俺の名前を呼んでください

東院さち

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あなたのことが好きだから

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 俺は身体のダルさがとれないままソファで本を読んでいた。
 もう直ぐ行くつもりの学校で使うだろう神学の本だ。カザス王国で国教とされているのはジグラード教と呼ばれるもので、大陸の中でも一番勢力のある宗教だろう。

 父親は双子の妹であるローレッタを、母親は弟のセドリックを溺愛している。俺のことはいてもいなくてもいい屋敷の家具と同じくらいにしか思っていないだろう。
 何故自分だけ……と、小さい頃からずっと思っていた。

 この国はジグラード教の中でもかなり大らかというか変わっている。人口が増えすぎたために子供が生まれない同性愛を神殿で祝福しているのはこの国くらいだ。そのためにか家を継ぐのは男でも女でも構わないし、長子でなくてもいいのだ。
 家を継ぐのは、ローレッタかセドリックだろうから、俺は家に関係のない仕事をしたいと思っていた。貴族の継嗣以外は、騎士団や王宮への伺候、もしくは神官になることが多い。
 俺は神官の中でも星見と呼ばれる職に就きたかった。最初は、星を眺めていられるなんていい職業だと思っていたのだが、知るにつれ、奥の深さやその重要性に驚いた。
 ジグラード教の学校はカザス国にだってある。けれど、星見になれるのは専門的な勉強も出来るリグザル国の神学校しかなかった。この学校の入学資格は去年とったからこの国の学院で学んだ後でいくつもりだった。噂には多少聞いていたが、この国の学院は思っていたより性に奔放らしいとクリストファーやエルフランの話から想像して、俺はリグザル王国の神学校への入学を決めた。
 俺に全く興味のない父親だが、入学手続きはしてくれていると思う。
 三年、神学校で勉強して戻ってきたら、俺は成人する。
 その頃は、きっともうクリストファーは美しい姫と結婚しているだろう。アリエス王女はクリストファーにメロメロのようだし。
 王太子は、男を娶ることはできない。そして、王様と年が離れていないから、俺はどれだけ待ってもクリストファーの嫁になることは出来ない。まぁ、そこまで想ってくれているなんて自信はこれっぽっちもないけれど。


 ぼんやりと本の字面を眺めていたが、全く頭に入ってこなかった。
 ふとすると、直ぐに昨日の行為を思い出してしまうのだ。
 赤面しているとアンネットが「リリアナ様がお呼びです」と部屋に入ってきた。
 きっと馬鹿なことをしたと怒られるのだろうと思うと、気が重い。けれど倒れるほど心配をさせてしまったのだから謝罪をしなくてはならない。

「ルーファ、こっちにいらっしゃい」

 王妃様は怒っているそぶりは見せなかった。

「食事あまり出来ていないのではないの? イチゴ好きでしょう? 沢山食べなさいね」

 どちらかというと、とても心配してくれているようだった。

「あの、リリアナ様……ごめんなさい」

 俯く俺の手をとって、王妃様はソファの隣にかけるように促した。

「いいえ、私が気をつけるべきだったのよ。あなたは子供だし、男だから。まさかクリストファー殿下が手を出すなんて思ってもみなくて」

 王妃様は「ごめんなさいね、ルーファ」と頭を撫でた。

「違うんです。俺、クリス様に凄く親切にしてもらって、嬉しくて……。俺がお願いしたんです。あの人は困っていました」

 俺はクリストファーが非難されるのが嫌だった。むずがる子供をあやすようにリリアナは撫でるのを止めない。

「そうなの? でもあなたのことを少しでも想っていてくれるなら、クリストファー殿下はあなたに手を出すべきじゃなかったわ」

 俺をなだめるようにイチゴムースを手渡してくれた。

「クリストファー殿下はローレッタに婚約を申し込んでいるのだから……。もしかしたらあなたを見て、双子のローレッタとあなたを二人とも自分のものにされるおつもりなのかしら。……あなたは、あの子と比べられるのは嫌でしょう?」
「ロッティと?」

 婚約……?
 俺の声は震えていたと思う。

「ええ。だから……あなたが殿下の部屋に寝泊りしていると聞いても心配しなかったのよ」

 ローレッタと比べられる日々は、リリアナに言われなくてももう二度と御免だった。顔もそっくりな俺たちなのに、その注がれる愛情の差に、何度声を詰まらせた事だろう。
 クリストファーが、ローレッタを抱く? 俺にしたように蕩けるような口づけを与えて、何も考えられなくなるまで快感で溶かすのか――。
 想像しただけで俺の心を切りつけるような痛みが走った。

「ルーファ……泣かないで。ね、もう忘れなさない。クリストファー殿下はとても遊んでいる方だと聞くわ。話にきくだけでも凄いもの。ルーファ、とても辛いことだけど、きっとあなたにはあなただけを愛してくれる人が見つかるわ。だって、あなたはとてもいい子だもの。あなたが私の子供だったら良かったのに」

 ずっと俺を見てきたリリアナは、甥である俺を不憫に思ってきたのだろう。

「俺、リリアナ様が大好きです。本当にあなたが俺の母ならどれだけ幸せだっただろうと思います。お腹の御子がうらやましい……」

 本音を吐き出すとリリアナは微笑みを浮かべて、俺に紅茶も入れてくれた。
 優しい味で、神学校に行ってしまえば当分味わえないと、俺はお代わりもしてしまった。
 そんな俺を一度も責めることなく、リリアナは見守ってくれていた。

 二日もすれば、少し頭も落ち着いてきた。寝ても醒めてもクリストファーのアレコレを思い出しては赤面していたのに、普通の顔に戻る事ができた。
 王妃様とアンネットに教えてもらって刺繍をしていると、案外むいていることに気が付いた。俺は、一つのことに集中するのが得意なのだ。
 だから、一瞬聞き逃してしまったその言葉が頭にもう一度入ってきた瞬間、思わず針で自分の指を刺してしまった。

「ああっ! アンネット、手当てしてあげて頂戴」

 刺繍を取り上げて、王妃様が焦りながら俺の指を押さえた。

「ルーファス様、大丈夫ですか?」

 アンネットが指に包帯を巻いてくれて、リリアナはやっと安心したようだった。リリアナは、赤子を身篭られてから特に心配症になったと思う。

「ロッティが明日ここに来るんですか――?」
「ええ。春まで通れないと思っていた山道が通れるようになったんですって。明日、屋敷から来るって連絡があったわ」

 王妃様が刺繍しているのは、生まれてくるわが子のための小さな靴下だった。俺の刺繍していたのは涎掛けだ。血が着かなくてよかったとホッとする。

「そしたら、俺はもう帰らないといけないんですね……」

 たとえ姿を見ることが出来なくても、クリストファーと同じ王宮にいるだけで嬉しかったのだけど、それももう終わるのかと思うと、寂しくなってしまった。

「ルーファ……。王都の家じゃなくて、領地のほうのお爺様のところに戻りなさいな。もう少ししたら学院が始まるでしょ? 家に帰らなくていいわ」

 今回のことがばれているとしたら、ローレッタに恥をかかしたと父は激怒するだろう。家に帰るより、領地のお爺様のところがいいかとリリアナの案に乗ろうとして、思い出した。
 そうだ、リグザル王国へは一週間以上かかるのだ。
 少し早いが、早く神学校になれるために、そっちに行こう。
 名案だと俺は、考えた。神学校には、基本何も持っていってはいけない。どんな身分であってもそれをひけらかす事は許されず、皆同じものを使って勉強する。神官になってしまえば、かかった費用も全て返さなくていい。
 ただ、入るための学力が高いため、おいそれと入れるものではない。俺は星見になるために必死に勉強して、去年その資格は手に入れている。
 明日、家から来るロッティの馬車に乗って、リグザル王国まで行ってしまおうと、俺は決意した。

 ……ロッティとクリストファーの仲のいい姿なんて一瞬たりとも見たくなかったのが本音だ。
 俺は領地にそのまま帰ると告げて、途中の旅費を王妃様にもらった。これだけあれば、リグザル王国だって三往復以上できるだろう。
 本当に大切なものは、家から王宮に来る時にカバンに詰めてきたし。
 俺が、家に帰ったと知ったら、クリストファーは少しくらい寂しがってくれるだろうか。
 学院に行かないで、神学校に行ったと知ったら、怒るだろうか。
 でも、俺は、クリストファー以外の人に触られるのも抱かれるのも、嫌だから仕方がない。
 クリストファーは、嫌だったら断ればいいと言っていたが、身分も高く、自信に溢れたクリストファーのような先輩に断ることなんて俺には無理だろう。俺は卑小で情けない人間だ。
 神学校は、それを鍛えるいい学校だと聞いている。身体を鍛え、心を鍛え、勉学に励む。青春なんて睡眠を削ってまで走るものではないと、領地にいた神学校出身の神父さまがおっしゃっていた。とても厳しいところなのだそうだ。
 ついていけるかが心配ではあったけど、楽しみでもあった。
 俺は次の日、部屋で見送りをしてくれたリリアナとアンネットにお礼と謝罪を済ませて、部屋をでた。

 歩いていると、遠目で見える木の陰にクリストファーとローレッタが口付けをしているのが見えた。
 何もこんな時まで目ざとくならなくていいのに。俺は、本当についていない。
 今日来たローレッタがキスをしているということは、俺が知らないだけでもしかして二人はそういう関係があったのかもしれない。ローレッタは、父についてたまに公式じゃない王宮のパーティにも出ていたし。
 ああ、それで初めて会った夜、俺が男だったからビックリしたのかもしれない。深い関係ではなかったのか……と、そう思ったら少しだけホッとした。
 馬鹿だな、本当に馬鹿だ。こんな想いをしたくなかったのに――。

「ルーファス様?」

 アンネットの夫である侍従のカールが心配そうに俺を見ていた。
 まだ、涙は出るらしい――。

「ああ、しばらくリリアナ様に会えないと思ったら、泣けてきたよ。恥ずかしいから、二人には内緒にしてね」

 そういうと、アンネット同様に優しいカールが力強く頷いてくれた。
 カールは、家からローレッタを送ってきた際に父からの手紙を預かってきてくれた。
 そこには、神学校への入学の手続きが済んだことと、家には帰ってくるなという怒りの文章があった。
 溜息をもらして、俺はカールにその手紙を見せた。
 カールは言葉なく憤っているように見えた。アンネットと同じようにカールも昔は家にいたから、俺のことは可愛がってくれていた。

「リグザル国の神学校まで送ってくれる?」

 俺が何も思っていないようにつとめて冷静に声をかけると、カールは少し慌てながら「かしこまりました」と俺を馬車に乗せるために手を貸してくれた。
 馬車のカーテンを下ろし、俺はドレスから普通の男の服へ変えると、ジグラード教の神学校への道を希望だけでない苦しいものを抱えながら、進んだ。
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