騎士様、お菓子でなんとか勘弁してください

東院さち

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孤児院

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 小麦とバター。卵と砂糖を持てる分だけ持ってラズは部屋を出た。
 ラズが仮住まいをしているのはエカテおばさんの部屋だ。エカテおばさんは寮監が家族と住める部屋に住んでいる。その家族が住む部屋を一つ、ラズに貸してくれているのだった。旦那様のジャックさんは簡単な庭の手入れや(本格的なのは本職がいる)修繕などを担当しているそうだ。子供はいないのだそうだ。
 朝の食事はエカテおばさんの心遣いで一緒に食べさせてもらっている。昼と夜は職場か持ち帰りで食べているので前の職場より食費が浮いている。料理長直属の部下だからか下級使用人のときとは比べものにならない給料をもらえて心苦しいけれどありがたかった。

「ラズさん、今日はお休みなのでしょう?」

 早くから荷物を抱えて出かけようとするラズにエカテおばさんが声をかける。

「はい、今日は孤児院でクッキーを作る日なんです。できたてを持って帰りますね」
「そうなのね。仕事でないなら食事は用意しておきましょうか?」

 細かいところまで気遣ってくれるエカテおばさんに「いえ、今日は街に出ようと思っています」と返事をした。街にでて買い物をしようと思っていた。忙しすぎてラズは就職してから孤児院へ帰るのが精一杯だったから最低限必要なものしか揃っていなかった。

「楽しんでいってらっしゃい」

 手を振って見送ってくれたエカテおばさんにはクッキーだけでなく何か他のものも作ってこようと思いながら手を振りかえした。


 乗り合いの馬車に途中まで乗って、王都の端にある孤児院まで歩いた。大きな建物は大昔貴族が寄付したもので、年季さえ気にしなければ石造りで頑丈だ。月日の流れを感じるツタや、修繕しなければならない屋根の穴などさえ気にしなければ良い場所だった。森も近いから恵みも多い。

「ユーリ兄ちゃん!」

 子供達が裏門からラズが入ってきたのを見て集まってきた。

「皆元気そうだな」
「先週はどうしたの?」
「仕事が入って帰れなかったんだ。それと。俺はユーリじゃなくて……」
「ラズ兄ちゃん!」

 よく言えたと褒めて、荷物を何人かに分けて渡した。

「うわぁ、よく持って来られたね。兄ちゃん意外と力持ちなんだな」
「ハハッ、肩が抜けそうだったけどな」

 バザーの行われる正面の庭や建物はシスター達が暮らしている神殿だ。その裏にある建物が孤児院で、世話をする人間もいれて二十人ほどが暮らしている。

「ラズ兄ちゃん、院長先生が呼んでる」
「そっか、皆はどうだ? あまり来られなくて悪かったな。サイがしっかりしてるから心配してなかったけど」
「……兄ちゃんのほうがヤバそうだったもんな」
 
 観察力のある弟分に尋ねると心配そうな顔を向けられた。

「職場が変わったんだ。これからは毎週帰れるよ」
「目の下の隈もなくなってるし、なんか元気そう。帰ってきてくれるのは嬉しいけど無理しなくていいよ」
 
 孤児院から卒院していった数々の兄弟達が遠ざかっていくことを知っているからサイは少し寂しそうに笑う

「お前達の顔をみてると元気になるんだよ。無理じゃない」

 サイははにかむように笑ってラズの手をとった。

「へへっ、今日はクッキー作るんだろう。俺も手伝う」
「サイは器用だから、頼もしいな。俺は先に院長先生のところに行ってくるな」
「うん、準備して待ってるから」

 信頼してくれる弟分の顔をみているとそれだけで癒された。

 ここに来るのは慣れないから緊張すると思いながら、ラズは院長室の扉を叩いた。

「ラズです」
「入りなさい」

 十年前から変わらぬ姿の院長だ。ラズが母と死にそうになっていたのを助けてくれたのは彼女だった。眼鏡の奥の青い目は鋭く、髪は銀髪なのか白髪なのかわからない。歳は母よりは上だと思うが確かめたことはなかった。
 ラズの新しい名前をつけてくれたのも院長だった。

『城に……ですか?』

 ラズは父親に会ってしまうことを怖れて城の勤務は断りたかった。皆と同じように街で仕事をするのだと思っていたのに、院長は親指と人差し指で丸をつくって話を進めた。

『給金がいいのです。いいですか、ユーリ。お金は大事です。稼げるときに稼がなくてどうするのです。あなたは魔法を使えるのですから、街で職につくよりよほど稼げるでしょう』

 俗物め……と声に出さずに唸った。
 確かに街では見習いから始めることになるから給金はあってないようなものだ。なんでもそれなりにはこなせるから金を稼ぐなら城のほうがいいのは確かだ。

『でも……』
『屋根の修理……去年増えた子供達の食事……』

 院長が指折り数えて四本目で折れた。

『せめて名前を変えたいです』

 捨てられた伯爵の息子かと疑念を持たれた時、ユーリではユーリアスと一瞬でばれてしまうだろう。下級使用人に身をやつした息子を見ても、父が自分の子供とわかるとも思えないけれど。

『名前ね……。よし、ラズベリー・マフィンでどうだ?』
『偽名感溢れる名前じゃないですか。怪しすぎますよ』

 怪しんでくださいと言っているようなものだ。

『そうかねぇ、ラズ……でどうかね』

 ラズ・マフィン。それもどうかと思ったけれど、孤児につける名前ならそれくらいの方が良い。
 ユーリアスの名前は捨てて、ラズ・マフィンとして生きると決めたのは春のまだ寒い頃だった。

「ただいま帰りました」
「お疲れ様、ラズ。色々と聞きたいことがあるのだけど」

 その彼女が見たこともないほど困惑しているように見えた。

「はい」
「騎士団の事務から、孤児院宛に就職の斡旋のようなものが届いたのだけど」
「ええ、団長と副長が後見してくださるそうです。騎士にはなれませんし、危ない仕事だけではないらしいので。俺も食堂に転職しましたが、いいところです」
 
 あの変態……もとい、アーサー様にさえ目をつけられなければ、問題がないはずだ。

「……団長と副長……。凄いね、ラズ。早速虜にしたのかい?」
「は?」
「いやぁ、しかし二人かい。身体を壊さないようにしておくれ」
「あんた頭大丈夫か!」

 ラズは心の中で叫んだつもりだったが、声に出してしまっていた。慌てて口元を押さえたが出たものは戻らない。
 院長がニヤニヤ笑っているのを見て、ラズは『本当に聖職者か』と疑問の目を向けながら、扉が壊れない程度に乱暴に閉めて出ていった。

 


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