王と王妃の恋物語

東院さち

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17 アルベルトのためにできること

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 夜も更けてからアラーナは目を醒ました。酷くぼんやりとして、自分が何故寝台で眠っているのだろうと考えるよりも先に涙が溢れてきて驚いてしまった。

「そうだわ、私は家に帰されるのだわ」

 どうやって部屋まで帰ってきたのか、何故自分がここで眠っていたのかは思い出せなかったが、アルベルトの今まで聴いたことのない声音は覚えている。
 何をしてしまったのだろう、何かアルベルトの嫌悪を誘うなようなことをしてしまったのだろうかと考えても、思いつくことはなかった。
 ポタポタと落ちる水滴ほどに悲しみや悔しさはないのが不思議だった。
 ただ、自分がアルベルトにいらないと言われたのだと思うと胸の辺りに石を飲み込んだような感覚があって、そこから涙は生まれてきているような気がした。

「アラーナ様、起きられたのですね。良かった……」

 天蓋が下ろされていたのでそこに人がいることに気付かなかったアラーナだったが、シエラしかいないということにホッとした。

「シエラ……。私は何をしてしまったの? アルベルト様は何故あんなに怒ってらっしゃったの?」

 アラーナは、姉のように慕っているシエラには涙を堪えなくてもいいのだと思っていたから、瞳から零れる涙もそのままに青い顔をしているシエラに尋ねた。

「アラーナ様は、何もしてらっしゃいません。何も悪くないのです」

 シエラは、そっとアラーナを抱きしめてそう言った。

「何があったのか、教えてくれる?」

 心細そうなアラーナのそんな声は久しく聞いていなかっただけに、アルベルトに対してシエラは怒りが込み上げる。

「陛下のお母様のことを聞いたりしました?」
「陛下が小さい頃にお亡くなりになったとだけ。とてもお綺麗な方だったとか」

 所謂、この国に住むものならば誰でもしっている事柄だった。シエラは、何も話していなかったアルベルトに小さく悪態をついた。

「陛下のお母様は実は生きてらっしゃるのです」

 シエラの言葉にアラーナは驚いたが、納得することもあった。前王陛下の亡くなった日にはちゃんと式典があり、アルベルトも王族の入るお墓にアラーナを連れて行ってくれたけれど、母親である前王妃の亡くなったとされる日には何もなかった。随分前に亡くなられたからだろうかと思っていたのだけれど、そういうことだったのかと理解した。

「どちらにいらっしゃるの?」
「陛下のお勧めもあって昔から好き合っていた男(ひと)と一緒になられたそうです。私は知らなかったのですが、その方は前王陛下と前王妃様の幼馴染でいらっしゃったそうです。本当はその方と結婚される予定だったのですが、前王様のお身体が弱かったので、親しんだ方のほうがいいだろうという周りや当時の国王陛下のご命令で嫁がれたそうです。それをずっと気にしていらっしゃった前王陛下は、自分だとアルベルト様に兄弟をつくって上げる事も出来ないからとおっしゃって、前王妃様は亡くなったという事にして、その方と幸せになって欲しいと願われたのだそうです」

 シエラは、アルベルトの母親のことをよく覚えている。アルベルトによく似た綺麗な女性だった。笑顔のとても明るい人で、よくアルベルトと遊んでいた。

「アルベルト様はお母様のことを良く思っていないようだったわ」

 前王妃の亡くなったとされる日に、「お墓に行かないのですか?」と尋ねたアラーナにアルベルトは「あんな女にお前が気にする価値はない」と言ったのだ。あの時、もっと聞いておけば良かったのだとアラーナは気付いた。だが、アルベルトはそれ以上何も話したくなさそうだったので、アラーナは何も言わなかったのだ。

 ちゃんとアルベルト様と向き合うべきなのに、私はそうしなかった――。

 アラーナはアルベルトのことが大好きだったから、アルベルトに嫌われるかもしれないと思うとそれ以上尋ねることが出来なかったのだ。

 きっとお姉様だったら違った――。

「アルベルト様は、前王陛下が亡くなるまで、お母様は死んだと思っていたのです。誰も言わなかったし、アルベルト様はお母様がいなくなったときにちゃんと葬儀もしていたから、亡くなったと疑っていなかったそうです。前王陛下が亡くなられた後に、そのことを知って、ショックを受けてました」

 ちょうどシエラがレイモンド・エンディスとの事があって戻った来た頃だった。

「前王陛下は本当にお優しい方でした。その優しい方が「ローザに会いたい」と言って亡くなったのです。アルベルト様は、きっとお母様がお父様を迎えに来てくれていると思っていたのに、実は生きていて、しかも結婚していると聞いたのです。お父様を亡くされた悲しみも何もかもがお母様への怒りに変わったようでした」

 アルベルトはそれでも悲しんでいる時間はなかった。父親の葬儀を執り行い、それまでも弱い父親に代わって国政をまかされていたとはいえ、一国という重いものが肩にのしかかったのだ。

 アラーナに出会うまでのアルベルトを思えば、シエラは喉が詰まりそうになる。眠りは浅く、食事だって義務のように食べていたアルベルトを支えようと、宰相もヴァレリー・マルクスも乳母から女官長になっていたシエラの母もあのリシェール・バルサムも皆必死だったのだ。
 アレント伯爵の娘を最初の妃にと決めたのは、前王陛下だった。美しく、利発で有名だったマリーナだったから、だれも前王陛下が決めたことに異議は唱えなかったし、アルベルトは母親のことから女性不信だったので、どうでもいいと思っていた。
 いや、宰相カシュー・ソダイ、ヴァレリー・マルクス、女官長であるシエラの母は知っていたはずだ。ただ、言わなかったのだ、前王陛下のために。

「そのローザ様の嫁がれたのが……アラーナ様のお母様のお兄様だったのです」

 シエラはその話をアルベルトに聞かされたとき、駄目だと思った。アラーナへの気持ちは、一年と半年の間に育っていたし、愛しく想っていることも疑っていない。けれど、アラーナへの愛以上にアルベルトは母親を許せない――。

 シエラは、アラーナのこともアルベルトのことだって大事に思っている。だから、二人が幸せになるためにどんな努力だってすることに迷いはない。そのシエラが、悲しげに俯いてアラーナに謝るのだ。

「アラーナ様、アルベルト様はお母様を許せないのです――」

 前王陛下は、アルベルトがそんな風に母親を憎むなんてことはこれっぽっちも思っていなかっただろう。亡くなったと思っていた母親が実は生きていたとしれば、自分が死んだ後だけに嬉しく思うだろうとウキウキしていたかもしれない。そして、その母と親戚であるアレント伯爵の娘を妃にすれば人の目を気にせず再会できるだろうとアルベルトとローザを思ってお膳立てをしたのだ。

 荒んだアルベルトを見た宰相もヴァレリー・マルクスも女官長もその口を閉じた。前王陛下を思うが故に、何も言わずにマリーナを迎える準備をしたのだ。

「……そうなの」

 アラーナは、優しいアルベルトを知っている。とても情の厚い人だと知っている。
 そんなアルベルトだから、父親を思って母親を許せなくなった気持ちも理解できた。

「アラーナ様――。そんなに泣かないでくださいませ」
「ごめんなさい、シエラ。アルベルト様が可哀想で……」

 涙が止まらないのだ。

「アラーナ様、私、なんと言っていいのかっ」

 アラーナが見上げると、シエラも泣いていた。ポロポロと零れる涙にアラーナは癒される。

「大丈夫よ。明日になったら涙も止まるわ。今日だけは、泣いてもいいでしょう?」

 アラーナの中で育っていた恋心がアルベルトを苦しめるくらいならば、こんなものはなくなってしまえばいい。そう思うアラーナだったが、今日だけはアルベルトを想って悲鳴を上げる恋心を慰めるために泣いてしまおうと決めた。


 シエラが聞いた話によると、マリーナに閨の作法を教えるために向ったリシェール・バルサムは、マリーナのことを好きになってしまい、どうにかして自分のものに出来ないかとマリーナのこと、アレント伯爵家のことを調べたのだそうだ。そこで知ったマリーナの母の実家、クライベル侯爵家のこととアルベルトの母のことに気付いたらしい。
 マリーナには、王の妃になるための試練だと、とある町の救護院の建て直しをするように言い、その手伝いをしながら自分のことを見てもらい、好きになってもらおうと画策したらしい。

 アルベルトには、本当のことを書いた手紙を残したというのだがその手紙は見つかっていない。多分カシュー・ソダイあたりが証拠隠滅したのだろうとシエラは思った。前王陛下をこよなく敬愛していた宰相カシュー・ソダイなら、前王陛下の願いを叶えるためにそれくらいやりそうだからだ。
 アラーナを眠らせて女官長に預けたのは、自分がマリーナを浚うための時間が欲しかったからだそうで、まさかその晩にアラーナの元にアルベルトが渡るとは、慣例を鑑みても思わなかったそうだ。
 とある町は、王都からかなり遠方にあり、王城のことは聞こえてこなかった。
 慰問のためにリシェール・バルサムが呼んだ吟遊詩人が『王と王妃の恋物語』という詩を歌わなければ、今もリシェール・バルサムは嬉々として救護院のために働いていただろう。

 新緑の緑の瞳、胡桃色の髪をそっと撫でる……と何だか知っているような少女を歌った吟遊詩人の胸元を掴み上げ、リシェール・バルサムがアラーナとアルベルトのことを知ったのは三日前である。二日間馬をとばし、アルベルトのために王城に駆け込んだリシェール・バルサムだった。
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