王と王妃の恋物語

東院さち

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34 ダンスは口づけのあとで

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「アラーナ、ずっと側についてられないかもしれない。私が離れる時は、ヴァレリー・マルクスの側を離れるな」
「ヴァレリー・マルクス様?」

 そういえば来てから一度も会っていないと不思議に思っていたら、前方に立つその大きな身体が不自由そうなのが見て取れた。

「お久しぶりです、アラーナ様」

 ヴァレリー・マルクスの右足は固定されていて、杖をついている。

「ヴァレリー・マルクス様……その足は」

 彼ほどの人の足が折れる事態とはどんなものなのだろう。剣技も身体能力も彼ほど恵まれた人はいないとアラーナは思っていた。

「アラーナ様、名前に様をつけるのは止めてください。王妃様に敬称をつけられた日には、カシュー・ソダイに殺されますから」
「まぁ」

 ニカッと笑うその顔は、大きい子供のようで、いくら年をとっても変わらないのだろうと思われた。多分彼は、アラーナの父より年上のはずだ。

「足は、ちょっと馬車に撥ねられまして……」
「アラーナ、同情の余地なしだ。女だ、女。遊び過ぎたつけだから、気にしなくていい」

 馬車に撥ねられたと聞いて驚いたアラーナだったが、アルベルトの呆れたような声に息をのんだ。

「陛下、酷いですね」
「歩くのは不便だが、盾にくらいなる。アラーナ、私が側にいないときはこいつの側を離れるなよ」

 それで、以前はいつでもどこでも着いてきていた彼がいなかったのだ。

「アラーナ様、御身はこの身をかけましてもお守りいたします」

 言っていることは感動してもいいくらいのことなのに、何故か笑いがこみあげてきて、アラーナは真面目な顔を作るのに苦労した。

「アラーナ、行こう」

 アルベルトの歩みがゆっくりになり、ヴァレリー・マルクスを気遣っているのだとわかる。

「はい、アルベルト様」

 アラーナは、アルベルトの後ろを歩こうとして、手をひかれた。

「お前の場所は、いつも私の隣だ――」

 アルベルトの言葉にアラーナは微笑み、頷いた。
 二人の後姿を見ながら、こっそりヴァレリー・マルクスは目尻に涙が浮かべ「俺も歳とったなぁ」と苦笑するのだった。



 煌びやかな王城の舞踏会が開かれている場所は、とても広びろとした空間だった。どのような仕掛けなのかわからないが、アラーナ達のいる場所にまでしっかりと音楽が響いている。アラーナがいるのは、下からは見えない螺旋状の階段の上だった。美しい貴婦人や恰幅のいい貴族の男たち、凛々しい騎士団も警備についていないものは騎士服で出席しているという。
 アラーナは、こんな沢山の人間がいるという状況に驚いていた。アラーナの領地では馬もかき集めて人と足してもこれほどいないだろう。
 諸外国から訪れて珍しい民族衣装などをきている人もいる。そうかと思えば、学生などもいるようだった。

「アラーナ様、あれらは全てかぼちゃだと思えばいいのです。今年はかぼちゃが豊作だなぁくらいで」

 軽いヴァレリー・マルクスは、アラーナの緊張をほぐそうとしてそんなことを言う。

「大きな部屋だろう?」
「ええ。こんな大きなホールがあるのですね」

 アラーナが過ごした期間は短くはなかったが、それでも行ったことのない場所というのは沢山あった。

「ここは有事の際に騎士団が全て集結出来る広さがあるんだ」

 ダンスのためにだけ使っているわけではないのだろう。

「学生もいらっしゃるのですね」

 特徴のある四角い房の付いた帽子は学生の最終学年の証で、アラーナも何度か学院に訪問したことがある。

「ああ、未来を担う若者たちだな」

 沢山の人に一瞬慄いたアラーナだったが、一人ひとりに焦点を合わせて見れば、特に怖いことではないのだと思えた。一つの塊ではない個人が沢山。色んな人がいるのだと、着ている服だけ所属も違い、きっと思いも違うのだろう。

「はい。アルベルト様、ヴァレリー・マルクス、私は大丈夫です」

 自分が落ち着くのを待っていてくれたのだとアラーナは気付いて、そう告げた。

 アラーナの手をとり、合図を送るとどこからかラッパの音が響いた。騒めいていたホールが一瞬で静まり、誰もが頭を垂れた。

「国王陛下、並びに王妃アラーナ様、ご入場されます」

 これほど人がいるというのに音楽と衣擦れの音だけが流れる空間というものは、一種異様だったとアラーナは後でシエラに言った。慣れるまでの気づまりだということはわかっているが、少しだけ汗ばむ掌を、ギュゥとアルベルトが握ってくれているからアラーナは動揺せずに済んだのだと思う。
 二人と近衛が進んだ先は一段高くなっていて、遠くからでも見ることができるようだった。

「今宵は、余の誕生を祝いに集まってくれて嬉しく思う」

 アラーナは、この広いホールに響くアルベルトの声に聞きほれてしまう。普段の彼とは違う声、為政者としての声なのだろう。魂を揺さぶるようなカリスマ的な声だと思ったのは、アラーナの惚れた欲目ではない。アルベルトの一声と共に音楽はやんだ。静寂の中でアルベルトは宣言する。

「ここに余の王妃を皆に紹介したい。アラーナ――……、グラスエイト女伯爵、もしくはアレント伯爵令嬢といえば、知る者もいるだろう。余の片翼として、この国を導くものとして、皆に満足してもらえると思っている――」

 アルベルトが、満ちた瞳でアラーナを促す。

「陛下、並び皆様方にお導き頂き、願いに添えるよう努力したいと思っております」

 アラーナは、毅然とした態度を崩さず、ゆっくりとお辞儀をした。その美しさに思わずあちこちからため息が漏れる。「あれがグラスエイトの……」「随分成長したようで」などと、アラーナの噂を知る者たちのさえずりがホールに満ちた。
 アラーナが顔を上げた瞬間、祝福の気持ちがこもった拍手が場を満たした。
 待ち望まれた王妃の誕生に、個々の思惑はともあれ国が浮き立つ祝い事としてアラーナは受け入れられたのだった。
 アルベルトは、振り向いたアラーナの頤を持ち上げると、そっと腰を抱き寄せ、背中を撫で上げながら口づけを落とした。

「んっぅ……」

 驚愕に仰け反り、アルベルトから逃げようとしたアラーナは、抱き寄せられて羞恥から真っ赤になりながらアルベルトに拘束された。力強い男の腕は、アラーナの小さな抵抗などものともしなかった。

「陛下、挙式は今日ではございませんよ」

 カシュー・ソダイの笑いを含んだ声に、一瞬固唾をのんでいた招待客たちは、魔法がとけたかのように笑いを零したのだった。

「無粋なやつめ。音楽を――」

 舞踏会開始の宣言をアルベルトが行えば、音楽がすぐさま奏でられた。

 最初のダンスは王と王妃から――。

 頬を赤らめたまま、アラーナは中央にアルベルトのエスコートで連れ出されてしまった。
 アラーナは、周囲の視線を感じないように「かぼちゃ、豊作」と心の中で三回だけ唱えた。
 導かれるままにアラーナは踊った。教えてもらったのは、何年も前だというのに、アルベルトが導くステップをアラーナは覚えていた。アルベルトの癖も踏み込みも、回る合図も、アラーナにとってはそれが普通のことだった。
 呼吸の合った二人のダンスが終われば、一組、二組とダンスフロア―に人が傾れこんでくる。アルベルトとアラーナの側は騎士団のものと王族しか寄ってこないので、ゆっくりと話しながらアラーナはアルベルトに乞われるまま、何曲も踊ってしまった。

「アルベルト様、人前でキスするのは止めてください……」

 アラーナは、それこそ虫が鳴くような小さな声でアルベルトに懇願した。

「アラーナが、そんな風に真っ赤になるのがいけない――」
「恥ずかしいんです……」

 羞恥に惑うアラーナを見たくてついついやってしまったのだが、アルベルトも頷いて肯定した。

「わかった――。出来るだけ控えるようにしよう」

 アラーナのそんな顔を見るのは自分だけでいいのだ。特に口付けた後からアラーナを見る男たちの視線が、熱いものになっていることにアルベルトは気付いていた。勿論国王の妃である王妃(アラーナ)に不埒なことをするものはいないだろうが、なんだかアルベルトは気に入らなかった。

「そうしていただけると、嬉しいです」

 アラーナは上目遣いにアルベルトを見上げて、その瞳に情欲がこもっていることに気付いた。昨日までなら気付かずにいたその意味に、アラーナは目を伏せた。

「どうした?」
「いえ、何でもないのですけれど……」
 
 何故だか今日も眠れないような気がして仕方がないアラーナだった。
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