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椿館の幽霊 1

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 雪が溶け、少し春らしくなってきた頃、クリストファーが珍しく長い休みをとった。タイミング良く高等学院も長期休暇に入るので、二人でクリストファーの領地であるメイベルに行くことになった。メイベルは温泉地だから、クリストファーが身体を休めるのに選ぶのは当然と思える場所だった。
 馬車を途中の街で乗り換えた。車輪でなく、ソリになっていて、軽快に雪の中を進んでいった。

「クリストファー、鹿がいます。あ、狐も……」
「ルーファス、少し落ち着け」

 うさぎもいる……。

「ククッ、そんなに楽しいか?」
「ええ。王都じゃ野生の動物ってあまりみませんよ」

 飼われた動物は沢山いるけれど、こんな風に自由に暮らしているのをみると、気分が浮かれてしまう。

「遠くまできて、疲れていないか?」
「全然疲れてません。クリストファーは? 昨日も遅かったから、眠いですか?」

 クリストファーの仕事は、外交が大半だけど、突然起きた災害や軍事の指揮なども任されることがある。だから、休暇が突然なくなることも多々あるのだ。不測の事態に備えて勉強だってしているし。
 王弟の名前が付けられた『張りぼての人形だ』と、笑いながら言うけれど、ただの人形でないことは、知っている。クリストファーは、派手な髪と顔だから誤解されがちだけれど、仕事に関してとても真摯だ。妥協もしないし、させない。だから、大変な仕事ほど、クリストファーは関わることになるのだ。

「そうだな、少しだけ眠い――」

 弱音らしきものをほとんど吐かないクリストファーだから、そう言ってくれると嬉しい。

「肩かしてあげますから寝てていいですよ」
「窓の外を見られないんじゃないか?」

 そういいながら、俺の肩に頭を乗せたクリストファーの頭に頬をつけると鼻孔に、いい匂いがした。柔らかい髪を撫でると、幸せな気分になる。

「ルーファス、それ、気持ちがいい」

 撫でる手が気にいったみたいで、眠りそうな声でそう告げられた。
 たまにしか得られない休みが楽しみで、実は俺もあまり寝てなくて、気がつくと支え合って眠っていた。
 到着の声に目が醒めて、二人で痛む首を回しながら笑いあった。
 夕方に着いたから、丘の向こうに見える山並みが薄紫に染まっていた。春が近いとはいえ、北は日暮れが早い。

「寒くないか?」
「大丈夫です」

 馬車から降りると、雪が積もっていた。風はないからそれほど寒くないけれど、もう陽が陰っているから、これから冷えそうだ。

「殿下、お帰りなさいませ。妃殿下、いらっしゃいませ。お待ち申し上げておりました」

 馬車が到着すると、沢山の人が出迎えに並んでいた。多少慣れたとはいえ、この雪の積もっている中驚いた。館はそれほど使っていないはずなのに、こんなに沢山の人が仕えているのだろうか。

「ネイト、久しぶりだ。皆にも世話になる。ルーファス、こっちがネイト・アップルトン。私が小さい頃から城で教育係を務めていてくれた人で、私が成人した後はここの管理を任せている。隣は奥方のセシリー。同じように城で母に仕えてくれていた」
「ルーファスです。お世話になります」

 ネイトは、キリッとした顔立ちに、立ち姿も隙がない初老の紳士だった。クリストファーの教育係……なら、折りをみて、小さい頃の話なんか聞かせてもらえるかもしれない。セシリーは、あのお義母様に仕えていたのだとしたら優しげなのは見た目だけかも知れない。きっと凄い貴婦人なのだろう。

「ネイトです。殿下のお妃様にお会い出来るのを楽しみにしておりました」
「ルーファス、こっちだ――」
「あ、よろしくお願いします……」

 クリストファーが引っ張るから、挨拶が出来なかったけれど、二人は温かい目で微笑んでいた。

「クリストファー。途中だったのに……」
「構わん。自分の家だぞ」
「家に帰っても挨拶しますよ」

 クリストファーは、なおも手を引っ張り歩く。後ろからマリエルと侍女が慌てて着いてくるのが見えた。
 今回は、エルフランは城に残った。どうしても仕事の都合がつかなくて、残念がっていた。マリエルとアルジェイドは、ついてきてくれているが、マオは待機組で非常に悔しがっていた。きっとメイベル特有の料理でも知りたかったのだろう。何かお土産でも買っていってやろう。
 どうしても王弟であるクリストファーの移動となると護衛の数は多くなるから、世話をする館の人達も大変だろうなと思った疑問は、クリストファーが答えてくれた。

「館自体にはそれほど人はおいていないんだ。普段も村の人間が、通って維持している。こうして人員がいるときには、ほとんどの村人が館の仕事を請け負ってくれている。村人の結束は固いから、余所の人間が紛れ込むことも少ないから安全だ。それもあって、館自体を街のほうではなく、村の方に作っているんだ」

 途中、それほど遠くない場所に街があった。そちらのほうが便利だなと思ったけれど、そういう理由なのかと合点がいった。

「ここだ――」

 クリストファーが、開けた扉の向こうには、雪の中に湯煙が立ち上った岩風呂がありました。
「温泉?」
「そうだ。雪の中で入る温泉は、たまらなく気持ちいいぞ。お前と入るのが楽しみだ」

 どうだと嬉しそうなクリストファーの顔が、あまりに誇らしげで思わず笑ってしまった。
「何がおかしいんだ?」

 お腹を押さえて、止まらない笑いに苦労していると、クリストファーがやや憮然と訊ねてくる。

「いや、だって……。凄いけど、凄いですけど……」

 どんなにお風呂が好きなんだって思うでしょう。知ってるけど。

「……雪見酒……とか出来るんだが、お前は禁止だな」
「ええっ! 雪見酒って、雪を見ながら温泉に入ってお酒を飲むんですか?」

 飲めないけれど、お酒が好きな俺にはたまらなく楽しいことに思えた。

「酔いが回りやすいから、お前はジュースだ」
「ごめん、ごめんなさい! 笑って、すみませんでした!」
「そんなに飲みたいのか。薄めて、少しだけだぞ……」
「わぁ。嬉しい!」

 俺の頭をポンポンと叩いて、「不憫だな」とクリストファーが呟いた。
 飲めない人のことを下戸というのだそうだ。そんな人間でも少しずつ慣れれば、飲めるようになるというのだけど、俺はどうも体質的に駄目のようで、クリストファーが心配するのもわかるのだ。
 でも少しでも飲むと、楽しい気分になって、ウキウキするからもう少し飲めるようになりたいなぁ。

「私はネイトと少し話をしてくるから、館内なら探索してもいいぞ」
「子供じゃ……」
「なら部屋で休んでいても」
「いえ、探索してきます」

 笑うクリストファーを見送って、俺はアルジェイドと一緒に館を探索することにした。

「楽しそうですわね。私も行きたいですわ。とはいえ、片付けがございますから、楽しんできてくださいませ」
「素敵なところがあったら教えるよ。ジェイドに案内してもらってね」

 マリエルもアルジェイドも仕事が忙しくてあまり出かけたりしていないようなので、折角の機会だしゆっくりしてほしい。

「ありがとうございます」

 マリエルでなく、アルジェイドがそう言ったから、乗り気のようだ。

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