俺の名前を呼んでください

東院さち

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今日クリス様の妻になりました

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 春のある晴れた吉日、王弟クリストファーの廃太子と国王の第一王子リーエントの立太子の式典が行われた。
 残念ながら体調不良を理由にクルド神官長から欠席するように言われて、二人の晴れ姿は見られなかった。夜にはパーティが行われていて、小さなリーエントは挨拶だけで退出したので、クリストファーが主役となって各国、自国のそうそうたる面子と挨拶を交わしていたそうだ。

 それに合わせて領地からやってきた祖父母と母が挨拶に来てくれた。もちろん俺の結婚式にもでてくれるそうだ。
 母は、ローレッタのいう様に前と同じ人には見えなかった。生気(エナジー)をみてもとても柔らかい色をしていて、偽っているわけではないのだろう。父が亡くなって、母はやっと安らかな時間を得たのだ。
 許すとか許さないとか、そういうものはもう俺にはなかった。欲しくてたまらなかったものは、俺の手の中にあるのだ。形は違っても、それはクリストファーがくれたものだ。母はそれを理解していた。
 ただ、とても悲しげに俺をみているので、「お母様、俺を産んでくれてありがとうございました」と感謝の言葉を口にした。
 あなたが俺を産んでくれたから、クリストファーに出会えたのだと思えた。
 母は喉を詰まらせながら、咽ぶように泣いた。王妃様が付き添ってくれていたので、支えられるようにして部屋を出て行った。
 その夜は無性にクリストファーの温かさを感じたくて、巻きつくようにして寝た。疲れているだろうにクリストファーは好きにさせてくれていた。


 その日は、前日から毛先を調えられ、マッサージを受けた。血行のよくなった後で、礼服に着替えさせられた。真っ白い礼服は汚したら目立ちそうだと、少し心配になる。
 昼前に神殿の大聖堂で結婚式が行われるのだ。昨日は礼服を見に来たローレッタが、お揃いにしようかしらというから大変だった。絶対にいやだと突っぱねるとローレッタは『ルー、ちゃんと断れるようになったのね』と感慨深げに呟かれた。

 もう、俺十八歳なんですけど――。

 礼服とは言っても、ちょっと変わっていて、上着のテイルコートは前面も背面も足首まである。スリットが入っているから歩きにくくはないが、『星見』の正装に似ていて、ちょっとどうかと思う。
 白一色に見えるが、光をうけると銀糸が光を纏うのだと昨日最終チェックにきたデザイナーが自信満々に教えてくれた。手に職をもち、自信に溢れるデザイナーは凄い人間だとは思うのだが、毎日のように調整に訪れて、気持ち悪いくらいに褒め讃えスケッチして帰っていくので、ちょっと気持ちが悪い。

「光臨した――!」

 その都度叫ぶから、俺は思わず天井を見てしまう。彼には何が見えているのだろう。
 最初の日に酔っ払ったように怪しい行動を繰り返したデザイナーは危険人物とみなされて、俺の横にはアルジェイドかマオ、もしくはエルフランがかならず付き添いを務めるようになったのでその壊れ具合は想像がつくだろう。
 その天才デザイナーの作品は、俺にはもったいないくらいに美しく、着心地もよかった。
 胸につけられた赤い薔薇は、多分クリストファーの髪の色に合わせたのだろう。白い帽子を被るのかと思っていたら、頭に紐でヴェールのようなものを被せられた。こちらからは視界は良好なのだが、光の加減で周りからは見えないらしい。
 何で隠されるのだろうかと、少し落ち込む。物欲しそうな顔になったら王族の恥だからだろうか……。俺はちゃんと教えられたように笑顔の仮面を被れると思うのだが……。

「ルーファス、準備は……っ」

 クリストファーが黒の騎士服で現れて、思わず息を飲んだ。王族の男は全員騎士であり、いざという時は前線に立って戦うのだ。だから、クリストファーがその格好なのは理解できたが、似合いすぎていて怖ろしい。さっぱりと短い赤い髪が燃えるようで、俺はおもわず髪を凝視してしまった。
 同じように息を詰めたクリストファーは、俺の頬を撫でて目尻に軽く口付ける。

「ルー……ファス。よく似合っている。どこの天使かと思った」

 気障な台詞もクリストファーが言えば、気取って聞こえないから不思議だ。

「ありがとうございます。クリス様もよくお似合いです」

 クリストファーはいつも俺を褒めてくれるから、天使とか言われても特に気にはならなかったが、後ろで「天使って――」と笑いを堪えているローレッタの呟きに少しだけ恥ずかしくなった。

「行こう」

 クリストファーに手を差し出されて、俺はお姫様のように手を載せた。
 豪華な四頭立てのキャリッジに乗り、クリストファーと並んで座った。普段乗る馬車と違うのは周りから丸見えということだろうか。式典用だということがわかる。

「辛くなったらいつでも言え」

 クリストファーの言葉に「もう眩暈もないし大丈夫です」と答えると手をとられて手の甲に口付けを落とされる。
 馬車が王宮を抜けて大通りに出ると、一斉にラッパが鳴り響いて、俺は何事かと腰を浮かせた。

「大丈夫だ、ルーファス」

 大通りを二列に並んでラッパなどを吹く楽隊がおり、沿道を人々が埋め尽くしていた。街路樹のアーモンドが花を咲かせる道を馬車は進む。クリストファーに片手を握られ空いたほうの手を振ると「おめでとうございます、両殿下」と歓声が聞こえた。
 城から大聖堂は近いので街中の人々がそこに集まっていたのだろう。大聖堂の敷地に入ると静かになって、やっと息を吐くことができた。

「クリス様、俺はてっきり身内だけで結婚式を挙げるのだと思ってました」
「そうだな、許されるならお前と二人きりがよかった――。とはいえ、お前は王弟の正妻となるんだ」

 俺はお金のことなんてすっかり忘れていたが……。

「でも、俺持参金とかないです。というか神殿に学費を返さないといけないから借金もちです」

 神学校は、高等な勉強や技術を無料で学べるかわりに、卒業のち十年は神殿で勤めなければならない。それが嫌なら、王都に一軒の家が建てれるくらいのお金を寄付しなければならないのだ。

「私はそんな甲斐性なしに見えるか? 持参金などいらん。お前さえいればそれでいい――。神殿には、エルフランを迎えに行かせたときに既に支払い済みだ。お前に借金などないよ」

 クリストファーは何事もないようにそう言った。

「でも、俺……。それは国民の税金で払ったんですよね?」

 俺のために大金を使わせているということが申し訳なく思ってしまう。

「お前、俺はそれくらいで恨まれるような働きはしていないぞ」

 クリストファーの自尊心を傷つけてしまったかと焦りながら、「違うんです。だって俺、クリス様にどんなに愛されても、子供を産む事もできない……」と本音を告げた。王弟の正妻が女なら、将来の王族を身篭るかもしれない妻にお金をかけるのもわかるが、俺にはそんな事は無理なのだ。

「こう思ってはどうだろうか」

 すぐに思いつめてしまう俺を気遣って、クリストファーは「国民を家族と思えばいい。父や母と思い敬い、兄妹と思い手を貸し、我が子と思って彼らのために住みやすい国を作っていこう。難しいことかもしれないが、私達にも出来ることはあるだろう。享受されるだけでなく、与えるものになろうじゃないか」と言った。

「父や、母……。兄弟に、子供……」

 得られなかったものが沢山あった俺にはあこがれのものばかりだ。それをクリストファーはこともなげに俺に与えてくれるのだ。

「はい、クリス様、俺は嬉しいです。俺に出来る事があれば、何でもさせてください」

 ヴェールをそっと上げて、クリストファーは俺に口付ける。
 愛しくて堪らないと、その目が語ってくれる愛の言葉に俺は真っ赤になりながら、応えた。

「あの、殿下。それは後にしてもらっていいですか?」

 いつの間に大神殿の中の聖堂の前についていたらしい。馬を横付けで走らせていたエルフランが、申し訳なさそうに声をかけてきて、やっと俺は衆人観衆の前だということに気がついて慌ててクリストファーから離れた。

「無粋なやつめ」

 クリストファーは、さすが王族というか肝が据わっているというか、傲顔というか……。全く悪びれた様子も焦る様子も見せないでエルフランに軽口を叩いた。
 クリストファーが先に降りて、俺に手を差し出した。
 この人に一生ついていくんだ――と思うと嬉しくて自然と笑みがこぼれる。ヴェールで見えないはずなのに、クリストファーも同じように微笑んでくれた。
 俺は幸せな気持ちで聖堂の扉をくぐり、ステンドグラスで光の反射した不思議な空間をクリストファーにエスコートされてゆっくりと歩いた。
 沢山の人が俺たちをみている。大聖堂の中は俺が見たことのない人の数だった。値踏みをするような目、柔らかな祝福の目、俺を憎んでいるような目、俺はたまらずクリストファーの腕を強く握った。振り返った目があまりに優しくてホッと息を吐いた。
 しばらくしてはいけないとは言われていたが、この感情の波のような目線にさらされているだけで俺には辛かった。具合がよくなったとはいえ、それは心を許せる人と穏やかな時間を過ごしていたからだと気付いた。
 一番前の席はクリストファーの親族と俺の親族が並ぶ。それに励まされながらなんとか一段上の壇上に立つ事ができた。だが、そこでクリストファーの手は離されてしまう。
 息を吐く。深く、吸うときもゆっくりと――。心の中で灯すろうそくの揺れを感じながら、静かに前を向いた。
 クルド神官長様が祝福してくれるために高位の神官である証の紫の衣を着て俺たちに声をかけた。

「ここに並びし二人の間に、今日絆を結ぶためにお集まりいただきました。神は天上にいらっしゃいます。二人を祝福していただきましょう」

 クルド神官長様の手から聖水がまかれて、祝福の言葉を頂いた。

「幾多の困難が立ちふさがろうとも、お互いをささえ、励まし、共に生きることを誓いますか」

 尋ねられて、クリストファーが「誓います」と高らかに誓う。俺はクリストファーの視線を受けて、「はい、誓います」と震えそうになる声を押し隠しながら、声をだした。
 どうしよう、クラクラしてきた――。こんなところで倒れちゃクリストファーに恥をかかせることになる。
 拳を握りしめて必死に耐えた。

「では指輪の交換を――」

 クルド神官長がクリストファーにまず渡して、それを俺の指に填めてくれた。内側には俺たちの名前が彫られている。外側には王家のマークが入っていて、これがこれからの俺の身分証明となるのだ。
 俺の手を握ったクリストファーは、何故だか離してくれない。仕方ないので反対の手で俺が指輪をとろうとしたのを止めるように俺を抱きしめた。
 まだ指輪が――。
 そう思うのに、クリストファーは俺の唇に自分の唇を押し付けてきた。

「んっ……」

 俺は驚いてクリストファーの胸を押したが、クリストファーは腰に手をまわして離れてくれない。
 なんで――っ?
 目を瞠ってクリストファーを凝視すれば、クリストファーの目が冷静な色で俺を見つめ、クルド神官長のほうにチラリと視線を送った。

「クリストファー殿下! まだ指輪の交換も終わっていないというのに……。美しい花嫁をそんなに離したくないのですか……。ああっ、もう花嫁の腰が砕けてしまいましたよ。罰です、抱いていなさい」

 呆れた物言いで、クルド神官長はそう言って俺に指輪を差し出した。
 ああ、俺の具合の悪いのがばれたのか。
 クリストファーの口付けは、見た目よりはあっさりしていたのだ。それでも元々眩暈を起こしていた俺はクリストファーの肩に顔をもたれさせて、息を吐いた。クリストファーは俺を横に抱き上げて、器用に自分の指を差し出した。

「もうすこし我慢できるか?」

 クルド神官長も気付いていたようで、口を動かさず俺に確認する。
 笑顔で大丈夫だと返事をした俺は、クリストファーの指にお揃いの指輪を填めた。

「神の前で二人は祝福されました。皆様、承認の拍手を」

 クルド神官長の声に集まってくれた人々は、拍手で祝福してくれた。全員に見送られて、俺はクリストファーの腕の中から手を振り、大聖堂を後にした。

「具合が悪くなったら言えといっただろう」
 
 キャリッジに乗り込み、沢山の人々に見送られながら、俺たちは離宮にかえってきたのだが、クリストファーの機嫌は悪かった。
 俺が言わなかったからだとわかってはいたが、あんな沢山の人が祝福してくれているのに途中で帰るわけにもいかないと言ったら「式の間中抱いてやったのに」と怒られた。
 もうこれ以上の羞恥プレイは止めてください――。
 俺は小さくなりながら、クリストファーに懇願するのだった。
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