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独り占めしたい恋
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実家から王宮に戻った私は、普段過ごしているフェリクスの部屋の隣りにある自分の部屋に戻った。家から持ってきた荷物を整理しながら思い返す。
一番驚いたのは母とセリアが知り合いだったということだ。
母がまだ子爵令嬢だったとき、セリアに刺繍入りのハンカチを渡していたと聞いて、私の知らない母を垣間見た。私にとって母は、寝台の上で辛い時でも『大丈夫よ、ミリーとお父様がいてくれるからすぐに良くなるわ』と微笑んでいる気丈な母親だった。頬を染めた母は、私が言うのは失礼だが可愛いかった。
二番目はやはり温室のことだ。川の温室は相当な被害を受けてしまった。けれど誰も怪我をせず温室自体も破壊されていなかったことは救いだった。父を事故で亡くなくしたばかりだからだろうか、特にそう思う。
人の命が思っていたよりも呆気いもので、日常は一瞬で崩れてしまうと私は知っている。
淹れてもらったお茶を飲みながら、家から持ってきた本を読むことにした。薬草について書いている外国の書籍で、父の書斎に置いてあったものだ。机の上に置いて読まなければ直ぐに腕が疲れてしまうほど分厚い。
表紙をなぞると、父がよく読んでいたことを思い出した。赤い装丁に銀の稲穂が描かれているそれはイーハイ国の植物図鑑だった。
「立派な本ですわね。ミリアム様は外国語も嗜みますの?」
「イーハイ国の言葉は難しくて、辞書がないと読めません。辞書をお借りしたいのですが」
セリアに促されて、自室ではなくフェリクスの部屋で読むことにした。いつ帰ってきてもお出迎えできるからだ。
「ええ、確かこの書棚に……」
「一番右です」
「書棚の確認もできているなんて、さすが整理整頓の魔術師ですね」
セリアがそんなことを言う。
魔術師というのは絵本なんかにでてくる、普通の人ができないことをやってのける凄い人の例えだ。魔女と呼ばれると意味が全然違ってきて、淫蕩で男を虜にする女性のことで、こちらは言われると怒らなければならない。
「整理整頓の……」
「息子のラファエロがそう呼んでいましたわ。陛下の机を片付けることができるなんて凄い魔術だって」
朗らかに笑うセリアに笑いを返せない。
「あれで書類をなくさないのですから凄いことです……」
褒めているのかけなしているのかわからない言葉だけど、かなり褒めている。記憶力が抜群によくなければ無理だと思う。今までそれで何とかなってきたのは偏に陛下の執務室の文官達が優秀だからだ。私には無理だと思う。
文官達の優秀さをうらやましく思いながら、改めて本を開こうとすると、先触れなく突然扉が開き、部屋の主が勢いよく入ってきた。
「おかえり、ミリィ。どうだった? 母君は元気だったかい? ……帰ってきてすぐに勉強するなんて、ミリィはなんて勉強家なんだ」
フェリクスは本を読む前に帰ってきてしまった。まだ陽が落ちたばかりだから、夜にパーティーでもあるのかもしれない。準備のために帰ってきたのだろう。
今はマルク王国の姫がいらしているから歓迎会があるはずだ。
「フェリクス様、お早いお帰りですね。先程戻りました。お休みをいただきありがとうございます。母は元気にしていました。温室の視察報告書はメイヤー事務官から出されると思いますが、私も書いたほうがよろしいのでしょうか?」
沢山のお土産はフェリクスが持たせてくれて、母は大層驚いて喜んでいた。私が頑張ってお仕事をしているからだと思っているのだろう。
「そうだね報告書というよりは私がいない時に何を思ったか知りたいな。今度は私もぜひ一緒に行きたいと思っている」
きっと私の報告書はいらないのだ。でも気をつかってくれたのだろう。手紙のようなものを書いたら迷惑だろうか。
「私が思ったこと……ですか?」
「とても有意義だったんだろうね。いつもより目がキラキラしてとても綺麗だ」
フィリクスの愛人にも惜しまないこの話術に少し照れてしまう。
久しぶりに土に触れて、薬草の香りを一杯に嗅いだせいかとても気持ちがリラックスしている。湖の温室のアーティライトも春のこの季節に咲き誇るから蕾をつけていた。次に行った頃に満開かもしれない。
「とても楽しかったです。満開のアーティライトを陛下にも見て欲しいと思うくらいに。でも来週は忙しいですものね」
フェリクスのスケジュールを知っているから一緒に行きたいとは誘えなかった。
「アーティライトを……?」
「ああっ、母の薬草なのです。来週あたりに咲くのではないかと思って……」
アーティライトは流行病に効くのでイーハイ国から輸入されているけれど、それは乾燥させて粉になったものだから花を知っているはずがない。
フェリクスは困ったように顔を逸らした。誘われたように感じて困ったか、スケジュールを知っているくせに無茶を言うと怒ってしまったのだと思った。
「ゴホンッ、ミリィ。アーティライトを見にいくのはやぶさかでない」
「でもお仕事が忙しいのではありませんか?」
「ミリィの母上にご挨拶する余裕はないが、城から温室まで送って行くくらいの時間なら捻出できるはずだ」
それはかなり無理をしているような気がする。
「ミリアム様、陛下は無理をしても一緒に花をみたいと仰せなのですよ」
珍しい花だから見る価値がないわけではないけれど、薔薇のような豪華なものではないのにいいのだろうかと迷いながら、フェリクスの照れたような顔をみていると頷いたしまった。
「ご一緒できて嬉しいです」
後で本を読んだ。今まで花言葉など気にしたことがなかったのだ。フェリクスが知らないことを祈った。
花言葉は『独り占めにしたい恋』だった。
一番驚いたのは母とセリアが知り合いだったということだ。
母がまだ子爵令嬢だったとき、セリアに刺繍入りのハンカチを渡していたと聞いて、私の知らない母を垣間見た。私にとって母は、寝台の上で辛い時でも『大丈夫よ、ミリーとお父様がいてくれるからすぐに良くなるわ』と微笑んでいる気丈な母親だった。頬を染めた母は、私が言うのは失礼だが可愛いかった。
二番目はやはり温室のことだ。川の温室は相当な被害を受けてしまった。けれど誰も怪我をせず温室自体も破壊されていなかったことは救いだった。父を事故で亡くなくしたばかりだからだろうか、特にそう思う。
人の命が思っていたよりも呆気いもので、日常は一瞬で崩れてしまうと私は知っている。
淹れてもらったお茶を飲みながら、家から持ってきた本を読むことにした。薬草について書いている外国の書籍で、父の書斎に置いてあったものだ。机の上に置いて読まなければ直ぐに腕が疲れてしまうほど分厚い。
表紙をなぞると、父がよく読んでいたことを思い出した。赤い装丁に銀の稲穂が描かれているそれはイーハイ国の植物図鑑だった。
「立派な本ですわね。ミリアム様は外国語も嗜みますの?」
「イーハイ国の言葉は難しくて、辞書がないと読めません。辞書をお借りしたいのですが」
セリアに促されて、自室ではなくフェリクスの部屋で読むことにした。いつ帰ってきてもお出迎えできるからだ。
「ええ、確かこの書棚に……」
「一番右です」
「書棚の確認もできているなんて、さすが整理整頓の魔術師ですね」
セリアがそんなことを言う。
魔術師というのは絵本なんかにでてくる、普通の人ができないことをやってのける凄い人の例えだ。魔女と呼ばれると意味が全然違ってきて、淫蕩で男を虜にする女性のことで、こちらは言われると怒らなければならない。
「整理整頓の……」
「息子のラファエロがそう呼んでいましたわ。陛下の机を片付けることができるなんて凄い魔術だって」
朗らかに笑うセリアに笑いを返せない。
「あれで書類をなくさないのですから凄いことです……」
褒めているのかけなしているのかわからない言葉だけど、かなり褒めている。記憶力が抜群によくなければ無理だと思う。今までそれで何とかなってきたのは偏に陛下の執務室の文官達が優秀だからだ。私には無理だと思う。
文官達の優秀さをうらやましく思いながら、改めて本を開こうとすると、先触れなく突然扉が開き、部屋の主が勢いよく入ってきた。
「おかえり、ミリィ。どうだった? 母君は元気だったかい? ……帰ってきてすぐに勉強するなんて、ミリィはなんて勉強家なんだ」
フェリクスは本を読む前に帰ってきてしまった。まだ陽が落ちたばかりだから、夜にパーティーでもあるのかもしれない。準備のために帰ってきたのだろう。
今はマルク王国の姫がいらしているから歓迎会があるはずだ。
「フェリクス様、お早いお帰りですね。先程戻りました。お休みをいただきありがとうございます。母は元気にしていました。温室の視察報告書はメイヤー事務官から出されると思いますが、私も書いたほうがよろしいのでしょうか?」
沢山のお土産はフェリクスが持たせてくれて、母は大層驚いて喜んでいた。私が頑張ってお仕事をしているからだと思っているのだろう。
「そうだね報告書というよりは私がいない時に何を思ったか知りたいな。今度は私もぜひ一緒に行きたいと思っている」
きっと私の報告書はいらないのだ。でも気をつかってくれたのだろう。手紙のようなものを書いたら迷惑だろうか。
「私が思ったこと……ですか?」
「とても有意義だったんだろうね。いつもより目がキラキラしてとても綺麗だ」
フィリクスの愛人にも惜しまないこの話術に少し照れてしまう。
久しぶりに土に触れて、薬草の香りを一杯に嗅いだせいかとても気持ちがリラックスしている。湖の温室のアーティライトも春のこの季節に咲き誇るから蕾をつけていた。次に行った頃に満開かもしれない。
「とても楽しかったです。満開のアーティライトを陛下にも見て欲しいと思うくらいに。でも来週は忙しいですものね」
フェリクスのスケジュールを知っているから一緒に行きたいとは誘えなかった。
「アーティライトを……?」
「ああっ、母の薬草なのです。来週あたりに咲くのではないかと思って……」
アーティライトは流行病に効くのでイーハイ国から輸入されているけれど、それは乾燥させて粉になったものだから花を知っているはずがない。
フェリクスは困ったように顔を逸らした。誘われたように感じて困ったか、スケジュールを知っているくせに無茶を言うと怒ってしまったのだと思った。
「ゴホンッ、ミリィ。アーティライトを見にいくのはやぶさかでない」
「でもお仕事が忙しいのではありませんか?」
「ミリィの母上にご挨拶する余裕はないが、城から温室まで送って行くくらいの時間なら捻出できるはずだ」
それはかなり無理をしているような気がする。
「ミリアム様、陛下は無理をしても一緒に花をみたいと仰せなのですよ」
珍しい花だから見る価値がないわけではないけれど、薔薇のような豪華なものではないのにいいのだろうかと迷いながら、フェリクスの照れたような顔をみていると頷いたしまった。
「ご一緒できて嬉しいです」
後で本を読んだ。今まで花言葉など気にしたことがなかったのだ。フェリクスが知らないことを祈った。
花言葉は『独り占めにしたい恋』だった。
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