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東院さち

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ウーグ国の王太子夫妻 前編

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 「ルーファス、今日はウーグの王太子夫妻を歓迎する。夜の舞踏会はお前も私の横にいるように――」

 朝の食事時、デザートの真っ赤に色付いたさくらんぼを食べているルーファスは、少し目を見開き、嬉しそうに頷いた。
 結婚してから一月。ルーファスは、高等学院にも通い始め、毎日楽しそうにしている。学業を優先するように言われているから公務のほとんどは、私のパートナーとして隣国の王族がやってきたときに顔を見せるくらいだ。
 ゴクンとさくらんぼを飲み込んだ後、目をキラキラさせて話し始めたルーファスが、さくらんぼよりも美味しそうに見えるのは、新婚だから仕方がないことだろう。

「羊が沢山いる国ですよね。一騎当千の騎馬隊がいるんですよね。それに家が移動式だとか聞きましたが、そのウーグですか」
「ああ、よく知っているな――」

 ウーグは、一応隣の国ではあるけれど、間に砂漠と草原が広がっている上に、首都が遠いので、あまりカザス国ではメジャーな国ではない。

「一度行ってみたいと思っていた国なんです。近隣諸国と文化が違いすぎたのに、今の国王様になってからジグラート教に改宗して生活様式も変わってきたとか」
「一度行ったことがあるが、確かに生活は違いすぎるな」
「ええ! いいなぁ。クリス様がいった……」

 喋っているところを突然口付けると、ルーファスの頬がさくらんぼのように赤らんだ。
 自分で、気付いたようだ。

「クリス様じゃないだろう?」
「ク、クリストファー……。ごめんなさい」

 一月も経つというのに、クリストファーと呼び捨てにすることは慣れないらしい。その度に口付けが出来るから私としては、文句はないのだが。

「お前も行ってみたいか?」
「ええ、行ってみたいです――。砂漠もあるんですよね」
「砂漠など、熱くて寒いだけだが……」
「月明かりの下の砂漠って綺麗ですよね……」

 母上のお妃教育は、情緒まで育てたのかと驚いた。月明かりの下で私を誘うルーファスを想像して、朝から元気になってしまいそうだ。薄衣のみを肌にまとったルーファスを砂の上に組み敷いて……。

「ルーファス……」
「星がよく見えそうでしょ――? 今の時期のカザスは、星見するには雲が多すぎて――」

 ああっ、ルーファス。爽やかに笑うお前は、ぶれない男だ。鈍感で、そういうところも嫌いじゃない。が、私の妄想をこんなに膨らませて、どうする気だ。

「クリストファー、どうしたんですか? あ、ほら、お水飲んでください」

 思わず噴きだして笑ってしまい、気管に唾が入ってしまった。咽せる私の背中を叩き、水を差し出すルーファスは、私の妄想など気づきもしない。
 砂漠に連れて行かれた後、どうなるかなど。いっそ、オアシスに閉じ込めてしまおうか。私の他に誰もいない砂漠の真ん中で、愛を一身に受けて小鳥のように啼けばいい。

 ルーファスには、私の妄想を育てた償いをしてもらおうと、そう決めた。
 いつになるかはわからないが、楽しみだ――。

「あっ、クリストファー……。うっん……っ、果物は自分で食べてくだ……さい」
 再びさくらんぼを食べ始めたルーファスに先払いとばかりに口付けた。
 甘く、柔らかな果肉を噛んだつもりが、舌だったようだ。ルーファスは、身体をビクッと震わせた。
 私は、ルーファスを食べているんじゃない。果物を食べているんだ。瑞々しく、甘い、いい匂いのする旬の果物を。

「はい、クリス様。大変申し訳ないのですが、時間です」

 いつの間に来たのか、エルフランの声が私を止めた。

「無粋なやつだ」
「さくらんぼのような顔で、ルーファス様が高等学院に行かれるのをお望みなら、止めませんが……」

 私を突き飛ばすように逃げ出したルーファスの顔は、確かにさくらんぼのように熟れていた。

「冷水、浴びてから行きます……」

 頬の熱さを確かめるように頬に手を添えたルーファスは、確かに誰が見ても極上のデザートだった。

「すまない……」

 私が謝ると、ルーファスは項垂れた。

「いえ、俺がすぐ赤くなるから悪いんです……」

 落ち込むルーファスの頬に軽く口付ける。

「悪くない。愛している――」

 そう、悪いのは私だ。こうなるとわかっているのに、自制出来ない私が一番悪いのだ。
 いつものように反省しながら、部屋を出た。
 ウーグの王太子夫妻が城に到着するのは、昼過ぎだ。それまでに最終確認をする必要があった。今回二人がやってくるのは、親善もあるが、両国の間にある砂漠と草原に商人達が寄れる場所を作るという決め事を確約とするためだ。

***

 ウーグの王太子夫妻は、共に武人だという。ウーグは、男も女もなく、強いものが戦うのだそうだ。武器となる長剣は預かっているが、ウーグの武人は、馬でさえ片手で倒せるという力の持ち主らしい。剣を預かったところで、どうなるものでもないとは思うが。
 ルーファスは、異国の衣装に身を包んだエナ妃に興味を惹かれたようだ。別に、異性として意識しているわけではなく、書物が大好きなルーファスの知的好奇心をいたく刺激したのだろう。
 最初に私とダンスを踊り、席に戻った後は、ずっとエナ妃殿下とエシュワード王太子の話に耳を傾けている。
 今日の舞踏会は、堅苦しいものではなく、両国間の親交を目的としている。国王がもてなすのではなく、以前世話になったことのある私が招いたことになっている。だからルーファスを同席させたのだが、二人もルーファスの好奇心に嫌な顔はしなかった。緑の瞳は、異国への憧れで輝いていて、こんな顔をした人間を嫌うのは、余程の偏屈しかいないだろう。
 ウーグの頭に巻いた布は、模様と色が美しい。基本、この布を解いた姿は家族以外には見せてはいけないのだそうだ。

「綺麗ですね、模様は沢山あるんですか?」
「ええ、家系に伝わる独特の模様もあるのよ。皆、布は大事にしているから昔の布を出してきたら、どの家と婚姻があったかわかるの」
「エナ様の巻いているのは、お家の(実家の)模様ですか?」
「ええ、そう。お母様が結婚するときに持たせてくれたものよ。勿論、エシュワードの家の模様は腰に巻いているわ」

 エナ妃殿下は、ルーファスを気にいったのか自分の首に巻いていたものを差し出した。

「クリストファー殿下、これは私の実家の文様なのだけど、ルーファス様にプレゼントしてもいいかしら?」
「ええ、勿論。ありがとうございます」
「エナ様、よろしいのですか?」
「あなたは文化に興味があるようだから。今度クリストファー殿下と我が国にいらっしゃい」
「ありがとうございます」

 エナ妃殿下は、何度かカザスに訪れていたが、特に誰かを気にとめることはなかった。こんな饒舌な彼女を初めて見た。ルーファスのことは気にいったようだ。

「巻いて差し上げよう」

 今日のルーファスの装いは、黒地に銀の刺繍をしている服なので、赤い布を頭に巻いたら似合うだろう。エシュワード王太子は立ち上がり、間にいるエナ妃の前を通りルーファスの前に立った。四人はソファに横並びに並んでいた。ルーファスも立ち上がり、エシュワード王太子が巻きやすいように頭を差し出した。ササッと簡単にその布を巻き付けたが、これは引っ張っても中々外れないのだ。

「ありがとうございます」
「エシュワード! それは女結びだ――」
「でもこちらのほうが似合うだろう。ほら、こんなに……可愛い――」

 まさか、妻を連れているのに、他に手を出すとは思っていなかった。女結びだと言われて戸惑うルーファスに、エシュワード王太子は、戯れるように口付けた。

「エシュワード!」
「エシュワード王太子!」

 エナ妃殿下と私の声にルーファスはハッと事態に気付いて、エシュワード王太子から私の方に逃げた。
 私は、その男が私の招待客だとか、よその国の王太子だとかそんなことは頭になかった。勢いで立ちあがり、殴ろうと手を上げたところで、エシュワード王太子は跳んでいった。そう、跳んでソファの前に置いていた低いテーブルの上のものを、なぎ倒しながら端から落ちて止まった。

「節操のない男だ――。私の前で私の友人によくも手を出したな」

 私の胸くらいまでしかない身長のエナ妃殿下は、自分の夫を蹴り飛ばしたことに気負うようでもなく、唾棄するように言った。そういえば、布を送るのは友人への最高の贈り物だと聞いたことがあった。
 いや、驚嘆するべきは、その脚力だろう。馬を倒すといったのは、誇張ではないようだった。

「ゲホッ、エナ、今まで俺が誰に口付けても、怒ったことなどないだろう」

 駄目な男だ、この王太子は。

「私の友人に手を出したことに怒っている。お前が誰といちゃつこうが構わんが、それが意に沿ったものでないことも許しがたい」

 エナ妃殿下のほうが、立場が上なのだろうかと思えるほど、彼女は高貴だった。

「ちょっとくらい妬いてくれても……」

 エシュワード王太子は、フラフラ立ち上がり、エナ妃殿下に文句を言った。ガラス製品も見事に壊れているが、怪我の一つもないのが不思議だ。

「クリストファー殿下、ルーファス様、申し訳ありません。今日はこれで……」

 気遣うような目をルーファスに向けて、彼女は頭を下げた。

「いえ……」

 エシュワード王太子も頑丈そうだから立ち上がっているが、普通なら意識をうしなっていてもおかしくないくらいの衝撃だった。

「お詫びは後日――」
「ごめんね、可愛かったからついつい――」

 両手を合わせて謝るのは、東の方の習わしだ。エナ妃殿下の後ろをついて行く姿は、尻に敷かれているという言葉がぴったりだった。
 こちらの騒動が伝わっていなかった招待客は、騒音に何事かとダンスを止めて、こちらを注視していたが、手を叩くと音楽の演奏が再開された。
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