王と王妃の恋物語

東院さち

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33 過去と謝罪

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 アラーナが目を醒ましたのは、昼を大分過ぎてからのことだった。
 磨き上げてちょうだいと言ったシエラの言葉通りにアラーナは、どこからともなく表れた美容部の侍女達に裸にされ、小さく悲鳴を上げながら風呂で磨かれ、上がってからは揉みしだかれ、言葉も出ないまま(痛くて)眠ったのか気絶したのかはわからないが、寝台で休ませてもらっていたようだ。昨日から、身体には普段からは想像もしない負担が強いられていたので休息となったようだ。

「……喉が渇いたわ」

 伸ばした手がいつもと違う。何だかすっきりしたような、輝いているような……とナイトドレスから覗く胸の谷間までが艶々している。そういえば、胸も揉まれたのだったわ。鬱血の痕が残る身体をくまなく見られてしまって、アラーナは恥ずかしさで頬が熱くなるのを感じた。
 鈴を鳴らすと、お辞儀して入ってきたのは、アラーナより少しだけ年上で四年前にも仕えてくれていた侍女だった。

「リン!」
「アラーナ様、お久しぶりでございます。アラーナ様がこちらにお住いになると聞いて、慌てて配置換えをお願いしました」

 昨日からアラーナの世話をしてくれていたのは、皆宰相に仕える侍女たちだった。

「リン、嬉しいわ」
「アラーナ様。わたくしもです。お元気そうで……」

 瞳を潤ませたリンは、アラーナを起こして改めてアラーナの姿を見たようだった。

「陛下に……ついに食べられちゃったんですね」

 真っ赤になるアラーナに、「アラーナ様ったら可愛い」と昔のように言う。

「リン!」
「はい。アラーナ様、もう少ししたら、ドレスの着付けや髪を整えに美容部員が来ますから、お茶でもいかがですか? 陛下や宰相閣下から甘いお菓子も届いてますよ」

 相変わらずな侍女に苦笑しつつ、「頂くわ」と言った。

「今夜は、アルベルト様の誕生日ということで盛大な舞踏会となります。皆がアラーナの王妃としてのお披露目は、次にまわすようにと進言したにも関わらず、アルベルト様は強引にアラーナを王妃として紹介することに決めたようです」
「え……」

 今日の舞踏会では、パートナーになるだけではなかったのだろうかと首を傾げた。

「やっぱりアラーナに言ってなかったのね。誕生会のついでみたいになるから駄目だと言ったのに、誰にもとられたくないんでしょうね、強引に決めてしまったわ」
「え? 誰もとったりしないわ」

 アラーナは自身の魅力にいささか気付いていないようだった。
 
「アラーナ、あなた、今日は本当に大変よ。全く予定してなかったのに、王妃としてふるまわないといけないのよ。アルベルト様の妻の座を狙っていた貴婦人たちの嫉妬もすごいけど、値踏みもされるでしょうし……」
「大丈夫なんですか? シエラ様も一緒に行かれるんですよね?」
 
 リンの声がアラーナを心配してシエラに縋りつくようなものになっている。

「もちろんよ! 着いていくわ。でも私じゃ……」

 シエラも心配なのだろう。

「大丈夫よ。シエラ、リン。アルベルト様がいらっしゃるんでしょう? 困ったら、アルベルト様を頼りにするわ。王妃なんて柄でもないし、覚悟もないけれど、アルベルト様が私でいいとおっしゃるなら……やってみるわ」

 不安がないわけがなかった。それでも、シエラは皆が待っていたと言ってくれた。
 アルベルトがアラーナがいいと言ってくれた。アルベルトが国王をやめていいとまで言ってくれたのに、自分が決めたのだ。
 なら、頑張るしかない――。
 強く願ったことはどこまでもやり切る、シエラ曰く強情なところがある性格のアラーナだ。自分でも気付いている。
 アラーナの覚悟をみてとったのだろう、シエラはフッと息を吐いて笑った。

「もう、アラーナったら、朝まではオロオロしてたのに」

 気が緩んだのだろう、涙まで浮かべて、シエラは笑い、リンもつられて笑った。
 アラーナも、そんな二人に励まされ、微笑んだ。


 覚悟は決まったとはいえ、アラーナの心の中は心臓がはち切れそうなくらいだったので、用意してくれた軽食はリンゴを二切れ何とか喉の奥に押し込んだのが精一杯だった。

「もうちょっと食べないと、食事をする時間はないと思うわよ」

 シエラは心配してくれるが、それどころではない。アラーナは領主レベルの舞踏会なら招待されたことはあるが、王城のそれは規模が違い過ぎるだろう。
 大丈夫だと自身で言い聞かせているが、いうなれば四年前にプリマドンナを目指していながら怪我をして踊れないまま主役として大舞台に立つようなものである。緊張しないわけがなかった。
 ありとあらゆる緊張は、ある意味功をなし、アラーナの激しい筋肉痛はもはや感じる余裕するない。

「まぁ、素晴らしいですわ」

 リンの溜息交じりの感嘆につられたように、部屋であれこれと動いていた侍女達がアラーナを見つめ、同様の声を漏らした。

「なんてお美しいのかしら……」

 羨望と自慢の主人に対する誇りのようなものを共有した侍女たちは、早くこの美しい王妃を皆に見せたくて仕方がなかった。

「シエラ様も、いい加減アラーナ様の横にお座りくださいませ」
「いいわよ、私は宰相閣下のところで着替えてくるわ」
「そんなことをおっしゃらないでくださいませ。見事に装って見せますわ」

 美容部員長の女性がそういって、シエラの首筋を片手で掴み(まさにガシッという感じで)逃がさないとばかりに微笑んだ。

「私はあちらの居間のほうにいっておくわね。シエラ、腕利きの方ばかりだから安心してお任せしていいわ」

 普段の自分とはまるで違った出来栄えに、何故かアラーナが自信たっぷりに胸を張る。

「ほら、王妃様もおっしゃっておりますし……」

 アラーナが扉から出ていくのを見てから、美容部員長は微笑む。美しい笑顔の奥には、獰猛な肉食獣の如き煌めきが宿っていて、シエラは冷や汗が流れるのを感じた。

「大丈夫、怖いことはしませんよ。今日は、王妃様の盾になっていただくのですから……」

 シエラをアラーナの盾にするべく、美容部員達が周囲を包囲する。
 味方がいないわ――。
 シエラは天井を見上げ、瞠目するのだった。

 その後、アラーナを迎えにきたアルベルトは、隣の部屋から悲鳴のようなものを聞いて驚いたという。何事かと見に行こうとする面々をとめるのにアラーナとリンがが苦労したのは言うまでもない。


 シエラが用意をはじめたのは遅かったが、それでも舞踏会の時間までまだ大しばらくある。この時間に迎えに来るとは聞いていたが、アラーナは手をひかれて連れていかれた場所に立つ二人をみて、驚きで立ち止まってしまった。

「アラーナ――……」

 手を広げるのは、父親だった。横で微笑んでいるのは、母親だった。二人とも領地にいるはずなのにどうしたのだろうと、目を瞬かせてそれでもアラーナは父親の胸に子供のように飛び込んでしまった。

「お父様……」

 アラーナがグラスエイトに行くことに渋っていた父親だったが、アラーナが領地を治め始めると、色々と便宜を図ってくれた。

「お母様」

 カリーナは、アラーナが帰ってきたとき、アラーナの代わりに嘆き、少し身体を壊してしまった。アラーナが王城から戻り、領地で過ごしたのは半年ほどのことだ。悲しみに浸っていると母親が弱っていくような気がして、無理にでも元気になろうとアラーナは考え、グラスエイトに移ったのだった。グラスエイトでのことを三日をおかずに手紙で出し、少し元気になったカリーナとマリーナの元を訪れたりしているうちにカリーナは少しづつ元気を取り戻してきた。けれど、王都にはいなかったはずだった。

「アラーナ、本当にいいの?」

 カリーナは、娘が既にアルベルトのものになっているだろうとわかっていて、そう聞いた。アラーナがアルベルトのことを想っていることだって知っていたが、聞かずにはいられなかった。

「ええ」

 アラーナはよどみなく答えることが出来た自分を嬉しく思う。

「裏切られた……と思っていないの?」

 母親に嘘はつけないアラーナは、少し迷いながらアルベルトを見つめながら「思っています」と言った。
 アルベルトは表情には何も出さなかった。そして、静かに頷いた。

「それでもアルベルト様のことがいいのね……」

 カリーナは、既にアラーナの答えをわかっていたのだろう。娘の瞳に迷いがないことだけ確かめて、アルベルトに向き直った。

「アラーナの母としてお願いがございます」

 アルベルトは、続きを視線で促した。

「私は、私の義理の姉のことで、娘がアルベルト様に見限られたと知ったとき、一度は実家と縁を切ろうと思いました。私の血が、縁が、アラーナを傷つけたなんて……。でもアラーナは関係ないのだと言いました。自分が、あなたの心の天秤にかからなかったのは私のせいではなく、自分に魅力がないのだと――」

 カリーナの目に涙はなかったが声は当時を思い出して震えていた。

「お母様……」

 アラーナは母に寄り添い、アルベルトを見上げた。

「アラーナを妻にするということは、アラーナに魅力があったということですね?」

 アルベルトは正確にカリーナの意図を読み取った。

「ああ。伯爵夫人には信じてもらえないかもしれないが、私はずっとアラーナを愛していた。ただ、あの頃は父が亡くなってそれほど立っていなかったせいもあるし、私自身が母親に捨てられたのだと思う憤りを抑えることができなかった。だから、アラーナにも、ご両親にも辛い想いをさせてしまった。許してほしい――」

 アルベルトが発表前にアレント伯爵夫妻を呼んだのは、謝罪するつもりだったのだ。アルベルトは腰を折り、アラーナ親子に頭を下げた。

「陛下、顔をお上げください。アラーナが幸せになるのでしたら、私共は……」
「アルベルト様、私は謝っていただきたいのではありません」

 カリーナの静かな声は、アルベルトに逃げる余地など残さなかった。

「アラーナとの新婚旅行には、海辺に行くことをお約束しましょう」

 カリーナの育ったのは、海辺の街だった。クライベル侯爵家は外国との商業の要といっていいサンバリーを治めている。アルベルトの母ローザもそこにいるはずだった。

「アラーナの伯母にも……」
「もちろん、お会いできるのを楽しみにしています」

 アルベルトは、もう越えたのだろうか。愛という名前の憎しみを。穏やかなアルベルトの顔から、母親に対する酷い感情は見えなかった。

「ええ――。それならいいのです。もう二度と、二人の間のこと以外で苦しまないでいてくれたら……幸せに暮らしてくれたら、何もいうことはありません」

 カリーナの心からの祝福を受けて、アラーナは頷いた。

「ええ、もう、離しません――」

 アラーナに手を伸ばし、アルベルトは繋いだ手を見つめてきっぱりと言い切ったのだった。
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