俺の名前を呼んでください

東院さち

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クリストファーからのプロポーズ

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 エルフランが迎えにやってきたのは、食事の時間だったからだ。ボートが進んでくる音と、水の跳ねる音に何故だかとても慌ててしまった。

「あ……あの――」

 クリストファーの手を握り、なぜだか抱え込まれるように口付けされていたのは驚きだった。周りのボートは皆遠くもなく近すぎる距離でもなく、二人の乗るボートを囲むようにしていた。

「ルーファス――……。約束だぞ」

 何か約束したっけ?
 俺はクリストファーの口付けに酔っていたようで、正直何の事だかわからなかった。

「クリス様?」
「本当は……」

 クリストファーの口の動きがそこで止まる。
 何か俺に言いたいのだろうか。クリストファーは俺から視線を外す。それでも手はしっかりと握られていて、手の強さに何故かとても安心してしまい、それ以上は尋ねなかった。
 やっと焦点のあった俺にクリストファーはそれ以上何も告げず、漕ぎ手に戻るように指示を出した。


 湖で大はしゃぎしていて時間が過ぎていたせいか、店内はほぼ埋め尽くされていた。真ん中に赤い絨毯が敷かれて、その左右に丸いテーブルが数多くある。食事を始めている者達が大半だったが、クリストファーに手を引かれて入ったからか、護衛の多さに驚いたのか人々は興味津々な目で俺たちを見ている。
 見られることなど日常茶飯事のクリストファーは、その視線など全く気にならないようだった。俺はクリストファーに嫁いだのだから、慣れないといけないのはわかっているのだが、緊張感からか自然と手に汗をかいてしまい、それが気持ち悪くないだろうかと潔癖症のクリストファーに申し訳なくなってしまった。
 店主が自ら出迎え、感謝を述べて、先導に立つ。大きな店の真ん中をつっきり正面にある扉を開けて特別だとわかる小部屋に入る。
 クリストファーが握りしめた俺の拳を自分の口元に寄せて、チュッとキスをした。
 緊張していた俺を励ますようなその仕草に、思わず俺は笑みを浮かべる。

「ルーファス、皆がお前を見ていた――」

 クリストファーが俺の額にキスを落としてそんなことを言う。

「クリス様?」
「私のものだと見せびらかしたいと思うのに……、誰の目にもふれさせたくないこの気持ちは、お前にはわからないだろうな」

 困ったような声で囁かれると、なんだか居た堪れない。どのあたりがというと、案内してきた店主が驚いてたのが目に入ったからだ。
 既に護衛たちは生暖かい目で俺たちを見ている。
 新婚なんです――。
 うんうんと頷く店主を見ていると、涙が出そうに恥ずかしかった……。


「クリス様、こんな素敵な店に連れてきてくださって、ありがとうございます」

 俺は気持ちを少しでもクリストファーに伝えたくて、お礼を言った。クリストファーは、俺の頭をポンポンの撫でてくれた。多分、気持ちは伝わったと思う。
 店は貴族が特別な夜にやってくるようなところで、俺が描いていた街とは大違いだった。だが、クリストファーが俺を楽しませようとしてくれていることと、なにより初デートだということに今更ながら気がついたのだ。

「お前が喜んでくれるならいくらでも連れてきてやろう」

 忙しいクリストファーにそんな時間はないだろうけど、その気持ちだけで心は明るく弾んだ。
 再び店主がクリストファーに対して来店の礼をして、「ゆっくりおくつろぎください」と部屋を後にすれば、給仕達によって料理が運ばれてきた。
 部屋の内装は豪華というよりロマンティックなもので、恋人達や仲のいい夫婦などが好みそうなものだった。部屋自体が少し変わっていて、湖畔に乗り出すようにこの部屋は配置されているようだった。入ってきた扉の反対側の大きな窓からはバルコニーに出ることができて、湖畔を前に花火が見れるようになっているのだ。
 クリストファーがワインを飲む横で、俺はやはり葡萄ジュースという扱い。

「俺はそんなに酷い酒乱なんですか?」

 ジュースを飲みながら、少しむなしくてクリストファーに訊ねると、憐れむような目で俺を見る。言葉がなくとも饒舌なクリストファーの表情に、俺は落ち込んだ。
 サラダもスープもどれもこれも美味しいが、やはり料理人が違うからか王宮とは味付けが違うようだ。王宮は少し薄味なのだ。ただ、どれも素材の味を生かした調理法だからか俺は王宮の料理の方が好きだ。こちらはどれだけ美しく見栄え、万人を唸らせるような味といえばいいのだろうか。クリストファーはワインを楽しみながら食べているからこの濃さが丁度いいかもしれない。
 メインは鴨肉で、爽やかなオレンジのソースがとても合う。俺が鴨肉が好きだといったからクリストファーが事前に伝えていたのかもしれない。メインが揃うと、しばらく給仕はいらないとクリストファーが店の人間に下がるように言った。エルフランだけが扉の前にいるが、エルフランは自分の気配を抑えているようだった。

「少しは楽しめたか――?」

 クリストファーは、傲然とか俺様とかいわれているとローレッタやリリアナ様に聞いたが、俺に対してそんなそぶりは全く見せない。気を遣われているのだろうかと少し寂しいが、それもきっとクリストファーの優しさなのだろう。

「はい――。こんな日にクリス様とお食事できて、幸せです」

 クリストファーは意外そうに瞬き、フッと笑う。
 その顔は、多分老若男女問わず魅了するような笑みで、きっともてているんだろうなと俺はくだらない嫉妬をしてしまう。クリストファーは、俺のような中途半端で男らしくない顔とは違い、キリリと調っているのにその顔に中性的なものは一切ない。男のフェロモンみたいなものが漂っている。

「大げさだな」

 俺は、ムキになってしまい子供のようにすねた顔で「そんなことありません」と断言した。

「俺の家の話は聞いてますか?」

 こんな楽しい席で話すことでもないだろうが夫婦になったのだから、話しておいたほうがいいと思って、俺は鴨を細切れにする勢いで切り分けて……手を止めた。
 頷くのを目の端でとらえ、鴨を見つめる。

「俺は家族団らんなんて知らないんです。人と食事をすると料理がこんなに美味しくなるなんて……クリス様と出会うまで知りませんでした」
「一緒に食事をしたりはしなかったのか……?」

 細かいことまで聞いてはいなかったのだろう。

「一緒にテーブルを囲んだからといって、一緒に食事をしたということにはならないんですよ」

 俺は空気だった。差別なんかされない。同じものを同じように食べているのに、自分は一人で食べているような気持ちになるのは、俺が卑屈だったからだろうか。

「クリス様が俺に食べることの楽しさを教えてくれました」

 それまで食べることは義務でしかなかった。味もどうでも良かった。リリアナ様が俺のために作ってくれるイチゴタルト以外に好きなものなんてなかったのだ。

「お前が辛い思いをしてきたのだろうということは聞いている。だが、そうやって自分の口で告げてくれるまで聞くのは待とうと思っていた。無理やり傷口をこじ開けてしまいそうで怖かったからな」
「ありがとうございます……」

 零れそうになる熱いものを飲み込むように、俺は小さく切った鴨を口に入れた。

「ルーファス、お前が話してくれて……、私は嬉しい――」

 クリストファーはフォークとナイフを置いて立ち上がると、俺の手を引いた。エルフランが開けた窓からバルコニーに出る。バルコニーは温室のようになっていて、寒さもない。二人で寝転んでも大丈夫そうなソファが置かれていて、クリストファーの横に並んで座らされた。ソファというよりも既にベットのような気もする。
 横から抱きしめられて、俺は息を飲む。クリストファーの吐息が熱い――。

「抱かないから……緊張しなくていい」

 耳に掛かる言葉が愛撫のように俺を震わせる。

「クリス様……」

 腰にまわされている手を握ると握り返してくれる。それだけで俺の力が抜ける。

「ルーファス――……。愛している。三年前、大事にしたいと思っていたのに酷くお前を傷つけてしまった。私はお前に逃げられることが怖くて、今回もお前に一言も告げずに無理やりお前を妻にした――」

 クリストファーの声は懺悔をする咎人のように震え、細く、これほど接触していなければ聞き逃すほどの小さな声だった。

「クリス様、無理やりなんかじゃっ」

 ないと言おうとしたが、クリストファーの手が俺の首筋を撫でたから声にならなかった。

「無理やりだよ。お前が嫌だといっても、私はお前を手放す気などなかったんだから」

 自嘲に満ちた淡い微笑みを浮かべたクリストファーが俺の唇に触れるだけの口付けを落とした。

「でも……」
「お前が私を拒まないでくれて、本当に嬉しい――。今更でもうしわけないが……」

 クリストファーはソファに座る俺に向って片膝を折った。

「ルーファス、辛い事もあるだろう。決して楽な生活ではないと思う。けれど……、私の妻になり、生涯をともにして欲しい」

 俺の手をとり、うやうやしくキスをするクリストファーが、真剣な目で俺を見つめていた。
 これは、プロポーズなのだと鈍いといわれている俺でも気付がついた。
 勿論俺は、クリストファーが望むだけに側にいるつもりだ。こんな俺でも欲しいと言ってくれるクリストファーに一生ついていく――。

「クリス様、生涯――俺だけを愛して欲しいと、口付けをするときは、俺の名前だけを呼んで欲しいと願うのは……、身の程知らずでしょうか……?」

 恐る恐るクリストファーの瞳を見つめ返す。頬が有り得ないくらいに熱くなっているのを自分でも感じる。きっとリンゴのように赤くなっているのだろうなと関係のないことに意識を逸らし、クリストファーの答えを待った。
 クリストファーは目を見開き、海のような蒼い瞳を俺に向ける。その瞳に吸い込まれそうになりながら、クリストファーの嬉しそうな声を耳にした。

「ルーファス――……、お前の望むとおりに。お前だけを愛しているのだから簡単なことだ」
 
 クリストファーの胸に抱きつき、クリストファーの甘い香りに包まれると、それだけで俺は安心してしまう。

「クリス様……」

「ルーファス、私のことはクリスだけでいい。クリストファーでも構わないが、そう呼んでくれないか?」

 クリストファーのお願いは、俺にとっては恐縮してしまうものだった。でもクリストファーの特別なのだといわれているようで、嬉しい。

「クリス……さま?」

 ああ、駄目だ――。やっぱりクリストファーには様がいい。なんだか恐れ多いし、いけないことをしている気分になってしまう。

「悪い子だ――。クリスと……」

 クリストファーは、その大きなソファに俺を押し倒し、半分のしかかるように俺を抱きしめ、口づけを落としていく。

「あっ……クリス……さま」
「ちゃんと呼べるようになる」

 確信めいたクリストファーの背後に光るものが見えた。遅れてドーンと音が鳴る。

「あ、クリス様! 花火!」

 思わず腹筋で起き上がってしまい、クリストファーは片手で顔を覆って笑う。

「まぁ、いい――。急がなくても、時間はたっぷりあるのだから――」

 クリストファーは、俺の横に座り色とりどりに光る花火を見上げて、そう言った。

 手を繋ぎ、横を見れば、クリストファーが花火ではなく、花火をみる俺をじっと見ている。
 クリストファーの手を握り、きっと来年もそしてその次の年もずっとこうやって花火を見て、今日の日を思い出し、クリストファーと年を重ねていくのだと自然に思えた。

「ルーファス――……」

 ずっと、クリストファーは俺の名前を愛おしそうに呼んでくれる。
 確信めいた未来を想って、俺は「クリストファー」と音にならない声を彼の唇に届けるのだった。
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