頃だった。日はとっぷりと暮れ切り、あたりは真っ暗になっていた。

「じゃあ、また明日ね」

 隣の家に、早愛は入っていった。しばらくして、「ただいま」という早愛の声に、「おかえり。遅かったわね」という中年の女性の声が聞こえてきた。それから、明るい話し声が暖色の光の漏れる早愛の家で聞こえ出す。確認していたのではなく、ただあさきは、自分の家の前で立っていたままだったから聞こえたのだった。あさきの家は、一室をのぞいて電気がついていなかった。
 あさきはうつむいて、門をくぐった。空っぽの植木鉢や、プランターの並ぶドアまでの道を進んで、ドアに手をかけた。
 ドアを開ければ、ドアベルがわずかな音を立てた。中に入ると、あさきは鍵を閉めた。重い音で、錠は落とされる。
 リビングは真っ暗だった。隣の早愛の家の明るさが、キッチンの窓に映って、あたりを薄ぼんやりと照らしていた。必要ではないからと、気づいていないからだった。あさきは、明かりを叩くように点ける。一拍置いて部屋が照らされる。リビングは散らかってもいないが、清潔に保たれているというより、人の痕跡がないからというような空気をまとっていた。あさきはダイニングへ進むと、テーブルにパンの袋を置いた。袋の中で、パン達がなだれる音が聞こえた。自分の部屋へ向かう為、廊下に出る。廊下には、ある一室から漏れた笑い声が響いていた。あさきは立ち止まる。すると、ちょうどその部屋から、「ちょっと待っててね!」と、はしゃいだ様子で出てきた妹とはち合わせた。

「アンタ?」

 妹はあさきの顔を見ると、落胆と嫌悪の混じった顔を見せた。それからもう見たくないという風に顔を逸らして、あさきの脇を通り過ぎる。

「今日、お母さん調子いいんだから」

 じゃましないでよね。

 すり抜けざまに、そうささやいていった。方向から、トイレに行ったのだろうと、あさきは察した。あさきは黙ったまま、自分の部屋へ続く階段を上った。妹の出てきた部屋――この家でたった一室だけ明かりがちゃんとついている部屋――にもう一度視線をやった。そしてすぐにそらした。妹が隙間をあけて行った部屋からは、光がさし、暗い廊下を照らしていた。妹の抜けたその部屋では、わいわいと弟がなにやら明るい声で話しかけていた。
 部屋の主は、壁にもたれ込んで座っていた。顔は見えなかった。スカートをはいた足と、その上に投げ出すようにのせられた細い手だけが見えた。あさきは人差し指で唇にふれた。
 毎日よくやるな、あさきは思う。毎日毎日、ずっとそうしているのだ。家に帰ってきてから、ずっとその部屋にこもりきりだった。相手は、何も聞いてはいないのに。
 階段を上り、あさきは部屋に鞄を投げ込んだ。ごんと重い音がたったが、気にしなかった。ベッドにもたれて床に座り込む。息をつくと、すぐに起きあがった。ソフトクリームで汚れた手がべたついて気持ち悪かった。
 洗面所へ向かうと、妹が手を洗っていた。鏡に映っているだろうに、視線一つよこさなかった。あさきは妹が洗面所のタオルで手をふいて去っていくのを見ると、自分も手を洗った。そこで、ちょうど玄関の鍵が開く音がした。

「ただいま」

 父だった。靴をぬぐとすぐに、洗面所にやってきた。妹や弟が、音を聞きつけたのか、部屋から出てきて

「お父さん!」

 と駆け寄ってきた。

「お母さんは?」

 開口一番、父は二人に聞いた。

「今日ね、ちょっと元気」

 二人はうれしそうに答えた。父は、「そうか」とかみしめるように安堵した。手を洗いうがいをすると、すぐに部屋に向かった。二人も後に続いた。あさきは、洗面所の隅で、それらをやり過ごし、ひとりダイニングへと向かった。廊下で、

――七緒、ただいま。

 よく通る父の大きいやさしげな声が、背にぶつかってきた。あさきは早足になった。
 あさきは、テーブルに置いた袋から、パンを物色した。自分が買ったから全て知っているのだが、それでも一応何を食べるか考えた。数秒後、メロンパンをつかむと、自分の席に腰掛けた。
 あさきがメロンパンの中腹まで攻略したころ、わいわいとにぎやかな声が、こちらに向かってきた。父と、妹、弟がキッチンに入ってきた。父はひとりキッチンに残り、妹と弟は、ダイニングの、あさきの座っているテーブルにやってくると、テーブルの上の袋を開いて、物色を始めた。ここ三年ほどの習慣で、ふたりはテーブルに何か置かれていると、食べ物だとわかるのだった。

「たいしたのない」

 妹の不満げな声に、弟が「まあいいじゃん」と言いながら、ウインナーパンを取り出した。妹は、あさきをにらんでから、あんぱんを取り出した。それからまた、部屋に二人はかけていく。
 父と二人残されたあさきは、ずっと黙ってパンを噛んでいた。父もまた黙っていて、朝の冷や飯をなべにかけて、お粥を作っていた。

「今日もパンか」

 不意に父が口を開いた。あさきは返事をしなかった。父も、あさきの返事を期待していないのか、自分の間で言葉を続けた。

「栄養がかたよるだろう。はるひも、空も、育ち盛りなのに」

 声には、心配と呆れがあった。あさきはそれでも黙っていた。父は、人の良い顔を、しかめた。できあがったお粥を、ちいさな桜色のお椀に移すと、あさきに向き直った。

「二人とも、小さくてもあんなに頑張ってるんだ。あさき。お前は、もう十五歳だ。家族に、何かしたいと思わないのか」

 あさきは人差し指の腹を、ひときわ強く噛んだ。お腹の底が、燃えるように熱かった。こんな時でも父の声には一種のあたたかみがあるのが、不思議だった。左手の中の残りのメロンパンを、握りしめた。握りしめて、テーブルに置いた。手はふるえていた。
 それでも、決して口を開かないあさきに、父はため息をつくとお盆にお茶の入った湯飲みとお粥をのせて、キッチンを出ていった。向かう先は、やはりあの部屋だった。

――七緒、どうだ。食べられそうか――
――お母さん、パンもあるよ。半分こする――

 父の励ますような声に、妹と弟のはしゃいだ声が続く。耳をすましているわけでもないのに、異様によく聞こえた。あさきは立ち上がると、パンをそのままに、ふらふらと自室へと戻った。真っ暗な部屋のなか、ベッドに倒れ込むと、置いてあったイヤホンを耳につっこんだ。ポケットからスマホを取り出して、イヤホンジャックにつなぐと、YouTubeを流した。聞いていないので、流れるものは何でもよかった。足下から、真っ暗なものがやってきて、あさきの意識を落とし込んでしまうまで、あさきはイヤホンの上から耳を両手で塞いで、丸くなり震えていた。
 
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