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クリス様がとまりません

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「ルーファス?」

 晩餐会の会場からの漣のような声に俺の緊張感は増していく。会場とは扉ではなく緞帳でしきられているだけなのだ。

「はい、クリス様」

 クリストファーの声も気をそぞろに会場を気にしていたら、「やはり止めておくか」と言われた。慌ててクリストファーを見上げると、心配そうな目がそこにあった。

「でも、俺は何といわれてもいいけど、クリス様が変な風に言われるのは嫌です……」
「変?」
「誑かされた……とか……」

 小さな声で話したつもりだが、聞こえたのだろう。前に控えていたリリアナが俺の前にやってきて椅子に座る俺の手をとった。クリストファーがリリアナのために俺の前に椅子を置いてくれた。正面にいる彼女は、いつもの穏やかな声で「ルーファ……、ロッティに何か聞いたのね」と言った。言いつけるような気がして俺は「いえ……」と言葉を濁した。

 手を握って話すのは、小さな頃、俺と喋る時のリリアナの癖のようなものだ。懐かしい。

「ルーファ、ロッティが何をいっても気にしなくていいの。私が陛下に嫁いでからずっと心に決めてきたことを教えてあげるわね。私が何を言っても、陛下が何を言っても、お義母様がなんといっても聞かなくていいのよ。貴方はクリストファー殿下に嫁いだのだから、クリストファー殿下のいうとおりにしていいの。もちろん、ルーファがしたくないならクリストファー殿下にお願いすればいいのよ。クリストファー殿下は貴方の事を思って考えてくださるから、嫌なら二人で話し合えばいい。誰の思惑も気にしなくていいのよ。私はそうやって陛下とお話をしてきたわ。色々とつらい時期もあったけど、陛下は私を愛してくださってると信じていたから、他の人のいう事は聞き流していたわ。それで護られるものがあるのよ」

 リリアナは結婚して五年間懐妊の兆しもなく、口さがない人々に煩わされていたと聞く。その時も国王陛下を信じて、二人で支え合っていたのだ。そして、俺を励まそうとしてくれている気持ちが心に沁みていく。

「リリアナ様――。はい、心配かけてすみません」

 俺が、手を握りかえすと、リリアナは「ルーファは、素直ないい子ね」と、十八歳の成人男性にしてはどうかと思えることを言われた。
 ちょっとだけショックだった――。
 王太后様がいらしゃって、もうそろそろだなとジェームス国王がクリストファーに告げる。

「そうだ、お前が緊張するのは、周りが気になるからだろう」

 ふと思いついたようにクリストファーは俺の腰を抱き、驚く家族の目の前で俺にゆっくりと口付けをした。

「ふぇ……っ」

 訳のわからない声がでて、まさかこんなところで口付けをされるなんて思ってなかった俺は、逃げるタイミングを逸してしまった。

「……」

 リリアナたちの呆気にとられた視線を感じているのに、俺の手はクリストファーを拒否する事ができない。力だってもうクリストファーにかなわないわけではない。けれど、俺はクリストファーに本気で抗う事なんてできないのだ。
 それをわかっているのか、クリストファーの口付けは止まない。俺の唇を開き、差し入れた舌が丁寧に口内を這い回る。逃げる舌に絡みつくような口付けは、こんな人前でするものではない。

「おい、クリス」

 ジェームスの声が俺のくらみそうになる意識を戻す。なのに、それが気に入らないというように目線で陛下を黙らせて、なおもクリストファーはキスを止めない。というか、激しくなっていく。

 最近の俺は毎晩クリストファーに初夜のために広げるという作業を行われていた。ダリウスにもらったものを入れたのは初日だけで、「無機物に嫉妬する」というクリストファーはそれからは自分で俺の開発に努めた。
 勢いで煽っていくのではなく、じっくりと俺がいっそ「もう挿入(いれ)てくださいっ」と頼むほどにクリストファーは熱心(しつこい)だ。口付けもゆっくり蕩ける様なものを与えるので、最近の俺は、キスだけで息も絶え絶えになるのだ。そんな口付けを何故こんな人前で、しかも重要な晩餐会前にするんだと泣きたくなる。というかちょっと泣いた。

「この馬鹿息子!」

 バシッ! と扇子の割れる音がして、クリストファーはやっと俺を解放してくれたが、酷い状態だったと思う。
 唇から零れた唾液を舐められて「もう、部屋に帰りたい」と俺が泣き声をあげたら、先程扇子でクリストファーを殴打した王太后さまが、俺に「見境がなくて、ごめんなさいね」と謝った。リリアナは先ほどクリストファーに従ったらいいといったからか何もいわず、げんなりとクリストファーに呆れたような目線を送っている。

「緊張はどうだ? 晩餐会の間はずっと私を見てればいい」

 クリストファーは、俺の緊張をとってくれたらしい。確かに今まで気になって仕方がなかった会場の様子などどうでもいい。クリストファーの目論見は成功といってもいいかもしれないが……、俺の顔は赤くなっているし、もしかしなくても俺のアレは少し反応してしまっているかもしれない……。
 音楽が流れ入場のタイミングになるが、こんな恥ずかしい顔で人前に出るのかと思ったら、違う意味でクラクラした。
 クリストファーが手を引いて、自分の腕に俺をつかまらせて「私のことだけ気にしたらいい」と背中をゾクリと震わせるような声を出すから、正直俺は困った。きっとクリストファーの瞳に映っていたようなもの欲しげな顔をしているはずだ。こんな顔で人前にでるなんて――。
 売られていく牛のような気分で俺は自分の披露宴である晩餐会に出席することになってしまった。俺を射抜くようないくつもの視線を感じて、恐怖ではなく羞恥に心が揺れた。

「ルーファス妃殿下」

 紹介されて、必死に微笑むが、ちゃんと笑えていただろうかと心配だ。
 上げた目線の先にローレッタが小さく手を振ってくれていた。
 陛下の祝辞と共に祝杯が上げられる。が、俺のはジュースだ。ワイン一杯くらい大丈夫だというのに、クリストファーが許してくれなかった。俺は、ワインに見せかけた葡萄ジュースを目線まで上げ、飲む。が、やはりジュースはジュースだった。
 残念だ――。
 国の重鎮からの祝辞を頂き、俺の食事は進まない。美味しいし、俺の好きなものばかりが並ぶのに、どれも一口くらいしか食べる時間がないのだ。語りかけられているのを無視して食べるわけにはいかないからだ。
 横を見るとクリストファーの機嫌があまりよくないようだった。

「どうしたんですか?」

 尋ねると、会場のあちこちから熱心に俺を見る目があるという。

「俺、変な顔をしていますか?」

 不安になって、元凶であるクリストファーを詰りたい気分で尋ねたら、「いや、美しすぎて目が離せないだけだろう」と、ありもしないことをいう。
 あはは……と乾いた笑いを返せば「信じてないな?」と責めるように言われたが、そんな馬鹿なことを信じるはずがない。

「あの目線が苛立つ。私のものなのに穴があくほど見つめるとは不敬罪だ」と食事をしないで俺をみている人を確認している。
「クリス様、俺は穴が開いたりしませんから、大丈夫ですよ」
「減る!」

 クリストファーの言葉がたまにわからなくなる。何が減るのだろうか。視線を辿って会場に視線を送ると、クリストファーが手を握ってきた。
 目線で尋ねると、「私だけ見ていろと言っただろう」と、手の平をそっと指が撫でていく。柔らかい部分をカリッと爪を立て、こするように触られると、俺の背中が震えた。

「駄目です!」

 流石にこんな所であられもない醜態を晒すわけにはいかないので、クリストファーの手から自分の手を引き抜き、前の食事を食べる事にした。クリストファーの目論見は成功して、俺は人々のざわめきも目線も気にならなくなっていた。荒療治とはいえ、成功したのだろう。

「この肉、鴨ですね。オレンジのソースが美味し……っ」

 ああ、俺なんでそっちをみてしまったんだろうと、後悔をした。

「私は、肉じゃなくて……お前が食べたい」

 耳元で囁かれて、あれっと思った。隣の席とはいえ、耳元で囁くには少し離れているのに……、なんでだろうとクリストファーの席をみると、クリストファーは俺の横に立っていた。よく通る朗々とした声で「私達はこれくらいで――。皆様今日はありがとうございました」と、挨拶をして、肉をモグモグと食べていた俺を無理やり抱き上げて、ポカンとした一同を置いて会場から颯爽と出て行くのだ。

「え、ええっ? クリス様、俺、食事まだ終わってません……」

 たとえ一口だけしか食べれなくても、全部味見はしたいのだ。

「お前が食べている所を見てるだけで、わたしはもう限界だ――」
「やっ、ちょっと待って――」

 もう人前にでることが出来ないくらいに恥ずかしい。

「これ以上私を煽るな。部屋に着くまでジッとしてろ」

 クリストファーの腕力につくづく見惚れるが、そんなことをしている場合じゃない。

「クリス様、でも、あの……」
「次に私を止める言葉を口にしたら、そこで犯すから、場所を選べよ」

 ……クリストファーの本気を察した俺は、そこからは人形のように固まったまま運ばれるのだった。止めることなんて、出来るはずもない――。
 やる、この人はやらないと決めたらそれを押し通すのと同じくらいにやるといったら、どこだろうと気にせずやるだろう。
 俺はクリストファーの胸の中で、人生で最大の特大溜息を吐くのだった。
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