旧支配者のカプリチオ ~日本×1000年後×異世界化×TS×クトゥルフ神話~

ナイカナ・S・ガシャンナ

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第一部第一章 チュートリアル

セッション4 発狂

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 受付嬢に案内された先は施設の一室だった。
 分厚い石壁に窓はなく、間内は狭い。日差しの入らないこの部屋では蝋燭の明かりだけが頼りだ。中央には一人分のテーブルがあり、椅子も一つだけだ。テーブルの上には何かの装置が置かれていた。ペンが備え付けられているから、書記系の代物だろうか?

「何ここ。いきなりこんな所連れて来られて怖えんだけど」
「あはは……実際、嫌な部屋ですよね。拷問室に似てて。魔術を覚えるには仕方ないんですけど」
「というと?」

 ステファが僕に椅子に座るよう促す。座ると、彼女が僕の隣に立った。

「まず、魔術が何なのか教えます。
 魔術は則――魔法を操る技術の総称です。魔力を用いて火を起こしたり、物を凍らせたり出来ます。また、身体能力を一時的に強化したり、毒に対する耐性を得たりする事も出来ますね」

 攻撃系、バフ系、パッシブ系か。バフがあるならデバフもあるんだろうな。

「……なあ、性転換の魔術ってねーか?」
「性転換ですか? ありますけど……あれは錬金術の最上位ですよ。習得はそう容易い事ではないと思いますけど……」
「そうなのか……」

 いやでも、あるにはあるんだな。ふーん。ちょっとこの世界でも目標出来たかな。
 しかし、使になろうっていう僕が魔術まほうを覚えるっていうんだから皮肉というか奇縁を感じるな。

「男になりたいんですか、藍兎さん?」
「あー……まあ、少し興味がな……」
「そうですか。いえ、趣味は人それぞれですものね。ええ、否定しませんとも!」
「ああ、そう……有難う……」

 趣味というか、それが元の正しい形というか。まあ説明しなくて良いか。

「また話の腰を折っちまったな。それで?」
「あっはい。それでですね、魔術を習得するには魂に器官を加える必要があります。空を飛ぶ為に翼が必要なように、水中に居続ける為にエラが必要なように、魔術を使う為には専用の器官が必要なのです。それで、その器官をどうやって作るのかと言いますと」

 ステファの指が教典を示す。教典は装置の左側に置かれていた。

「『冒険者教典カルト・オブ・プレイヤー』を使用します。この魔導書のページに魔術の情報を書き込むと、書を通じて魂に情報が刻まれます。それが器官です」

 聞けば、魔術を習得する度に身体能力も上昇するとの事だ。器官の生成――魂の変質が肉体にも影響を及ぼすのだとか。レベルの概念がない世界だから急に強くなる事はないのかと思ったが、そういうシステムなんだな。

「魔術の情報を得るには他の魔導書から書き写す方法と、神様を信仰して見返りとして頂く方法の二種類がありますが――」

 ステファが自身の教典を取り出し、装置の右側に置く。

「――今回は私の教典から書き写します」
「何から何まで済まないな」
「いえいえ。それに、注意しなくてはならない事があります」

 それは、

「魂に新たに器官を作るというのは、本来は外法です。異星人の臓器を移植するようなものだと言った人もいるくらいです。その反動は正気の減少――即ち、発狂という形になって現れます」
「なにそれこわい」

 発狂するのかと思っていたら、マジで発狂すんのかよ。何だこの世界。教典を見た時から嫌な予感はしてたんだよな……。
 しかしまあ、であれば確かに部屋に閉じ込もるのは道理だ。「狂っている」という表現は様々な状態に使われるが、大抵は厄介な時に使うものだ。悲鳴を上げたり気絶したりするだけならまだいい。往来で暴れたり自殺したりしたら大問題だ。面倒は当人だけの話ではなくなる。

「御心配なく! 今回お教えするのは魔術の中でも聖術と呼ばれているものです。そうそう発狂しませんよ」
術なのに術?」
「はい。大帝教会では『魔』という字を嫌っていまして。実質的には同じなのですが。……で、でも正気度の減少が低い事は確かですよ!」
「そうか……」

 宗教って面倒臭えな。

「お教えするのは『初級治癒聖術ヒール』です。――では、始めます」

 ステファがテーブルの上の装置を操作する。装置のライトがステファの教典を光で照らし、開かれたページを上から順に当てていく。続いて、装置のペンが僕の教典に字と図を書き込んでいく。内容はステファの教典に書かれているものと全く同じだ。まるでコピー機だ。
 あっという間に転写は終わり、装置がペンを教典から上げたその時、


 邪神クトゥルフが、目の前にいた。


「…………は?」

 突然の事に目が丸くなる。唐突過ぎて訳が分からない。
 確かに今まで部屋にいた。ステファと一緒の一室にいた。
 だが、今は闇にいた。闇の中でクトゥルフが僕を見ていた。蛸に似た頭部、鱗に覆われた肌、蝙蝠の翼、暴力的な程の巨躯。一〇〇〇年前、僕を――僕の街を襲った時と寸分変わらぬ姿。あの時の悪魔が眼前に立っていた。
 クトゥルフは感情の読み取れない目で僕を見据えると、触腕をうねらせ……その下から凶悪な口腔が――

「――さん! 藍兎さん!」

 ステファの呼び声で意識が戻る。
 クトゥルフはいない。先程の石壁、先程のテーブルが目の前にあった。隣にはステファが慌てた顔をして僕を覗き込んでいる。

「今のは……幻覚か……!」

 魂が歪んで、幻覚を見るという狂気に陥ったか。
 そうか、これが発狂か。これが正気を失うという事か。これが――この世界の魔術か。

「すみません、まさか初級聖術で発狂するとは……大丈夫ですか?」
「……ああ、大丈夫だ。問題ない」

 額の汗を袖で拭う。未だに心臓はバクバクと言っているが、動けない程じゃない。
 しかし、恐ろしい。おぞましい。よもやこうも容易く幻覚を見るハメになるとは。それ程までに魔術を習得するというのは負荷が掛かるという事か。

「無理なら、今日の依頼は延期した方が……」
「大丈夫だっつってんだろ。気にするな」

 溜息を吐き、呼吸を整える。
 大丈夫だ。大丈夫だ。大丈夫だ。
 あのクトゥルフは幻。僕が勝手に見た偶像。現実にはいない。目の前にはいない。大丈夫だ、落ち着け。落ち着け。落ち着け。

「依頼やんなきゃ生活費入んないんだろ? じゃあ、休んでなんかいらんねーからな。馬車馬が如く働こうぜ」
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