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あなたの言葉に心が軋む
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「お前は――」
怒りからかクリストファーは言葉を途切れさせた。
手首を掴まれて、クリストファーに誘導されながらマオが手にしていた焼き鳥を一気に口に入れたのを見た。さすがマオ、肉を無駄にはしない。
「マオ・ヴィンド・ラレル。何故ルーファスと一緒にいる?」
クリストファーがマオのフルネームを上げた。彼はポケットに焼き鳥の串をつっこむと直立して左腕を胸につけて、王城で何度か見た騎士が上官に敬意を示す仕草をした。
まさか――という思いで、クリストファーとマオを交互に見ると、マオは少し気まずそうにこちらを見ながら「たまたまです」とクリストファーの質問に答えた。
「マオ、お前は……」
「ルーファス、俺は近衛の一員なんだ……。明日から貴方の護衛官となります」
マオの口調が明らかに変わって、俺はなんだか大切なものを一つ失ってしまったような気持ちになった。
「ルーファス、馬車に乗れ」
クリストファーに促されて乗った馬車は、広かったが、居心地が悪い。
それにしても早く見つかってしまった。まだ一時間もたっていないし、お金も使っていなかった。焼き鳥のいい匂いだけが脳裏に焼きついている。とはいえ、流石の俺の腹もこの緊張感で鳴るようなことはなかった。
「お前は一人で留守番も出来ないのか――」
俺が窓の外を見つめていると、クリストファーが口を開いた。
「お前は身分というものがわかっているのか? お前がいないと知ったエルフランやそれを知らされた私の驚きは理解出来ないのか? どれだけの兵が動いたと思っている」
身分という言葉を聞いて、俺はもう昔とは違うのだとやっと気付いた。俺が夜の散歩中に足を挫いて帰れなくても次の日の朝まで発見されなかった頃とは違うのだ。
沢山の兵が俺を捜してくれてたんだと、先程までの楽しかった気持ちがしぼんでいく。
「申し訳ありませんでした」
謝る俺をクリストファーが苛立ったように肩をつかんで自分のほうに向かせた。
「お前があまりに変わりすぎて、私は前までのように愛せるかどうかわからない――」
衝撃の告白に、真っ暗な闇に落ちたような気持ちになった。
やはり、クリストファーは俺が余りにでかくなってしまったから、抱きたくないと思っているのだ――。
絶望しながら、俺は必死に心の平静を保つように努力した。
床に蹲り、泣き叫ぶような真似だけはしてはいけないのだと、わかっていた。
クリストファーは、理知的な王族だ。俺のように自由気ままに振舞うことを侮蔑しているような気配がある。今、この場でみっともなく縋るようなことをすれば、彼の中で決定打を与えることになるだろう。
引きつりそうになる頬を筋肉で抑え、俺は震えそうになる身体をクリストファーから遠ざけた。
「なにも言わないのだな――」
どうやって謝ればクリストファーは許してくれるのだろう。苦しい気持ちを一言でも吐き出してみれば、あっという間に終わってしまう。
俺は、結局何も言えなかった。
クリストファーは静かに俺の肩から手を離した。前を向いたクリストファーの横顔は彫像のように美しく、冷たかった。
俺とクリストファーを乗せた馬車は奥の馬止めへと進んだ。
「ルーファス様っ! ご無事で何よりでした」
エルフランは、降りた俺に怪我などないかを見て、ホッとしたように声を掛けてくれた。
「すいませんでした」
きっちりと頭を下げるとエルフランは「もうこれきりにしてくださいね」と苦笑した。
「クリス様、王太后様がお呼びです。ルーファス様も連れてくるようにと」
「もうばれたのか……。母親ながら驚く。怖ろしいくらい把握してる人だな」
その言葉に、俺がいることを王太后様ももしかしたら王妃様も知らかったのかと納得した。
エルフランが、俺の神官見習いの服を脱がせ、持ってきた黒い腰帯と襟の高い臙脂の上着を着せた。首の上のほうまでキッチリと隠れる服だった。
「ルーファス様、寒くはないですか?」
「ええ、大丈夫です」
俺の顔色が白いのだろう。エルフランは心配そうにおでこに手をあてた。
「熱はありませんね。無理だと思ったら、ちゃんとクリス様に伝えてくださいね」
心配そうなエルフランを連れて、クリストファーは俺にも着いて来るように言った。
三歩空いたこの距離が、クリストファーとの心の距離のようだ。
成長した俺は速いクリストファーの脚にもついていけるようになった。前は小走りに走っても中々追いつけなかったのにと思うと、三年前が懐かしい。
感情的になりそうな意識を遠ざけていると少しぼんやりしてしまうようで、エルフランがそんな俺を心配そうに何度も振り向いた。
王太后様の部屋は王様達と同じ棟にある。もう夫である前国王を亡くされていて一人では寂しいだろうという王妃様の気遣いらしい。
クリストファーに続いて部屋に入ると、「まぁ、ルーファス。大きくなったわね」と王太后様は両手を広げて迎えてくださった。頬にキスをされて、「王太后様もお元気そうでなによりです」と告げると「あら、もうお義母様って呼んでちょうだいな」と笑われた。
「ルーファス、どうした? 泣きそうな顔をしているな」
王太后様の後ろで立っていたのは、神官長様とアルジェイドだった。神官長様は神官服を着ているが、アルジェイドは普通の貴族がきる服だった。
「……神官長様……」
まずい、俺は今必死に取り付くってはいるが、精神的にメタメタな状態だ。腹部にしっかりと息を吸いこみ、緩やかな息で調えると神官長様に向って、お辞儀をした。
「神官長……?」
「クリストファー、覚えているかしら? 何度かあったと思うけど、私のお兄様よ。クルド兄様」
俺は多分気を引き締めていなければ、叫んでいたと思う。そういえば、リザグル王国はジグラード教の総本山でもあるから、王室から幾人か神殿に入っているときいた事があった。でも、それは神殿中央のことだろうと思っていた。まさか教育のような場所にいるとは思ってもみなかった。
「アイリス、できればルーファスじゃなくクリストファーを神学校に入れるべきだったな。そうすれば、私がしっかり教育してやったのに」
クルド神官長は、笑っていたが目は笑っていなかった。
「ええ、そうしたいのは山々だったけれど……」
「そうすれば未成年を手ひどく扱うような男になどさせなかったのだが――」
「あら、知ってらしたのね」
クリストファーが、俺を方を見ていた。俺はしゃべってはいないが、情事の跡のついた身体はみられている。
「貴女(アイリス)からの手紙が来た時は、早く来すぎた学生をどうするか迷っていた時だった。来てすぐに熱を出して寝込んでいるその子の世話をした人間が、情事の跡に気付いて私に連絡してきた時は本当に驚いた。それがまさか自分の甥がやったとは思いたくもなかったが――」
アイリス王太后の言葉を受けて、クルド神官長はそう告げた。
「で、アイリスから頼まれて、しっかりと護り鍛え、王族としてやっていけるように感情のコントロールも教えたが、なんでそんな顔をしているんだ。ルーファス?」
まさか感情のコントロールがそんなつもりで教えられていたなんて、想像もしていなかった。
「神官長様――?」
そんな顔……といわれて、俺は無意識に自分の顔を撫でた。冷たく、頭が少し重くなっていた。
スウッと全身の血が下がるような感覚に襲われて、俺は立っていられなかった。
「ルーファスっ!」
クリストファーの声が焦ったように俺の横から聞こえた。床に崩れ折れそうになるのを俺は抱えられたような気がした。
でもそこから先は、真っ暗な闇の中にズブズブと沈み込んでいくような感覚だけがあって、意識が遠ざかっていった。
怒りからかクリストファーは言葉を途切れさせた。
手首を掴まれて、クリストファーに誘導されながらマオが手にしていた焼き鳥を一気に口に入れたのを見た。さすがマオ、肉を無駄にはしない。
「マオ・ヴィンド・ラレル。何故ルーファスと一緒にいる?」
クリストファーがマオのフルネームを上げた。彼はポケットに焼き鳥の串をつっこむと直立して左腕を胸につけて、王城で何度か見た騎士が上官に敬意を示す仕草をした。
まさか――という思いで、クリストファーとマオを交互に見ると、マオは少し気まずそうにこちらを見ながら「たまたまです」とクリストファーの質問に答えた。
「マオ、お前は……」
「ルーファス、俺は近衛の一員なんだ……。明日から貴方の護衛官となります」
マオの口調が明らかに変わって、俺はなんだか大切なものを一つ失ってしまったような気持ちになった。
「ルーファス、馬車に乗れ」
クリストファーに促されて乗った馬車は、広かったが、居心地が悪い。
それにしても早く見つかってしまった。まだ一時間もたっていないし、お金も使っていなかった。焼き鳥のいい匂いだけが脳裏に焼きついている。とはいえ、流石の俺の腹もこの緊張感で鳴るようなことはなかった。
「お前は一人で留守番も出来ないのか――」
俺が窓の外を見つめていると、クリストファーが口を開いた。
「お前は身分というものがわかっているのか? お前がいないと知ったエルフランやそれを知らされた私の驚きは理解出来ないのか? どれだけの兵が動いたと思っている」
身分という言葉を聞いて、俺はもう昔とは違うのだとやっと気付いた。俺が夜の散歩中に足を挫いて帰れなくても次の日の朝まで発見されなかった頃とは違うのだ。
沢山の兵が俺を捜してくれてたんだと、先程までの楽しかった気持ちがしぼんでいく。
「申し訳ありませんでした」
謝る俺をクリストファーが苛立ったように肩をつかんで自分のほうに向かせた。
「お前があまりに変わりすぎて、私は前までのように愛せるかどうかわからない――」
衝撃の告白に、真っ暗な闇に落ちたような気持ちになった。
やはり、クリストファーは俺が余りにでかくなってしまったから、抱きたくないと思っているのだ――。
絶望しながら、俺は必死に心の平静を保つように努力した。
床に蹲り、泣き叫ぶような真似だけはしてはいけないのだと、わかっていた。
クリストファーは、理知的な王族だ。俺のように自由気ままに振舞うことを侮蔑しているような気配がある。今、この場でみっともなく縋るようなことをすれば、彼の中で決定打を与えることになるだろう。
引きつりそうになる頬を筋肉で抑え、俺は震えそうになる身体をクリストファーから遠ざけた。
「なにも言わないのだな――」
どうやって謝ればクリストファーは許してくれるのだろう。苦しい気持ちを一言でも吐き出してみれば、あっという間に終わってしまう。
俺は、結局何も言えなかった。
クリストファーは静かに俺の肩から手を離した。前を向いたクリストファーの横顔は彫像のように美しく、冷たかった。
俺とクリストファーを乗せた馬車は奥の馬止めへと進んだ。
「ルーファス様っ! ご無事で何よりでした」
エルフランは、降りた俺に怪我などないかを見て、ホッとしたように声を掛けてくれた。
「すいませんでした」
きっちりと頭を下げるとエルフランは「もうこれきりにしてくださいね」と苦笑した。
「クリス様、王太后様がお呼びです。ルーファス様も連れてくるようにと」
「もうばれたのか……。母親ながら驚く。怖ろしいくらい把握してる人だな」
その言葉に、俺がいることを王太后様ももしかしたら王妃様も知らかったのかと納得した。
エルフランが、俺の神官見習いの服を脱がせ、持ってきた黒い腰帯と襟の高い臙脂の上着を着せた。首の上のほうまでキッチリと隠れる服だった。
「ルーファス様、寒くはないですか?」
「ええ、大丈夫です」
俺の顔色が白いのだろう。エルフランは心配そうにおでこに手をあてた。
「熱はありませんね。無理だと思ったら、ちゃんとクリス様に伝えてくださいね」
心配そうなエルフランを連れて、クリストファーは俺にも着いて来るように言った。
三歩空いたこの距離が、クリストファーとの心の距離のようだ。
成長した俺は速いクリストファーの脚にもついていけるようになった。前は小走りに走っても中々追いつけなかったのにと思うと、三年前が懐かしい。
感情的になりそうな意識を遠ざけていると少しぼんやりしてしまうようで、エルフランがそんな俺を心配そうに何度も振り向いた。
王太后様の部屋は王様達と同じ棟にある。もう夫である前国王を亡くされていて一人では寂しいだろうという王妃様の気遣いらしい。
クリストファーに続いて部屋に入ると、「まぁ、ルーファス。大きくなったわね」と王太后様は両手を広げて迎えてくださった。頬にキスをされて、「王太后様もお元気そうでなによりです」と告げると「あら、もうお義母様って呼んでちょうだいな」と笑われた。
「ルーファス、どうした? 泣きそうな顔をしているな」
王太后様の後ろで立っていたのは、神官長様とアルジェイドだった。神官長様は神官服を着ているが、アルジェイドは普通の貴族がきる服だった。
「……神官長様……」
まずい、俺は今必死に取り付くってはいるが、精神的にメタメタな状態だ。腹部にしっかりと息を吸いこみ、緩やかな息で調えると神官長様に向って、お辞儀をした。
「神官長……?」
「クリストファー、覚えているかしら? 何度かあったと思うけど、私のお兄様よ。クルド兄様」
俺は多分気を引き締めていなければ、叫んでいたと思う。そういえば、リザグル王国はジグラード教の総本山でもあるから、王室から幾人か神殿に入っているときいた事があった。でも、それは神殿中央のことだろうと思っていた。まさか教育のような場所にいるとは思ってもみなかった。
「アイリス、できればルーファスじゃなくクリストファーを神学校に入れるべきだったな。そうすれば、私がしっかり教育してやったのに」
クルド神官長は、笑っていたが目は笑っていなかった。
「ええ、そうしたいのは山々だったけれど……」
「そうすれば未成年を手ひどく扱うような男になどさせなかったのだが――」
「あら、知ってらしたのね」
クリストファーが、俺を方を見ていた。俺はしゃべってはいないが、情事の跡のついた身体はみられている。
「貴女(アイリス)からの手紙が来た時は、早く来すぎた学生をどうするか迷っていた時だった。来てすぐに熱を出して寝込んでいるその子の世話をした人間が、情事の跡に気付いて私に連絡してきた時は本当に驚いた。それがまさか自分の甥がやったとは思いたくもなかったが――」
アイリス王太后の言葉を受けて、クルド神官長はそう告げた。
「で、アイリスから頼まれて、しっかりと護り鍛え、王族としてやっていけるように感情のコントロールも教えたが、なんでそんな顔をしているんだ。ルーファス?」
まさか感情のコントロールがそんなつもりで教えられていたなんて、想像もしていなかった。
「神官長様――?」
そんな顔……といわれて、俺は無意識に自分の顔を撫でた。冷たく、頭が少し重くなっていた。
スウッと全身の血が下がるような感覚に襲われて、俺は立っていられなかった。
「ルーファスっ!」
クリストファーの声が焦ったように俺の横から聞こえた。床に崩れ折れそうになるのを俺は抱えられたような気がした。
でもそこから先は、真っ暗な闇の中にズブズブと沈み込んでいくような感覚だけがあって、意識が遠ざかっていった。
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