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不治の病 4
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突然訪れた私を兄夫婦と母は歓迎してくれたが、付き合ってお茶をしている時間はない。クリスティーナに会いに来たというと「珍しい」と母は目を剥いて驚いていた。
「ティーナはまだリーとお喋りしていると思いますわ」
「あの子たちは仲がいいから」
ここで話している時間が惜しくて、私はさっさと踵を返した。
「え、もう行くのか?」
兄が慌てたように言う。
「ルーファスを置いてきているので――」
この状態で、ルーファスがいないことがおかしいとやっと気付いたのか、心配そうに義姉が私を見つめる。
「少し、聞きたいことがあるだけです」
止められるのは御免だから、それだけ告げてやっと私は部屋を出ることが出来たが、義姉もついてきた。
「ルーファがどうかしたの?」
私が動くのがルーファスのためだとわかっている義姉は、心配だったのだろう。
「泣いているんです」
流石に私を淫らに誘ってくるとは言えない。
「もう、あの子は大人になったのに」
義姉にとって、ルーファスは子供のようなものなのだろう。責めているような言葉なのに、口調からは愛しさしか見えない。
「理由もいいません。調べてみたら、クリスティーナの部屋から帰って来た後くらいからのようなので、何かあったのか聞きに来たのです」
「ティーナは普段と変わらなかったけれど――」
「人は、悪意だけで傷つくものではないでしょう。クリスティーナがルーファスを虐めたというなら私も簡単なんですけどね」
離宮から放りだして、隣国の年老いた国王の十八番目の妻として送りつけてやるのに――。
私の思っていることは、筒抜けだったようで、酷く冷たい目で見られてしまった。
先導する侍女が扉を開ける。
クリスティーナとリーエントが一緒にソファで本を読んでいた。そして、私の存在に不思議そうに顔を傾げた。
見れば見るほど私にそっくりだ。髪の色も、瞳の色でさえも――。これで女だというのが、私には堪らなく嫌なのだ。
私にこれだけ似ていながら、時間さえ立てば、ルーファスの子供を産むことが出来るようになるというのが虫唾が走るくらい嫌な理由だろう。
「お父様?」
「叔父上――。どうしたんですか?」
どう切り出すか、正直迷った。侍女の言葉を信じるなら、この二人はルーファスに会ってはいないのだ。
ルーファスが泣いて私を誘惑する理由を考えると……。
「お前達、私が浮気しているとか噂してなかったか?」
「え、浮気しているの?」
嬉しそうなクリスティーナの声に沸点が下がる。それを感じとって義姉とアルジェイドが慌てて私の前にでた。
「ティーナ、リーエント、何でもいいから話なさい」
やや困惑気味に母親を見つめるリーエントにも何のことだかわからないのだろう。
「クリスティーナ様、ルーファス様が夕方に貴女に薔薇の鉢植えを持っていったのをご存知ですか?」
「私に――?」
浮き立つような声は、子供とはいえ女のものだ。
「ええ、貴女の髪の色と同じだから贈るんだと言っておりました」
それは、私にくれても良かったんじゃないかと思うが、義姉の目線で私は口には出さなかった。
「じゃあ明日帰ってから、お礼に伺うわね」
「ええ。でもルーファス様は、お会いになれないかもしれません」
アルジェイドの声音は、子供でなくとも不安に思う響きだった。
「何故なの――?」
「ルーファス様は、何があったのかわからないのですが、非常に悲しまれていて、その理由を教えてくださらないのです。明日、瞼が腫れてしまったらクリスティーナ様とはいえ、お会いにはならないでしょう」
ルーファスが、顔の腫れくらいでクリスティーナに会わないとは思えないが、クリスティーナはそれを信じたようだった。
「悲しむようなこと――。お父様が浮気なさったの?」
全ての視線が私に集めるが、断じて私は浮気などしていない。
「するわけがないだろう――。だが、そう思う何かをお前達が話したんじゃないのか? ルーファスは離宮に戻ってくるまでは普通だったという。それから私が帰ってくるまでの僅かの間といえば、お前の部屋にいったことくらいなんだ」
「あっ!」
リーエントが、慌ててクリスティーナの袖を引いた。
「何よ、私たち何もしてないわよ――」
「あれじゃないの? ほら、不治の病……」
そういえば、とクリスティーナの視線がリーエントと交わる。
「何だ――、その不治の病というのは」
「えっと、怒らないでね」
「叔父上が不治の病なんだ……」
私は病なんてしていない。
「性病でね」
ハッと義姉の目とアルジェイドの目が私を射る。疑いに満ちたものだ。
「まて、だれが性病だ――。健康診断はいつも正常だ」
王族には一年に一度しっかりと健康診断を受ける義務があるのだ。
「その……ルーファス様をね、私が慰めるの」
「でもルーファス様はきっと後追いするだろうから、ティーナはそこまでだよねっていう話をバルコニーでしてたんだ」
「そんなことわからないじゃない――」
「後は、ティーナが隣国の国王の十八番目の妻にされそうになってね、それをルーファス様が助けに来てくれる話とか」
「ごっこ遊びというんですって」
騎士ごっことか、お姫様ごっことかそういうもんじゃないのかなと、大人たちは些か疲れたように肩を落とした。
「ルーファス様はそれを聞いて、ショックを受けて泣いておられると……」
「ルーファス様を泣かせるつもりなんてなかったのよ――。子供の他愛無い遊びで……」
それでも悪いと思っているのだろう。オロオロと目線を彷徨わせるクリスティーナに義姉が「明日、謝りにいきましょうね」と囁いた。
「悪意がなければ許されるのか? 私が不治の病だと聞いて、ルーファスがどんな思いをしたかお前達に想像がつくか?」
あのルーファスが酒もなしに、必死に私に縋りついたのだ。性病を患っていると思っている私に抱いてほしいということが、どんな思いから出た言葉か……、想像するだけでいてもたってもいられなくなる。
「ごめんなさい」
二人のことは、もはやどうでもよかった。
「謝るならルーファスにしろ。どちらにしろ、明日は無理だな」
ルーファスを明日は寝台から離せないだろう。傷ついたぶんだけ甘やかしてやろう。
悔しそうなクリスティーナを鼻で嗤って、私は部屋を後にした。
「良かったですね、理由がわかって」
「ああ――アルジェイド、感謝する」
意外そうな目で私を見るが、私だって人に感謝くらいする。とくにルーファスの為ならば。
私の護衛は、直ぐに帰れるようにと建物を出たところに馬車を用意していた。私の顔をみて、先程泣いていた顔をほころばせている。やはりルーファスは、愛されているのだと思うと私の心に嫉妬とは違う誇らしい気持ちが溢れてくるのだった。
「ルーファス様は起きてはこられておりません。原因はつかめたのですね」
私の顔は、それほど安堵を擁しているのかいるのかマリエルもそう言って微笑んだ。
「子供の他愛無い遊びだそうだ。後はアルジェイドに聞いてくれ――。今日はありがとう」
マリエルもやはり驚いたように目を少し瞬かせて夫であるアルジェイドに視線を送る。アルジェイドが頷き、「では失礼いたします」とマリエルを連れて出て行った。
マリエルは、まだ食事をしていないことを侍女から聞いたのだろうか、軽食を用意していた。帰ってきてから直ぐに事に及んでしまったために、私もルーファスも何も食べていなかった。安心したせいか、少しお腹が空いたので、それを持って寝室に入る。
ルーファスが目を醒まさないようにと、真っ暗なままだったが、今日は満月だったせいか部屋の中は薄く月明りが差していた。
何かが動いている――。小さな動きで目の端に止まったのは、寝台の上だった。
よく耳を澄ませば、小さな「ヒックッ」というしゃくりあげるような声だった。
「ルーファス、起きていたのか?」
「クリストファー! 目が醒めたらいなかった……」
声を掛けると、シーツから顔を出してルーファスが私の不在を悲しかったのだと泣く。
「ルーファス――……」
抱きしめたルーファスの身体は熱かった。泣いていたせいだろうかと額に手をあてると、ルーファスは顔を背けて嫌だと拒否をする。
「熱なんかない――」
「ルーファス、声が――」
擦れた声は、泣いていたせいか熱のせいかはわからなかった。
「クリストファー……」
ルーファスは、私にしがみつくと私の唇に自分の唇を寄せてきた。
強請るルーファスの手は強く、私は熱のあるだろうルーファスに口付けた。
「ん・・・んぅ……」
甘えたような声で私を煽るのは、わざとなのだろうか、無意識なのだろうか。
けれど、ルーファスの熱のある身体は、少し長めに口付けるだけで息が上がってしまった。
私の胸にもたれるルーファスの髪を梳きながら、憂いを取り除いてやろうと口を開いた。
「ルーファス、クリスティーナの言っていたことだが……嘘だから……」
「クリストファー?」
「私が不治の病だとか……性病だとか、嘘だからな――」
ルーファスの目が衝撃で見開かれるのをみて、やはりそうだったのかと俺は納得した。
「クリストファー……何でその話を――」
「お前の態度がおかしいから、調べてきた。マリエルに話を聞いて、クリスティーナの侍女に話を聞いて、クリスティーナとリーエントにも聞いてきたよ」
「え……」
「お前は二人の私が不治の病だったらどうするっていうごっこ遊びを聞いてしまったんだ――。明日から二人にはおやつなしの罰かいつもの倍の勉強時間の追加の罰でも受けてもらおうか」
正直温すぎるとは思ったが、ルーファスは甥であるリーエントのこともなさぬ仲のクリスティーナのことも可愛がっている。ルーファスが綺麗で優しく聡明なせいか、アルジェイドとマリエルの子供もダリウスとローレッタの子供達も皆ルーファスに懐いているのだ。纏わりつくという言葉がぴったりなくらい皆が皆ルーファスのことが大好きで、ルーファスのことを独占している私のことをあまり好きではない。私は子供が好きではないから別に構わないのだが――。
「駄目だよ――。ごめんなさい。俺が盗み聞きしたんだ。二人は悪くない――」
私を不治の病、しかも性病に見立ててごっこ遊びなど、悪いことにしか思えないが、ルーファスは思っていた通り二人を許してやってほしいという。
「お前をこんなに泣かせたのに?」
「あ……、安心しちゃって――」
今流れているのは、安堵からの涙だという。
「お前があんな風に誘ってくれたのは嬉しかった。が、本当に性病だったらどうするんだ」
「……ごめんなさい。クリストファーが欲しかったんだ」
私のためではなく、自分のためだったという。
「お前が私のせいで病気になったら、私は自分が許せない」
「俺は、クリストファーが病気を隠していると思ってたんだ。何故教えてくれないのかなって思ったら……悲しくて――」
ルーファスの声は悲痛な色をしていた。
「私は……そうだな。性病はともかく、不治の病だとわかったら、お前には言えないかもしれない」
「なっ、何故? 俺が、信頼にまだ足りてないから――?」
ルーファスが俯くのをもう一度抱きしめると涙の香がした。
「お前を悲しませるとわかっているからな――」
そう言って顔を覗きこむと、うんと頷くルーファスが少し目を閉じた。
「どうした、どこか苦しいのか?」
確実に熱の出ている身体の熱さを感じて、私は訊ねた。
「ううん、少しだけ頭が痛いだけ――」
「あれだけ泣けば……仕方ないだろう。ルーファス、口に物は入りそうか? 薬を飲む前に、少し食べたほうがいい」
頷いたルーファスに持ってきた軽食を少しずつ与えると、ルーファスは大人しくそれを口に入れて食べていった。
それでもいつものルーファスの食べる量とは比べ物にならないくらいで、少し心配になる。薬を飲ませた後、私はルーファスを抱いて横になった。
「クリストファー、俺ね、クリストファーがいないと駄目みたいだ。だから、俺がどんなに淫乱になっても俺を嫌わないでね」
目を閉じたルーファスの瞼に口付けを落とすと、フフッと笑う。
「どうした?」
「自分でも知らなかったけど、俺って本当にいやらしいよね。クリストファーがいなくなると思ったら、クリストファーの体調を考えもせずに、あんなになっちゃった」
身体が疼くという状態になった自分を思って、恥ずかしそうにルーファスは私の胸に顔を埋めた。
「あんなに求められたのは初めてだったな――。クリスティーナには感謝しないといけないか」
笑いを含ませるとルーファスはただ恥ずかしそうに頬を染めた。
私を求めて淫らに誘うルーファスももちろん好みだが、やはり私の心をとらえて離さないのは、このルーファスの奥ゆかしくも色香に揺れる瞳だろう。
本能の趣くまま、ルーファスを抱きたかったが、熱を出している妻に無体を強いることは出来ない。
「クリストファー、明日は街に……」
「は……いけそうにないな」
約束をしていたからルーファスは、目に見えてガックリとしていた。だが、こんな状態で連れて行けるわけがない。
「次の休みに連れて行ってやるから」
「うん――、ごめんなさい。自分で勝手に勘違いして、熱まで出して――。我儘言って……」
「我儘はいくら言ってもいいんだぞ。お前は我慢しすぎだ」
ルーファスは、多分我慢しすぎで心がオーバーヒートしてしまうと熱がでるのだ。
「クリストファー、明日は一緒にいてくれる――?」
安心してかウトウトし始めたルーファスが、子供のように私に強請る。
「もちろん――。早く良くなれ――。私はまだお前を愛したりない」
「うん――、嬉しい――」
微睡むルーファスが幸せそうに微笑む。
ドキンと鼓動が高鳴る。
私は、その笑顔に何度も何度も恋に落ちてしまうのだった。
「ティーナはまだリーとお喋りしていると思いますわ」
「あの子たちは仲がいいから」
ここで話している時間が惜しくて、私はさっさと踵を返した。
「え、もう行くのか?」
兄が慌てたように言う。
「ルーファスを置いてきているので――」
この状態で、ルーファスがいないことがおかしいとやっと気付いたのか、心配そうに義姉が私を見つめる。
「少し、聞きたいことがあるだけです」
止められるのは御免だから、それだけ告げてやっと私は部屋を出ることが出来たが、義姉もついてきた。
「ルーファがどうかしたの?」
私が動くのがルーファスのためだとわかっている義姉は、心配だったのだろう。
「泣いているんです」
流石に私を淫らに誘ってくるとは言えない。
「もう、あの子は大人になったのに」
義姉にとって、ルーファスは子供のようなものなのだろう。責めているような言葉なのに、口調からは愛しさしか見えない。
「理由もいいません。調べてみたら、クリスティーナの部屋から帰って来た後くらいからのようなので、何かあったのか聞きに来たのです」
「ティーナは普段と変わらなかったけれど――」
「人は、悪意だけで傷つくものではないでしょう。クリスティーナがルーファスを虐めたというなら私も簡単なんですけどね」
離宮から放りだして、隣国の年老いた国王の十八番目の妻として送りつけてやるのに――。
私の思っていることは、筒抜けだったようで、酷く冷たい目で見られてしまった。
先導する侍女が扉を開ける。
クリスティーナとリーエントが一緒にソファで本を読んでいた。そして、私の存在に不思議そうに顔を傾げた。
見れば見るほど私にそっくりだ。髪の色も、瞳の色でさえも――。これで女だというのが、私には堪らなく嫌なのだ。
私にこれだけ似ていながら、時間さえ立てば、ルーファスの子供を産むことが出来るようになるというのが虫唾が走るくらい嫌な理由だろう。
「お父様?」
「叔父上――。どうしたんですか?」
どう切り出すか、正直迷った。侍女の言葉を信じるなら、この二人はルーファスに会ってはいないのだ。
ルーファスが泣いて私を誘惑する理由を考えると……。
「お前達、私が浮気しているとか噂してなかったか?」
「え、浮気しているの?」
嬉しそうなクリスティーナの声に沸点が下がる。それを感じとって義姉とアルジェイドが慌てて私の前にでた。
「ティーナ、リーエント、何でもいいから話なさい」
やや困惑気味に母親を見つめるリーエントにも何のことだかわからないのだろう。
「クリスティーナ様、ルーファス様が夕方に貴女に薔薇の鉢植えを持っていったのをご存知ですか?」
「私に――?」
浮き立つような声は、子供とはいえ女のものだ。
「ええ、貴女の髪の色と同じだから贈るんだと言っておりました」
それは、私にくれても良かったんじゃないかと思うが、義姉の目線で私は口には出さなかった。
「じゃあ明日帰ってから、お礼に伺うわね」
「ええ。でもルーファス様は、お会いになれないかもしれません」
アルジェイドの声音は、子供でなくとも不安に思う響きだった。
「何故なの――?」
「ルーファス様は、何があったのかわからないのですが、非常に悲しまれていて、その理由を教えてくださらないのです。明日、瞼が腫れてしまったらクリスティーナ様とはいえ、お会いにはならないでしょう」
ルーファスが、顔の腫れくらいでクリスティーナに会わないとは思えないが、クリスティーナはそれを信じたようだった。
「悲しむようなこと――。お父様が浮気なさったの?」
全ての視線が私に集めるが、断じて私は浮気などしていない。
「するわけがないだろう――。だが、そう思う何かをお前達が話したんじゃないのか? ルーファスは離宮に戻ってくるまでは普通だったという。それから私が帰ってくるまでの僅かの間といえば、お前の部屋にいったことくらいなんだ」
「あっ!」
リーエントが、慌ててクリスティーナの袖を引いた。
「何よ、私たち何もしてないわよ――」
「あれじゃないの? ほら、不治の病……」
そういえば、とクリスティーナの視線がリーエントと交わる。
「何だ――、その不治の病というのは」
「えっと、怒らないでね」
「叔父上が不治の病なんだ……」
私は病なんてしていない。
「性病でね」
ハッと義姉の目とアルジェイドの目が私を射る。疑いに満ちたものだ。
「まて、だれが性病だ――。健康診断はいつも正常だ」
王族には一年に一度しっかりと健康診断を受ける義務があるのだ。
「その……ルーファス様をね、私が慰めるの」
「でもルーファス様はきっと後追いするだろうから、ティーナはそこまでだよねっていう話をバルコニーでしてたんだ」
「そんなことわからないじゃない――」
「後は、ティーナが隣国の国王の十八番目の妻にされそうになってね、それをルーファス様が助けに来てくれる話とか」
「ごっこ遊びというんですって」
騎士ごっことか、お姫様ごっことかそういうもんじゃないのかなと、大人たちは些か疲れたように肩を落とした。
「ルーファス様はそれを聞いて、ショックを受けて泣いておられると……」
「ルーファス様を泣かせるつもりなんてなかったのよ――。子供の他愛無い遊びで……」
それでも悪いと思っているのだろう。オロオロと目線を彷徨わせるクリスティーナに義姉が「明日、謝りにいきましょうね」と囁いた。
「悪意がなければ許されるのか? 私が不治の病だと聞いて、ルーファスがどんな思いをしたかお前達に想像がつくか?」
あのルーファスが酒もなしに、必死に私に縋りついたのだ。性病を患っていると思っている私に抱いてほしいということが、どんな思いから出た言葉か……、想像するだけでいてもたってもいられなくなる。
「ごめんなさい」
二人のことは、もはやどうでもよかった。
「謝るならルーファスにしろ。どちらにしろ、明日は無理だな」
ルーファスを明日は寝台から離せないだろう。傷ついたぶんだけ甘やかしてやろう。
悔しそうなクリスティーナを鼻で嗤って、私は部屋を後にした。
「良かったですね、理由がわかって」
「ああ――アルジェイド、感謝する」
意外そうな目で私を見るが、私だって人に感謝くらいする。とくにルーファスの為ならば。
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「ルーファス様は起きてはこられておりません。原因はつかめたのですね」
私の顔は、それほど安堵を擁しているのかいるのかマリエルもそう言って微笑んだ。
「子供の他愛無い遊びだそうだ。後はアルジェイドに聞いてくれ――。今日はありがとう」
マリエルもやはり驚いたように目を少し瞬かせて夫であるアルジェイドに視線を送る。アルジェイドが頷き、「では失礼いたします」とマリエルを連れて出て行った。
マリエルは、まだ食事をしていないことを侍女から聞いたのだろうか、軽食を用意していた。帰ってきてから直ぐに事に及んでしまったために、私もルーファスも何も食べていなかった。安心したせいか、少しお腹が空いたので、それを持って寝室に入る。
ルーファスが目を醒まさないようにと、真っ暗なままだったが、今日は満月だったせいか部屋の中は薄く月明りが差していた。
何かが動いている――。小さな動きで目の端に止まったのは、寝台の上だった。
よく耳を澄ませば、小さな「ヒックッ」というしゃくりあげるような声だった。
「ルーファス、起きていたのか?」
「クリストファー! 目が醒めたらいなかった……」
声を掛けると、シーツから顔を出してルーファスが私の不在を悲しかったのだと泣く。
「ルーファス――……」
抱きしめたルーファスの身体は熱かった。泣いていたせいだろうかと額に手をあてると、ルーファスは顔を背けて嫌だと拒否をする。
「熱なんかない――」
「ルーファス、声が――」
擦れた声は、泣いていたせいか熱のせいかはわからなかった。
「クリストファー……」
ルーファスは、私にしがみつくと私の唇に自分の唇を寄せてきた。
強請るルーファスの手は強く、私は熱のあるだろうルーファスに口付けた。
「ん・・・んぅ……」
甘えたような声で私を煽るのは、わざとなのだろうか、無意識なのだろうか。
けれど、ルーファスの熱のある身体は、少し長めに口付けるだけで息が上がってしまった。
私の胸にもたれるルーファスの髪を梳きながら、憂いを取り除いてやろうと口を開いた。
「ルーファス、クリスティーナの言っていたことだが……嘘だから……」
「クリストファー?」
「私が不治の病だとか……性病だとか、嘘だからな――」
ルーファスの目が衝撃で見開かれるのをみて、やはりそうだったのかと俺は納得した。
「クリストファー……何でその話を――」
「お前の態度がおかしいから、調べてきた。マリエルに話を聞いて、クリスティーナの侍女に話を聞いて、クリスティーナとリーエントにも聞いてきたよ」
「え……」
「お前は二人の私が不治の病だったらどうするっていうごっこ遊びを聞いてしまったんだ――。明日から二人にはおやつなしの罰かいつもの倍の勉強時間の追加の罰でも受けてもらおうか」
正直温すぎるとは思ったが、ルーファスは甥であるリーエントのこともなさぬ仲のクリスティーナのことも可愛がっている。ルーファスが綺麗で優しく聡明なせいか、アルジェイドとマリエルの子供もダリウスとローレッタの子供達も皆ルーファスに懐いているのだ。纏わりつくという言葉がぴったりなくらい皆が皆ルーファスのことが大好きで、ルーファスのことを独占している私のことをあまり好きではない。私は子供が好きではないから別に構わないのだが――。
「駄目だよ――。ごめんなさい。俺が盗み聞きしたんだ。二人は悪くない――」
私を不治の病、しかも性病に見立ててごっこ遊びなど、悪いことにしか思えないが、ルーファスは思っていた通り二人を許してやってほしいという。
「お前をこんなに泣かせたのに?」
「あ……、安心しちゃって――」
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「お前があんな風に誘ってくれたのは嬉しかった。が、本当に性病だったらどうするんだ」
「……ごめんなさい。クリストファーが欲しかったんだ」
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「お前が私のせいで病気になったら、私は自分が許せない」
「俺は、クリストファーが病気を隠していると思ってたんだ。何故教えてくれないのかなって思ったら……悲しくて――」
ルーファスの声は悲痛な色をしていた。
「私は……そうだな。性病はともかく、不治の病だとわかったら、お前には言えないかもしれない」
「なっ、何故? 俺が、信頼にまだ足りてないから――?」
ルーファスが俯くのをもう一度抱きしめると涙の香がした。
「お前を悲しませるとわかっているからな――」
そう言って顔を覗きこむと、うんと頷くルーファスが少し目を閉じた。
「どうした、どこか苦しいのか?」
確実に熱の出ている身体の熱さを感じて、私は訊ねた。
「ううん、少しだけ頭が痛いだけ――」
「あれだけ泣けば……仕方ないだろう。ルーファス、口に物は入りそうか? 薬を飲む前に、少し食べたほうがいい」
頷いたルーファスに持ってきた軽食を少しずつ与えると、ルーファスは大人しくそれを口に入れて食べていった。
それでもいつものルーファスの食べる量とは比べ物にならないくらいで、少し心配になる。薬を飲ませた後、私はルーファスを抱いて横になった。
「クリストファー、俺ね、クリストファーがいないと駄目みたいだ。だから、俺がどんなに淫乱になっても俺を嫌わないでね」
目を閉じたルーファスの瞼に口付けを落とすと、フフッと笑う。
「どうした?」
「自分でも知らなかったけど、俺って本当にいやらしいよね。クリストファーがいなくなると思ったら、クリストファーの体調を考えもせずに、あんなになっちゃった」
身体が疼くという状態になった自分を思って、恥ずかしそうにルーファスは私の胸に顔を埋めた。
「あんなに求められたのは初めてだったな――。クリスティーナには感謝しないといけないか」
笑いを含ませるとルーファスはただ恥ずかしそうに頬を染めた。
私を求めて淫らに誘うルーファスももちろん好みだが、やはり私の心をとらえて離さないのは、このルーファスの奥ゆかしくも色香に揺れる瞳だろう。
本能の趣くまま、ルーファスを抱きたかったが、熱を出している妻に無体を強いることは出来ない。
「クリストファー、明日は街に……」
「は……いけそうにないな」
約束をしていたからルーファスは、目に見えてガックリとしていた。だが、こんな状態で連れて行けるわけがない。
「次の休みに連れて行ってやるから」
「うん――、ごめんなさい。自分で勝手に勘違いして、熱まで出して――。我儘言って……」
「我儘はいくら言ってもいいんだぞ。お前は我慢しすぎだ」
ルーファスは、多分我慢しすぎで心がオーバーヒートしてしまうと熱がでるのだ。
「クリストファー、明日は一緒にいてくれる――?」
安心してかウトウトし始めたルーファスが、子供のように私に強請る。
「もちろん――。早く良くなれ――。私はまだお前を愛したりない」
「うん――、嬉しい――」
微睡むルーファスが幸せそうに微笑む。
ドキンと鼓動が高鳴る。
私は、その笑顔に何度も何度も恋に落ちてしまうのだった。
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