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椿館の幽霊 5
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「クリストファー、着替えていい?」
「構わないが……」
「ついてきて欲しいんだ」
着替えてから、居間の窓の横にある突起を押すと小さな隠し扉が開いた。皆が驚いている中、セシリーだけはホッとしたように息を吐いた。
「お前は知っていたのかい? ここに隠し扉があることを」
夫であるネイトの質問に、セシリーは頷いた。
「王太后様から、ここを預かるときに言われました。ここには、昔の王様のお妃様のとても大事なものがあると。王太后様は、そのお妃様の日記をたまたま読んだことがあって、知ったそうです」
「ミーリアのか? 母上は、ここに幽霊が出ることも知っていたのか?」
「いいえ、幽霊は今まで聞いたことがありません。ただ、この本をどうしていいのかわからないからそのままにしておいて欲しいと言われました」
「本をね。元の持ち主に返して欲しいとお願いされたんだ」
俺の言葉に、セシリーは深く頷いた。
とても古い本なのに、色あせていない。何の本だろうと思って表紙を開けて、それが神殿のものだと気付いた。
「これ、星見の本だ……」
「陛下からのプレゼントではなかったの? なら、どうして――」
悪いと思ったのか、ミーリアはセシリーにのり移ったようだった。
「セシリー!!」
ネイトが、妻の声でないと気付いて驚愕する。
「大丈夫だよ、ネイト」
「ですが!」
「私は正気ですよ。ネイト、安心してください」
誰の耳にも、セシリーのものに聞こえた。
「シージィンは、どうして。そんな大切なものなら返して欲しかったでしょうに……」
俺は、わかるような気がする。勝手な、推測でしかないけれど。星見になりたかった俺と、星見だったシージィン。孤独を知っていたというのがミーリアの勘違いでなければ、きっと。
「ホッとしたんだと思うよ。星見である自分を捨てても、どうしてもこの本を捨てることは出来なかったのだとしたら、その未練を断ち切ってくれて……」
「でも探していたわ」
「大事だったとは思うよ。でも、ミーリアが盗ったと思っていても訊ねなかったのなら、それはもう運命だと思ったんじゃないかな」
勝手な憶測かもしれない。でも、そんな気がした。
「私、正直に話して謝れば良かったわ……」
「ミーリア……」
「あ……、でも迎えに来てくれたわ……。見える? とても素敵な人でしょう?」
俺には見えなかった。でも、ミーリアの声が嬉しそうに弾んで安心した。後悔と執着で地上に留まっていたミーリアの想いが消えたから、迎えに来てくれたのだろう。
「ごめんなさいね。本は、あなたが持っていて――、そうシージィンが言ってるわ。ごめんなさい、あなたたちの大事な人に酷いことして……」
ミーリアの声は、それから聞こえることはなかった。きっと迎えに来たシージィンと天国にいってしまったのだろう。ミーリアが喜んでいるから気にしなくてもいいのだろうけど、王様が迎えに来てくれてもいいのに。
紅茶を用意してくれるマリエル以外は、皆、椅子に座って疲れたように肩を落とした。
「甘いものをどうぞ」
王都から持ってきたお菓子を出したら、セシリーが懐かしいと喜んでくれた。
「しかし、とんだ出来事でしたな……」
「ああ、幽霊なんて城以外にもいたんだな」
「え、クリストファー。見たことあるんですか?」
「おや、妃殿下は見たことがなかったのですかな」
「ネイト、妃殿下でなく、ルーファスと呼んで欲しい」
相好を崩すネイトに、クリストファーの冷たい視線が飛んだ。
「ルーファスは、妃殿下と呼ばれるのが苦手なんだ」
「わかりました。ですが、殿下がそんな目で睨むようになるなんて、いやはや、年はとるものですなぁ」
ネイトは、クリストファーの教育係だったというが、初めて嫉妬しているクリストファーを見たと言った。憮然としたクリストファーの前で、何故か紅茶のカップで乾杯する夫婦だった。
「しかし、これで憂いなく休暇を過ごせますな」
「ああ、折角だからこの近辺だけでもルーファスに見せたい。湖で釣りをしてもいいし、森で猟をしてもいい。ここの露天風呂もいいが、あちこちに湧いている天然の露天風呂に行ってもいいな……」
「釣り! 海でしかしたことがないです」
「そうか、なら明日は釣りだな」
「今日は?」
てっきり今日の予定を決めていると思っていた。
「今日は露天風呂で、イチャイチャする――」
クリストファーの口から、イチャイチャ……なんて似合わないんだろう。
「殿下、それは少しあからさま過ぎるのでは……」
「何だネイト。お前はいつも愛するものには、装飾などで誤魔化さず、真実をありのまま伝えろと言っていたではないか」
「そ、そうでしたな。ははは……。セシリー、お邪魔のようだから戻ろうか」
「殿下、あまりルーファス様に無理をしてはいけませんよ。あまりしつこい殿方は、嫌われてしまいますからね」
ネイトが申し訳なさそうに俺に頭を下げた。セシリーは、まるでお義母様のようなことを言って、部屋を出て行った。
「ルーファス。来てくれ」
二人をからかう様子だった先程とは打ってかわって、クリストファーは真剣な声で俺を呼んだ。側に寄った俺の腰を椅子に座ったまま抱きしめる。上から見える旋毛が可愛いといったら、怒るだろうな。
「ルーファス……」
らしくないクリストファーの様子に、どうしようかと悩む。
明日の釣りは、無理かな……。
クリストファーの口から、違う人の声が聞こえたとしたら、俺は多分恐怖する。失ったと思ったら、それは耐えがたい。
扉が開く音がして、マリエルが気を利かせて出て行ったのだと気付いた。
「ね、イチャイチャするんでしょう?」
膝に座り、クリストファーの耳を軽く食んだ。ピクッと反応したクリストファーに、耳が弱いんだと気付いた。
「ルーファス? 本当にルーファスか?」
弱っているようなクリストファーを癒やしたいと思っただけなんだけど、普段しないことをしてしまって、不安をかき立てしまったのだろうか。
「俺があなたにしてあげたいって思ったら、変ですか?」
唇を寄せ、クリストファーに触れた。引き結ばれていた唇が、俺を誘うように開く。
いつも与えられるものを享受するだけで一杯一杯だから、出来るかどうかわからないけれど。俺の感じるのは、奥の方で、舌を伸ばして刺激してみた。ピクリとクリストファーの俺を抱いている手が震えた。
クリストファーも感じるんだ……。
どこが良くて、どこが好きじゃないのかと一つずつ知ることは、こんなに楽しいことなのだ。
「ん……ルーファス――」
飲み込めなかった唾液を手で拭い、クリストファーは俺を抱き上げた。
「え?」
「積極的なのもいいが、やはりお前は蕩けているほうがいい」
「構わないが……」
「ついてきて欲しいんだ」
着替えてから、居間の窓の横にある突起を押すと小さな隠し扉が開いた。皆が驚いている中、セシリーだけはホッとしたように息を吐いた。
「お前は知っていたのかい? ここに隠し扉があることを」
夫であるネイトの質問に、セシリーは頷いた。
「王太后様から、ここを預かるときに言われました。ここには、昔の王様のお妃様のとても大事なものがあると。王太后様は、そのお妃様の日記をたまたま読んだことがあって、知ったそうです」
「ミーリアのか? 母上は、ここに幽霊が出ることも知っていたのか?」
「いいえ、幽霊は今まで聞いたことがありません。ただ、この本をどうしていいのかわからないからそのままにしておいて欲しいと言われました」
「本をね。元の持ち主に返して欲しいとお願いされたんだ」
俺の言葉に、セシリーは深く頷いた。
とても古い本なのに、色あせていない。何の本だろうと思って表紙を開けて、それが神殿のものだと気付いた。
「これ、星見の本だ……」
「陛下からのプレゼントではなかったの? なら、どうして――」
悪いと思ったのか、ミーリアはセシリーにのり移ったようだった。
「セシリー!!」
ネイトが、妻の声でないと気付いて驚愕する。
「大丈夫だよ、ネイト」
「ですが!」
「私は正気ですよ。ネイト、安心してください」
誰の耳にも、セシリーのものに聞こえた。
「シージィンは、どうして。そんな大切なものなら返して欲しかったでしょうに……」
俺は、わかるような気がする。勝手な、推測でしかないけれど。星見になりたかった俺と、星見だったシージィン。孤独を知っていたというのがミーリアの勘違いでなければ、きっと。
「ホッとしたんだと思うよ。星見である自分を捨てても、どうしてもこの本を捨てることは出来なかったのだとしたら、その未練を断ち切ってくれて……」
「でも探していたわ」
「大事だったとは思うよ。でも、ミーリアが盗ったと思っていても訊ねなかったのなら、それはもう運命だと思ったんじゃないかな」
勝手な憶測かもしれない。でも、そんな気がした。
「私、正直に話して謝れば良かったわ……」
「ミーリア……」
「あ……、でも迎えに来てくれたわ……。見える? とても素敵な人でしょう?」
俺には見えなかった。でも、ミーリアの声が嬉しそうに弾んで安心した。後悔と執着で地上に留まっていたミーリアの想いが消えたから、迎えに来てくれたのだろう。
「ごめんなさいね。本は、あなたが持っていて――、そうシージィンが言ってるわ。ごめんなさい、あなたたちの大事な人に酷いことして……」
ミーリアの声は、それから聞こえることはなかった。きっと迎えに来たシージィンと天国にいってしまったのだろう。ミーリアが喜んでいるから気にしなくてもいいのだろうけど、王様が迎えに来てくれてもいいのに。
紅茶を用意してくれるマリエル以外は、皆、椅子に座って疲れたように肩を落とした。
「甘いものをどうぞ」
王都から持ってきたお菓子を出したら、セシリーが懐かしいと喜んでくれた。
「しかし、とんだ出来事でしたな……」
「ああ、幽霊なんて城以外にもいたんだな」
「え、クリストファー。見たことあるんですか?」
「おや、妃殿下は見たことがなかったのですかな」
「ネイト、妃殿下でなく、ルーファスと呼んで欲しい」
相好を崩すネイトに、クリストファーの冷たい視線が飛んだ。
「ルーファスは、妃殿下と呼ばれるのが苦手なんだ」
「わかりました。ですが、殿下がそんな目で睨むようになるなんて、いやはや、年はとるものですなぁ」
ネイトは、クリストファーの教育係だったというが、初めて嫉妬しているクリストファーを見たと言った。憮然としたクリストファーの前で、何故か紅茶のカップで乾杯する夫婦だった。
「しかし、これで憂いなく休暇を過ごせますな」
「ああ、折角だからこの近辺だけでもルーファスに見せたい。湖で釣りをしてもいいし、森で猟をしてもいい。ここの露天風呂もいいが、あちこちに湧いている天然の露天風呂に行ってもいいな……」
「釣り! 海でしかしたことがないです」
「そうか、なら明日は釣りだな」
「今日は?」
てっきり今日の予定を決めていると思っていた。
「今日は露天風呂で、イチャイチャする――」
クリストファーの口から、イチャイチャ……なんて似合わないんだろう。
「殿下、それは少しあからさま過ぎるのでは……」
「何だネイト。お前はいつも愛するものには、装飾などで誤魔化さず、真実をありのまま伝えろと言っていたではないか」
「そ、そうでしたな。ははは……。セシリー、お邪魔のようだから戻ろうか」
「殿下、あまりルーファス様に無理をしてはいけませんよ。あまりしつこい殿方は、嫌われてしまいますからね」
ネイトが申し訳なさそうに俺に頭を下げた。セシリーは、まるでお義母様のようなことを言って、部屋を出て行った。
「ルーファス。来てくれ」
二人をからかう様子だった先程とは打ってかわって、クリストファーは真剣な声で俺を呼んだ。側に寄った俺の腰を椅子に座ったまま抱きしめる。上から見える旋毛が可愛いといったら、怒るだろうな。
「ルーファス……」
らしくないクリストファーの様子に、どうしようかと悩む。
明日の釣りは、無理かな……。
クリストファーの口から、違う人の声が聞こえたとしたら、俺は多分恐怖する。失ったと思ったら、それは耐えがたい。
扉が開く音がして、マリエルが気を利かせて出て行ったのだと気付いた。
「ね、イチャイチャするんでしょう?」
膝に座り、クリストファーの耳を軽く食んだ。ピクッと反応したクリストファーに、耳が弱いんだと気付いた。
「ルーファス? 本当にルーファスか?」
弱っているようなクリストファーを癒やしたいと思っただけなんだけど、普段しないことをしてしまって、不安をかき立てしまったのだろうか。
「俺があなたにしてあげたいって思ったら、変ですか?」
唇を寄せ、クリストファーに触れた。引き結ばれていた唇が、俺を誘うように開く。
いつも与えられるものを享受するだけで一杯一杯だから、出来るかどうかわからないけれど。俺の感じるのは、奥の方で、舌を伸ばして刺激してみた。ピクリとクリストファーの俺を抱いている手が震えた。
クリストファーも感じるんだ……。
どこが良くて、どこが好きじゃないのかと一つずつ知ることは、こんなに楽しいことなのだ。
「ん……ルーファス――」
飲み込めなかった唾液を手で拭い、クリストファーは俺を抱き上げた。
「え?」
「積極的なのもいいが、やはりお前は蕩けているほうがいい」
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